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「知らない」を知る興奮と「知ってるはず」をもっと知る快楽が得られる『驚きの世界史』

歴史の面白さは、つながる快感にある。

知っていることと知らないことがつながるとき、強く快を感じる。歴史研究から得られた知識と、本や映画やニュースで感動した経験が接続されるとき、「エウレカ!」と叫びたくなる。

『驚きの世界史』は、こうした経験と知識を繋げてくれる。

History

 

「漢族」は人工的な民族集団

いちばん驚いたのが、漢族という概念だ。

本書によると、中国人の91%が漢族で、残りの9%が55の少数民族に分かれる。9割以上が同一の民族というのは、大きすぎやしないか? 北京語と広東語は英語とイタリア語ぐらい違うと言われるし、文化や風習もまるで別物なのに、漢族で括られる。

では、そもそも漢族とは何か? この解説が面白い。漢族とは、特定の文化や言語、風習、外貌とは関係がなく、長い歴史的過程を経て、様々な民族集団が政治的に統合された人工的な集団だという。そして、その核となるものが、「中華」という世界観になる。

そして、中国の歴史とは、この「中華」の拡大の歴史だというのだ。

すなわち、中華とは異なる存在を夷狄とし、夷狄を中華に同化させ、物理的に領土を組み込んでゆく。たとえモンゴルや女真に征服されても、むしろ異民族がこの世界観に同化される。征服や入植により、満州や雲南、台湾が中華世界の中に組み込まれ、チベットやウイグルが組み込まれようとしているのが、現代になるというのだ。

この解説で腑に落ちる。

チベットやウイグルを弾圧する中国政府は、テロの脅威を主張する。だが背景には、夷狄を中華世界に組み込もうとする行動原理があるのかも……と考えると、驚くとともに歴史とニュースが繋がる。

発射装置としてのピラミッド

自分が見聞きした経験と、本書のエピソードが繋がるのも快感だ。

先日、国立科学博物館の [ミイラ展] を見てきたのだが、本書で紹介されるエジプトのミイラとピラミッドの関係がまさにそれだった。

ピラミッドが建設された目的としては、王の墓説や公共事業説が有名だが、本書では、古代エジプトの死生観から解き明かす。

当時エジプトでは、死者の霊魂はオシリス神と合一し世界に秩序をもたらす存在となって復活すると信じられていた。そのための物理的な肉体として必要なのがミイラだという。

そして、異常気象や星辰の乱れを正すため、神と合一した霊魂を宇宙に向けて発射するための装置が、ピラミッドだというのだ。「ナマのミイラをこの目で見た」という興奮と、「ピラミッドは魂の発射装置」という学説がつながる。

キリスト教徒は狂信者?

さらには、シェンキェーヴィチの『クオ・ワディス』を読んだときの違和感について。古代ローマを舞台にした傑作&徹夜本だが、現世主義で現代的とも言えるローマ人に比べ、キリスト教徒が完全に頭のいかれた狂信徒のように描かれており、そのコントラストに目を奪われた。

キリスト教徒が迫害を受けたことは知っていたが、皇帝ネロのプロパガンダを差っ引いても、ローマの世論がそれを是としていたのはなぜだろうと疑問に感じていた。

これを、ギリシャ・ローマの「市民共同体」の流れから説明する。古代地中海では、まず共同体が第一であり、兵役や納税、お祭りや礼拝といった義務を果たし、自分たちの共同体を守る必要があった。

しかし、突如現れたキリスト教徒は、そうした義務や行事を、「神の名のもとに」拒否しはじめる。ローマ市民からすると、自分たちの社会を脅かす「異物」が増殖していくような恐れを抱いたかもしれない。その上、禁欲を誇り迫害されても喜んで殉教されたがるキリスト教徒は、享楽的なローマ人の理解を超えていたというのだ。

なるほど、だから小説ではあんな風に描かれていたのか! と腑に落ちる。夢中になって一気読みをしたときの興奮と、目の前の知識がガチリと繋がるのが楽しい。

知識どうしがつながる快感

自分の経験と、本書で得た知識が繋がる快楽に加え、本書の中でも知識同士がつながるのも楽しい。

古代から現代に渡り全50章で構成されているのだが、各章ごとにテーマが区切られたブツ切りではなく、それぞれがつながりを持つように構成されている。

古代ギリシャやローマ帝国の強さ、そしてキリスト教の始まりといったそれぞれの事象は、各章を跨る「市民共同体」という概念がつなげてくれる。歴史を学べば学ぶほどイギリスが嫌いになるのが常だが、本書ではイギリスの強さと悪賢さを、「国家に黙認された海賊」という糸口から解き明かしてくれる。あと、地域と時代に限らず広範に流通する富が「銀」であるのは興味深い。

こうした、地域や時代を横断して見る概念や視点を得られたのが嬉しい。「知らないことを知る」悦びと、「知ってることをさらに知る」快楽を得る一冊。

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