1月19日。
観世流シテ方女性能役者、松井美樹師が京都観世会館で道成寺を披いた。(初演)。能の世界で家の子でなく大学能楽部出身の女性能役者が道成寺を披くと言う事は快挙だといっても差し支えない。京都で女性能役者が道成寺を舞ったのは40年以上前にあり松井美樹師は2人目とのこと。松井美樹師は大学卒業してから能の世界に女性で入門して玄人になり、とうとう道成寺披きまでの階段を白拍子が執心で鐘入する事に匹敵するエネルギーで上がってきた。女性大学能楽部部員にとっては目標になる存在になるのでは。
自分にとって道成寺観能は3年ぶりで、広島県福山市の大島能楽堂でシテ方喜多流で、奇しくも女性能役者の大島衣恵師の披き以来となる。
能〔道成寺〕
シテ/松井美樹
ワキ/原大 ワキツレ/有松遼一、原隆
間/茂山千三郎、茂山宗彦
笛/杉 信太朗
小鼓/吉阪一郎
大鼓/山本哲也
太鼓/井上敬介
地頭/井上裕久
調べ始まる。笛の杉信太朗師の気合がびんびんに伝わってくる。うねりのある調べの笛。道成寺の場が能楽堂の舞台に充満しているのがわかる。狂言鐘後見4人が揚幕から鐘の上の穴に太い竹を通して運んできた。その内2人が鐘の綱を能楽堂天井裏の穴に通す。
場の空気が緩まなく出来たのは、この道成寺に対しての気合が上手く運んだからだろう。
道成寺の場を作り上げたのは、ワキ方高安流の原大師も同様。息の深い靡く謡から、ワキ方宝生流 故 宝生閑師の謡を彷彿とさせる。
また、間の茂山千三郎師の触れから舞台をじっくりとまわり道成寺の寸法を定め、道成寺の脳内再生がイメージしやすい。
道成寺のシテ白拍子は、内面の執心を幕離れする時に匂わせる所で、松井美樹師のシテは若女の面の裏側に一瞬の業を晒すけれども、決して外側に漏らさないまま白拍子の仮面となり運んで行く。次第謡から地謡の地取も陰を含んでおり、間との門答から烏帽子を後見座で付けてから橋掛りに出て鐘を見越す様も落ち着いている。披きの高揚感は感じられるものの身体の密度も謡も上ずってはいない。最初の次第では白拍子の落ち着きももの余裕を持って、乱拍子直前の次第[花のほかには待つばかり」では鐘に対する高揚を隠しきれないでいた。
乱拍子は、小鼓の吉阪一郎師の掛け声の息の強さと深さで始まり、中の段まで体感的に一段が長くかつ深さを感じた。シテと小鼓との一騎討ちと言うよりは互いの深い呼吸の対話のようだ。道成寺の石段一段一段をかみしめて松井美樹師は腰高にならず足腰の粘りと矯めのある乱拍子で鐘に近づく。中の段以降の道成寺謡も激しいが上ずらない。急の舞も前のめりにならずに身体の重心が低く烏帽子を見事に弾きいよいよ鐘入へ。
鐘後見の杉浦豊彦師との呼吸も合わせ、見事で鐘に吸い込まれた。
間同士のやり取りとワキの語も原大師の謡から情景が浮かび上がってくる。鐘から後シテの般若の面を付けた後シテが現れた。般若の面が常よりもえぐい様に見えたのは自分だけだろうか。
道成寺の披きを幾度も観て感じていたのは鐘入以降からのスタミナ切れ。
松井美樹師はスタミナ切れを最後まで感じさせなかった。柱巻でシテ柱にだった。背中合わせに密着させ、ワキ、ワキツレがシテ柱に迫り身体をシテの方向に斜め向きで祈りをする様の対比も素晴らしい。キリも幕に入ってからジャンプして日高川に見事に飛び込んだ。
よく頑張った、応援しなきゃと言う道成寺ではなく、物語としての道成寺を芸として舞い上げた道成寺。松井美樹師はシャープな身体の線とキレに宝生流を思わせる内面の気が師の芸の轍になっているのではないかと思っている。道成寺の披きとしては自分が観た中で安定感は抜群だった。
女性能役者も女性だからと言うより芸が良いか良くないか、ただそれだけに過ぎないだろう。松井美樹師の道成寺を観たら、それを痛感した。