イランのTFRは1980年代より低下し始めて、2010~2015年は1.7にまで低下している。日本は1.4前後であるから、イランの値は日本よりは高いが、それでも2を下回っており、少子高齢化社会の入り口に差し掛かっている。アフガニスタンやイラクと比べると、イランのTFRが急激に低下したことが分かろう。

 現在の危機を考える上では2000年前後のTFRが重要と考える。それは2000年に生まれた子供が今年20歳になるからだ。2000年のイランのTFRは2程度である。1人の女性から2人の子供が生まれているが、統計的に男の子はその半分だから、20歳前後の子供を持つ家庭に男の子は1人しかいないことになる。

 これは、イランが戦争を避ける最大の原因となり得る。親は一人息子の戦死には耐えられない。20歳前後の息子を持つ親は戦争を恐れている。それがイランの世論の根底にある。

西欧化で女性の地位が向上

 そもそも、なぜTFRが低下するのであろうか。TFRが低下する原因はさまざまあるが、世界を見渡した時に、TFR低下に最も影響を与えるのは経済発展に伴う農村から都市への人口移動である。

 伝統的な農業では肉体的な力が必要だった。男の力が重要であったために、どの国でも農村は男性が優位な社会になる。女性の地位は低い。そんな農村ではTFRが高い。

 しかし経済が発展して人々が都市に住むようになるとTFRは低下してゆく。都市では女性が就労して賃金を得るチャンスが多く、女性の地位が向上するためと考えられる。それにつれて子供の数が減少し、ひいては婚姻率も低下してゆく。このような目で見た時、イランはアフガニスタンやイラクより、かなり都市化が進んだ社会と言える。

 1979年に起きたイスラム革命によって滅びたパフラヴィー朝は、日本の明治政府にも似た急速な西欧化を行っていた。石油を輸出して儲けたお金をもとに、強力に西欧化を進めた。だが、イランの人々は急激な西欧化に耐えられなかったようだ。それがイスラム革命につながった。

 しかし、それでもパフラヴィー朝が撒いた西欧化の種は着実にイランに根付いたようだ。TFRから考える時、イランにおける女性の地位は確実に向上している。