ドラえもんだって「空を自由に飛びたいな」と歌うように、人は大空の世界に憧れるもの。
生身の人間がそれを実行するのは不可能ながら、飛ぶ生き物を利用するとある技術は、紀元前から存在していました。
明治二十年(1887年)3月23日は、旧日本陸軍が伝書鳩の実験に成功した日です。
東京~静岡(久能山)で、以降、平時・戦時の連絡に伝書鳩が使われるきっかけとなります。
紀元前3000年頃の中近東で始まりローマ帝国でも
例えば電話やネットなんかと比べた場合、鳩の通信能力なんてアホ臭く思えるでしょう。
しかし、実態はそう捨てたものでもありません。
伝書鳩による通信は、紀元前3,000年頃の中近東で使われ始めてから、20世紀の中頃まで現役だったのです。
現在でも「レース鳩」として愛好者がたくさんいますしね。
伝書鳩という概念が生まれた頃は、漁船から漁の成果を連絡するために使われていたそうです。
これは、鳩の特性をよく理解した使い方でもあります。
伝書鳩というのは
「帰巣本能が強いので、巣に帰るついでに手紙を持って行ってもらおう」
という仕組みになっているからです。
逆は不可能。
つまり、巣のある場所への連絡はできますが、巣から他の場所(知らないところ)へ飛ばすのは不可能ということになります。
伝書鳩の存在と共にこの性質も広く伝わったらしく、古代ギリシアのポリス間とか、ローマ帝国時代のローマと地方間などの連絡には、盛んに伝書鳩が使われました。
撃ち落とすためショットガンまで配備された
伝書鳩はやがて、戦場での連絡にも使われるようになります。
空には人間の手は届きませんから、人間がこっそり伝令をするよりも安全だと考えられたのです。
「敵の伝令を捕まえて情報を引き出す」というのは、戦争をテーマにした創作作品の中でもお馴染みですものね。
19世紀の普仏戦争では、パリがプロイセン軍に包囲された際、パリ市民たちは熱気球を使って一度鳩を外に運び出し、他の国々に状況を伝えたとか。
第一次世界大戦でも、伝書鳩は盛んに使われました。
各国で数十万単位の鳩が飼われており、通信成功率は95%にも登っていたそうです。
しかし、対策もいくつか出てきていました。
伝書鳩を撃ち落とすためのショットガンが配備されたり、鳩を襲わせるために鷹を離したり、情報戦(物理)も行われていたといいます。
現代でいえば、電話線や海底ケーブルの切断のようなものでしょうか。
第二次世界大戦の頃には、鳩を通信手段以外にも使おうという動きが出ていました。
イギリス議会では、「鳩に、文書ではなく爆薬や生物兵器を持たせたらどうか」なんて案が出たこともあります。
否決されたので実現に至らなかったのは幸いでしたが、実際に使われていたら人間にも鳩にも多くの犠牲が出たことでしょう。
まあ、当時はどこの国も動物兵器を使ったり考えたりしていましたからね……その辺のお話は以前していますので、よろしければ併せてどうぞ。
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しまいには小さなリュックを背負わせた伝令犬まで登場
また、鳩の他に犬も通信に使われることがありました。
小さなリュックサックのようなものを背負わせ、その中に文書を入れて運ばせる「伝令犬」というものです。
しかし、犬は銃撃・砲撃に怯えてしまって役目を果たせないということも度々起きていました。
鳩も、猛禽類に襲われたり、磁気の影響で帰巣本能が乱されることもあるんですけどね。
旧日本軍では「移動鳩」という特殊な訓練を受けた伝書鳩がいたといわれています。
上記の通り、伝書鳩は基本的に帰巣本能を利用したもので、移動鳩は「戦場に設置された移動式の鳩舎に戻ってくるよう、しつけられた鳩」でした。
つまり、鳩舎を持ち運べればどこでも連絡が取れた……かもしれないわけです。
日本で伝書鳩の研究が始まったのは、上記の通り明治時代。
ということは、第二次世界大戦時では「伝書鳩」という概念が伝わってからたった数十年しか経っていなかったはずなのですけれども……よくそんな訓練法を考案できたものです。
しかし、この訓練法は記録が少なく、ロストテクノロジーと化しています。
軍事利用されていたものですから、教本がGHQに接収されてしまったか、自主的に処分してしまったのでしょうか。
「鳩は絵を見分けることができる」
「タッチパネルの操作ができる」
などなど、最近は鳩の知能が優れているという研究結果もいくつか出ています。
ということは、もっと鳩の特性が理解された上で、通信手段が限られるような状況になったら、伝書鳩が重宝する場面がまた来るかもしれません。
そんな日が来ないほうがいいですけれどね。
長月 七紀・記
【参考】
伝書鳩/wikipedia
軍鳩の友