「女性の登場人物が劇中でひどい目にあっていてつらい」というような感想に対して「俳優はそういう役であることを承知の上で引き受けているのだからその感想は筋違い」と言う人はまずいないと思う。俳優個人がどうこうではなくて、劇中の設定について感想を言っているのだから。
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広告も本来は映画と同程度にはフィクションに近い表現なのだけれど、どうもその感覚が社会的に共有されていないせいか、広告の表現内容に対する批判と、広告に登場するモデルの属性に対する批判という、まったく水準の異なるものがしばしば混同されているように感じる。
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一方で、今回の広告に対する批判は単なる映画の好き嫌いのような主観的な好悪の表明ではなくて、女性差別という社会正義に関わるものだけに一筋縄ではいかなくなっているようにも思う。社会の中で何が女性差別的な表象に当たるかの認識が必ずしも共有されていないようなので。
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正義や公正の手前で「女性の身体的特徴を安易にアイキャッチに利用した広告は嫌だ」という主観的なレベルの嫌悪を人々が表明していくのも戦略としてはありだと思う。社会的な反発が強まればシンプルに広告としての価値が薄れていくので、そうした表現自体が衰退していくのではないか。
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広告に対する主観的な嫌悪の表明には、映画の感想と同じで、作り手側を強制的に縛る力はない。だが、法的な強制力がなくとも、人々に受け入れられない表現は次第に使われなくなっていくだろう。結局ビジネスの問題なのだから、ニーズがなくなればそれに応えるための表現もなくなっていく。
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企業の側には、女性をアイキャッチに使用した広告に効果があり、反発を受けることがわかっていてもそれを上回る利益が望めるというなら、そうした広告を作り続けていく自由はある。その場合でも、短期的な利益を得る代わりに企業のブランド価値は低下していくだろうけれど。
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「胸の大きい女性を広告のアイキャッチに利用すること」への批判に対する「モデルの女性の仕事を奪うことにつながりかねない」という反論はもっともだと思う一方で、世の中の価値観が変わって、これまで成立していた仕事がなくなるのは自然なことなので、甘受するしかないのではないかとも思う。
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現実に存在する胸の大きな女性に(本人の意思に反して)「エロい」とか「いやらしい」とかいう言葉を向けるのは当然戒められるべきで、そうした不適切な女性イメージを広告のアイキャッチに利用することへの批判もその延長線上にある。いずれも問題は女性自身ではなく、女性を「見る」側の態度にある。
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プライベートな関係性のなかで女性が性的にまなざされることを望むのはまったく非難される筋合いのものでもないけれど、それが広告として消費されるとなると単にモデルの意思の問題にとどまらず、世の中に存在する女性差別を強化しかねないという懸念から批判が出るのだろう(実態はどうあれ)。
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