若者が「自分らしさ」を易々と捨てるシンプルな理由

いま、「私」とは何なのか
熊代 亨 プロフィール

昭和以前と何が違うか

なお、こうした場の空気を読むという行為は、昭和時代以前への先祖返りにも見えるが、実はちょっと違っている。

1.昭和以前の自己は、共同体の空気を内面化した、ひとまとまりの自分だった。
2.1980-90年代の自己は共同体の空気を内面化しておらず、都市や郊外のさまざまな場所で、ひとまとまりの自己への承認を求めた。
3.複数の場やアカウントに慣れ親しんで育った「分人」的な自己は、それぞれの場の空気に即したキャラを立てて、場に溶け込む。キャラやアカウントの運用と、メンタル全体のバランスの維持が重要。

(表)に書いたように、昭和以前の若者も、もちろん空気を読んでそれに合わせていた。しかし、読んで合わせるべき場の空気とは、共同体の年長者によってつくられた単一のものであり、自己にインストールされて生き方の指針となる規範意識も、そういった共同体の空気が内面化されたものだった。

単一の共同体の空気を読み、それを規範意識として内面化した若者にとってのメンタル的課題は、規範意識=内面化された共同体の空気と、自分自身とのズレによって生じる葛藤だった。

たとえば、生来的に活発な女性が、「女性はおしとやかに、男性を立てるように振る舞うべきだ」という共同体の空気を内面化してしまうと、生来の活発な自分自身とインストールされた共同体の空気との矛盾に苦しむことになる。

一方、1980-90年代の若者は、そういった共同体の空気から解放され、共同体の空気を内面化することもなくなった。親から個人主義を吹き込まれたこの世代は、空気の束縛から自由になったオンリーワンな自己が他者から承認されることを期待していた。

この世代のメンタル的課題は、自分が他者にいかに承認されているかであった。なので、承認されない事態への不安や、承認が欠乏することによる抑うつがメンタルクリニックでの話題となった。

80年代の終わり頃から「自己実現」をテーマにした書籍が次々に出版されるようになったのも、そうした課題の変化を反映してのことなのだろう。

それから更に時代が進み、現在のようにいくつもの場、いくつものアカウントを使い分けながら生きることに慣れきった世代は、もはやオンリーワンな自己にこだわることもなく、それぞれの場にあわせたキャラを立てて、それぞれの場の空気に最適化する生き方を身に付けた。

個人のメンタリティは、内面化された共同体やオンリーワンな自己といった、従来のひとまとまりの自己モデルより、「分人」というモデルが似つかわしいものへと変化した。

場の空気を読むという点では、「分人」は、昭和以前に先祖返りしているようにもみえるが、彼らは単一の共同体の空気だけを読んでいるわけでも、共同体に従属しているわけでもない。共同体の空気を内面化していない点も異なっている。