”貧しさ”
って何だろうか
もう一度ちゃんと考えてみた
八木さやさんの言葉に、
わたしはどうだろう
ってしばらく考えた
ブログを一度読んだだけじゃ、
ライブを一度聞いただけじゃ、
私の中の正解が見えてこなくて、
わたしの”チャレンジ”は
パフォーマンスなのかどうか
って見てみたんだ
欲しいと願ったら
まるで持ってないのがバレるようで、
したいと願ったら、
まるでできてないのがバレるようで、
いつも誰かに“バレる”ことに怯えている
そんな中で、
チャレンジやバンジーをしたって、
所詮、誰かに認められたい
だけのパフォーマンス。
たとえば
今活動しているおから味噌は、
その先に
誰かに褒められたい
誰かに認められたい
は、存在していない…と思った
今までの私からしたら、
時間給以外で
単月で5万円以上を自分で
稼いだ経験は初めてで、
それはすっごく進歩なこと
だけど、体の感覚が、
「もっと他にもある」
って言うんだよ
ドバーッと
流れていく感じがしないの
ちょっと栓が詰まっている様な
ちょっと的を外している様な
私は今、それを
観察しているところなんだ
どんどん出して出しまくって、
世界を自分色に
染めてしまいたい衝動に
かられるの
その度に、
隠していることを
見つけていくんだ
そしてまた一つ
見つけたの、
言ってないこと
それは、
お金が欲しいってこと
言っている様で、
明確に言ってなかった
濁していた言葉
お金が欲しい
稼ぎたい
お金がないから
何かを企画したとか、
壱岐島に行っておきながら
お金がないなんてダサいとか、
言われるのが恥ずかしくて
バレたくないと思っていた
お金がないこと=悪
って思っている自分、
そんなところに
変なプライドを持っていた自分
壱岐島に行ったら
お金がなくなって終わりだなって、
言われていたのを見かけて、
無意識にその時の私を
ダメなもの扱いした
やっぱり私はできないんだ、
壱岐島に来たのも勢い任せで
本当は来るべきじゃなかったんだ!
って、自暴自棄に
なりかけた時もあった
だけど、
そこで自分を救ったのは
自分だったんだ
もう、何もないって思った
あるのは
私の中にゴマンと
溜まっているこの思い
これを隅から隅まで
出してしまうしかないってこと
ただただ
自分を表現することに
夢中になって、
それしかできなくて、
楽しくて
そしたら
ふと気づくとさ
なんだか風向きが
変わっているのを感じた
自分の人生、
自分で舵取りをして、
誰にも遠慮することなく
自分を幸せにする責任を持つことに
積極的になっていっていた
何かを生み出そうとしている地点に
立っている気がするの
そうしたい、とも
思っているわけでね
そういう自分が
もどかしくなる時がある
だけどそれは、
産み出さなきゃって
思っているからだって気付いた
なぜかって
お金が欲しいからなんだ
稼ぎたいからなんだ
そしたら私、
この気持ちがあることを
自分で気づいているのに
人に言えないということは、
「いま稼げていない自分はダメだ」
「お金がないことがバレちゃダメだ」
って思っていたことに
気づいたんです
「言うんだ、これ…」
って思ったら、
ふわあーっと涙が湧いてきてさ
その瞬間、八木さやさんが
私の中にすーっと入ってきた感覚がして、
湧いてきた涙がさらに溢れてきて
一瞬戸惑ったけど、
これは、
こんなに近くでおっきな可能性を
見せてもらっていること、
その距離は自分の中にある可能性を
これでもか!と言わんばかりに
迫り来るもので、
それを諦めずに見せてくる自分が
健気に思えてきたんだ
だって、
世界は私でできているから
私は世界でできているから
目に映るものの
大小、遠近、濃淡、長短はあれど、
そのすべては私の中にある可能性
でしかないのだから
気付くまで追いかけてくるんだ
初めて、素直に、
まっさらな気持ちで、
その可能性と目を合わせようと思った
私は、
お金が欲しいです
私は、
稼ぎたいです
もっともっと稼いで、
未感知な細胞を奮い起こす様に
いろんなことを体験して、
体感にして、上辺じゃない
実の詰まった豊かな言葉たちで
自分を表現していきたいな
って思うんです
私を源泉に、
癒されて、満たされる世界が
広がっていったらいいな
って思うんです
ゆたにえり
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