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~はじめに~
平素はゆっくりと学ぶ吸血鬼シリーズをご覧頂きまして誠にありがとうございます。
動画では既に紹介させていただいていますが今回はブログにて、最初の吸血鬼小説と最初の吸血鬼ルスヴン卿の解説…そしてその最初の吸血鬼小説が生まれて経緯について解説していきます。
日本においても吸血鬼というモチーフは商業同人問わず人気のモチーフでありながら、ネット上で語られる吸血鬼の常識は、漫画やアニメ等から仕入れた知識で語る人ばかり。
参照1、参照2、参照3、参照4
上記は5ch(なんj含む)の交わされた吸血鬼論のスレまとめ。数年前から最近のスレをピックアップしています。上記リンクを見ていくと、オタクたちの間ではしばしば本当の吸血鬼像というものが度々議論されています。
例えば「十字架や日光が平気な吸血鬼やめろ」など、吸血鬼に関することを「アニメや漫画で仕入れた知識」で語っている人がほとんどで、吸血鬼の古典文学どころか有名な吸血鬼ドラキュラもまともに読んでないと思われる人が大半であることが伺えます。それが何年も繰り返されています。怪奇幻想文学を嗜むような方々からすれば、「吸血鬼が出来た歴史ってわかり切っている。最初の吸血鬼小説と最初の吸血鬼とされる存在もわかっている。なぜこんな論争をしているのだ?まずは小説のドラキュラ読もうよ」と思われることでしょう。
しかしこの状況は仕方がないでしょう。吸血鬼の文学を好き好んで読もうと思う人は少ないし、ネット上でも吸血鬼の歴史をきちんと解説したサイトは少ない。商業どころか同人ですら吸血鬼の創作があふれた現状では、それらを見て吸血鬼を知りえたと思い込んでしまうのも仕方がありません。中には所謂吸血鬼警察が、自分が知っている吸血鬼像と違う作品の作者にSNSで突撃、誹謗中傷して作者が心を痛めるということも最近ではあるようです。
私は、このようなエセ吸血鬼警察の不毛なやりとりを少しでも無くしたい、そう思ってニコニコで解説動画を始めました。その甲斐あって、「吸血鬼の創作やってるけど、この動画のおかげで揚げ足とられる不安がなくなった」とのコメントを頂きました。ですが動画は検索性が悪い。なので文字で発信して少しでも検索性を高めて、情報をさらに拡散していきたい。
ということで、しばらくは動画による解説をお休みして、吸血鬼解説記事を集中連載していきたいと思います。記事の内容は今の洗練された創作の吸血鬼しか知らない人を対象に、きちんとした知識を持って頂こうというコンセプトでやっていきますので、細かく解説していく予定です。そのため知ってる方には冗長な解説もあるでしょうが、どうかご了承下さい。
~吸血鬼、ヴァンパイア、ドラキュラの違い~
まずは大事な前提事項から。Google検索を見ると、ヴァンパイアとドラキュラの違いについて質問するサイトが結構ヒットする。実際「吸血鬼」の意味で「ドラキュラ」を用いる人を、色んな媒体で見かける。ここの認識は重要なので、まずはこの違いについて明確にしておこう。吸血鬼:英語”vampire:ヴァンパイア"の日本語訳
ヴァンパイア:吸血鬼を表す英語
ドラキュラ:ブラム・ストーカーの小説に登場するドラキュラ伯爵のこと
つまり、ヴァンパイアと呼ばれる種族の一人。
(ここで細かい人はドラキュラは個人名ではなくて、ヴラド三世のあだ名とか言ってくる)
このようにドラキュラとは、元は1897年のブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」に登場する吸血鬼の一人、ドラキュラ伯爵のことであり、決して吸血鬼全般を表す言葉ではない。この小説があまりにも有名になってしまったがために、ドラキュラは吸血鬼の代名詞的存在となり、半ば吸血鬼を表す普通名詞になりかけているのも事実だ。創作では女吸血鬼を「ドラキュリーナ」と呼んだりしている作品を見かけたことがあるかと思われる。
別に今は普通名詞になりかけているのだから別にいいじゃん、と思う方もいるだろう。だが知ってる人からすれば、ヴァンパイアとドラキュラの混同は混乱の元である。
この記事では混乱を避けるためにも、ヴァンパイアとドラキュラはきちんと使い分けていく。
~ドラキュラは吸血鬼としては後発~
さて普通名詞になりかけているブラム・ストーカーの吸血鬼ドラキュラであるが、ドラキュラ伯爵は吸血鬼としては後発も後発作品だ。オタク風にいえば「僕が考えた最強の吸血鬼」みたいなものだ。それがちょうど近代にできたことと、映画の発展時期と重なったこともあり、ドラキュラは後発ながら吸血鬼の代名詞的存在となったわけである。ストーカーが吸血鬼小説を執筆しようと思うに至った理由は、同郷かつ同じ大学の先輩であるシェリダン・レ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」を読んだのがきっかけだ。この作品を読んでストーカーは、自分でも吸血鬼作品を作ろうと決意した結果、ドラキュラが誕生したのである。吸血鬼カーミラは有名な女吸血鬼であり、漫画やゲームなど、どこかしらでその名前は聞いたことがあるだろう。
もちろんそのカーミラも、吸血鬼小説としては後発にあたる。ではドラキュラ以前の吸血鬼小説には一体どんなものがあるのか。吸血鬼の解説本として民間伝承、文学、映画などから幅広く調査したマシュー・バンソン著『吸血鬼の事典』(青土社/1994)から、吸血鬼の文学品を紹介しよう。尚、赤線はストーカーのドラキュラの系譜とも言うべき重要な作品を示す。
作品名、人物の名前は、一部を除いて「吸血鬼の事典」に倣った。上記は、海外の学者にありがちな「拡大解釈して吸血鬼と認定した」作品も含まれている。例えばポーの「リジィア(ライジーアとも、1838)」は、吸血シーンはないが、マシュー・バンソンは生気を吸い取る「心霊的吸血鬼」として紹介(1)、拡大解釈して吸血鬼に含めているようだ。
(「吸血鬼の事典」では、日本の般若や火車を拡大解釈して吸血鬼として紹介している。こちらでは河童を「最も気持ち悪い吸血鬼」として紹介している。)
(1) 「吸血鬼の事典」pp.195-196,p.333
トルストイの「ヴルダラクの家族」は「吸血鬼の事典」に倣って1847年の作品としたが、この作品が作られた年月は色んな説がある。wikipedia記事(英語記事)(ロシア語記事)などでは1839年としている。他にも1840年、1841年説もあり、作成年月日がいつなのか研究されている状況だ。参照先のリンク そのGoogle翻訳
さらに言えば、出版されたのは大分後のことである。そしてトルストイはこれとは別に1841年に「吸血鬼」という小説を発表しているが、これは「吸血鬼の事典」では紹介されていない。
今のトルストイの例からわかるように、この年表は19世紀に作られた吸血鬼作品全てを網羅したわけではない。上記はある程度知名度を得た作品のようで、「吸血鬼の事典」では紹介されていない作品もある。今後の記事で説明するが、中には歴史に残らず失われた作品もある。「骸骨伯爵(1828)」のように1992年の「吸血鬼の事典」の発表時には、まだ発見されていなかった作品もある。今回、イグナーツ・F・アルノルトの「吸血鬼(1801)」、バイロン卿の「断章(1816)」、エリザベス・グレイの「骸骨伯爵(1828)」は今後の解説の都合上、「吸血鬼の事典」の年表に追記した。
~ドラキュラ以前の吸血鬼は、今の吸血鬼とは違う~
上記の年表から言えば、1748年のオッセンフィルダーの詩「吸血鬼」が吸血鬼文学として最も古い作品になる。「最初の吸血鬼作品」とか「最古の吸血鬼作品」というものは厳密に特定することは出来ない。神話や民話も一種の創作であるので、解釈の如何によって何とでも言えるからだ。ただ「きちんと作者や作られた年月日がはっきりとわかる文学作品」というくくりでみれば、オッセンフィルダーの作品が最古の吸血鬼小説とか吸血鬼の最初の文学作品であると、海外では紹介されている。(参考1)(参考2)ただし内容は、女に恋をした男が酒場で酔っぱらって「俺のことを好きにならないと、吸血鬼となって襲っちゃうぞー!」と管をまくという内容で、血を吸う化け物は一切出てこない。
その次の1773年の「レノーレ」という韻詩作品、これも作中には一切吸血鬼は出てこない。だがウクライナに「レノーレ」と似たような吸血鬼の民間伝承が存在しており、通称「レノーレ型」と呼んでいたりするようだ(2)。そしてこの韻詩は、あの「吸血鬼ドラキュラ」の冒頭シーンにおいて登場する。そういった意味で吸血鬼作品として含めているようだ。
(2) 平賀栄一郎「吸血鬼伝承 生ける死体の民俗学」:中公新書(2000) p.98
次は1797年、あのゲーテによる「コリントの花嫁」。これは何も知らずに読んだ人が「あれって吸血鬼作品だったの?」と個人掲示板で書き込んでいたのを見た記憶がある。死んだ乙女が血を飲む存在であることは示唆されているが、直接的な吸血シーンはない。このように吸血鬼要素が薄い作品であるが、当のゲーテが「吸血鬼の詩」と日記に残している(3)(4)(5)。よってこの「コリントの花嫁」に登場する悲運な乙女の幽霊は、今の吸血鬼像とは違った女吸血鬼なのだ。
(3) Das Vampirmotiv in Goethes Ballade "Die Braut von Korinth"
Hausarbeit (Hauptseminar), 2004 27 Seiten, Note: 2.0
(4) Goethes Ballade „Die Braut von Korinth“ Eine Suche nach vampiristischen Motiven
Hausarbeit (Hauptseminar), 2010 22 Seiten, Note: 1,7
(5) 19世紀前半におけるヴァンピリスムス -E.T.A. ホフマンに見るポリドリの影響-
森口大地 京都大学大学院独文研究室 2016/01 p.78
同年のコールリッジによる「クリスタベル(姫)」という未完成の韻詩作品。この作品も吸血鬼という単語は出てこないし、血を吸うような描写も一切ない。だが有名な女吸血鬼であるレ・ファニュの「吸血鬼カーミラ(1872年)」に影響を与えたとされているし(6)、インド出身の有名なゴシック文学研究者デヴェンドラ・P・ヴァーマ博士は「クリスタベルはブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ(1897年)」の構成、とくにドラキュラ伯爵が海路で英国入りする部分などに影響を与えている」と唱えている(7)。これも「後の吸血鬼作品に影響を与えたから、吸血鬼作品として含めよう」という考えの元、吸血鬼作品に含めたものと思われる。
(6) サミュエル・テイラー・コールリッジの「クリスタベル」 : ヘルマフロディトスのミューズを巡って
照屋 由佳 学習院大学人文科学研究科 1989/8/12 p.20
(7) 「吸血鬼の事典」p.167
ロバート・サウジーによる「破壊者タラバ(1800)」。これは2017年に「タラバ・悪を滅ぼす者」というタイトルで初めて完訳されている。これは以前詳細な感想記事を書いたので、興味があればそちらをご覧頂きたい。これはキリスト教徒(サウジー)がイスラム世界の物語を描いたもの。青年タラバが悪の魔術師軍団ドムダニエルの魔術師たちを、アッラーの神の加護のもとに立ち向かっていくという、これぞ王道といった勧善懲悪な物語だ。この概要から分かるように、吸血鬼は主題ではない。主人公の幼馴染の妻が死後、吸血鬼と復活し、主人公と対峙するシーンにおいてのみ登場する。作中では「妻は吸血鬼となって蘇った」という説明があるだけで血を飲むシーンなどは一切なく、すぐに物語から退場してしまう。別に吸血鬼である必要性を感じさせないほど非常にあっさりとしている。だがサウジーは巻末において、1730年ごろの西欧で巻き起こった吸血鬼大論争について詳細な出来事を解説し、民間伝承における吸血鬼という存在について詳しく読者に紹介している。以上から、民間伝承で伝わる吸血鬼の特徴をそのまま作品で登場させたということになる。
これまで紹介してきた作品は韻文による詩の作品だ。だが1801年のイグナーツ・フェルディナント・アルノルトによる「吸血鬼」、この作品こそが散文作品としては最初の吸血鬼作品であるという。だがこの作品、同時代の書評やカタログには確かに作品のタイトルが確認されているのだが、肝心の現物は未だ発見されておらず、物語の詳細は全くもって不明である(8)(9)。
余談であるが、ドイツの散文吸血鬼作品として「ヴァンパイア、クロアチアの美しい花嫁と血の婚礼(1812)」という作品があるが(10)、これは「吸血鬼の事典」では紹介されていない。
(8) 19世紀前半におけるヴァンピリスムス p.67
(9) Melton, J Gordon. ”The Vampire Book: The Encyclopedia of the Undead”
Visible Ink Press. Kindle 版(2010/10、原著1994/09) No.8654-8662
(10) 19世紀前半におけるヴァンピリスムス p.67
~最初の吸血鬼は吸血鬼ドラキュラではなく、吸血鬼ルスヴン卿~
「O公爵夫人(1805)」は、吸血鬼要素がどこにあるのか未だに分からない。マシュー・バンソンも、具体的にどこに吸血鬼要素があるのか具体的に解説していない。海外サイトや解説を可能な限り探ってみたが、この作品を吸血鬼作品と紹介しているものは見当たらない。この作品を読んだことがある人に聞いても同じ答えだった。もし吸血鬼要素がお分かりになった方は、ぜひご一報ください。その他物語の内容の解説は割愛するが、ジョン・スタッグの「吸血鬼(1810)」や、バイロン卿の「異教徒(1813)」も今のステレオタイプな吸血鬼とは違う。「異教徒」の方は、呪いにより吸血鬼になってしまうことが示唆されるだけだ。「お前は死後魂の存在だけになって、自分の家族の血を飲むことだろう(要約)」ということを言われるだけであり、吸血鬼自体は登場しない。これも民間伝承の吸血鬼伝承をモチーフにしたと思われる。
このようにこれまで説明してきた吸血鬼は、今の”ステレオタイプな吸血鬼”とは程遠い。では今の吸血鬼像に近い、最初の吸血鬼と呼ばれる存在はどの作品になるのか。
それは1819年に発表された、ジョン・ポリドリ作”The Vampyre”「吸血鬼」という小説に登場する、吸血鬼ルスヴン卿である(13)。これは私の独断や偏見でそう言っているのではない。海外では「異なる要素を持つ吸血鬼という存在を、首尾一貫した文学ジャンルへ融合させることに成功した最初の物語である」とか(14)、
「ルスヴン(中略)は、数え切れぬほどの他のヴァンパイアのプロトタイプである」と紹介される(15)。
吸血鬼ドラキュラの翻訳者・平井呈一もドラキュラの巻末解説の冒頭にて、「近代ヨーロッパにおける吸血鬼をテーマにした最初の小説は、ジョン・ポリドリの"Vampyre"だというのが、今日では定説になっています」と述べている(16)。
以上から分かるように、"怪奇幻想文学や本当に吸血鬼の歴史に詳しい人たち”からすれば、ジョン・ポリドリの小説「吸血鬼」が最初の吸血鬼小説であり、そこに登場する吸血鬼ルスヴン卿こそが、吸血鬼の始祖という認識を持っている。日本では一般的に吸血鬼はドラキュラが元祖だと思っている人が多く見受けられるが、そのドラキュラでさえこのルスヴン卿の影響を受けて出来たものに過ぎないのである。現在の商業・同人問わず吸血鬼作品があふれているが、悪く言えばそれらは全てルスヴン卿の亜流でしかない。吸血鬼好きを名乗っていたり吸血鬼考察をするのであれば、ポリドリの「吸血鬼」は常識として知っておかなくてはならない、それほどまでの作品だ。厳しい物言いに感じる方もいらっしゃっただろう。確かに今ではこの作品とポリドリの名声は失われて、ストーカーのドラキュラが吸血鬼の代名詞になるほど有名になってしまったから、仕方がない面もある。だがこの作品は当時発表当時、西ヨーロッパ全土で一大吸血鬼ムーブメントを巻き起こしたほど、人気を博した作品である。なにより吸血鬼の基礎を作り上げた作品であるから、この作品が重要であることには変わりはない。さらに言うと、この小説が生まれた経緯が、吸血鬼界隈どころか文学史において常識たるものに高めている。今後の解説予定の吸血鬼も、何度もこの作品を引き合いにだして解説をしていく。ということで、ポリドリの吸血鬼が最初の吸血鬼小説と呼ばれる所以となった、ルスヴン卿の吸血鬼としての特徴を見ていこう。
(13) 英語の吸血鬼のスペルは現在vampireだが、vampyre表記も理由があって使われる。これは今後の記事で詳しく解説する。
(14) Frayling, Christopher (1992), Vampyres: Lord Byron to Count Dracula , London: Faber & Faber, p.108
※英語wikipedia:The Vampyreの記事からの孫引き
(15) エリック・バトラー「よみがえるヴァンパイア」:松田和也・訳/青土社(2016) p.19
(16) ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」:平井呈一・訳/創元推理文庫(1971) p.549
~最初の吸血鬼・ルスヴン卿の特徴~
- 民間伝承の吸血鬼とは違い、夜会服に身を包む高貴な貴族にした
- 色白で、男すらを魅了する美形
- 目は死人のように冷たく、睨まれると恐怖に陥る
- 美女の生き血を好む(但し、処女に限定しない)
- 首筋から血を吸った初めての吸血鬼(但し、牙はまだない)
- 力が強いという設定を初めて持ち込んだ吸血鬼
- 今の吸血鬼らしい弱点はなし。昼間も普通に活動している
- 耐久力は普通の人間と一緒、ただし死んでも月光を浴びれは復活する
- ホモゲイセクシュアル疑惑
【民間伝承の吸血鬼とは違い、夜会服に身を包む高貴な貴族にした】
【色白で、男すらを魅了する美形】
【目は死人のように冷たく、睨まれると恐怖に陥る】
まず今の吸血鬼のイメージを聞くと、「貴族服を着ている」「高貴な種族、あるいはそう自負しており、人間たちを見下している」などといったイメージがあるだろう。そして男なら非常に美形、女の吸血鬼なら妖艶に描写されることが多い。冷酷なイメージを付与されることもある。だが民間伝承に伝わる吸血鬼とは、魂だけで活動する幽霊みたいな存在だったり、墓場から死体が蘇り生者の生き血を求めたなど、言わば「ゾンビ」みたいな存在だった。それを今日よく知る「貴族服をまとった高貴な存在」「冷酷な存在」「類まれなる美貌を持つ」という設定を初めて取り入れたのが、吸血鬼ルスヴン卿である。吸血鬼の代名詞的存在であるドラキュラ伯爵は、もじゃもじゃとした毛、わし鼻を持った男くさい容貌を持つ。むしろ当時の典型な犯罪者面にしており、イケメンどころか読者に嫌悪感を抱かせるようにしている。つまり今の創作の吸血鬼は、少なくとも外見面だけに関して言えばドラキュラではなく、ルスヴン卿の亜流でしかなく、悪く言えばそこから脱却できていないということになる。
実際の物語であるが、ルスヴン卿は主人公を恐怖に陥れるために主人公の妹と結婚、完膚なきまでに主人公の心をへし折った挙句、怒りによる脳溢血で死なせ、妹はただ無残に血を飲んで殺すという、非常に後味の悪い結末を迎える。このように貴族的で冷酷な吸血鬼が生まれたのだが、ルスヴンはまだ「黒いマント」を羽織ったりはしていない。
上記はステレオタイプな吸血鬼の画像。
ルスヴン卿は今のステレオタイプな吸血鬼とは違って、黒マントまでは羽織っていない。黒マントを羽織りだすのは、もう少し先の作品からである。それは後日別の記事で解説しよう。
【美女の生き血を好む】
現在の男の吸血鬼と言えば美女、それもとくに処女の生き血を好むというイメージがあるだろう。上記作品年表のポリドリ以前の作品では美女を襲う者はいないどころか、まず実際に血を吸った描写がされたシーンすら皆無なものも多い。そんな中「美女を襲って血を吸う」という、吸血鬼の定番を始めたのもルスヴンからだ。ただしルスヴンは、今の創作によくみられる「処女の生き血を好む(あるいは処女に限定)」という設定はない。貞淑な人妻は襲っていた形跡がある。阿婆擦れ女を嫌っているだけのようだ。ただし、このポリドリの「吸血鬼」から触発されて作られた劇作品などでは、処女の生き血の設定が既にみられる。ここら辺の事情は、後日別の記事で解説する。
【首筋から血を吸った初めての吸血鬼】
民間伝承の吸血鬼の血の吸い方は、地域や時代にもよるが、心臓から血を吸ったに違いないとか、昼間人を襲って耳たぶを噛んで血を飲んだというもの。これは、心臓に杭を刺したら、血が勢いよく噴き出た→これだけ血が出てくるということは、血が詰まっている心臓から飲んだのだろう!という憶測によるものだ。実際は中途半端に腐敗してメタンガスが溜まった状態で体に穴をあけたため、メタンガスとともに勢いよく血が噴き出ただけだ。ポリドリの吸血鬼以前の作品も、どのようにして血を飲むのかは、具体的に描写された作品は見当たらない。
今日よくみられる「首筋から血を吸う」というのが吸血方法のスタンダードであるが、そんな設定を最初に取り入れたのもポリドリだ。ただし今の吸血鬼のように「吸血鬼の牙」はなく、首筋を食いちぎって飲むという、非常に荒々しいものである。だからルスヴン卿に血を吸われるということは、即ち絶命することと同じだ。当然、血を吸われたものが吸血鬼化するという設定は、ポリドリの「吸血鬼」にはない。
吸血鬼の牙、吸血鬼に血を吸われたら吸血鬼化するという設定が出てくるのも、もう少しあとの作品からになる。詳細はその作品の記事にて解説する。
今ではコスプレ用の吸血鬼の牙が簡単に購入できるようになっているが、牙は吸血鬼の歴史から言えば、後付け設定である。
【力が強いという設定を初めて持ち込んだ吸血鬼】
吸血鬼と言えば、純粋に力(腕力)が強いという設定がある。吸血鬼の代名詞ドラキュラ伯伯爵は、凄まじい握力でジョナサン・ハーカーの手を掴んだり、土の入った木箱を軽々と持ち上げていたりする。近代の創作になるともっと凄まじいことになっている。漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の第一部では、まだ人間だったころのDIOがちょっとパンチをかすっただけで骨が折れてしまい、吸血鬼の凄まじい腕力に恐怖するシーン他、吸血鬼の腕力の恐ろしさがこれでもかというぐらい描写されている。漫画「HELLSING」4巻でも、幼少時のインテグラが父から「吸血鬼が何より恐ろしいのは、その純粋な力、人間をボロ雑巾のように引きちぎる(要約)」と教わっている。このように現代の創作でも「吸血鬼は力が強い」という設定が取り入れられているが、それを創作史上初めて取り入れたのもポリドリである。
では当のルスヴン卿の腕力だが、成人男性を片手で軽々と持ち上げて投げつけるということをしている。またラストシーンでは、恐ろしい力で手をひねり上げるという描写もある。現代の創作から見れば大人しい部類であるが、成人男性片手で持ち上げるなんて並大抵の成人男性では無理な芸当なので、十分人間離れした力を持っていることが伺える。
民間伝承の吸血鬼では、すごい力で押さえつけられたという伝承が残る地域もあるようだ。マシュー・バンソンによれば、海外では吸血鬼の力について色々研究されているらしい。そして吸血鬼の力の設定は、小説家が頭を悩ませる問題でもあると述べている(17)。
(17) 「吸血鬼の事典」 p.117
【今の吸血鬼らしい弱点はなし。昼間も普通に活動している】
吸血鬼と言えばその凄まじい能力と引き換えに、弱点が多いことでも知られている。吸血鬼の弱点と言えば、十字架、ニンニク、銀、日光などに弱く、心臓に木の杭を刺すことで殺せる。流水を渡れない、鏡に映らない。変わったものでは、物を数えだすと止まらなくなるというものも。冒頭で紹介したまとめスレを見てい行くと、最近の創作では日光浴びても平気な吸血鬼はおかしいとか、弱点のない吸血鬼なんて最強過ぎてつまらなくなる、といった意見もあるようだ。
だが最初の吸血鬼ルスヴン卿は、これといった弱点はない。十字架は恐れるどころか、終盤で教会で結婚式を挙げているし、昼間活動している描写もある。これはポリドリ以降の作品も一緒で、1847年の「ヴルダラクの家族」で漸く十字架を嫌がるシーン(あくまで嫌がるだけ)が出てくるほかは、ストーカーが参考にした吸血鬼カーミラで「讃美歌が苦手」といった描写が出てくるなど、弱点の描写は数えるぐらいしか見かけない。現在よく知られる吸血鬼の弱点が沢山付与されたのは、1897年のブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」からである。ではストーカーはなぜそれまでの吸血鬼作品にはほぼ弱点の描写がないのに、弱点だらけにしたのか。
実は民間伝承では、古くから吸血鬼対策法が伝わっている。ニンニクや十字架なんかはとくにポピュラーなものである(余談だが現代科学から見ればただの迷信だし、気休めである)。ブラム・ストーカーは図書館に籠って、ヨーロッパ各地に伝わる吸血鬼の伝承を調査、吸血鬼対策法をそのまま「吸血鬼ドラキュラ」に盛り込んだのだ。ストーカーはかなり丹念に調査したことが伺える。吸血鬼ドラキュラでは「吸血鬼は鏡に映ることができない」という特徴があるが、実は民間伝承の吸血鬼においては非常にマイナーな特徴である。吸血鬼専門のスタンダール大学ジャン・マリニー名誉教授は「鏡に映らないという特徴は、普遍的なものでない。ドイツ文化圏の一部地域だけ」(18)と述べているし、カルフォルニア大学ポール・バーバー博士も「(民間伝承の)吸血鬼は鏡に映らないとあるが、この伝統的な観念を仄めかしたものは2つしか知らない」(19)としている。「鏡に映らない」という本来マイナーな吸血鬼の特性は、ドラキュラが有名になったがために、吸血鬼の弱点として広く知れ渡ることになったのだ。
ただ1897年のドラキュラ出版より前の1840年代で既に、ニンニクや十字架といった吸血鬼の弱点は、西欧の富裕層あたりには知れ渡っていた形跡がある。実は1840年代には、東欧を旅行する西欧の富裕層向けに「吸血鬼退治キット」なるものが販売されていたのだ。
参考:カラパイアより
アメリカのアンティーク博物館に展示されている吸血鬼退治キット一挙公開
19世紀半ば、東欧で大真面目に販売されていた吸血鬼殺戮グッズシリーズ
カラパイアの参照先
Real Vintage Vampire Killing Kits (38 pics)
Vampire-killing kit
Vintage Vampire Killing Kits at Ripley’s Museums
どのキットも十字架やピストルは大体ついていたようだ。ただしピストルの弾は銀ではない。注射器のようなものは、吸血鬼退治用のニンニク注射らしい。当時注射器は珍しいものだったため、自慢アイテム的な立ち位置にあったようだ。以上から分かるように、吸血鬼小説が流行りだした1800年代中頃では、「十字架」や「ニンニク」といった吸血鬼の有名な弱点はある程度知れ渡っていた形跡がある。だがストーカー以前の創作家たちは、そんな吸血鬼のポピュラーの弱点はまるで無視している。若しくは単純に知らなかったか。杭で吸血鬼を退治する話は1827年の「ラ・グズラ」、1847年の「ヴルダラクの家族」ぐらいだろう。十字架に関して言えば、同じ「ヴルダラクの家族」で、ようやく十字架を嫌がる描写があるぐらいだ。今の吸血鬼の特徴ではあるが、「弱点だらけ」といった感じでではない。このようにストーカーが「吸血鬼ドラキュラ」にて、弱点に関しては元に戻したと言えよう。その意味では、ドラキュラ伯爵は吸血鬼の元祖と言っていいのかもしれない。
ただ原作小説の「ドラキュラ」は今日有名な「日光を浴びると灰になる」という設定はなく、昼間普通に出歩いていたりする。この日光を浴びると灰になるいう弱点は映画から始まったものである。「日光浴びて平気な吸血鬼はおかしい」「日光が平気な吸血鬼って、最強厨かよ」などと思う人がいるようだ。また反論として「今は吸血鬼は日光が弱点なのがあたりまえ、だからそれを変えるな」という意見も見かけたことがある。場合によっては吸血鬼の創作をしている作家に対して、SNSでおかしいなどと批判する人もいるようだ。だが吸血鬼の歴史を見ていけば、むしろ「昼間歩く吸血鬼」の方が先であり、日光の弱点が後付け。何もおかしくはないのである。これを批判するのなら、オタク層が好む「真祖」の設定も当然批判しなければならなくなる。なぜならこんな設定は近年の日本で生まれた設定だからだ。このように吸血鬼の設定に対しておかしいなどと言った時点で、その人は吸血鬼の歴史を何も学んでないことを露呈させてしまっている。
【耐久力は普通の人間と一緒、ただし死んでも月光を浴びれは復活する】
さてルスヴン卿は弱点らしい弱点はないが、耐久力は普通の人間と同じだ。物語中盤で肩に銃弾をうけて、傷口が化膿したことにより命を落としてしまう。今の創作の吸血鬼だと、超常な耐久力だったり修復能力を持ってたりするが、ルスヴンにはそんな設定はない。
だがルスヴンは、死後月光を浴びると復活するという特性がある。物語では、死の間際に自分を襲った盗賊たちに「もし自分が死んだら、遺体を月光が降りかかる場所に安置してくれ」と頼んでいる。月光を浴びて復活したルスヴンは、主人公オーブレーを執拗に追い詰め、恐怖のどん底へ突き落す展開へと発展する。
ペンシルバニア大学・ニーナ・アウアーバッハ教授によれば「(ジェイムス)プランシェの「吸血鬼」以降、少なくとも50年間は、月光は吸血鬼の復活の象徴であったと述べている(18)。ジェイムス・プランシェとはイギリスの劇作家だ。ポリドリの「吸血鬼」がヨーロッパ中で大流行、そのポリドリの「吸血鬼」を原作とした劇「島の花嫁」という劇を作り人気を博した。この「島の花嫁」でも吸血鬼は一旦死んだあと、月光を浴びて復活している。この時期にポリドリの吸血鬼を元に作られた劇やオペラでは、「吸血鬼は一旦死ぬが、月光を浴びて復活する」という設定を取り入れている作品がいくつもあったようだ。1819年のポリドリの「吸血鬼」以降の作品で言えば、1847年の「吸血鬼ヴァーニー」でも、月光による復活の設定が使われている。というかこのヴァーニーという吸血鬼は、作中では何度も死ぬのだが、その度に月光を浴びて復活している。むしろ当時の読者は、ヴァーニーがどのように死ぬのか楽しみにしていたとか。
以上から分かるように「月光を浴びると復活する」という設定が吸血鬼にはあったのだが、50年ぐらいで廃れていったようだ。確かに今の創作で月光を浴びて復活するという作品は見かけることはない(少なくとも筆者は知らない)。ここで一つ疑問なのが、アウアーバッハ教授はなぜポリドリの「吸血鬼」から50年とせず、その派生作品であるプランシェの「島の花嫁」から50年としたのか、その理由が不明。もし何かわかる方はぜひご一報ください。
(18) Nina Auerbach(1995):Our Vampires, Ourselves(Googleブックスのサンプル参照)
英語wikipedia”Vampire literature”の記事にも転載されている。
【色白で、男すらを魅了する美形】【ホモゲイセクシュアル】
今日では同性愛、というよりボーイズラブ(BL)と吸血鬼の相性は良いようで、探せばBLものの吸血鬼作品が商業・同人問わずある。最初の吸血鬼ルスヴン卿は、そんな同性愛的な要素を持った最初の吸血鬼でもある。平井呈一は吸血鬼ドラキュラの巻末解説で「ポリドリのルスヴン卿にはホモ・セックスの匂いが感じられる」(19)と述べている。実際には女にも手を出しているので、エモリー大学のエリック・バトラー博士は「主人公オーブレーとルスヴンの間には奇妙な関係、つまりバイセクシュアルな関係が推測できる(要約)」(20)と述べている。どちらにせよルスヴン卿は、男すら魅了するゲイセクシュアルな面もあることは間違いない。ただ私の個人的な感想だが、実際の物語を見てもルスヴン卿にゲイな面は見いだせなかった。以前私は物語をゆっくり劇場にしてニコニコに投稿したが、そこでも「ゲイ要素ってあった?」というコメントをいくつか頂いた。ただ、ルスヴン卿にゲイ要素があると思うと言う人をSNSで見かけたこともある。今の創作と比べると同性愛の描写が直接的でなく薄いことと、個人の主観にも左右されるだろう。ともかく最初の吸血鬼は、(バイ)ゲイ・セクシュアルの性質を持っていたことが伺える。
(18) 平井呈一訳「吸血鬼ドラキュラ」 p.552
※平井は「ホモ」という言葉を使っている。当時の時代性の考慮と平井の言葉を正確に伝えるため、修正はしない。
(19) 「よみがえるヴァンパイア」 pp.23-24
以上が最初の吸血鬼・ルスヴン卿の主な特徴である。弱点など、今の創作の吸血鬼とは違う点も多々あるが、それでも「貴族服を纏い、非常に美形でカリスマな存在」「時には男すらも虜にする美貌を持つ」「冷酷」「力が強い」「首から血を吸う」などといった、今の創作の吸血鬼で、まず取り入れられる設定を持っていることが分かる。エリック・バトラーが言うようにまさに吸血鬼のプロトタイプだ。吸血鬼を語るには、まず何よりもこの作品を知らないことには始まらないことが、これで分かって頂けたかと思う。それでは作者のポリドリのこと、実際の物語の内容、当時の流行と他の作品に与えた影響などを解説していこう。
ということでまずは早速作者のジョン・ポリドリについて解説していきたい…のだが、彼を語るには、まずある人物のことを詳細に語らないといけない。その人物とは、詩人のジョージ・ゴードン・バイロンである。バイロン卿を語らずしてポリドリや彼の小説「吸血鬼」は語れない。それほどまでにバイロン卿は吸血鬼の歴史上外せない存在だ。
私は何度も「ポリドリの吸血鬼は吸血鬼界隈では常識」と言ってきたが、実はポリドリの吸血鬼が作られる経緯自体も、彼の作品が吸血鬼の常識たる所以を生み出している。むしろ実際の小説よりも、この経緯の方が面白いとすら私は思っている。
ということで次回の記事では、そのポリドリの吸血鬼がなぜ生まれたのか、なぜ作られた経緯が吸血鬼の常識となりえるのか、それを解説していこう。
次回更新は未定。かなりかかると思います。
吸血鬼の文学年表で紹介した「ドラキュラ以前の吸血鬼文学」で、日本語訳が読める書籍の紹介記事は、近日中に投稿予定です。
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【吸血鬼の元祖解説】吸血鬼ドラキュラ(1897)以前の、吸血鬼小説が読める本一覧と簡単な解説
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