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【コラム 人生流し打ち】高木守道が乱闘の主役になった日 短気で強くて純粋だった男【コラム】2020年1月25日 10時52分
物心ついた時から3度のメシより中日が好きで、親のカタキというほど巨人戦に燃えた。その中心にいた地味な高木守道が、高校3年になっていたわれわれを興奮させたのは1975年7月3日の対戦(札幌・円山)だった。 6回表、挟殺プレーで三走の高木は巨人の関本に顔面タッチを受け、食ってかかったところ左ストレートを食らい、大乱闘に発展した。平日のデーゲームだったが午後7時半からテレビで録画中継されており、クラスはしばらくこの話題で持ち切り。 「あの高木が怒るのは当然だ」「星野はマッサージを受けていて、サンダルで駆けつけた時は乱闘が終わっていたらしい」「新宅は回し蹴りをよけられて腰から落ちて負傷した」。新聞などからいろんな情報をみんなが持ち寄った。 試合も勝利し、われわれは勉強そっちのけで中日のV2応援モードへ。受験生が大丈夫かって? 翌春、筆者を含む数人が名古屋駅裏にあった予備校に通う羽目になりまして、しかも優勝は広島にさらわれまして…。とほほ。 その後、中日担当記者になった筆者は、評論家時代の高木さんと出会う。うわさ通り無口な人で、51年に焼失した当日、木造の中日球場で観戦していたのを知ったのも随分あと。それでもあの乱闘については聞けた。興奮したわれわれ同様、眠れなかったという。 「グラブが一直線に(目に)飛び込んでくるのが見えてね。それでカチンときてしまった。あんなことでカチンときてたらいかんわね」 怒りではなく、意外にも後悔が理由だった。しばらくして座右の銘「怒らず嘆かず悲しまず」と墨書された色紙をもらった。瞬間湯沸かし器は、反省の人でもあった。 94年には心底驚いた。監督3年目の夏、負けがこんだため選手と話し合ったという。 「どうしてほしいか聞いたんだわ。何を言ったと思う?」 皆目見当がつかなかった。 「もっと声をかけてくれ、と言うんだ。考えられんでしょう」 いやいや、考えられないのはその言葉。依頼心のない高木さんは、プロの世界にそんな選手がいるとは思ってもみなかったのだ。それでもこれで選手の心理が分かるようになり、その年の10・8に突き進んでいく。 2度目の監督就任時にはこう言い出した。「負けた時こそグラウンドに出ておわびするべきだ」。しかし、これはすぐ中止となった。敗戦直後でカッカするファンの罵声を浴び、火に油を注ぐ結果となってしまったからだ。 短気で、強くて、やさしくて、何より純粋な人だった。(増田護)
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