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P-Techプログラムを受ける予定の米コロラド州スカイライン高校の生徒たち(2016年)Photo by Matt Jonas/Digital First Media/Boulder Daily Camera via Getty Images)

P-Techプログラムを受ける予定の米コロラド州スカイライン高校の生徒たち(2016年)
Photo by Matt Jonas/Digital First Media/Boulder Daily Camera via Getty Images)

秦隆司

秦隆司

Text by Takashi Hata

衰退したと言われるアメリカの製造業。

しかし、2000年から2007年の数字を見ると、雇用が減少する中で、生産出量はむしろ8%増加している。

いったい何が起こっているのか。アメリカ社会を長年にわたり見つめてきた秦隆司氏が、「ウォール・ストリート・ジャーナル」の記事を中心に解説する。

私は大学受験をしなかった


私の日本での高校生活は教師と争いの日々だった。校則で髪を伸ばすことが禁止されていたが、私は髪を伸ばしていた。私に髪を切らせようとする教師が数人いて、彼らとの戦いだった。校長にも呼び出されたが、校則に従うことはなかった。そうして、週に一度くらいは学校を休んだ。教師と仲が良くなく、そんな教師から書いてもらわなければならない内申書が必要な大学など行きたくないと、大学受験をしなかった。

高校時代からブルースバンドのドラム担当として、すでにクラブなどで演奏してお金を貰っていた。高校を卒業してからは、バンド活動を本格化させ米軍のベースキャンプや大学の学園祭などで演奏した。しかし、そのブルースバンドが解散してしまい、私は渋谷の道玄坂にあったヤマハで「ドラマー募集。仕事すぐあります」の貼り紙を見つけ連絡をした。

新しいバンドはサンタナやローリング・ストーンズなどのコピーバンドで、新宿のクラブなどに出ていた。好きなブルースを演奏する訳でもなく、メンバーも特に友人という訳でもないそのバンドで私は虚しさを感じ始めていた。

私は、それからアメリカに渡り、26歳でアメリカの大学に入学し30歳で卒業するのだが、もしアメリカに行かなかったらどうなっていただろうかと今でも考える。

26歳で日本の大学に入学するのはかなりの勇気で、もし入学しても変わり者とされただろう。30歳で新卒だがそれを社会はどう受け入れてくれただろうか。アメリカの大学では歳のことを気にする奴はいなかったし、人数は少なかったが、私より年上の学生もいた。

日本にいたら、私は大学に入らず高卒が最終学歴となったはずだ。どんな人生になっていたのだろう。時々、私は考えても分からない迷路のなかを長い時間、巡り続けることがある。

追いやられるブルーカラー労働者


昨年の12月の中頃「ウォール・ストリート・ジャーナル」である記事を読んだ。「工場はブルーカラーの仕事にホワイトカラーの学位を求める」という見出しの記事で、目を引いたのが「今後3年以内にアメリカ製造業は、史上初めて、高卒あるいはそれ以下の学歴の従業員よりも多くの、大卒の従業員を雇うことになる」という一文だった。

自分は高卒だったかも知れないと感じている、いうなれば精神的高卒者の私にはショッキングな記事だった。

記事ではシカゴ大学の経済学の教授エリック・ハースト氏の言葉を多く引用していた。私は彼の情報をインターネットで探した。

ハースト氏の言葉によれば、アメリカは1980年から2000年の間に200万の製造業の仕事を失い、2000年から2010年の間になんと700万の製造業の仕事を失ったという。現在は少し戻りつつあるとのことだが、1980年から2010年で約1000万の仕事が無くなったことになる。

彼は続けて語っている。しかし、2000年から2007年でアメリカ製造業のアウトプット(生産出量)は8%上がったという。つまり、製造業は人を減らすなか生産量を上げていったのだ。


高度化する労働


なぜ、そんなことが可能なのか。「ウォール・ストリート・ジャーナル」の記事はこう解説する。

2012年から2018年の間にアメリカの製造業はIE(インダストリアル・エンジニア)など問題解決の能力を必要とする人材を多く雇い、そのような能力が必要ない人材の雇用を減少させた。その割合は問題解決能力を有する人材の10%の伸びに対し、能力のない人材の雇用は3%減少した。

同紙によると、現在40%を超える製造業者の従業員が大学の学位を持っているという。1991年の統計ではこれが22%だった。

「以前は手作業でおこなっていた仕事が、機械を介しておこなわれるようになったのです」とエリック・ハースト氏は語る。

つまり、アメリカの製造業は生産技術を一新させ、能力の高い人材を雇いれることでこの10年程を乗り切ってきたことになる。

フォード社の組み立て工場(シカゴ、2007年)
Photo: Scott Olson / Getty Images


従業員の4分の3が去った


「ウォール・ストリート・ジャーナル」の記事では、シカゴの郊外にある従業員約40名のパイオニア・サービスという会社を取材している。

数年前まで、パイオニア・サービスの最大の顧客は冷暖房システムメーカーだった。しかし、顧客が取引先を安価な外国に移し、その結果パイオニア・サービスの売上は1年間で90%落ち込んだ。

社長であるアニーサ・ムサナ氏は苦渋の選択を迫られた。会社を変革して存続させるか、廃業するかだ。ムサナ氏は会社として初めて営業部員を雇い入れた。彼らは自動車メーカーからの仕事を見つけ出した。しかし、その仕事を受けるにはソフトウェアや最新技術を搭載した機械の買入れが必要だった。そのお金は600万ドルを超えるものだった。ムサナ氏は変革の道を選んだ。

最新技術搭載の機械購入は新たな問題を引き起こした。購入した機械を動かすためには、それまでとは違った能力を持つ人材が必要だったのだ。新たなソフトウエアを動かし、数値を計算して打ち込み、時にはコンピュータ修理も必要だった。40名いた従業員の30名はパイオニア・サービスを去っていった。新たに雇い入れた従業員は会社の需要に合った人々だった。

「私はコンピュータのことなど知らず、数字のことを習う気になりませんでした」と14年間の勤務後に同社を去ったある従業員は言う。

パイオニア・サービスはそれまで複数の機械を使い45分間をかけてひとつの部品を作り出していたが、新たな体制では精巧な部品を1分間で作り出すことができるようになった。また、新体制を作り出す前には製造従業員は最低賃金の時給8ドル25セントからのスタートだったが、今は時給14ドルからのスタートで、能力・経験で27ドルまで上がる。先程の勤続年数14年の従業員の時給は、彼が2017年に会社を去った時点で16ドル50セントだったことを考えれば、賃金も大幅に上がっている。

これまでのブルーカラーとは違う


アメリカの製造業は変化を遂げていて、1度変わったものはもう戻ることはない。

一方で、デジタルスキルを持つ製造業の作業員はもうこれまでのようなブルーカラーではないと言う人々もいる。

IBMのCEOであるジニー・ロメッティ氏は製造業でのデジタルスキルを持つ人々をブルーカラーでもホワイトカラーでもない「ニューカラー」と呼ぶ。

「ニューカラー」の人々は製造過程でソフトウェアを使いこなし、デザインではCADデータを使い、ロボットのメインテナンスをおこない、3Dプリンターを調整し、データ収集・分析をおこなう。

技術的に変化を遂げる製造業分野では、これまで見てきたように新たなスキルを持った人材が欠かせない。しかし、それらの人々はどこから来るのだろうか。

アメリカの製造業界を発展させるための非営利団体であるSME(Society of Manufacturing Engineers、生産技術者協会)のCEOであったジェフリー・クラウゼ氏は「製造業の変化は加速している。遅れを取りたくない企業は、機械を使って製造工程をコントロールできる人々に投資をおこない、彼らを育てなければならない」としている。

つまり、求める人材の不足に陥らないために、人材育成に力を入れなくてはならないというのだ。


恵まれない環境の学生にもチャンスを


人材育成のひとつの例としてニューヨーク市ブルックリンにあるPathway in Technology Early College High School(技術者養成に向けた大学レベルのクラス/学位が取れる高校)という形態の学校がある。これは一般にP-Techスクールと呼ばれる学校で、教育委員会、高校、コミュニティ大学、企業が連携しこの学校を作り出している。ブルックリンのP-Tech SchoolはIBM、ニューヨーク市教育委員会、ニューヨーク市立大学の協力によって2011年9月に最初の学生の受け入れを始めた。

P-Techスクールの学生は9年生(高校1年)で入学し、6年間の一貫教育を通して准学士号が取得できる。協力企業からは現在その企業が必要としている分野の技術のアドバイスや学生へのメンタリング、有料インターンシップなどの機会が設けられている。授業内容は将来の雇用につながる医療、ファイナンスを含むSTEM(サイエンス・テクノロジー・エンジニアリング・数学)分野のコースが多く用意される。つまり学生は入学した時点で、将来大学の准学士号が取れ、卒業時には広い雇用の道が開かれることを知っている。

P-Techスクールのもうひとつの特徴として、社会的にあまり恵まれた環境にない学生を対象にしているというものがある。ブルックリンのP-Techスクールの授業料は無料、教科書代などもかからない。P-Tech スクールの目標のひとつに「Underserved Populations (十分なサービスを受けていない人々)」を対象にした学校にするというものがある。P-Techスクールの学生の中には、放っておいたら高校卒業が最終学歴になる人々も含まれるだろう。

現在、P-Techスクールは全米で約100校あり、世界中に広がりをみせている。

私は再び、自分の高校生活を思い出す。何に対してあんなにも戦っていたのだろうか。勉強自体が好きか嫌いかも分からなかった高校生活。何か無駄なエネルギーを日々費やしていた気がする。

私が、自分の道を見つけ出し、アメリカの大学に入学するまでには8年間の年月がかかった。今回の製造業分野で大学学位保持者の雇用が、高卒あるいはそれ以下の学位保持者を上回る予想という記事を読み、自分はずいぶん危うい道を辿っていたのだと改めて感じたものだ。


PROFILE

秦 隆司(はた・たかし) 1953年東京生まれ。ブックジャム・ブックス主幹。 マサチューセッツ大学卒業後、記者、編集者を経てニューヨークで独立。1996年にアメリカ文学専門誌「アメリカン・ブックジャム」創刊。2001年、ニューヨークに渡ったいきさつを語った『スロー・トレインに乗っていこう』(ベストセラーズ)を出版。2018年『スロー・トレインに乗っていこう』を電子版として復刊。近著に『ベストセラーはもういらない ニューヨーク生まれ返本ゼロの出版社』(ボイジャー)。アメリカの政治ニュースを追うポリティカル・ジャンキーでもある。