ここ最近、「人を(誰も)傷つけない笑い」というテーマが、“お笑い論”として議論の的になることが改めて増えている。背景に語られるのが、『M-1グランプリ2019』を制したお笑いコンビの「ミルクボーイ」、3位になった「ぺこぱ」らの影響だ。
いつの時代も、「笑い」は世相を反映するもの――。もしそうなら、「人を傷つけない笑い」とは、現代の風潮によって偶発的に生まれたものなのか、というと、実はそうではなく、むしろ、古くからあった“日本人らしい笑い”への原点回帰なのかもしれない。
『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』の著書がある落語家の立川談慶氏に、日本独自の「人を傷つけない笑い」について“落語”の観点から解説してもらった。
いつぞやこんなことがありました。
故郷の長野は上田市内の小学校に、講演と落語でお邪魔した時のことです。子供向けにわかりやすく、
「落語は人間のダメな部分を、一緒に笑う芸能です。『人間はダメでいいんだよ』と優しく言っています。そこには人間のたくさんの失敗が描かれています。これからみなさんは大きくなるにしたがっていろんな失敗をするはずです。知らないのに知ったふりをしてしまったり、人のいうことをそのまんま信じてしまったり。そんないろんな失敗の後で、『ああ、そういえば小学校の時に落語家さんがそんな失敗を元にした落語をやってくれたよなあ』と思い出してもらえたら、失敗は怖いものでも恥ずかしいものでもなくなります。今日は落語という痛くないワクチンをみんなに打ちます」
と、前置きでしゃべってから、「知ったかぶりによる失敗」としての「転失気」、「人の言うことを鵜呑みにしてしまう失敗」としての「寿限無」の古典落語二席を口演しました。