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31歳のとき、不妊治療の末に授かった男の子を死産しました。
体外受精まで進んでも結果が出ないなかでの自然妊娠でした。
その後、仕事をやめて治療に専念しましたが、妊娠することはできないまま、35歳になりました。治療期間は8年、費用はトータルで1000万にも及び、そろそろ終了しなければならない、すべてやり尽くしてしまった、そんな気持ちです。
精神的にも疲れました。ここまでなんだか色々なものを失いました。 喪失感を、治療を頑張ることで、先への希望で埋めてきたのです。
夫との仲は良好で、この先2人でもやっていける、と言ってくれます。 でもなかなか元気が出ず、今でも塞ぎ込むことが多いです。失った赤ちゃんを思って悲しいのか、罪悪感なのか、努力した治療の結果が出なかったことを怒っているのか、わからなくなります。多分全部です。
今は夫と仲良く過ごせるだけでも、幸せ。心からそう感じています。楽しくて2人で笑うことも多いです。でも辛い気持ちは毎日のように襲ってきて塞ぎ込んでしまいます。
いつか楽になれる日はくるのでしょうか?(ポムポムプリン 35歳 女性)
不妊治療をした8年間でいろんな人から、いろんなことをいわれてきたとおもうんです。
あなたの過去の行いを咎められたり、食べているものを否定されたり勧められたり、「赤ちゃんはお空からパパママを探してる云々」「死産した赤ちゃんがママの悪いところを持っていってくれた、だから次は何々」とか。旦那に問題があるんじゃないかとか、あきらめなければ奇跡は起きるよ、みたいなことを散々いわれたとおもうんです。
口に出さなくてもいいけど、心のなかでバ——カって言い返していいとおもうんです。
相手は善意のつもりでいってきてるから気付いていないけど、あなたと旦那さんはじわじわとこういう言葉に苦しめられたとおもうんです。相手のためと信じて、でもじつは相手を苦しめる行為をしてることを優しい虐待ってぼくは呼んでます。
あなたの苦しさをなぐさめようと、なんとかしてあげようとする行為なんだけど、哀れみの目で見られたり可哀想っておもわれるのって、めちゃくちゃ苦しいしムカつきますよね。
あなたが精神的に疲れて、いろいろ失ったものの一つが人間関係でしょう。
あなたの苦しさを本当に理解できるのは、あなたしかいません、旦那さんの苦しさもまた、それを本当に理解できるのも旦那さんだけです。苦しさの理解というのは本当に難しいことで、理解されないことで孤独を感じるのだとおもいます。
不妊治療せず子どもが産まれたぼくには、あなたの苦しさはわかりません。きっとぼくのことをドライで冷たい人っておもう人もいるとおもうんだけど、ウエットで熱々な一目も入ってない五目あんかけみたいな人が優しい虐待をしちゃうんだよね。
不妊治療と死産の苦しさは想像することしかできないけど、人間関係で消耗したことはよく理解できます。なぜなら不妊治療とがん治療って治療としてはまったく違うんだけど、心理状態や環境、周囲からかけられる言葉などが酷似しているからです。
不妊治療中の人って、なかなかガン患者さんと話をする機会はないとはおもうんですけど、本当にびっくりするほど心理状態は一緒。
自分のことを役たずとか失敗作なんじゃないかって自分で自分を責めてしまったり、あなたもこの8年間で「ありのままでいいんだよ」って一目も入ってない五目あんかけみたいな人から何回いわれたか思い出してみてください。
優しい虐待をしてしまう人って、ここぞとばかりに一流コピーライターみたいな言葉を捻り出そうとして、いちばん耳にしてるJ-POPの歌詞をいっちゃうんだよね。
あなたも「ありがとう」としかいえないだろうから、本人はフルスイングでホームランを打った気になって大満足なんですよ。
こういうことをいうと「じゃあなんて声を掛ければいいんだ」ってバッターボックスから困惑気味にサインを求められちゃうんだけど、そもそもバッターじゃなくてキャッチャーになるべきなんですよね、バットじゃなくてミットをもってくれ。
「奇跡を信じる」ってなんだかすごく美しく、正しいことのようにもおもえますよね。でもぼくは治療においては正しくないとおもっています、不妊治療やガン治療のように、人生におおきな影響を与えるものであればあるほど。
絶望のなかで治療をしろっていってるわけじゃありません、希望は絶対にもちましょう。
よく治療のことを闘いのように例えられちゃうけど、闘いにおいて希望は作戦のようなもので、どこに進んでどれだけ攻めるか、こちらがどこまで消耗したら体勢や作戦を立て直すのか、または撤退をするのかなどを考えることです。つまり何をしたいかということです。
奇跡は、神風が吹くことを信じることです。どんなに絶望的な状況でも神風が吹くと信じれば、竹ヤリで機関銃をもつ相手に突撃だってできるのかもしれません。
奇跡と希望って似ているようで全然違うんです。もちろん医療には奇跡的なことはありますが、それはあくまで結果的なものです。
奇跡を信じるって心のよりどころのようなものだとおもうんです、確かにそれがあるからがんばれるわけだけど、治療そのものを心のよりどこにはしないほうが、ぼくはいいとおもいます、なぜなら良くも悪くもいつか治療は終わるからです。
あなたもどこか治療をすることで心の隙間を埋めていたのかもしれないけど、ぼくはあまりいいことだとはおもいません。病気になった人が病気そのものをアイデンティティにしてしまったり、介護や看病をする人ががんばりすぎてしまうのも同様です。
あなたの場合はそろそろ作戦の転換期なんだとおもうんです。作戦は希望なので、あなたとあなたの旦那さんだけの希望でいいんです。作戦に対してどうこういってくる人っているけど、それはあなたたちを自分の希望にのせたい人です。 例えばあなたに不妊治療をあきらめてほしいって考える人だっています、逆にいつまでもがんばってほしいって考える人もいます。どちらにしてもそういう人たちの作戦にのせられないように。
ぼくも病気になったときにたくさんそういう人があらわれました、みんな作戦をたてたがるんだよね。ここぞとばかりに軍師官兵衛になろうとして、頓珍漢な作戦を立案しちゃうんだよね、みんな奇跡がベースだから最終的には特攻になっちゃうの。
とくに、いまのあなたに奇跡を信じさせようとする、一目も入っていない五目あんかけみたいな人には要注意ね、高額なインチキ治療とセットでやってくるから。インチキ治療って奇跡と手を繋いでやってくるのよ。もしも困ったら「治療費を出してくれるならできるんだけど」って返しましょう。
不妊治療をしたこと死産を経験したことで、あなたにとって何が本当に大切かがよくわかったとおもいます。とくに人間関係において。お子さんの死産を経験して抱いた感情は、僕たちには想像することはできるけど、それはやっぱりあなたにしかわからないことです。
ぼくは病気になる前の人間関係のほぼ全てを切りました。そして病気になってから人間関係を新しく構築しました。あなたも旦那さんと仲良く過ごせることはとてもしあわせなことだとおもいます、そうならないご夫婦だってたくさんいるでしょう。
ドライで冷たい意見かもしれませんが、毎日塞ぎ込んだり落ち込むというのは、百害あって一利もありません。あなたの旦那さんにも悪影響を及ぼします。ぼくもガンになったばかりのころは気持ちが落ち込むこともありましたが、その時の最大の問題点は家族に悪影響を与えるということでした。
訓練や経験を積んだ、五目入った五目あんかけみたいな医療従事者でもない限り、あなたの気持ちを受け止めることはなかなか難しいとおもうんです、別に熱々じゃないくていいんだけど。相談は誰にでもすればいいってもんじゃないので、苦しい気持ちはメンタルクリニックなどで相談してみてください。
もちろんいつか楽になる日が来るのかもしれません。時間が解決するなんていうけど、それが明日なのか10年後なのかはわかりません。時間が解決するのではなくて、時間が経過するなかで経験したことや見聞を広めたことによって、楽になるのだとおもいます。
なにも経験しなければ楽になることもないでしょう、だからたくさんいろんなことを経験してください。旦那さんとの関係性を大切に、そして亡くなったお子さんとの関係も大切に。亡くなったからといって関係や妊娠中の思い出までなかったかのように忘れようとしなくてもいいとぼくはおもうんです。
旦那さんと過ごすことが心からしあわせなら、たのしい経験がたくさんできるように作戦を立ててみてください。治療の希望が終わったからといって、旦那さんとの希望が終わったわけじゃありません。たくさん希望をもってください。
今週の幡野さん
雨上がりの渋谷にいきました、寒かったけど冬の日の雨上がりってなんだか好きなんです。