理解し合える社会のための「会話のスタート地点」をつくるという使命: 映画『37セカンズ』HIKARI監督インタヴュー

2019年のベルリン国際映画祭で史上初のW受賞をなし遂げた映画『37セカンズ』が、2020年2月7日に全国公開される。出生時に37秒間息をしていなかったことが原因で身体に障害をもつことになった主人公の成長を描く本作。メガホンをとった気鋭の監督・HIKARIが『WIRED』日本版に語った本作への想い、そして映画を撮る理由とは。

HIKARI
大阪市出身。脚本家、映画監督、フォトグラファー、撮影監督、プロデューサー。南ユタ州立大学にて舞台芸術・ダンス・美術学部を学び、学士号を取得後、ロサンゼルスに移住。女優、フォトグラファー、アーティストとして活躍後、南カリフォルニア大学院(USC)映画芸術学部にて映画・テレビ制作を学ぶ。長編映画デビュー作となる『37セカンズ』で、2019年度第69回ベルリン国際映画祭パノラマ部門にて日本人初の観客賞と国際アートシネマ連盟賞の二冠を受賞。現在は、クリント・イーストウッド、クエンティン・タランティーノ、J.J.エイブラムズなどと同じ米国の大手エージェンシー「William Morris Endeavor Entertainment」に所属し、米国映画スタジオ・TVネットワーク数社とともに長編映画やTVシリーズを製作中。PHOTOGRAPH BY SHINTARO YOSHIMATSU

2020年2月7日に公開となる映画『37セカンズ』。出生時にたった37秒間息をしていなかったことで、身体に障害をもつことになった主人公・貴田ユマの成長を描く本作は、16年に世界のインディーズ作家の登竜門である「サンダンス映画祭」とNHKが主宰する脚本ワークショップで日本代表作品に選ばれたことから映画化へ動き出した。

そして19年3月、世界三大映画祭のひとつ「第69回ベルリン国際映画祭」パノラマ部門でワールドプレミア上映され、観客が熱狂。「パノラマ観客賞」と「国際アートシネマ連盟(CICAE)賞」を映画祭史上初のW受賞する快挙をなし遂げた。さらに同年4月の第18回トライベッカ映画祭や9月の第44回トロント国際映画祭でも、大きな話題を集めることになった。

本作の脚本・監督を務めたのは、ジョージ・ルーカス、ロバート・ゼメキス、ロン・ハワードといった映画監督を輩出した南カリフォルニア大学で学んだ新進気鋭の映画監督・HIKARI。初の長編映画となった本作が早くもハリウッドの目に止まり、オファーが殺到。すでにマイケル・マンが総監督を務めるテレビシリーズの数話分の監督も決定し、ユニバーサル・ピクチャーズなどの大型映画プロジェクトも次々に動き出しているという。

女優、アーティスト、フォトグラファー──。多彩なキャリアを積んだ彼女は、なぜ映画監督を目指すようになったのか? そして、身体に障害がある主人公を描く本作を「障害者の映画ではない」と、監督自身が言い切る理由とは? インタヴューを通じてHIKARIから紡がれる言葉は、障害者と健常者の間にある「見えない壁」なんてないこと、誰もが「同じ」であるという思いをいっそう強くしてくれる温かいものだった。

映画『37セカンズ』2月7日(金)全国ロードショー(公式HPはこちらから)©︎37 SECONDS FILMPARTNERS

「障害者の映画」をつくったわけじゃない

──本作は、いわゆる「障害者の映画」として語られることが多いと思うのですが、個人的には主人公と年齢の近いひとりの鑑賞者として、普通に“わたしの映画”だなって思いながら観ていました。

ありがとう、うれしいです。そもそも「障害者の映画」っていうつもりでこの映画をつくったわけじゃないんですよね。たまたま主人公の彼女は車椅子に乗っていて、たまたま人の手を借りないと一般の人たちのすることがしづらい、というだけで、あるひとりの女性の成長物語を描きたかったんです。

──19年「第69回ベルリン国際映画祭」では「パノラマ観客賞」と「国際アートシネマ連盟(CICAE)賞」の映画祭史上初W受賞をされましたが、監督自身は手応えはありましたか。

本当に冗談抜きで、人生変わりましたね(笑)。いけたらいいなっていうのもありながら、ベルリンはまさかのまさかだったので、びっくりしました。上映も毎回ソールドアウトで、600席、700席、1,000席、1,500席っていう劇場がもうぱんぱん状態で。

──観客の方々からは、どんなフィードバックがありましたか。

海外でも、東京国際映画祭でも、いろいろなメッセージをいただきました。ベルリンみたいな社会的な問題を扱う映画祭は、いろんな意味で構えてきている人が多かったと思うんですけど、みんな口を揃えて言ってくれたのが「障害者の映画を見に来たけど、障害者の映画じゃなかった」っていうことでした。

エジプト、ドイツ、ロンドン──世界各国いろいろ回ったんですけど、どこに行っても「迷ったけど、来てよかった。思っていたのと違う体験ができた」って言ってもらうことが多かったですね。

快晴の11月。完成間近の新国立競技場を見下ろしながら、インタヴューは行われた。PHOTOGRAPH BY SHINTARO YOSHIMATSU

「総決算」としての映画監督

──18歳で単身渡米されて以来、表舞台から裏方までさまざまな経歴をおもちですよね。そんななかで、どうして映画監督を目指そうと思われたのでしょうか。

これまで女優に音楽にいろいろやってきたんですけど、人生でやりたいと思っていたことを全部やり尽くして「さあ次どうしようかな」と思ったときに、最終的に行き着くとこってやっぱり映画監督なんかなって。そういう軽い気持ちでって言ったらアレですけど、でもある日ふとそう思ったんです。

けど、やるからにはやっぱりトップを目指したいし、目指さないと意味ない。そう思って、学校選びもしていました。でも、最終的にUSC(南カリフォルニア大学)を選んだのは、受験するために1年半待たなくてよかったということと、たまたま家からすごく近かったからっていう(笑)

──決め手は距離ですか(笑)

たまたま受かったっていうのもあるんですけど、名門校というのは聞いていて。でも、ジョージ・ルーカスさんがUSC出身とかは全然知らなかった(笑)

そもそも映画監督になりたいっていうよりも、作品をつくりたいと思っていました。もともと「何かをつくる」っていうことが、すごく好きな人間なんですよ。小さいときから、工作をしたり、学生になってから油絵を描いたり、女優業をしながらフォトグラファーの仕事をしたりもしていました。大学でもアクティングを勉強しながら、コスチュームデザインをエンファサイズしてシェイクスピアのコスチュームをつくったりしていました。

映画監督や脚本家がどんなもので、何をするかなんてまったく知らなかったんですけど、USCで習うなかで「映画監督ってわたしがいままでやってきたことの総決算かもしれない」って思いました。わたしの人生ここに導かれてる、この方向にくるためにいままでやってきたのかなと。

──本作は監督にとって初の長編作品ですが、このストーリーを描こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

実は、自分でも「最終的にここにきたか」っていう感じなんですよね。きっかけは5年前に熊篠さん(本作にも出演している熊篠慶彦)に出会って、彼に「米国で何人かインタヴューしたい人がいるから、ついてきてください」って言われて行った先で、あるセックスセラピストに会ったことですね。

セラピストの彼女から、女性は下半身不随でも自然分娩ができるとか、セックスしたときにイクことができるっていうことを聞いて「人間の体、脳の働き、何よりも誕生してくる命の力ってなんて素晴らしいんだ」って思ったのが始まり。そこから障害をもつ女性も含めていろんな方にインタヴューしたり、いろんなつながりを経てたりして、いまのストーリーにたどり着きました。

でも実際、友達の車椅子の子たちって、わたしからしたら車椅子に座っているだけで、もちろん(車椅子で生活していることによって)体調とかは違うし、健常者より移動に時間がかかることもあるけど、それは人それぞれ体の状態によって違うだけの話ですよね。

実家が鉄工所だったんで、耳がちょっと聞こえないおばちゃんとか、足を引きずっている人とか、指のない人っていうのは小さいころから普通に周りにいたんですよ。それもあって「障害者」って言葉でくくるって考えは、やっぱりわたしのなかには存在してなかったです。

──その「人間のすごさへの驚き」や「障害者として誰かをくくることの違和感」をもちながら制作されたと思うのですが、本作において何か影響された作品はありましたか。

イ・チャンドン監督の『オアシス』(02年公開)っていう作品を紹介されて、観たら大好きになって。イ・チャンドン監督って本当に「痛すばらしい」作品を描かれるじゃないですか。作品を観て、女優さんがもう「女優さん」じゃないと思ったんですよね。あの作品はすごい。

あと『典子は、今』(1981年公開)っていう両腕がない女の子が主人公の映画があって。初めて観たとき、5歳、6歳だったんですけど、その主人公の女の子が全部を足でするんですよ。書道もきれいにするし、クッキングもソーイングも、足で針に糸も入れる。その作品を観たときに、すごい衝撃を受けて。「こんな素晴らしい人間の力ってあるんや。頑張ったら何でもできるやん、わたしら」って勇気をもらって、それが自分のなかで残ってたんちゃうかなと思います。

PHOTOGRAPH BY SHINTARO YOSHIMATSU

なくてもいいのに遍在する「見えない壁」

──本作では、お母さん役の神野三鈴さんの演技を中心に「障害者の方は物静かで優しくて、自分の意見も言えなくて、誰かが何をしてあげなきゃならない」といった社会のある種のバイアスが随所に散りばめられている印象をもちました。米国拠点の監督は日本を俯瞰して見られる立場だと思いますが、このバイアスは日本独特のものだと感じますか?

物静かにさせているのは、周囲の人間だっていうことを表現したかった。ただ、わたしの知っている車椅子女子たちは、全然真逆なんですけどね。車椅子に乗っているからできないことはいっぱいあるけど、みんな言いたいこと言うし、ガールズで集まると、ぎゃーっと喋る。でもインタヴューの過程で、お母さんが過保護だったり窮屈に感じてしんどいってことは、みんなそこそこ思ってるんだなと感じてはいました。あと、つらいことをこれまでたくさん経験してきた彼女たちには、計り知れない愛と優しさがあると思います。

なので、今回の作品においては(主人公の)ユマちゃんの成長をゼロから10にもっていきたかったんです。何でもお母さんがやるところから始まって、どんどん自分らしさを出していく必要があった。主人公を演じた佳山さんに初めて会ったときに感じたおとなしいイメージを、どうしたら成長していくように見せられるかなと思っていて。それを短時間で映像としていかに表現するかが監督としての仕事なので、作品のなかでお母さんの存在を最初にワーッと強く出しているっていうのは、計算していました。

でも、わたしのお母さんも、あれ持った? これ持った? 何してる? 大丈夫? 何時に帰ってくんの?とかってすごい言う人やから、うちの母像もちょっと入っているかもしれないですね(笑)

──そうなんですね(笑)。でも、どのお母さんもおんなじですよね。

うん、お母さんってそうなんですよね。娘のことは気になるし。

本作の主人公を演じたのは演技初挑戦の佳山明、約100人のオーディションから選ばれた。彼女を見つけ出すために、日本全国の会社や団体に連絡したと監督は言う。「1,000件ぐらい当たったかな。Facebookも使いながら、『こんなオープンコールのオーディションがあるんで、ぜひシェアしてください』って感じで連絡して。障害のある方といってもいろいろな方がいるので、まず車椅子に乗っている方ということで募集していました」PHOTOGRAPH BY SHINTARO YOSHIMATSU

──主人公のユマちゃんも含めてみんな同じで、変わらないんだよなと思った一方で、「障害者」の方々が偏見なくウェルビーイングな状態であるために、わたしはどうするのが正解なのかなって考えてしまいました。

何も考えないでいいと思いますよ。普通に接したらいいと思います、普通に。ただやっぱり、例えば車椅子に乗っている人だったら、段差や階段があったら降りられない。でも、ひとりでは無理だけど、そこにほんの数人が手助けに入れば降りられるんですよね。だからお互い、自然に手助けしながら生きていけるようになったときに、平和な社会が生まれるんですよ。

──何も考えずに接したほうがいいってことですよね。

100パーセント、そう思う。車椅子に乗っているからって、障害者扱いされたい人は誰もいないと思う。ただ理解はしてねっていうこと。だって車椅子関係なく、遅い人は遅いし、せっかちはせっかちやし。

──確かに、誰でも人の手を借りたいときは普通にありますもんね。

もちろん。だから、おおげさな言い方かもしれないですけど、その見えない壁が「なくていいんですよって、普通でいいんですよって」伝えていけたらいいなと思いますね。車椅子の人が電車に乗ったらスペースを空けてあげてね、何か困っていたら手伝ってあげてくださいね、ぐらいな感じで。

──それはもう電車でスーツケースを持っているときに、ちょっと広く空けてくださいって思うのと同じような感じですよね。

まったく一緒。わたしもすごい旅行するので、スーツケースを持って電車に乗るのいちばん嫌いなんです。

──なんか、申し訳ない気持ちになっちゃいます。

でも、車椅子の人たちは毎回そう思っちゃう。だけど「すみません、場所とって」って思わせてしまうのは、「何やねん、こいつ」って言う人がいるからなんですよね。電車でスーツケースを持っていても、うっとうしそうな顔するおっちゃんとかいるじゃないですか。

──います!います!

そういう人がいて、申し訳ないって気持ちにさせちゃうから、外に出るのが嫌になるっていう連鎖がある。だから、「大丈夫ですよ。はい、どうぞ」って普通に言えさえすれば、結果みんな手をつないで生きていけるんですよね。

当たり前のことなんですけど、どうしても大都会になるほどみんな自分に必死で、人に与える時間がもったいないとか、焦りがあるっていうのはあると思う。東京なんかは特に。でも焦って生きたところで、人生なんて、しょうがないですよね。

PHOTOGRAPH BY SHINTARO YOSHIMATSU

Netflix配信を選んだ理由

──本作は日本以外はNetflixで全世界配信されますが、これはNetflix側からの打診で決まったんですか?

そうですね。ベルリンで上映したあと、Netflix側から買いたいっていう話が来て。もともとは世界中で劇場公開する予定だったんですよ。フランス、ドイツ、スウェーデンとかで配給しますっていう人がブワーッと集まって、「結構うまくいくやん」と思ってた。そのときにNetflixがダダーンとやってきて(笑)

──ダダーン(笑)

やっぱり劇場でいきたかったっていうのはあったんですけど、配信で見られるとなれば見てもらえる人の数が全然違う。何百憶人に伝えられますよってなったら、劇場でやりたいというわたしのエゴよりも「とにかく世界中の人たちに見てもらえるっ!」て思いましたね。

あと今回、Netflixで配信できてよかったなと思うのは、家で観られること。障害者の人たちに観ていただきたくても、彼ら彼女らは家を出られない人もいるから。

理解し合う社会のための「会話のスタート地点」をつくる

──先日の東京国際映画祭で、次回作について「世界がケアできてない部分を描きたい」と話していたのが印象的でした。

すでに3つか4つ走っている作品があるんですけど、監督・脚本を全部自分でやる作品に関しては、観る人が疑問を感じたり、ポジティヴに生きようと思ったりしてもらえるような作品をつくるのがミッションかなと思っています。日本の作品をつくる場合は、普段日本で暮らしている日本の人たちが知らないものをバンバンつくっていきたいし。

ただ笑って楽しい映画をつくるのもありかもしれないけど、わたしはみんなが手をつないでハッピーに生きていける、理解し合える社会になるための「会話のスタート地点」になるような作品をつくりたいんですよね。

──その「スタート地点」になるために、映画というメディアがいまの監督にとっていちばんいいかたちなのでしょうか。

うーん。でもほんまに映画だけ、とは思ってなくて。もちろん映画は大好きなんだけど、何かしらのフォーマットで人が見られるんだったら別にそれがテレビであろうが、ショートシリーズであろうが、映画であろうが、全然関係ないですね。

──人にいちばん届くものであればいいというか。

うん。届けばいい。世界平和に導くじゃないけど、めっちゃいま、でっかいこと言いましたけど(笑)。そういう作品をつくるのが、わたしのミッションだから。でも違うことがまたしたいなと思ったら、全然別のことをするかもしれないし、してもいいと思う。

ただ、作品にこだわっても、それに対して執着はしたくない。いまでもファッションデザインしたいな、ペイントしたいなとか思うし。でも映画はここまで時間かかってやってきたんで、とにかく、監督であれ、プロデューサーとしてであれ、いまはつくり続けようと思っています。っていうか、いつかすべて両立できるように頑張ります!

とにかく明るくよく笑い、話し上手でサーヴィス精神旺盛なHIKARI監督。撮影中、「シルヴァーレイクに住んでてんけど、うちの家まじでちっちゃい妖精が出てくるねん!」という情報も教えてくれた。PHOTOGRAPH BY SHINTARO YOSHIMATSU

『37セカンズ』
監督・脚本:HIKARI

出演:佳山明、神野三鈴、大東駿介、渡辺真起子、熊篠慶彦、萩原みのり、芋生悠、渋川清彦、宇野祥平、奥野瑛太、石橋静河、尾美としのり/板谷由夏

STORY:生まれたとき、たった37秒息をしていなかったことで、身体に障害を抱えてしまった主人公・貴田ユマ。親友の漫画家のゴーストライターとして、ひっそりと社会に存在している。そんな彼女と暮らす過保護な母は、ユマの世話をすることが唯一の生きがい。毎日が息苦しく感じ始めたある日。独り立ちをしたいと思う一心で、自作の漫画を出版社に持ち込むが、女性編集長に「人生経験が少ない作家に、いい作品は描けない」と一蹴されてしまう。その瞬間、ユマのなかで秘めていた何かが動き始める。これまでの自分の世界から脱するため、夢と直感だけを信じて、道を切り開いていくユマ。その先で彼女を待ち受けていたものとは…

2020年2月7日(金)より全国順次ロードショー
公式サイトはこちらから

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人間中心から生命中心のアプローチへ:CIIDがインタラクションデザインで変える未来

デンマークから世界にイノヴェイションを仕掛けるCIID(Copenhagen Institute of Interaction Design)が今冬、ついに東京でのウィンタースクールを開講する。教育、イノヴェイション、コンサルティング、インキュベーションという機能を揃えるこのインタラクションデザインの先進機関は、デザインの力でいかなる未来を実装しようとしているのか? 共同創業者でCEOのシモナ・マスキへのインタヴューは、メイカームーヴメントの可能性から、生命中心主義の世界観へとつながった。

TEXT BY MICHIAKI MATSUSHIMA
PHOTOGRAPHS BY KOUTAROU WASHIZAKI

SIMONA MASCHI

CIIDの共同創業者で最高経営責任者(CEO)のシモナ・マスキ。インタヴューは彼女の来日時に東京・汐留で行なわれた。

──マスキさんはCIIDの共同創業者でいらっしゃいます。改めて、デンマークでCIIDを始められたきっかけから教えて下さい。

もともとイタリア出身で、北イタリアのイヴレーアにあるインタラクションデザイン・インスティテュートというインタラクションデザインの中心地にいました。そこは「Arduino(アルドゥイーノ)」[編注:AVRマイコンや入出力ポートを備えた基板およびArduino言語によってプログラム可能な統合開発環境]の開発プロジェクトが始まったところでもあります。プロジェクトを率いたマッシモ・バンジは同僚だったんです。

そこでは、デジタルテクノロジーのパワーについてたくさん学びました。2000年ごろのことで、プロトタイピングの威力や新しい教育のかたちが必要だと感じていました。それが、インタラクションデザインだったのです。これはある意味、プロダクトデザインとデジタルテクノロジー、それにエクスペリエンス(体験)をかけ合わせたものです。つまりインタラクションデザインとは、人間がテクノロジーとやりとりをする、その体験や行動をデザインすることです。

その後、デンマーク人の夫と一緒にコペンハーゲンに移ることになりました。そこでもイヴレーアでの経験を活かした仕事を始めたいと思ったのですが、違ったビジネスモデルとヴィジョンをもっていました。それは、実際にデジタルテクノロジーを使うことで人々にとってよりよい未来をつくることです。

コペンハーゲンという「完璧な文脈」

実際にデンマークに移ってラッキーだったのは、単に夫の国というだけでなく、デンマークはデザインについて日本やイタリアと同様、素晴らしい歴史があることです。純粋なフォルムを愛し、ミニマリズムの伝統があり、素材のクオリティや美しいプロダクトや工芸品を仕上げることに対する情熱があります。ここで人々に美しい手工芸品だけでなく、これからは美しい体験をつくっていく、というのは完璧な文脈だとわたしには思えたんです。

それに、ここスカンジナヴィアのデンマークでそれを始めるうえでもうひとつ重要なアセットとなるのが、この地がテクノロジーをいち早く取り入れるアーリーアダプターであるということでした。多くのテックジャイアントと呼ばれる企業が、ここスカンジナヴィアをプロダクトのローンチ場所に選んでいるのも、わたしたちがテクノロジーというものを現代生活に存分に取り入れているからなのです。

こうしたデザインの歴史とデジタルテクノロジーを受容する態度は、デジタルテクノロジーを通じて人々にとって意味のある、価値のある体験をつくりだすというCIIDのヴィジョンにとって完璧な文脈です。いまやコペンハーゲンは、クオリティ・オヴ・ライフ(QOL)をつくりだすインタラクションデザインのパワーを示す格好のショウケースの場となっています。人間をその中心に置くという価値が、文化にも社会にも政府にも組み込まれているからです。

「人間中心主義」を超えたイノヴェイション

それから13年が経って、いまや誰もが「人間中心」を唱え、コクリエイションを促し、人間を中心に置いたイノヴェイションのプロセスをとっています。でもいまや、それが地球にとっては非常に間違った場所からスタートしていたことがわかっています。美しいプロダクトができ、皆がそれを気に入って買い求めるのですが、それはこの地球にとって非常にバランスの悪い状況を生み出しています。

いまや気候変動は目前に迫っています。もう後戻りできません。すでに汚染がかなり進んでいます。つまり、あまりに多くのものをつくりすぎたんです。人々が好むものをつくり、物理的なプロダクトによってQOLを高めてきました。しかし、いまやわたしたちには新しい責任があります。CIIDが考えるその責任とは、人間中心のアプローチから、生命中心のアプローチへとイノヴェイションの歩を進めることです。

それはつまり、人々だけが顧客なのではなく、水や空気や自然といったわたしたちの周りの資源のエコシステム全体が顧客であり、生けとし生けるもの、動物や花々やあらゆる生命を考慮に入れながら、人間のためのプロダクトをデザインするということです。

そんなわけでコペンハーゲンでスタートしたCIIDですが、次のステップとしていま、コスタリカでわたしたちの新たなヴィジョンである人間中心から生命中心を実現しようとしています。コスタリカは地球上の生物多様性の6パーセントがある土地だからです。それに、コスタリカではすべての電力を再生可能エネルギーで賄うなど、国連からもその先進的なサステナビリティ政策を顕彰されるなど、世界でいちばん進んでいる国のひとつなのです。

コスタリカにCIIDをつくることで、もともとのヴィジョンだった「人間にとって」のよりよい未来でなく、「人間と地球」にとってのよりよいをデザインによっていかにつくっていくかに、より意識を向けられるようになるんです。

インタラクションデザインとは?

── 非常によくわかりました。壮大なストーリーについて、一つひとつ質問させて下さい。まず、マスキさんがお考えになるインタラクションデザインについて教えて下さい。ほかのデザインとインタラクションデザインの違いは何でしょうか?

まず最初に、インタラクションデザインは、まだ比較的新しい分野です。それは異なるデザインの要素を結合させるもので、プロダクトや機能のデザインを目的としたものではありません。例えばインターフェイスのデザインなら、実際のスクリーンやタッチポイントなど、何かの物体とやり取りをするときに使うインターフェイスをデザインします。これに対してインタラクションデザインは、経験や、そのやり取り自体にもっとフォーカスしたものです。フォントや大きさやインターフェイスといった実際のプロダクトの見た目ではなく、もっとデジタルテクノロジーなどを通したやりとりのパラダイムそのもののデザインなのです。

従来のデザインにおいては、工業デザインであれグラフィックデザインであれファッションであれ、基本的にはあるひとつの用途をもつものをデザインします。椅子なら椅子、本なら本というように。一方でデジタルテクノロジーによって、プロダクトは自身の生命をもち、行動するようになります。例えば携帯電話なら、わたしの使い方とあなたの使い方はまったくちがいます。それを使うことによって、あなたはあなたに固有のナラティヴや物語をつくり、わたしはわたしに固有の物語をつくるわけです。

つまり、これからのデザインとは、このプロダクトとのインタラクションの部分をデザインする必要があるわけです。デザイナーは単にプロダクトの美しさをデザインするだけでなく、体験の種類、どんなインタラクションを人々に与えたいのかをデザインすることになったのです。

体験をデザインするには、プロトタイピングが欠かせません。デジタルテクノロジーを使ったテストをわたしたちは何度も行なうんです。まさにアルドゥイーノを使ったプロトタイピングのように、素早く行なうことができます。体験をデザインするには、体験するしかありません。iPhoneがどういうものか、試してみずに説明することはできないのと同じです。

つまりデザイナーは、単に素晴らしいモノをデザインするだけでなく、インタラクションをデザインすることが求められます。そういうわけで、インタラクションデザインという分野が生まれ、ビル・モグリッジ[編註:カリフォルニアで1991年に創設された世界的なデザイン・コンサルティングファームIDEOの設立者]やビル・バープランクが、インタラクションデザインという名前を与えたんです。

──CIIDはSDGsの分野にフォーカスされている印象です。

ええ、持続可能な開発目標と存続可能なビジネスとのバランスにフォーカスしています。なぜSDGsとインタラクションデザインかというと、SDGsは国連が定めた2030年に向けたチャレンジで、モビリティからヘルス、インクルージョンまで、あらゆるアジェンダが設定されています。いわば、人間や地球の未来のために、持続可能な未来につくり変えなければならないというガイドラインです。でもそれを、政策だったり新しい税制だったり、あるいはトップダウンのイニシアチヴによって達成しようとするのではなく、世界中の誰もが一人ひとり、すべての人が、より持続可能な行動をとることによって達成するのが目標です。

より持続可能な行動とは、無意味なフードロスをなくし、もっと身体を動かし、プラスティックをやめ、家族や友人とよりよいライフスタイルを送り、よく寝ることです。睡眠も大きな問題です。人々が行動やふるまいを改善することで、より持続可能な未来を得られるなら、わたしたちは人々がその体験を美しいと思えるような魅力的なソリューションをつくらなければなりません。

そこでインタラクションデザインが鍵となるのです。日々の生活がより簡単で、より価値があるものになるような体験やプロダクト、サーヴィスを生み出さない限り、人々が変わることなどないからです。

SDGsのためにあれをしろとかこれを使えと言うのでなく、生活にとって素晴らしいことだからこれを使う──魅力を高めることによって、人々が自動的により持続可能なふるまいをするようになる。インタラクションデザインがSDGsにとってなぜ欠かすことのできないものかと言えば、それはソリューションとなるプロダクトやサーヴィスを、人々にとってより魅力あるものにするからだと言えます。

SIMONA MASCHI

シモナ・マスキ|SIMONA MASCHI
CIID共同創業者、最高経営責任者(CEO)。CIIDの組織全体を率い、世界基準のコンサルタント、教育プログラム、リサーチラボのチームを統括する。サーヴィスデザイン、シナリオデザイン、デザインメソッドを専門とし、世界にポジティヴなインパクトをつくりだすデザインソリューションに情熱を傾ける。ミラノ工科大学やコペンハーゲンのITユニバーシティなど欧米のさまざまな機関で教鞭をとってきた。

例えば、デンマークではクルマによる大気汚染をなくすという大きなヴィジョンがあって、わたしたちは自転車に乗っています。でも本当のことを言えば、寒かったり風があったりする日や、雨や雪の日に自転車に乗るのは楽しいことではありません。それでも自転車にみんな乗るのは、インフラが整備され、健康的で、子どもも含めて誰もがやっていて、そこに何かしらの価値があるからです。それが社会にとっていいことだからというよりも、生活に価値と楽しみをもたらすからです。それがひいては、長期的にサステナビリティのソリューションにつながるのです。

わたし自身、SDGsに懸命に取り組み、学校を立ち上げ、SDGsに取り組むインキュベーターのコンサルティングもしています。でも、もしそれが自分自身や子ども、家族、それに日々の生活に価値をもたらすものでなければ、決して自分自身の生活を変えようとはしなかったはずです。そのレヴェルまで人々をもっていくうえで、インタラクションデザインは欠かせないのです。

──例えばSDGsの文脈では、カリフォルニアのシンギュラリティ大学が、次の10年で10億人にインパクトを与え、社会課題を解決することを目指していると言います。それは素晴らしいことなのですが、ときにテクノロジー側の人間は、テクノロジーによって課題が解決すると考えるあまり、それが社会や人々とのインタラクションにおいて何を生み出すのかにまで考えが及ばす、結局そのテクノロジーが社会で機能しないといったことが起こりえます。その場合にデザインは、テクノロジーにとってどのような意味をもてるでしょうか?

すでに答えをおっしゃっていると思います。インタラクションデザインがデジタルテクノロジーを内包するのは、それが単にプロダクトデザインやインターフェイスやグラフィックデザインのためではなく、ある意味で新しい体験を起こすためのエンジン、実現手段だからです。わたしたちにとって、テクノロジーとは美しい体験のためにあります。体験をつくりあげるための素材なんです。

デザイナーがこれまで木やプラスチックや金属やガラスを使ってモノをつくりあげてきたように、わたしたちはデジタルテクノロジーとデータを使って体験をつくりあげます。それが人々に価値をもたらし、願わくばより持続可能な行動を生活においてとれるようにするためです。

つまり、わたしたちにとってテクノロジーとは、媒介であり乗り物です。ある種の望ましい体験に至るためのツールとも言えるでしょう。ですから、シンギュラリティ大学やほかの場所が、テクノロジーの可能性やスケーラビリティについてわたしたちの理解を助けてくれるのは大変素晴らしいことですし、それがどれだけのインパクトをどれだけ素早く及ぼすことになるのかは大変重要なことです。しかし、テクノロジーそのものということで言えば、それはソリューションではないのです。

いま問われるプロトタイピングの「倫理」

あなたが実現手段とおっしゃったように、テクノロジーは次のステージへとスケールやアクセラレートを可能にし、何十億人へと影響を与えられます。そこでデザイナーにとっての問いとは、「オーケー、どうしたらそのテクノロジーを、人々を惹きつけるような体験をつくりあげるという戦略やソリューションに適用できるだろうか」というものです。人々は多くの場合、テクノロジーそのものに惹かれるわけではありません。それを使ってできることに心を動かされ、行動するのです。

テクノロジーがどのように使われるかという点について、デザイナーはいまや、より大きな責任を負っていると言えるでしょう。まず何よりも、達成すべきゴールが正しいことでなければなりません。こうしたテクノロジーがいかに大きな変化をもたらすかを考えれば、倫理的なテクノロジーの使い方が求められます。つまり、未来の人々をちゃんとリスペクトするといったことです。

ですから、デザイナーたちがテクノロジーや人間と一緒にテストし、プロトタイピングを繰り返してソリューションを見つけることには大きな責任が伴います。つまりそのテストとは、単にテクノロジーがどう作用するかではなく、人々にとってどう作用するのかを問わなければなりません。とりわけ、倫理的なプロトコルに従い、その倫理が人々に受け入れられるものなのかどうかを問わなければならないのです。そういう状況では、メイカームーヴメントにかかわるものすべてが重要になります。わたしの考えでは、それこそが基盤であって、テクノロジーとデザインのパワーをもっと人間的なやり方で束ねるものこそが、メイカームーヴメントなのです。

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アルドゥイーノといったデジタルテクノロジーのおかげで、いまや技術の専門家や工学の学位がなくても、あるいはプログラミングの専門家でなくても、ソフトウェアやハードウェアによるプロトタイピングが可能になり、次のステップへとつなげることができます。プロトタイピングは、新しいプロダクトやデジタルソリューションについて誰かを説得するためのものではありません。人々がどう反応するかをテストすることです。つまり体験のテストであって、機能を試すことではないのです。

こうしたデジタルテクノロジーの素晴らしいところは、人々との共創を容易にし、新しいデザインによって人々の日常を巻き込みながら、企業にとってはR&Dのコストを下げ、素早くプロトタイプすることを可能にすることです。企業は長期にわたって多額の投資をする前に、次の世代の何十億という人々にもたらす変化のポテンシャルについて、とても早い段階で問うことができ、おかげで失敗の数を減らしながら実際のマーケットへと送り出すことができるのです。

つまり簡潔に言えば、プロトタイピングによって人々を巻き込むことができます。デジタルテクノロジーと人々を巻き込んでプロトタイプすることで、体験というベネフィットが得られます。テクノロジーとデザインを融合するには、プロトタイピングを繰り返すことなんです。その後のステージでは、プロダクトの開発が中心となり、エンジニアリングやマーケット規模、ビジネスモデルといった話になりますが、人々にとってのヴァリュープロポジション(価値提案)をつくりあげるのは、もっと本当に早い段階になるのです。

── テクノロジーが実際に社会に実装される前にプロトタイプすることで、人類がそのテクノロジーとどうかかわるのかを問うことの必要性にはまったく同意します。しかし最近は、AIだったり遺伝子編集技術「CRISPR」だったりといったテクノロジーの発展のスピードが、いよいよ人間の想像力や適応力を上回っているとも感じられます。こうした新しいテクノロジーに圧倒される感覚はおもちでしょうか?

コスタリカではライフサイエンスとデザインを融合していきたいんです。わたしの理解では、前世紀にわたしたちは、デザインというものをビジネスとの関係において再発見しました。デザインシンキングやマネジメントデザイン、戦略デザインといった大きな潮流があったわけです。

今世紀は、サイエンスとデザインの結びつきを生み出す時代だと思っています。科学的データ、特に生物学や生命科学のデータと、新しいレヴェルの素材、なかでも自然由来のマテリアルを結びつけていく必要があります。

そしてその場合には、プロダクトやサーヴィスをデザインするにあたって、何かを決断するときに科学者たちの支援が必要になります。ある物質やプロセスを使った場合の環境へのインパクトについて知るためには、環境エンジニアといった人々が必要です。ですから、これからはテクノロジーとデザインの融合だけでなく、データサイエンスやライフサイエンスとデザインとの融合が重要になるのです。

産業革命から人間中心主義、そして生命中心主義へ

テクノロジーが急速に進化しているのは間違いありません。ただ、わたしは非常に楽観的なんです。人類は未来に対して何かポジティヴなものをつくり出し、選びとっていけるはずだと考えています。もしかしたら、わたしたちは「プロトタイプ」について新しい言葉が必要なのかもしれません。

産業革命以前は、イノヴェイションは人々のニーズや課題に沿ったものとして起こっていました。例えば職人がテーブルをつくるときには、お客の要望に合ったものをつくっていたのです。顧客や人々といった人間が中心にあって、そこから対話を通してプロダクトが生まれました。

産業革命はスケーラビリティという新しい可能性をもたらし、人々の生活を改善しました。ただし、人間が中心となるロジックから、機械やテクノロジー中心のロジックへとシフトしました。イノヴェイションを決めるものが、どれだけ経済的にスケールするかという基準に突然なったのです。

あらゆる決断は単純化され、モノごとを完璧にするためになされました。デザインもエンジニアリングも完璧を目指すことでしか、機械は完璧に動かないからです。人間中心の時代と違い、産業革命以降はマーケターと技術者たちが問題を定義していきました。どんなテクノロジーが利用可能で、マーケットは何を求めているのか知っているからです。クリエイティヴ側は単にモノを美しくしたりすることで、それがもっと買われるようにするだけでした。

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産業革命以前なら、大工はあなたの家に行ってリヴィングルームを見ながら何をつくるか決めていました。産業革命以後、そうした対話はマーケティングになりました。どれだけ多くの人をターゲットにできるかが問題となり、イノヴェイションと人間との距離が開いてしまったのです。

ビジネスはタコツボ化していき、機械を動かすには完璧なインプットを与えなければならなくなりました。その時代のプロトタイピングとは、それが完璧なのかどうかを試すことを意味しました。つまりプロトタイプとは機械のためのものだったのです。それは、実際の製造工程に入る前に必要なものでした。

それがいまや、デジタルテクノロジーとデータによって、わたしたちも扱えるものになりました。次々とプロトタイプを試み、失敗が許容されるようになりました。人々にフォーカスし、あるいはこの地球という惑星にフォーカスしたプロトタイピングが可能になったのです。

機械がどう動くかではなく、人々がどう反応し、何に価値をおくのかを見ることができるようになりました。プロダクトやテクノロジーが正しく動くかをチェックするだけでなく、何があなたにとって受け入れられるのか、その倫理をチェックするためのものになったのです。

産業革命以来、わたしたちはそういったことを政策や法律によって定めてきました。でもいまや、直接人々のもとに行くことができます。Facebookを使うとき、Instagramを使うとき、写真をとるとき、自律走行車に乗って、だれもがあなたの居場所を知っているとき、受け入れられることは何なのかを、プロトタイピングで確かめることができるのです。すでに知っていることを確かめるのではなく、自分たちが気づくべきこと、特に人々がどう振る舞うかについてプロトタイプすることができます。

ですから、わたしはとても楽観的です。次の5年間で、より持続可能なマテリアルやプロダクト、生産工程を環境データによって実現できるようになるでしょう。ビジネスモデルはよりフレキシブルになり、投資資金の調達もクラウドファンディングによって新しいかたちが生まれるでしょう。そうした従来の産業を超えたムーヴメントが生まれているのです。

とりわけ、あらゆるデータがデジタルで利用可能ないま、デザイナーたちは科学者たちと協働しながら、データからより多くの意味を引き出すことができます。これまでの5年間もそうでしたが、これからの5年間はなおさらこうした変化をリードしていくことになるでしょう。専門家と一緒に生命中心のアプローチをとるようになるのです。それはつまり、人間だけのことを考えるのではなく、あるいはテクノロジーやビジネスだけを考えるのではなく、自然やこの地球、地域の資源といったものを、わたしたちが判断するためのテーブルに載せることができるデザインのことなのです。

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