三田駅(兵庫県三田市)の発展は有馬温泉にあり!? 駅開業120年を記念し、鉄道と地域の歴史を学ぶ講座が18日、市立図書館本館(同市南が丘2)で開かれた。NPO法人「歴史文化財ネットワークさんだ」の藤田裕彦さん(86)=同市=が「出発進行!三田駅(開通)120年」と題して講演。人力車がひしめく明治時代の駅前など貴重な写真を示しながら、三田に駅ができた背景などを説明した。
同法人と図書館が昨年から共同開催しているセミナーの一環。藤田さんは2018年の「図書館を使った調べる学習コンクール」で、最高位の文部科学大臣賞を受賞。その際にまとめた「山脇延吉翁からの贈りもの~『神戸電鉄』誕生の物語」などを基に話を進め、歴史愛好家ら約50人が聴き入った。
三田駅は1899(明治32)年、JR福知山線の前身に当たる「阪鶴鉄道」の有馬口(現・生瀬)-三田間の開通に伴って開業した。藤田さんは駅前に人力車が並ぶ明治期の写真を示し「当時の時刻表には三田駅が『有馬温泉迄二里半(約10キロ)』とあり、大阪や神戸から鉄道で着いた観光客が、人力車で有馬を目指す玄関口だった」と解説。六甲山を越えて有馬を目指した神戸市の住吉駅から生瀬、三田と「有馬の玄関口」が移ったと指摘した。
一方、阪鶴鉄道は7年後に国有化され、補償金を得た出資者らが阪急電鉄の前身「箕面有馬電気鉄道」を計画したと紹介。同社の小林一三が宝塚-有馬間の延伸を断念して神戸線の建設に注力する一方、道場出身の山脇が三田-有馬間の軽便鉄道や、神戸電鉄の前身「神戸有馬電気鉄道(神有電車)」を開通させた功績を語った。
神戸市灘区出身で大手ビールメーカーに勤務した藤田さんは、転勤した先々で鉄道の旅を楽しんだ「乗り鉄」。阪神・淡路大震災では西宮の自宅が全壊し、翌年に退職して三田に移り住んだ。日本で初めてビールを醸造したとされる川本幸民が三田出身と知り、郷土史にのめり込んだという。
藤田さんは「外から来た人間だから見えることがある。今後も地域の歴史を学び続けたい」と話した。(高見雄樹)