Photo by gettyimages

相模原事件「植松被告の論理」を、私たちは完全否定できるか

能力主義の最果てにある悪夢

「皆さまに深くおわびします」

〈相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で平成28年、入所者19人が刺殺され、職員を含む26人が重軽傷を負った事件で、殺人罪などに問われた元職員、植松聖(さとし)被告(29)の裁判員裁判の初公判が8日、横浜地裁(青沼潔裁判長)で開かれた。植松被告は起訴内容について「(間違い)ありません」と述べた。弁護側は、事件当時、精神障害があったと無罪を主張した。その後、植松被告が暴れ、裁判は休廷になった〉(産経新聞『【相模原45人殺傷初公判】植松被告、起訴内容認めるも暴れ休廷 小声で「深くおわびいたします」』2019年1月8日)

年明けから、相模原45人殺傷事件の裁判が進んでいる。初公判では、植松被告は起訴事実を認めながらも、手を口に突っ込んで暴れるなどして退廷させられた。

暴れて退廷させられる直前、被告は「皆さまに深くおわびします」と謝罪を述べたという。しかし、果たしてその「皆さま」とは、いったいだれを念頭において述べられたのだろうか。

それを知る手掛かりがある。植松被告が「謝罪」するのはこれがはじめてではない。

 

2017年には、神奈川新聞の記者が植松被告に接見した際、被告は「このたびは私の考えと判断で、遺族の皆さまを悲しみと怒りで傷つけてしまったことを、心から深くおわび申し上げます」と述べた*1ほか、朝日新聞の仲介で遺族と面会し、その場で謝罪もしている。*2

Photo by gettyimages

これらは遺族、つまり健常者に向けられた謝罪の弁であり、自らが殺めた人々に対するものではない。あくまで健常者の心を傷つけたことへの謝罪なのである。「障碍者はいなくなるべきだ」とする植松被告自身の思想は、いまもなお一貫していると考えられる。

私たちは、植松聖という男の凶行を「私たちとはまったく相容れない、異質な者が狂気に駆り立てられて起こした事件である」と捉えるべきなのだろうか。