恐ろしい話だった。横行する性被害と被害者に強いられる沈黙。寛容と許しを基本理念とし閉鎖的なコミュニティを築くと、弱者に皺寄せがいくという話だし、「水に流す」日本の文化にも通じると思った……。
閉ざされたアーミッシュ社会、彼らが隠してきた「恐るべき秘密」 https://www.cosmopolitan.com/jp/trends/society/g30559443/amish-abuse-incest-200117-hns/ …
● 寛容と許しが被害者に課せられ、加害を霧散させる問題
● 加害者の免責に「社会の問題」を使うな
● 被害者の救済はどこ行った
● 嬰児遺棄には「妊娠させた男」が必ずいる
● 宅間守の事例
● アーミッシュの記事ツイへのリプライ
● アーミッシュ内部の人権侵害
2020/01/17
閉ざされたアーミッシュ社会、彼らが隠してきた「恐るべき秘密」
キリスト教の一派アーミッシュがひた隠しにしてきた驚愕の事実が、独自取材により明るみに。
https://www.cosmopolitan.com/jp/trends/society/g30559443/amish-abuse-incest-200117-hns/
凄まじい、の一言である。
しかしながら
【その形態であれば、その惨状を生むだろう】
という意味では、驚きはない。
アーミッシュについてはNHKのプレミアムシアターで
「刑事ジョン・ブック」が放送されたのを見た。
アーミッシュの暮らしは
環境問題、持続可能社会、という意味ではよいと思うが、
※その意味で、自分は狩猟採集の時代から人類が変化しなければよかったと思っている。
※それももちろん強者弱者の少数集団社会だっただろうとは思うが、
強大な権力と奴隷みたいなのよりはましだろうと思う。これは環境問題でなく人間の幸福問題。
映画の中で、
アーミッシュが村人総出で新婚夫婦の家?納屋?(けっこう大きい)を建てに集まる。
男たちが建築、女たちがおさんどん、子供が手伝う(道具を渡すとか)、
日暮れまでに棟上げして、達成感の笑顔、と、
協力しあう結束はいいんだけど・・・・・・
彼らは相互監視がすみずみに行き渡っていて、
村の道徳から外れたら村八分にされることを映画の中ではっきり言っていて、
これは息苦しいなと思った。
映画を見ただけでこれはしんどいなと思ったのに、記事が暴いた実態がとんでもない。
なお、記事で言及されていた「男への期間限定の村八分」と
ふしだらと見なされた女性への村八分は、桁が違うと思う。
(見ていないが映画「スカーレット・レター」の雰囲気かと思う)
「被害者女性を施設に送り込んで監禁して、薬漬けにして口封じ」するような社会で、
女性が男性と同じ扱いであるわけがない。
なお、アーミッシュが多産で離脱する人が少ないため、
アメリカ内の宗教グループとして数を増し勢力を伸ばしている、という下り。
あぁいかにも女性の「産まない・性交しない権利」がないがしろにされていそうだ、と思った。
女性は学習性無力感で集団的ストックホルム症候群に追いやられていそうだし、
男に劇甘のアーミッシュ社会は男にはこの世の天国だろう。そりゃ離れるわけがない。
● 寛容と許しが被害者に課せられ、加害を霧散させる問題
アーミッシュ内部の問題でも、
戦争紛争でも、公民権運動でも、性暴力性犯罪でも、
「加害被害」が発生しているところに「寛容と許し」とは、
【被害者だけに課せられる不当に高い道徳】だと前々から思っている。
「寛容と許し」は
「被害者だからそれを問われる」のであって、
「加害者は加害者だから寛容も許しもお門違い」で蚊帳の外(ということにされる)。
しかし何よりも順番がおかしいと思う。
加害者が加害を認め、今後はしない約束をし、加害の賠償をし、謝罪をし、
それに対しての「許し」をするかどうか、である。
加害され、あらゆる意味での被害に対しての埋め合わせがないままに、
「寛容と許し」?
ありえないね。それただの「許しの強要」。
● 加害者の免責に「社会の問題」を使うな
「加害者個人への裁き」と「土壌である社会の変革」は両方やることであって、
「実際に加害した個人」を情状酌量で免責させようとするのが極悪なのである。
● 被害者の救済はどこ行った
「被害者の救済」がほとんど省みられず、
「二次加害を許さない」風潮もなく、
「被害者の被害」を置き去りにしての
「加害者も社会の被害者~」ってだからそれこそが社会の問題だろうが。
● 嬰児遺棄には「妊娠させ・母子を遺棄した男」が必ずいる
嬰児遺棄を「産婦と社会」と捉えるのが間違い、
「妊娠させた男と社会」「妊娠させられ嬰児を遺棄した産婦と社会」である。
男は性交する時点で「妊娠させる可能性・させた場合の母子の保護と子の養育」の責任を負い、
嬰児遺棄、中絶、死別以外の出産に男不在の場合は、
もれなく「妊娠させた男が母子を遺棄したと見なす、DNA鑑定で逃さない」とするならば、
望まない妊娠、望まない無避妊性交、望まないピル服用、望まない性交が、激減するだろう。
※妊娠した女性が男と関係を切りたい場合でも、子は遺伝的父から養育される権利がある。
したがって、国が代行して養育費を回収し子に渡すべきである。
嬰児を殺すのは男である(ヤノマミの実例)
http://lttlleo.seesaa.net/article/470563900.html
望まない子
育てられない子
を生ませるのは男である。
妊婦が凍るような川に入って流産を試みたり(おしん)
嬰児が産声をあげる前に産婆が窒息させたり(間引き)
若すぎる妊婦が難産で母子ともに死亡したり(児童婚ほか)
淫行条例で保護される未成年女子が隠れて出産し嬰児を遺棄したり(報道)
女性が妊娠を望んでいた例はひとつもないと思う。
中絶も事件化されないだけで、
原因の大部分は望まない無避妊性交、それによる妊娠という被害、中絶という被害、
無避妊性交の強行という加害、妊娠させる加害、中絶させる加害、出産させるのもまた加害である。
「少女を妊娠させた男が、我が子を少女に殺させた」と言うべき。
● 宅間守の事例
なるほど。だが「大きな目で見れば悪いの犯罪であって犯人ではない。犯人は加害者だが被害者の側面もある。犯罪そのものを生まない社会を目指すべき」という一見冷静ながら現実を一歩も動かせないまま加害者を甘やかすだけの消極的な一般論は、結局どこに吸い取られ誰を利し何を育てる肥しになるのか。
宅間守についての、森田ゆりの記事もそれ。
凶悪犯をベッタベタに甘やかして(そこに被害者への視線はない)、
慈母慈父のような寛容と愛情を犯罪者にすら向ける自分、
という自己愛に浸っての筆致が、とにかく不快。
池田小事件・宅間守の女性蔑視と大量殺人を生んだ「男らしさ」の呪縛
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65074
上記記事への反駁(昇順)
パラフィリアから見る事例~赤松直樹と宅間守
http://lttlleo.seesaa.net/article/473121124.html
「有害な男らしさ」ではなく「男らしさが有害」
http://lttlleo.seesaa.net/article/468294456.html
「男らしさ」は有害どころか厄災である
http://lttlleo.seesaa.net/article/468292945.html
「ジェンダーと犯罪」-2 「セックスと暴力」の事実から始めるべきだと思う
http://lttlleo.seesaa.net/article/466894478.html
「ジェンダーと犯罪」-1 「男らしさの呪縛」の真相は「男からの承認」だと思う
http://lttlleo.seesaa.net/article/466892568.html
たとえ社会の底辺に生まれ貧困と差別の中で育ちまともな教育さえ受けられず暴力のみが生きる術であるような人間であろうと犯罪に手を染めれば制裁を受けるのが世の道理。自らの悪行を社会構造のせいにして犠牲者ぶる甘ったれに同情の余地はありません。
理不尽ではあるが差別される者は差別に胡座をかく者以上に自制心と忍耐力、責任感で自らを厳しく律して生きなければ容易に悪に流され自らを滅ぼしてしまうだけだ。それも差別の残酷さではあるが人が人の道を歩むならば致し方ない。
● アーミッシュの記事ツイへのリプライ
記事のシェアをありがとう御座います。アーミッシュの牛乳やチーズなどは品質が良く安いのでよく購入してたし自然とともに暮らす人々の良いイメージしかなかったのでショックです。「被害者が子供であっても、同意の上」
「加害者を擁護する」「代表に女性は含まれていない」とか日本と同じですね。
性的虐待に関してはダイレクトには触れていませんが、このアーミッシュ社会の問題構造をそのままメッセージとして込められた映画作品が有ります。邦題「ヴィレッジ」、2004年。シックス・センスのシャマラン監督の作品。美しい映像、牧歌的な中世の信心深い"善き人々"の暮らし…と思いきや…と言う→
描写が非常に鋭く、現代社会と接触して尚「解決しない事を選択して終わってしまう」事で問題の深さを突き付けられます。
…国際社会から「問題」を可視化され批判を受けて尚、被害者自らも目を背ける選択に自ら突き進んでしまう日本に似ています。私達がすべき行動が逆説的に見えてくるかもしれません
アーミッシュのここら辺のこと気になってましたがやはりか、という感じですね…どの人自由に人生を選ぶ権利があるとは思いますが、閉鎖的すぎるのは結局やましいことがある現れ。何事も原理主義は結局カルト化して、男の性浴のはけ口になるんだな、と改めて思いました。
【結局カルト化して、男の性欲のはけ口になる】
中世と宗教がそのまま残るとこうなるって印象ですかね。法治主義ではなくて原理主義だとこうなるのだなと。カルト宗教やヒッピー集団とも似た構造だと思う。
アーミッシュの村がどんなところなのか実際には知らないけれど、法治制度の外側に理想郷を見出すのは愚かだと感じました。
性犯罪被害者に沈黙を強いる、勇気を出して声を上げた被害者を全力で叩きまくる…日本にもいるなぁ。そういう腐れ外道に限って上っ面だけの敬虔さを装う。イエスキリストはそういう連中のことをこう言った、「お前たちは白く塗った墓だ」だと。