感傷が染みわたるような映像と楽曲。物想いに耽る少女たちの表情を一枚一枚切り取り、じっくりと見せていく構成には情感がたっぷりと乗っていました。1話を観てもみらとあおの関係性が物語の軸になっているのは間違いないのだと思いますが、その物語の中で出会うことになるそれぞれの少女たちの物語までも微かに匂わせてくれていたのがとても良いなと感じます。そして、多くのカットが “少女がなにかを見つめる” ことへフォーカスを当てたものであったことはきっと意図的で、そこには本作にとってとても切実な意味があったのだと思います。
それはこういったカットでも同様でした。ストラップをつつき、見つめるあお。暗がりの部屋の中で屈むその姿は、それこそ作中でも描かれたように奥手になってしまった彼女の心模様を写し込んでいるようでした。しかし、その光景とは対照的なあおの優しい視線、月灯りが差し込むことで生まれるビジュアルの質感変化はこのカットにおいてなによりも肝要だったはずです。
なぜなら、あおにとってくじらのストラップは懐かしくも輝く想い出の象徴であり、彼女を引き上げてくれた “みら” その人を映し出すモチーフであったからです。だからこそ、それを見つめる表情が和らぐ、和らぐからこそ暗がりに光が差すという情報の重なりがぐんとフィルムを物語的にしてくれるのです。それこそ、ベランダから注ぐ月灯りを映したあとに、ベランダに佇むみらを描くというのは前述したことに輪をかけ物語的です。実際にはみらがあおの側に居る訳ではなく、カメラワーク的にも地続きではありませんが、揺らめくカーテンの動きを軸にしマッチカット的に描くからこそ二人の関係がとても地続きに移るという、これはまさに演出のマジックです。
二人が再開することで物語がまた動き出すように、どこまでも二人の想いは繋がっていることを示すコンテワーク。だからこそ、みらが星を遠望するカットの強みは一層増し、そのカットが彼女一人の想いを描いただけのものではなく、二人の関係性を描いたものとしても映っていくのです。
そして、そういった夜空を見上げる描写は前述した “見つめること” に込められた切実さへと繋がっていきます。みらとあおだけではなく、皆がなにかを見つめ想いを馳せる。例え同じ空であってもそこには色々な空の表情があり、多くの星が輝くように見つめる先に浮かぶ想いというのは決して一つではない。そういったことを端的に描いていたのがおそらくは序盤のカット群であり、空を見上げたこの定点カットでもあったのでしょう。広く撮られた一面の空、満天の星。そこには、それぞれの視線の先にそれぞれの想いがあることを描き示すような質感がありました。
また “見つめる” というテーマ性においてはこういったカットも素敵でした。相手を見つめる視線をより力強く描くため、相手が居る方を大きめに空けるレイアウト。特段、珍しいレイアウトではないのだとは思いますが、ここぞというシーンで使われるこういった趣きのあるカットは非常に感傷的に映ります。シネスコサイズであることが横への意識をさらに駆り立ててくれている面もありますが、なによりこのエンディングが視線に重きをおいたフィルムであったからこそ、前述してきたような情感の積み重ねがこのカットにも多く乗っていたのでしょう。二人の表情の良さはもちろんですが、それを切り取るフレーミングの大切さを感じずにはいられないカットです。
そして終盤。最後のバックショットとそのカメラワークには、なにより感動させられました。みらに手を引かれあおが立ち上がるという状況を描いたカットですが、あおが立ち上がり切る前にカメラはPANアップを始め、二人をフレームの外へと置き去りにしてしまいます。カット的に考えても二人の芝居は立ち上がるところまでしっかりと作画されているはずで、その姿をFIXで映し続けても演出としては映えていたはずです。しかし、そうはせずに敢えて二人をフレームから外す選択をしたことにはやはり相応の意図があるからだと思うのです。
その内の一つに、このカットが映される際に「一人じゃないから歩き出せる」という歌詞が歌われており、そのフレーズが彼女たちの心情描写に対する担保になっていたから、というものが挙げられます。エンディングというある種、MV的な要素があるからこそ出来る歌詞との親和性を高めた演出。「二人の関係を歌っているのだから映像としては(立ち上がり切るところまで)描かなくても大丈夫だ」という芯の強い見せ方です。くわえて、前段で挙げた二人のアップショットなどがこのカットの前に映されていたのも大きいはずです。見つめ合い、表情を綻ばせる二人を描いていたのもそうですし、手と手が取り合う瞬間をしっかりと映していたのも同じことです。二人の関係を色濃く描いたカットが既にあるからこそ、敢えて立ち並ぶ二人は映さないという映像の構成。そういったカッティングの組み立て、引き算の演出が「一人じゃない」ことをさらに盛り立て意識させてくれた結果、より伝わってくるものというのはやはりあるのだと思います。
そしてその代わり*1に夜空を映す。それが本当に、とても良いのです。なぜなら、ここで映される満天の星空は二人が過去に交わした「新しい小惑星を見つける」という約束の象徴でもあるからです。それをあおが立ち上がり、二人が並び切る前に映し始めていくというのは、暗に並び立つ彼女たちを見ずともその関係性はこの星空が強く繋ぎとめてくれていることを意味します。二人にとっての起点であり、まだ見ぬ夢が待ち構える星空。それはきっと二人の関係を描く上でなにより雄弁であり、普遍なものなのです。そういったことを包括したラストカットとPAN演出*2が本当に素敵で、感動させられました。実際ここまで書いてきたような意図がどこまで込められていたのかは分かりませんが、そんな感傷に浸らせてもらえたからこそ、この作品をより好きになれたことは間違いありません。