某月某日、某交霊会にて。
長時間に及ぶ公開霊言。
守護霊ゲイ迅さんによる霊言の一部をここに書き記す。
「結局ね、大抵の場合、筆者の技量が高過ぎるとゲイ迅向けの作品になっちゃうんですよ。分かりますか。筆者の技量が高いとどんどんゲイ迅向けの作品になっていって、結果的に売り上げが落ちるんですよ。ゲイ迅向けの罠をなんとかして潜り抜けたほんの一部の技量の高い作者だけが『ドラゴンボール』を描けるんですよ。ほんのひと握りですね、ゲイ迅病から脱出できるレベルの高い人は。だからさ、レベルの高い人が敢えてゲイ迅向けに陥るその病気から解き放たれた真の作品こそが『ラブライブ!』であり、真の質の高いハイレベルな作品なんだよ。いや、本当に筆者の技量が高いとゲイ迅向けを描きたがってしまうんですよ。なぜかそっちの方向にどんどん転がっていくんですよ。本当ですよ。バカにしないでくださいよ。そっち方向に転がるんだって。だってさ、『残響のテロル』みたいな作品を描いちゃうんですよ。あんだけのスタッフ集まって、なんでテロルやっちゃうんですか。ゲイ迅向けの作品なんだよ、ああいうのになっちゃうんだよ。結局、環境そこまででもない、シャフ糞の作品の方がみんな向けなわけじゃないですか。大体作り手の環境が良いとゲイ迅向けの作品になるはずなんですよ。いや例外なくなっていますよ。これまでの作品を観た結果どうしても作者が熟練していくとゲイ迅向けの作品になっちゃうんですよ。大体ゲイ迅が好きな作品ってその監督の初期の作品じゃなくてその中期・後期の作品を好きになることが多いんですけど、それも多分そうだと思うんですよ。作者が熟練していくにしたがって、どんどんゲイ迅病を発病していく。最初は雑というか、粗いところも良いところ、みたいな風にみんなに受け入れられていって、若い勢い、みたいなのが評価されるんだけど、だんだん熟練していって妙に作家病を拗らせてしまうとゲイ迅病にかかる。そういうものなんですよ。本当に。」
「だからさ、技量の高い人がなおかつゲイ迅向けを嫌ってみんなに向けて描いた作品こそが真の名作なんだよね。でもゲイ迅病をこじらせると名作にならないんですよ。売れないから、みんなに評価されないから、ゲイ迅向けでしかないから。これ本当だと思いますよ。だって本当、大抵のクリエイターの序盤の作品とか好きじゃないもん。要するにあれですよ、みんなが好きなのは高校野球で、俺が好きなのは投球間隔がやたら長くてだらだらしてるクソみたいなプロ野球だと、はい。例えるならばそうですね、みんなが好きなのは守備はエラーばっかだし、バントばっかでも、みんなの熱い想いが光っている、投球間隔が短いそんな高校野球だけど、ゲイ迅が楽しんでしまうのは投球間隔が長くてダラダラしていてヘッドスライディングはしないクソみたいな野球なんだけど、守備はかっちりしているし、それなりに打撃技術は少なくとも高校野球よりは上のプロ野球を観てしまうと。だってそれに近いと思うんだよ。だって本気でそれに近いと思うんだけど。だってみんなそうですよ。過去のみんなの発言を取りまとめるとそうとしか言いようがない。」
「でもね、もっと熟練するとね、俺のまた分からない方向に行く。ゲイ迅以上のレイヤーが多分存在するんでしょうね。會川昇さんとか榎戸洋司さんとかあの辺の脚本は全然よく分からないんで、あの辺を褒めるもっと上の層が、超プロ層がいると思うんですよ。あの辺の層は多分「やっぱり俺向けのアニメは全然作られないなあ」と思ってると思うんですよ。残念ながらね、アニメ界はね、ゲイ迅向けが限界なんです。ゲイ迅向けの作品がいっぱいあって、たかだかゲイ迅向け作品なんです。みんなね、榎戸さんにはなれないんですよ。榎戸さんみたいに真の玄人が絶賛するようなアニメは作れないんや。やっぱりね、しょせんね、ゲイ迅向けのアニメを作るのがアニメには精一杯なんです。他のを見たいのであれば文学キリドヤしてください。だからね、本当にそうなんですって。大抵のアニメ・漫画クリエイターは熟練するとゲイ迅向けの作品を描いてしまうんですよ。でも巨匠はその上を行くんですよ。例えば宮﨑駿さんとか富野由悠季さんとか。多分、本当に凄い人は俺よりずっと凄いところを行ってると思うんですよ。ゲイ迅向け以上のところをずっと行ってると思うんですよ。やっぱりゲイ迅向け作品に留まっているのはよくないんじゃないかな。やっぱりもっとその上のレイヤーを目指すか、それともみんな向けにすべきなんじゃないかな。」
ここで霊言は途切れた。