灼熱の地球が誕生した時には生命はなかったと思いますが(おそらく)、その後
数十億年をかけて、生命体は絶滅するものはし、進化するものはし、現在の生
態系がつくられました。
また、ずっと身近な話では、我々は生まれてから現在に至るまで性格は不変と
しても、肉体的に、精神的に、知性的にも変化をし続けこれからも変化をし、
死に至るわけです。
この「変化」ということについてですが、「どのように」変化してきたか、は
科学や経験から人類は様々認識していますが、「何故」そうなったか、つまり
「変化」というものの本質は何か?という問いについて、次のような考え方が
あると思います。
①「変化」という形而上的な、法則のような、実在がある。
②物質の中にそういう性質がある。
③すべて、偶然の産物である。
その他にも色々な考え方ができると思いますが、皆さまはどのようにお考えでし
ょうか?
また、その結論に至った経緯を教えていただけると嬉しいです。
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A 回答 (27件中1~10件)
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No.27
- 回答日時:
no.21です。
「不変」は存在していますよ。
例えば、誕生時に二つ眼球を持った人間がある日を境に八つ眼球を持つようになることはありませんよね?
しかし、外国人などに多いのですが、髪の色が金髪から成長とともに茶髪へ変化することは起こります。
これは遺伝上可能な変化だからですね。
「不変」と「変化」の一部です。地球という自然界の「法則」に従って不変と変化を繰り返しているのです。
ただ、ここでいう「不変」は永久ではないわけです。永久は無限に属するものであって、有限のものにはすべて当てはまらないわけですね。ですから、人間の用いる「永久」は表現に過ぎないのです。
ーー相反するものが存在する理由が有限性に繋がる
というのは、「法則」に従ったサイクルによって宇宙も地球も成り立っているからですね。
有限には法則があり、「法則」には必ず矛盾が生じている。この矛盾は相反するものが同時に存在することによって起こるわけですが。矛盾はけして悪いものとは限らず、シーソーのように相反するものの微妙なバランスによっては維持されることもあるのです。
地球が太陽に飲み込まれないのもその為です。太陽の引力と地球の位置、自転・公転などによって今は力が相殺されているに過ぎないのです。もしも、この先、地球の位置が太陽に近づいていくと、恐らく太陽の引力に負けて地球が強く引っ張られてしまう可能性があるわけです。
ですから、遠くで起こる惑星同士やブラックホール同士の衝突によって起こる重力波によって地球が受ける影響はあるのかということも、科学者は研究しようとしているわけです。(科学者たちは同時に発生する複数の矛盾を考慮しながら、長い歳月事実を解明しているのですよ。脱帽しますね)
ーー偶然の中に必然があり、必然の中に偶然がある
先の話の通りです。私たちが見えていない・知らないだけであって、すべての物事は同時に法則に従って不変と変化を繰り返しているので。多くの相反する連鎖の中で「起こる」ことは事実です。その事実からは逃れられません。
「偶然の中に必然があり、必然の中に偶然がある」というのは正しいのです。
No.26
- 回答日時:
エントロピーついてです
簡単にご説明すると
エントロピーが増える=乱雑さ増えるとは
元々の状態から新たな状態(パターン)が生まれる事です
エントロピーが減る=乱雑さが減るとは
元々の状態に戻る事です
上記を水温の例に当てはめると
異なる状態(温度)の水を一緒にしてもそれぞれの水の状態(温度)が変わらなければ新たな状態(温度)が生みだされていないので
エントロピーは変らない=乱雑さが変らないとなります
しかしながら実際には温度が高い水の熱エネルギーが温度が低い水に流れ結果として温度が高かった水の温度が下がり、温度が低かった水の温度が高くなって温度が均一になります
よって元々は温度が異なる二種類の水が温度が均一となって一種類の水に変わりました
ですからエントロピーが増える=乱雑さ簡単に増えるとなります
温度は関わっています
エントロピーのご説明て水温の例は分かりづらかった様なので別の例えで説明させて頂きます
例えば食べ物が「腐る」です
元々は腐っていなかったのが腐ったのですから新たな状態(パターン)が生まれました
よって食べ物が「腐る事」はエントロピーが増える=乱雑さが増えるとなります
No.25
- 回答日時:
質問者さんの仰っているとおり「量子の不確定性」とは量子(素粒子)の状態が波動の状態か粒子の状態かを正確に予測するのは不可能です
この事を納得できなかった相対性理論の提唱者故アルベルト・アインシュタイン氏と量子論の提唱者故ニールス・ボーアと論争しました。これが有名な「アインシュタインとボーアの論争」です
アインシュタイン氏の主張は
「月は観測してもしなくても存在する」
それに対してボーア氏は
「月が存在する事をどうやって確認するのか?」
それ対してアインシュタイン氏は
「観測すれば分かる」
それに対してボーア氏は
「月が存在するかどうかは観測しない限りわからないと言うことですね」
それに対してアインシュタイン氏はボーア氏の主張を科学者として飲まざるを得ませんでした
「アインシュタインとボーアの論争」では 最終的にアインシュタインの主張はボーア氏によって論破されました
アインシュタイン氏は量子論を認めざるを得ませんでした。
以上かが「人間原理」につながったのです
物理的に存在する事を証明するには観測される必要がある事から「宇宙」が「宇宙自身」存在する事を証明するには「宇宙」を観測するものが「宇宙」にとって必要だと言うことです
質問者さんは「人間原理」を物理学者がいかに哲学を意識しているかと思えると仰っている事についてはそれを提唱した科学者がそれに関するコメントを出していないので何とも言えません。
物理学者が「人間原理」を提唱した大きな科学的な理由は
生命体が誕生しそれが進化して知的生命体が誕生した事実を科学(物理学)で説明出来ないからです
言い換えるなら「人間原理」は上記の説明できない事実に対する物理学者のまさに「苦肉の策」です
No.24
- 回答日時:
最近、こんな風に考えています。
例えば、物語を描きながら、その物語を生きる。
そう言う自発的な創造力、創造性があった。
物語が完成した時に、初めてその物語の意義と意味とが、それを生きる事によって理解される。物語を描いている途中には、生きている途中には、その結末も分からず、その意味と意義の理解も完全にはならない。
予定調和では決して無く、かと言ってランダムでも無い。未来は確定していないけれど、物語は完成に向かって、描いて行く。
つまり私たちは、未だかつて語られた事の無い物語を生きているのであります。
最近、大きく自分の思考が再編されました。切っ掛けは具体的に何かと言えば、気付き、アイデアの積み重ねが、ある地点を超えて変質したからかも知れません。毎晩、眠る前に必ず一つ以上の気付き、発見、アイデアがあります。その様な生活が数年続いています。
求めているから、見つけられる。
創造とは、求めている"何か"を、具現化する為の動力でありプロセスなのかも知れません。
誰が何を求めているのか?
求めている者はおらず、求める先も無いのであるが、無いと言うことは、全てに開かれいる故に、無尽蔵である故に、求めている者は数え切れず、求める先も重ねて数え切れないのであります。
しかしそんな中で、人は人に最も相応しい結末を知る事ができ、それを"道"と言うのだと思います。道=理 とは、自らで整えて、自らで浄めて、自らでものにして、自らで落ち着くものでは無いかと思います。
物質も、言葉も、この身体も、言ってしまえば 道=理 を体現するための道具のようなものです。物語を描くのに、紙とインクと言葉が必要な様に。
同じ様に、求法者は空を行じて道理を現す。
あらゆるものを手立てとして、ただ一なる道をゆくその人を、出世間の人と言うのかも知れません。
人は、人生を通じて人を描くことで、人を知る事ができるのかも知れませんね^_^
私も20代・30代の頃は、自分探しというか、物語を描こうとしていたと言って
いいと思います。
その頃は社会的に「良い位置」にはいなかったし、輝かしい未来も感じることは
できなかったですね。でも、心の中には漠然としていたけれど確かな思いがあっ
て、それを現実に当てはめようと自分なりに必死ではありました。
特に30代の時は、よく映画を見たし、酒を飲んで人と話しましたね。
今にして思えば、悩んで当然でしたし、ずっと悩んでよかったなと思います。
人生難しいのは、どうなるかわからんということです。頑なになってもいかんし、
流されてもいかん。
No.23
- 回答日時:
科学も哲学も分かりませんが、私のイメージでは、変化とは世の中の法則ですね。
その変化した結果をどう評価するのか(良い変化だったか悪い変化だったのか)は人間の自然な営み。
中でも、人間の営みのイメージが強いものもあります。例えば、文化が変化するとか、文化を意図的に変化させるとか、文化を変化させずに保護するとか、これらも人間の自然な営みに感じます。
考えに至った経緯は、人間というか生命が存在しようがしまいが変化自体は起こる事、釈迦が諸行無常を説いたと習ったことが要因でしょうか。
人類が自らの文明・文化に起こす変化は、権力者による「大きな変化」と、
庶民による「ゆるい変化」の二つがあると言えると思います。
前者は、大変に意図的というか欲望的なもので、自然とは思えないという印
象です。
No.21
- 回答日時:
すべての物事にいえることですが、常に相反するものが存在しているということが本質にあるのだと思います。
「変化」であれば「不変」が存在する。
「進化」であれば「退化」が存在する。
しかし、「変化」や「進化」が繰り返すと継続がなされるけれど、「不変」や「退化」が繰り返されると消滅する。
ここでも二つの相反する事柄が存在しているわけです。
なぜこのように相反するものが同時に発生するという矛盾が起こるかと言うと、私たちの生きている地球も宇宙でさえ「有限」であるからです。
生物には寿命があり、地球という惑星にも寿命があり、恐らく宇宙にも同じ寿命があるのでしょう。
「有限」である以上、「変化」や「進化」しなければ消滅するわけです。
ですから、③が正しいのではないかと個人的に思いますね。
ただ、偶然の対義語は必然でもあるわけです。相反するものが同時に存在している以上、それもまた必然であるということでもあるわけですね。
個人的な結論としてはなにもかもが紙一重だと思います。
「進化」と「退化」はともに実在するものですが、「不変」というものは
概念では存在しても、実在するものなのか?
仮に実在するとしても、相反する二つのものが同時にあるということが、
何故宇宙の有限性につながるのかが分かりません。
偶然の中に必然があり、必然の中に偶然がある、だから人生は運命なので
ある、と言った哲学者がいましたが、偶然と必然が同時にあるから必然で
ある、ということも今一つ頷けないですね。
No.19
- 回答日時:
オマケです
質問者さんがある回答者さんの回答に対するご返答の中で
「太陽系が出来る確率〜何らかの意志があったとしか考えられない」との記述に関する話です
物理学において提唱された中に「人間原理」と言うのがあります
「人間原理」とは簡単に言えば
宇宙が宇宙自身の存在(実在)を証明するには宇宙を観測する者が必要となります。
その為宇宙が宇宙自身を観測する者が出現(誕生)するよう宇宙自ら進化した。と言うことです。
「観測する者」とは人類の事です
生命体が誕生しそれが進化しその中から人類が誕生したのは上記通り宇宙の存在証明として宇宙を観測させるためと言うことです
よって上記に記されている「何らかの意志」を「人間原理」に当てはめるならそれは「宇宙の意志」となります
「人間原理」というものが物理学において提唱されているということは、
物理学者がいかに哲学を意識しているかということのように思えます。
No.18
- 回答日時:
エントロピーについて
エントロピーを簡単に説明すると
温度の違う二種類の液体を混ぜると温度が高い液体が持つ熱エネルギーが温度の引くい液体に移りそれによって両方の液体の熱エネルギーが均一になりよって両方の液体の温度が均一になります。
よってもともとは温度が違う二種類の液体が温度が均一の一種類の液体に変化します。
新たな状態(温度)が生まれるのです
これをエントロピーが増える=乱雑さが増えると言います
逆に温度(熱エネルギー)が均一化された液体のどちらかの一方の熱エネルギーがそれ以外の液体に移り結果としての温度(熱エネルギー)が違う二種類の液体に戻る事をエントロピーが減る=乱雑さが減ると言いますがこの現象は自然では起きません。
これを「不可逆性」と言います
エントロピーは「不可逆性」によってエントロピーが増える=乱雑さが増える事はあってもエントロピーが減る=乱雑さが減るという現象は自然では起きないのです
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生命体の進化的変化ということだけでなく、宇宙のあらゆるものの変化という風に
捉えていただいて結構です。
生命の誕生ということも「変化」と考えてよいかと思います。