年明けから、相模原45人殺傷事件の裁判が進んでいる。初公判では、植松被告は起訴事実を認めながらも、手を口に突っ込んで暴れるなどして退廷させられた。
暴れて退廷させられる直前、被告は「皆さまに深くおわびします」と謝罪を述べたという。しかし、果たしてその「皆さま」とは、いったいだれを念頭において述べられたのだろうか。
それを知る手掛かりがある。植松被告が「謝罪」するのはこれがはじめてではない。
2017年には、神奈川新聞の記者が植松被告に接見した際、被告は「このたびは私の考えと判断で、遺族の皆さまを悲しみと怒りで傷つけてしまったことを、心から深くおわび申し上げます」と述べた*1ほか、朝日新聞の仲介で遺族と面会し、その場で謝罪もしている。*2
これらは遺族、つまり健常者に向けられた謝罪の弁であり、自らが殺めた人々に対するものではない。あくまで健常者の心を傷つけたことへの謝罪なのである。「障碍者はいなくなるべきだ」とする植松被告自身の思想は、いまもなお一貫していると考えられる。
私たちは、植松聖という男の凶行を「私たちとはまったく相容れない、異質な者が狂気に駆り立てられて起こした事件である」と捉えるべきなのだろうか。