つらつらブクマを巡回してたら
というのが、はてブで浮上していました。
こちらね。
b.hatena.ne.jp
で、思い出したことがあって、自分もブクマしてお知らせしようとしたのだが、そのために画像が欲しかったので探した。見つけたので、ここに記事を作り引用・紹介する次第。
2019年7月のこのツイートから孫引き引用。
最近のTLの話題(ガンダムやヤマトが云々)を見て、ゆうきまさみ先生の「風潮」(『ゆうきまさみ作品集 アッセンブル・インサート』所収)を思い出しました。
「かかる好戦的アニメを見ているとは何事だっ」
ゆうきまさみ初期作品集 early days (1) (角川コミックス)
- 作者:ゆうき まさみ
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2008/08/05
- メディア: コミック
この記事を作ったところで、正式にブクマした。
b.hatena.ne.jpなつかしの「軍国アニメ批判」
ちなみに、こういう意見は想像の産物かというとそうでも無くて、
その当時…1980年代、戦前からの生き残り左翼で、そのぶんいろんな紆余曲折と毀誉褒貶を受けながらも、間違いなく「革新」の論壇内では超大物(或いは、ある種の名物男)扱いされていた羽仁五郎という御仁が、「君の心が戦争を起こす」と題するごまブックスで、「ガンダムだかなんだか知らないが」といって、実にステレオタイプな批判をしてたのですよ。実は当方、超こどもでしたけど、頭が良かったので(笑)、そういうむつかしい本もよんで戦争や平和について考えてみようと思ったところ、そんな話が乗っていたので、「へー、そうなのか 悪いアニメなのかガンダムは」とソボクに数日ぐらい信じたけど「ん…この人、なんか言ってることおかしくないかなあ?」と独力で「本を疑う」境地に到達した、そんな思い出の本なのでよく覚えているのですよ(笑)
君の心が戦争を起こす―反戦と平和の論理 (カッパ・ブックス)
- 作者:羽仁 五郎
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 1982/12
- メディア: 新書
ちなみに羽仁五郎は、福田恆存が彼を徹底批判した論文を書いたことでも知られている気がする。この福田恆存の論文は実に傑作で、羽仁氏もやられ役としていい仕事しているので、機会あればお読みありたい。
国語審議会に関し文相に訴ふ
紀元節について
及木将軍と旅順攻略戦
当用憲法論
現代国家論
郭沫若氏の心中を想う
知識人とは何か
私の政治教室
民主主義の次に来たるもの
羽仁五郎を叩く
生き甲斐という事
外交を内政に利用するな
東風西風
文学を疑ふ
フィクションという事
言葉の芸術としての演劇
独断的な、余りに独断的な
日米両国民に訴える〔ほか〕
そういえば、上のゆうきまさみ氏の短編漫画って、「平和・反戦を訴える”正しい”主張が、抑圧のこん棒になるかもしれない」ということを描いたフィクションとして、自分の中では星新一「白い服の男」に続く2作目の作品だったのだな。
このふたつの関連性を、これまた自力で連想したのだからやっぱり頭のイイ子供だった気がする(笑)
横領、強盗、殺人……こんなたぐいの犯罪は一般の警察にまかせておけばよい。わが特殊警察の任務はただひとつ――人間が作り出す平和の虚妄性を痛烈な皮肉をこめて描く表題作。
未読のかたはマストで読むべし。
話戻って 「右翼も左翼もモンブ省もあるか」「ドラマの前にはすべて無力だァ―――」はまさしく『反ポリコレ』なわけだが
というか、もともとブクマがついた上のツイートの作品にしてからが
実はこれ、「愛国」「健全な正義」は一例であって『「(政治的な)正しさ」、によって創作物が外から強制力を受けてゆがめられる』ことを批判している、のですね。
「ドラマの前には すべて無力だァーーーー」ってのはこれふつーに、とんでもないくらいにマックスの「ポリティカル・インコレクト」宣言なのであります。
「ポリティカルコレクト」は今の風潮としては反差別とかリベラルとか、そういう雰囲気を実際上は漂わせてはいるが、考えてみれば「愛国」や「国のために立派に戦う」も、ただ単に方向性がずれているだけで「これがポリティカルにコレクトなのであるから、そういう表現を盛り込みましょう」という話だからポリコレAとポリコレBの違いに過ぎない。あの作品の富野カントクの作中の台詞は、ポリコレAとBをまとめて吹き飛ばす「反ポリコレ」な叫びなのではある。
つまりは
呉智英氏がNHK衛星第一で超暴力的漫画「ワールド・イズ・マイン」を論じた時に、引用した本居宣長の言葉の変奏曲ともいえる。
それで一言言うとさ、突然BSから教育テレビに変わっちゃうけどさ(笑)。
これ暴力シーンさっきから出ているでしょ。良識家の人が「こういうのは…」とか言う。(略)大学でこういうのを扱うときもいってるんだけどね、こういう、ある意味けしからんマンガなわけですよ。そういうものをどう考えるかっていうときにね、ふつう言論の自由とか表現の自由なんて言うけど、俺ね、そういうバカなこと言いたくないから(笑)、いつもね俺、本居宣長のこういうのを引用するのね(笑)。
本居宣長の歌論、文化論ですね、うた論。
(歌の中には)
政のたすけとなる歌もあるべし、
身のいましめとなる歌もあるべし、
また国家の害ともなるべし、
身のわざわいともなるべしってんだよね。で、そういうものがあっても人間の真実が描かれているものは芸術であり文化であるって、本居宣長が言ってるんだよね。
m-dojo.hatenadiary.com
といいながら、ゆうき氏自身の内発的な創作ルールには、しっかりと倫理的歯止めがあるのだから二重三重に面白いわけ。
そも、作中の富野カントクや、「かかる好戦的アニメを…」「やめろ たかがアニメじゃないか」も登場人物の主張に過ぎない、ということは大前提条件とした上で…
超有名、というかここで何度も紹介したのが、機動警察パトレイバーの終末がああいう展開になったのは、
「内海的なキャラクターが生き残ったら、倫理的にまずいから彼は死なねばならない」という
作者の実にモラリスティックなポリシーゆえだった、という話だ。
それはここにて紹介しておくので再読してほしい。
![]()
このタイミングなら、資料が無くて自分の中では「中断」していたhttps://twitter.com/gryphonjapan/status/853802702324645889 …
の続きを書くのに一番いい。
ゆうきまさみ先生がとり・みき先生@videobirdとの対談で「内海はこのまま勝ち逃げしてはいけない、だから殺さねばならなかった」(要約)と…
(続き)
語っていて、自分はすごく衝撃的で、いまだに印象に残ってる(だからコピーしてた)。
創作者が自分の作品の中で生んだ悪の魅力と
倫理的に対峙する。
それは、そうあるべきなのか、そこまでする責任があるのか?
という、ちょっとした問いとして自分の中でもまだ未解決で(続く)
また、かつての作品から「いまだと、この辺をこういうふうに描くだろう」というような修正案を語っていたりする。
それはこちらを参照
m-dojo.hatenadiary.com