捏造されたストーリー
私は2016年の大統領選挙を現場で取材し、トランプ現象を作った「白人の労働者階級」の問題について『ヒルビリー・エレジー』という本をご紹介し、アメリカがこれまでにないほど分断し、対立していることも、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』に書いた。
<知識層からときに「白いゴミ」とまで蔑まれる白人の労働者階級。貧困と無教養を世代を越えて引き継ぐ彼らに、今回の選挙で「声とプライド」を与えたのがトランプだった>
私も情報を広める一端を担った一人だが、あまりにも広まりすぎたせいか、日本でも「食べる余裕もないアメリカの貧困層にとって、民主党候補が重視するLGBTQ、人種差別、女性の人権などの問題は、はっきり言ってどうでもいい。経済格差が分断の原因だと認めないかぎりは、分断はなくならない」と結論づける人がいるようだ。
たまにツイッターなどで私に教えてくれる人もいる。
アメリカの主要メディアも、大統領選挙の後で同じような分析をしていたから仕方ないかもしれない。
だが、レベッカ・ソルニットは、『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)の中でそれが誤謬(論証の過程に誤りがあり、論証が妥当ではない)であることを語っている。「クリントンが敗北したのは、いわゆる『白人労働者階級』に 十分な配慮をしなかったからだという意見に、左よりのリベラルの多くが賛同した」と振り返り、続いて、その認識が間違っていることを説明している。
たとえば、あるジャーナリストがヒラリー・クリントンの選挙運動の演説について「ワード・フリークエンシー(単語の登場頻度)分析」を行ったところ、彼女が最も多く語ったのは、「労働者」、「職」、「教育」、「経済」で、何百回も出てきた。いっぽうで、ヒラリーが「そればかり語っている」と責められた「人種差別」や「女性の人権」に関しては、何十回程度しか触れていなかった。
この事実にも関わらず、主要メディアは「ヒラリーや民主党は、LGBTQや人種差別、女性の人権ばかり語り、労働者階級を無視している」というストーリーを作りあげ、多くの人はそのまま信じ、ソーシャルメディアなどで広めていった。
この認知バイアスと誤謬を指摘しているのは、ソルニットだけではない。
フィナンシャル・タイムズとマッキンゼーが2019年の「ベストビジネス書」に選んだキャロライン・クリアド・ペレスの『Invisible Women:Data Bias in a World Built for Men(見えない女性たち:男性のために作られた世界に存在するデータバイアス)』 にも、同じことが出てくる。
高学歴、高所得のトランプ支持者
アメリカの白人労働者階級に食べる余裕ができたら、LGBTQ、人種差別、女性の人権などの問題を配慮することができるのだろうか?
実際はそう単純なものではないと思う。
ウォール街の金融関係者や、企業の重役など、収入がアメリカのトップ1%以上に属する特権階級の白人には、隠れトランプ支持者がかなりいる。トランプの集会に行ったり、テレビの取材に応えたり、目につく場所でトランプを支持している多くは「白人労働者階級」なのだが、政治献金をして陰でトランプを支えているのは「裕福な白人」である。
私の義弟もそんな「高学歴、高所得のトランプ支持者」の1人だ。
義弟は、建国時代からアメリカで権力を持つ「WASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)」の裕福な家庭で生まれ育った身長2メートルの白人男性だ。幼稚園のときからクラスで一番背が高く、スポーツ万能なので、差別をされた体験も、いじめられた体験もない。
「背が高い白人男性は、成功しやすく、年収も高い」というのは、数々の研究で明らかになっているが、義弟もウォール街の投資銀行家として何億円もの年収を何十年も得てきた。アメリカで最も裕福な町のひとつに何億円もする家を持ち、離婚したときに財産の半分を妻に渡したにも関わらず、再婚後も何億円の家を新たに買い、子供2人を寄宿制私立高校に通わせている。その学費は合わせて1000万円を超えるが、それでも毎年豪華な家族旅行をする経済的な余裕がある。
これほど社会経済的に恵まれているのだから、自分よりも恵まれない環境に生まれた人を思いやる余裕があってもよさそうだ。
私が初めて会ったころには義弟は他国の文化にも興味を持っていたし、人種差別的なことも口にしなかった。なのに、ウォール街で大金を動かすようになってから、彼は自分と対等かそれ以上だとみなす人以外にはどんどん冷淡になっていった。
現在の義弟は、(右よりの報道機関として知られる)FOXニュースのキャスターのように、「反移民」「反人種マイノリティ」「反LGBTQ」「反宗教マイノリティ」の意見を堂々と口にする。イラク戦争にも早期から「誰がボスなのか、あいつらに知らしめてやらねばならない」と賛成だった。そして、「貧しい者は、本人の努力が足りないからだ」とよく口にする。
義弟がこれほど極端な保守になったのは、働いている場や、周囲にいる人の影響なのかもしれない。彼の初めての結婚式と2度めの結婚式の両方で実感したのだが、義弟の友人は100%白人で、90%金融関係の男性で、しかもコピペでもしたかのように同じことを言う。
オバマ大統領が健康保険制度改革を試みているとき、義弟は「アメリカの医療は世界最高だ。国民皆保険なんてことをしたら医療の質が落ちて、こっちが迷惑する。努力が足りなくて保険に入れない者のために、なぜ僕たちが高い保険料を払って損をしなければならないのか」とオバマ大統領の政策を批判したのだが、これもその1例だ。
そして、みな、恵まれているのに、いつも憤っている。
アメリカの白人男性は怒っている
どの分野においてもアメリカで最も権力を持っているのは「白人男性」なのに、アメリカにおける「勝ち組」の彼らはなぜ憤っているのだろう?
彼らから何度も耳にした不満は次のようなことだ。
●アイビーリーグ大学は、黒人、ヒスパニック系を優先的に入学させ、貧困層には返済不要の奨学金を与える。同じ成績の白人が不合格になり、入学できても裕福な者は貧しい者の学費を負担することになる。それは不公平だ。
(歴史的、構造的に差別されてきたマイノリティの社会経済的な立場を改善するために、雇用や教育で優遇する対策「アファーマティブ・アクション」は存在する。だが、それはこれまでの不公平を是正するためのものであり、アファーマティブ・アクションで入学した学生が、公平な教育の機会を得て社会や母校に貢献する例は多い。また、多様性ができることで、マジョリティの学生にもこれまでにない学びの機会がある。だからこそ、アイビーリーグ大学は進んでマイノリティを入学させている)
●ポリティカル・コレクトネスのために、女性や人種マイノリティを優先的に雇わなければならなくなった。そのために職を得られなかった白人男性への差別だ。
(アファーマティブ・アクションが必要になったのは、それまで白人男性と同等かそれ以上の潜在能力がある女性や人種マイノリティに公平な機会が与えられなかったから。あるオーケストラがテストしている者に性別がわからない「ブラインドオーディション」をしたら女性が激増したという結果もあり、他にも同様の研究がある)
●リベラルは、ちょっとしたことで、白人男性を「性暴力の加害者」、「人種差別者」と糾弾し、社会的に抹殺しようとする。気楽にジョークすら言えない、生きづらい社会になった。
(たしかにこれまでは、白人男性にとっては生きやすい社会だった。だが、白人男性や性暴力の加害者が楽をしてきたいっぽうで、差別やハラスメント、暴力の対象である人種とジェンダーのマイノリティは人生を破壊されるような被害を受けても泣き寝入りをするしかなかった。白人男性を含めてすべての人が言動に注意を払って生きなければならない社会になるとしたら、それは「差別」ではなく「公平」といえるだろう)
●宗教マイノリティから糾弾されるので「メリークリスマス」とも気軽に言えなくなった。
(たまに文句を言う人もいるが、それはごく少数であり、たいていの宗教マイノリティは「メリークリスマス」と言われたら「メリークリスマス」あるいは「ハッピーホリデー」と笑顔でこたえる。私はユダヤ系が多い町に住んでいるが、「メリークリスマス」と呼びかけられて怒っている人は目撃したことがない。)
白人男性は、「ポリティカル・コレクトネス」のターゲットとして、リベラルから追い詰められていると感じているようだ。
だが、夫の家族とのクリスマスの集いで、この憤りが「保守的な白人男性」だけのものではないと知るエピソードがあった。
政治的な話題を避けるために、私は安全で表層的なテーマを選んでいたのだが、数年前に義弟が再婚した相手の女性が「大学進学で、白人男子は差別されている」と私に言い出した。
彼らの子供たち(継子を含む3人)は今年いっせいに大学に進学する。義弟の娘はスポーツのスカウトでアイビーリーグ大学への入学が決まっているが、あとの2人は専願のアイビーリーグ大学から不合格の通知を受け取ったばかりらしい。
義妹が彼女のひとり息子と一緒に、とあるアイビーリーグ大学の説明会に行ったときのことだ。案内をしたボランティアの学生が「この大学では、留学生のサポート、女性の性暴力被害者のサポート、人種差別への対応なども充実しています」と説明したことについて、義妹は「じゃあ、白人男子のサポートはどうなの?」と憤慨する。アイビーリーグ大学が、黒人やヒスパニック系、貧困層の子供たちを積極的に受け入れているのも「不公平だ」と不満のようだ。
しかし、大学に「白人男子のサポート」が特にないのは、建国時代から現在まで、白人男性がアメリカの大学のデフォルトだからだ。それに、裕福な家庭の子供は、テストで良い点を取るための家庭教師も雇えるし、大学入学に有利な(お金がかかる)スポーツもできる。「裕福な白人男子」は、特別にサポートをしなくても、すでに十分優遇されている。
大学入学で使われるSATやACTテストで差別されているとしたら白人ではなくアジア系だ。アジア系は誰より高得点を取っていても不合格になることがあり、訴訟にもなっている。
でも、義妹にそう言っても通じないだろうから黙っていた。すると彼女は、次には「#MeTooムーブメントは行き過ぎだ。ちょっとしたことで将来を失う男性が可愛そう」と言い出した。
義妹は裕福な家庭で育った白人だが、2016年の選挙ではトランプ支持の義弟とは異なり、堂々とヒラリー支持していた。だから、正直これらの発言には驚いた。
翌日、娘夫婦と3人で語りあったのだが、「白人男子を大学生として社会に送り出す母としての不満と恐れが、攻撃的な態度として現れたのだろう」という分析で一致した。
変わりつつあるアメリカ社会
有利な立場にある白人(特に男性)がなぜ「不満」や「恐れ」を感じるのか、不思議に思う人がいるだろう。
それは、アメリカで白人男性がどんどんマイノリティになりつつあるからだ。
1940年代にアメリカの人口の90%近くを占めた白人は、2018年には60%ほどに減少してしまった。あと25年もすれば50%を切ると予測されている。そうなると、票数も少なくなり、自分の利益を優先してくれる議員を選出するパワーも消える。
その現状を反映するかのように、もともとは裕福なアングロサクソンの男性のために作られたアイビーリーグ大学は、現在では(コロンビア大学での私の娘の卒業式に参列した義母に言わせると)「読み方がわからないような名前の学生ばかり」になっている。アメリカ全体では大学卒業者は女性のほうが男性より多くなり、人種やジェンダーでのマイノリティの議員も増えた。また、「フォーチュン500」のトップ企業のほぼ半分は移民か移民の子供が創業したものだ。
コロンビア大学の卒業式で、有名なライオン像にまたがる娘と同級生。1983年まで男子しか入学できなかったが、現在ほぼ半数が女子学生になり、白人は37%しかいない。
白人男性のヒルビリーとウォール街の投資銀行家に共通するのは、「自分にとって心地がよかった世界が変わることへの嫌悪と恐怖」なのだ。
これまでは人種差別的な発言も、女性をからかったり、卑猥なジョークを言ったりするのもOKだった。でも、マイノリティがアメリカを乗っ取ってしまったら、これまでのルールが通じなくなってしまう。よく知らないルールで生きなければならなくなるのは、きっととても不安で怖いことなのだ。それが「怒り」という感情になって噴出している。
白人男性の不満に目をつけたトランプ
そこに目をつけて「Make America Great Again(アメリカを再び偉大にしよう)」というスローガンを考えついたトランプは、大衆の心理分析とマーケティングの天才だ。
このスローガンは、「白人男性が支配していたかつてのアメリカは偉大だった」、「民主党がもたらした過剰なポリコレのおかげで、現在のアメリカでは言いたいことも言えず、やりたいこともできなくなってしまった」、「黒人や移民、女が優先されるせいで、良い大学に入りにくくなり、就職もしにくくなった」という、アメリカの多くの白人男性たちが密かに抱いている心情を見事に言語化している。そして、義妹や義母のように「白人男性が支配してきた北米文化」でうまくやってきた白人女性も、馴染みある世界を変えたくはないのだ。
その気持ちを堂々と代弁してくれるのがトランプだ。だから、トランプがどんなに嘘をついても、法をおかしても、支持率は変わらない。トランプは白人にとって「最後の砦」のようなものなのだ。
だから私は「クリントンが敗北したのは、いわゆる『白人労働者階級』に 十分な配慮をしなかったからだ」という意見には同意しない。
トランプを支えているのは、「自分が何も考えずに生きることができた世界が変わるのが怖い人たち」なのだから。
馴染みある世界が変わることへの恐怖は、私にも想像できる。けれども、差別される側にいる私には、「それでいいよ」とは言えない。「歴史を変えたのは『行儀が悪い』女性たちだった」にも書いたが、我慢して良い子にしていても、良いことは起こらない。だから、誰にとっても住みやすい社会に変えようと思ったら、私たちはマジョリティと同等の権利を求めて行儀が悪くなる必要がある。
けれども、「恐怖」は人間の自然な感情であり、しかも強い。だから、民主党候補がどれほど労働者階級優先の政策を掲げても、たとえそれを実践しても、変えることは難しいだろう。
昨年末、下院の本会議はトランプ大統領の弾劾決議を可決し、現在は上院で弾劾裁判が始まっている。でも、上院は、トランプを恐れる共和党議員がマジョリティを占めているので、トランプが罷免される可能性はほぼゼロだ。
そして、マイノリティになることを恐れる白人たちによって、トランプが再選される可能性は高い。
現在の危機を歴史の再考から捉えなおす、現代アメリカの水先案内人による勇気と希望のエッセイ集。
それを、真の名で呼ぶならば: 危機の時代と言葉の力
レベッカ・ソルニット (著) 渡辺 由佳里 (翻訳)
岩波書店
2020/1/30