昨年から本日に至るまで何百冊と本を売ってきた僕が、どうしても捨てられない本があった。
機械学習の本である。
第3次AIブームが起こり、意識の高いサラリーマン界隈は
「機械学習こそがこれからを生きる我々に必要なスキルだ!」
と浮足立った。
機械学習を学習すれば、GoogleやFacebookなどの華やかなテック企業に転職できるに違いない...!
そんな夢を見て、時にはお金を払って研修に参加したり、高額な本を買ってみたり、Kaggleで機械学習のコンペに参加してみたりもした。
中途半端に色々な本を読み、一通り試してみたが、どうも身に付いた気がしない。
本を読むだけでは実務での勘所が掴めず、何やら雲をつかむような感じで勉強していた。
数学が苦手なのも致命的であった。
「数学が苦手」と語るのは実に勇気がいることである。
「自分の頭が悪い」と宣言するようなものだからだ。
勝てない分野で闘わない
先日見つけた記事に衝撃を受けた。
「天才プログラマー2人が語る、高度IT人材の採用のポイントとは?」
AI分野で最先端を行くプリファード・ネットワークスの執行役員・秋葉拓哉さんへのインタビュー記事だ。
秋葉さんは何気なしに
ディープラーニングは実装して終わりではなく、試行錯誤の連続です。
論文を読んで実装して…を何度も行うんですね。
そのサイクルを素早く正確に回せれば、それだけ結果的に優れたモデルにたどりつける。
と語っていた。
私のようなワナビーがのんびりと機械学習の基本書を読んでいる一方で、日課のように最新の論文を読み、実装し、検証している人がいるのだ。
「巨人が群がるAI集団 プリファード・ネットワークス」によると、プリファード・ネットワークスの副社長・岡野原大輔さんは週に100本の論文を読むのだという。
週に100本...だと?
漫画でさえ週に100冊読むのは難しいのに、100本もの論文を当然のように読みこなすのは、もはや業務だからやっているというよりも、「好き」なのだろう。
プリファード・ネットワークスは若い才能も有している。
27歳のエンジニアがたった10日間で完成させたフレームワークはなんと、機械学習の業界標準となった。
これらの記事を読み、私は悟った。
「こんな奴らに勝てるわけがない」
と。
30代からブームに乗って、亀のような歩みで機械学習の勉強を始めたところで、ウサギのスピードで前に進み続けている連中がいるのだ。
「機械学習の分野を学び、その分野で一流になること」
を目指すのは、こういう連中と競争しなければならないということだ。
10代の頃から受験勉強を通じて理数系の知識を磨き、大学で専門性を身に付け、就職してからは専門性を武器に世界を相手にビジネスしている連中相手に、ガチの競争を挑んで勝てるわけがない。
野球未経験者が30代から突然プロ野球選手を目指すようなものだ。
どう考えても手遅れだろう。
逆になんで今まで気付かなかったのか。
思考停止でブームに踊らされていたとしか言いようがない。
敗北を確信し、私は夢を捨てることにした。
素晴らしい良書達と別れる決意だ。
すごい人から見ると基本すぎる本かもしれないが、これまで本を捨てまくってきた私が最後まで捨てられなかった思い入れのある本だ。
これらの本を段ボールに入れる時、私の頭にはドナドナが流れた。
捨てられた夢が詰まった段ボールは、子牛を乗せて揺れる荷馬車のように見えた。
勝てない勝負はしない。
本物のプロと同じ土俵で闘わない。
努力は大事だが、やらない決断をするのも同じくらい大切だ。
市場価値とは何か
人間には適正がある。
努力は大切だが、どこで努力するかを選ぶマーケットセンスは努力以上に重要だ。
需要があって、かつ、適正がある分野
に自分のリソースを投入しなければならない。
人生は有限で、自分が使える時間にも限りがあるからだ。
市場価値は「需要 × 希少性 × 専門性」とどこかで見たことがある。私も同意だ。
適正がある分野で専門性を磨かなければ、おそらく希少価値のある人材になれまい。
努力しようと思えば、様々な分野で頑張ることができる。
しかし資本主義社会で結果を残したいのであれば、世の中に必要とされる分野で努力したほうが得だ。
たとえば、今からけん玉を極めたところで、おそらく金持ちにはなれまい。
「市場価値がある」とはすなわち、市場に需要があって、希少価値があって(その能力を身につけるのが難しい)、そこで自分が人より優れた専門能力を発揮できるということだ。
需要があったとしても、自分に適性がなければ競争に負けるし、凡庸な能力をいくら揃えたところでスキルのメンコ対決には勝てない。
ブログやツイッターの自己紹介に
「取得資格は71個」
みたいに書く資格コレクターもいるが、器用貧乏もいいところで、大量の資格を集めたところで何の役にも立たないだろう。
どの分野に賭けるかがマーケットセンスだ。
マーケットセンスは個人の能力や資質を超越する。
どんなに能力が高くても、マーケットセンスがないとコモディティとなる。
適正がある分野で努力する
私には機械学習の適性がなかった。
「適正がない分野」とは何だろうか?
個人的には根性論が好きだ。
スポ根漫画を読んで育った私には、「努力すればなんとかなる!」と全てを前向きに考えたい誘惑は常にある。
だが実際には、人には向き不向きがあって、ウサギのスピードで身に付けられるスキルと、カメのスピードでしか身に付けられないスキルがある。
向いている分野では初速が違う。
やっていて楽しいし、学んだことが身に付きやすい。
一方で、向いていない分野の学習は苦しいし、学んだ先から忘れていく。
学習には向き・不向きがあるのだ。
我々は自分に適正がある分野に賭けなければならない。
世の中には自分と同じことをやって、自分と同じ土俵で勝負している人がたくさんいる。
そういう人との競争に勝って価値を発揮するには、向いている分野に集中するしかない。
サラリーマンを蝕む強力な競争の誘惑
サラリーマンには強力な競争の誘惑がある。
周りと同じことを、周りよりも上手くやりたくなるのだ。
流行っているスキルに飛びつきたくなるし、「これからのサラリーマンに必要なスキル」とか言われると、絶対に身に付けなければいけないような気分になってしまう。
スキルの遊戯王ゲームに勝つために、色んなスキルを身に付け、
「これもできるぜ!あれもできるようになったぜ!」
とスキルメンコで勝負したくなってしまう。
ちなみに勝負できるスキルがない人は残業合戦を仕掛け、忠誠心を競おうとする。
競争は人間の本能に根付いている。
群れの頂点に立つボス猿のように、周りの人間よりも優れた自分であると示したくなってしまうのだ。
競争が本能に根付いているのであれば、それを抑えるには理性に頼らねばなるまい。
なんでも手を出したくなる気持ちを理解して、それを抑え、自分に合った分野にだけ目を向けて、他は捨てるしかない。
ビジネスしたいならニッチな分野を狙う
「ビジネスマンの(転職)市場価値」でいうと、需要があって、希少性があって、適正がある分野で努力するのがいいと思うが、自らビジネスをする場合は、ニッチな分野を狙ったほうがいいだろう。
誰も競争したがらないような分野にリソースを投入するのがいい。
具体的には、周りから賤業と言われているような、キラキラしていない分野が狙い目だ。
投資銀行だったり、コンサルタントだったり、大学生が「格好いい」と感じるようなマーケットには優秀な人たちがこぞって飛び込んでくる。
強い奴と競争したら消耗戦になる。
どぶ板の不動産営業だったり、アフィリエイトだったり、メディア運営だったり、夜のお店だったり、黎明期のYouTuberだったり、
「需要はあるけどキラキラした経歴の優秀な人たちが避けたい分野」
の方がどう考えても勝ちやすい。
「ガチで優秀な奴には勝てねえ」と自覚することが、“自分のビジネス”のスタート地点となるはずだ。