止まっていた時計の針が再び動きだした。春夏計4度の全国優勝を誇る古豪・県岐阜商が5年ぶりに甲子園の舞台へ。「身の引き締まる思い。東海地区、岐阜県の代表として堂々と試合をしていく覚悟です」と鍛治舎監督は表情を緩めることなく意気込みを語った。
母校再建を託された2018年3月。まず感じたのは「緩んだ雰囲気」だった。聖地どころか地区大会突破もかなわず。そこに強豪の称号はない。「あったのは過去の実績だけ」と振り返る。
着手したのは過去を断ち切ること。最初の作業は一塁側ベンチに設置されていた過去の甲子園出場の記念碑を、バックネット裏のスタンドに移すことだった。学校創立100周年、野球部創立80周年を期にOBの有志から寄贈された“遺産”をためらいなく移動。「記念碑は選手ではなくギャラリーに見せるもの」。一塁ベンチにはホワイトボードを置いた。さらに昨春の東海大会前には、95年続いたユニホームを変更する徹底ぶり。就任から1年半、ようやく聖地への道が開けた。
「まとまりがあって力は備えている」と指揮官が語る今年のチーム。年末年始には個の力を強化するため、宮崎で10泊11日の合宿を敢行した。紅白戦を中心に毎日9時間の練習。さらに徹底した食トレも行った。全員が毎日2000グラムの白米を胃袋の中へと押し込み、軒並み3~5キロの増量。「仕上がったなという感じがする」と手応えを口にした。
1週間前の17日、OBで元中日監督の高木守道さんが亡くなった。「ご霊前にいい報告ができるように部員と頑張っていく」と鍛治舎監督。古豪復活へ向け「毎年、強豪私学と互角に戦えるチームをつくる。春が最初のステップです」。新しい時代をつくる舞台は整った。