特別な日を勝ちっ放しという最高の形で迎える。1995(平成7)年1月17日、阪神淡路大震災の当日、震源地に近い兵庫県洲本市の病院で産声を上げた照強が、右下手投げで千代丸を豪快に転がした。
「小さいから、中途半端じゃ(相手は)食らわない。何でも思い切りやらないとね」
小兵の169センチとは思えないパワーで、194キロの巨漢のもろ手突きをかいくぐり、相手の懐に突進した。照強の公称の体重は120キロながら、今場所は130~135キロで土俵へ。力強さを増し、真っ向勝負は望むところだ。
震災のさなかに生を受け、節目の日を前に会心の勝利。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は「その日に生まれた。そこはしっかり、一番自分の力を出さないといけない。本人も思っている」とうなずいた。
使命を背負いながら土俵に上がる。入門時にしこ名を付け、関取昇進時にも「これからは猛猛稽古だな」と、妥協を許さなかった師匠は「被災地だけじゃない。故郷に光をともす。小さくても頑張れるという姿を、全国の皆さんに見てもらう」と大きな期待をかける。その意をくむように力をつけてきた。
郷土愛にもあふれる。淡路島といえばタマネギ。実家は加工に関わっている。「甘さが全然違う。違い?分かりますよ。ほかのは辛いもん」。調理法は「新タマネギと固形コンソメを電子レンジでチン。その上にブラックペッパーとバター。水はいらないよ。実から出る。これが本当のオニオンスープ」と熱弁するほどだ。
幕内で初めて迎える震災の日。「気持ちを入れ直す。尻上がりでもっと良くなればいい」。25回目、節目の日を白星で彩る。