「ガイジン」と言われ、見た目で差別され続けた私の22年、忍耐の記憶

「ハーフ」の私が見てきたこと

東京藝術大学4年生でラッパーとしても活躍する田村なみちえさん。ガーナ出身の父と、日本人の母の間に生まれた彼女は、小学生の頃から外見にまつわる差別を受けてきた。その痛切な記憶をつづる。

貼り付いた歪な表情

面白いことでドッと笑ったり、悲しいことに大声で泣いたり、昔は今より感情表現豊かだった私。初めて「ガイジン!」と煽られた時、私はどんな顔をしていただろうか。その時の少し歪な表情をベースにした顔立ちで人間生活22年目を進めている。

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現在の私はその昔からやってきた芸術(言語表現・現代美術など)と密接し、寄り添うことが生き甲斐となっているが、時々ふらっと訪れる虚無感を解消しようと、よく海に行く。今日は砂浜に突っ立った鳥居のそばに座って(なぜだか特別な存在になれる気がするから)散歩がてらお参りに来る人々を横目に「考えないことを考える」のに必死になっていた。

そうしていると、こちらへ歩いて来たおじさんが鳥居をくぐるかと思いきや私の方へ近づき話しかけてきた。

「お前は日本人か?」「....はい(?)」「なぁんだ、“ガイジン”かと思ったからさ」

こうやって知らない人に自分とは何かを確認させて相手を安心させなければいけない。それが私と誰かとの初対面で起きる現象。他者のために自分が何者かをわかりやすくハッキリ示した人間であるべきだ、と言わんばかりの言動でアプローチされることが多いが、その現象はまったく肌なじみに合わないし一生慣れることはないだろう。

この時もよっぽど苦い顔をしてしまっていただろう。何も考えないよう、波の揺らぎを観察したくて外に出た自分の内側に、過去の差別的事象やマイクロアグレッションの記憶が渦巻いた。