きのう、義実家に行ってきた。



壱岐島に引っ越す前の挨拶にね。






前に、記事にしたことがあるんだけど、


私はお義母さんとうまく関わることができなかった。



私なりにがんばったんだけどさ。



実家の長男の嫁として、いつでも太陽のように笑顔で振る舞おうとすればするほど、無理してる自分を隠せなくなっていった。



よくしてくれるお義母さんに、波風立てないように関わろうとすればするほど、価値観の違いに苦しんで、自分に嘘をつかせてきた。



でも、私は疲れてしまった。



もう自分に嘘をついて生きるのはやめようと思った。








そんな自分自身を発信し始めた。



そしたらきのう、

「ゆたにの名前で、おしっこ飲んでるだとか、スピリチュアルなことを書いたりとかだけはやめてほしい!」

と言われた。



そりゃね、飲尿療法はマイノリティだと思う。
スピリチュアルっていうか、私の内面を公開しているだけ。



でももう、その言葉の向こう側には、世間体や周りの目を気にしていることが私にはわかってしまうから、何も言わなかった。



そしたらさ、お義母さんの中でどんな変化があったかわからないけど、

「今まで良かれと思って色々言ってきたけど、もう言いません。呪縛は解きますから。許してとは言わないけれど、今までごめんなさい。」

と言われた。



泣きながら言うお義母さんに、私は何も言えなかった。



私はその空間にいることが、すでに緊張だったから、私が何を感じているのかわからなかった。



あとから、フツフツと、グラグラと煮えたぎる思い。



それは、お義母さんへの「復讐心」だった。



誰かに復讐したいなんて、今まで生きてきて思ったことなかったから、この暴れ狂う感情がなんなのか全くわからなかった。



育った実家で抑圧しながら育って、大人になって悩みながら自分と向き合っているところに、また実家のと同じように抑圧を受けるという二重苦。



「私を苦しめた」という責任の矛先がお義母さんへ向いたのだ。



謝ってきたお義母さんに、許してやるもんかって思った。もっと苦しめばいいって。



でも、そのとき、気付いた。



私の「苦しめられた」って、自分が被害者だって思ってるからじゃんねって。



変えられないと思っている生い立ちのせいにして、二重苦を味わせやがってって、どんだけ被害者になってんの??



その生い立ちを分解するとさ、親もそうするしか仕方なかったんだってことがわかる。



自由に、自分らしく表現して生きている子どもの私を見て、戦後教育で押し付けられた価値観で育った親は、教えられたように私に躾をした。



そのときは、それが良いと思ってやってたんだ。



無意識だけど、自由な子どもを見て、躾という嫉妬の抑圧をしてたんだよね。自分はそうしたくてもできなかったから。







そして、大人になり。



実家に嫁いだことで、妻・嫁・母という同じ肩書きを持った私に、お義母さんは世間から後ろ指を指されないように躾けてくれようとした。



でもそれは、「本当は私らしく生きたい」という気持ちの裏返し



同じ肩書きを持つ私が、自分らしく自由に生きる姿を見て、嫉妬した表れだった。



嫉妬は、その人の中に同じ輝きを持っている証だよ。



だから、私はもう他人の嫉妬では悩まないし、苦しまない。






こんなこと書いたら、また、怒るだろう。



口出ししないと言った以上、もう見ていないかもしれないけど、私は私らしく生きることで、たくさんの人に影響を与えられる人になりたいと思っています。



湯谷家には、いい影響をもたらさなかったかもしれない。湯谷家の求めるような人間になれなくて、嫌な思いをさせたり、迷惑をかけたかもしれない。



だけど、たくさん見守っててくれて、本当にありがとうございました。と思っています。



自分が生きたいように生きるということは、自分にそぐわなくなったものを壊すということも含んでいる。



身内の理解は、最大の応援となり得るし、
身内の抵抗は、最大の足枷となり得る。



今まで選んだ経験がない選択をするのは、怖い。
今この瞬間は、間違いのようにも思えるし、正解がどれかわからないのが気持ち悪くて暴れたくなる。



でも、そんな気持ちも全部見て、受けとめて、見えてきた自分の思いを、私は尊重するよ。



世界は大丈夫でしかないから。



理解されないことを理解して
理解されないまま突き進め。


人と同じ、なんてものはひとつもない。



今は理解されないことをわかっているから、
私らしく、そのまま進んでいきます。



それが、私の理解であり、感謝です。