20世紀のなかばに、リースマンという社会学者が時代ごとのメンタリティの変化についてまとめたことがある。
それによると、産業が成長途上の社会の人々は、地元の共同体の年長者からインストールされた規範意識を行動原理として生き(内部指向型人間)、産業が成熟しきった社会の人々は、同世代の他人から承認されることを行動原理として生きる(他人指向型人間)のだという。
この分類でいうと、昭和以前の日本の若者は内部指向型人間に近く、1980-90年代の日本の若者は他人指向型人間に近い。
では、現代の日本の若者にも、この分類が当てはまるだろうか?
Facebookでは上司の投稿に「いいね!」をつけ、Twitterの鍵アカウントでは日頃の鬱憤を愚痴り、Instagramには見栄えの良い写真をアップロードする――そういう生活が当たり前になった現代の若者も、他人からの承認を行動原理としているという意味では、他人指向型人間に分類できるだろう。
しかし、「自分らしさ」や「自己実現」にはこだわらず、アカウントごとに違ったキャラを立てることに躊躇しない、いまどきの若者には、20世紀風の、ひとまとまりの自己像が想定しにくい。
一昔前の感覚で、たとえば、Twitterの鍵アカウントが『本当の自分』で、他は演じられた『ペルソナ』などと解釈しようとする人もいるかもしれない。
だが実際は、上司にあわせて「いいね!」するキャラも、Twitterで愚痴るキャラも、Instagramで見栄え良く振る舞うキャラも、バラバラではあっても自分自身なのではないか。
個人のアカウントやキャラがいくつあっても、多重人格や人格崩壊に陥るでもなく、メンタルのバランスを保っていられるのが、いまどきの若者のメンタリティではないだろうか。
小説家の平野啓一郎さんは、『私とは何か――「個人」から「分人」へ』という書籍のなかで、その場その場で最適に振る舞う「分人」というモデルを提唱している。
場面やアプリやアカウントごとにキャラを切り替えて、それぞれの場に適応していく若者には、ひとまとまりの「自分」や「自己」は必要ない。
それでも彼らは、オンラインでもオフラインでも、場や空気にあわせてキャラを切り替えて、全体としてはメンタルのバランスを維持することができる。こういう「分人」的なモデルのほうが、いまどきのメンタリティの特徴を掴みやすいように思える。
子ども時代からガラケーやmixiに親しみ、空気を吸うようにSNSやLINEを使いこなしてきた世代にとって、「自分」とは、スイッチひとつで切り替えられるものでなければならない。
「本当の自分」やひとまとまりの自己像に固執するのでなく、場面やアカウントごとに最適なキャラを立てて、それぞれに適応しつつ、全体としてはメンタルのバランスを維持していかなければ、現代の錯綜したコミュニケーションシーンに適応しにくいのだろう。
今、肝心なのは、年長者からインストールされた規範意識でも、他人に承認されやすいひとまとまりの自己像でもない。それぞれの場やアカウントに最適なキャラを立て、それぞれ最適に振る舞うこと、あるいは、その場の一部として溶け込んでしまうことだ。
「分人」的なメンタリティは、それさえ成功してしまえばさほど悩まなくて済む。いちいち「本当の自分」「自分らしさ」とキャラとの乖離に悩み、つまづいてしまうのは、時代遅れでナンセンスと言わざるを得ない。
NHKスペシャル取材班