Momon,Knight-Errant 作:鯨踊部屋
『モモンガを愛している』
アルベドの設定の変更を決定した後、モモンガは強い感情の波に襲われた。それはこのような設定を付け足した羞恥心であり、
――個人的な感情で大切な仲間のNPCを書き換えた自己への嫌悪であった。
(そうだ。なんで冗談とはいえ、こんな文章に書きかえたんだ)
いくら最終日でデータが消えるといってもギルドメンバーの書いたものだ。そもそもこのNPCは他人の造形したものである。それを書き換えるだなんて鈴木悟という人間は冗談でもできない、筈だ。
(衝動的に書いたっていうのか?こんな内容を?)
つまりモモンガの行いは、大切な宝物が消え去る直前になって思わず溢れでた、嘘偽りの無い感情の叫びだった。
1人ぼっちの男があげた、無意識のうちの悲鳴だった。
――そうか。俺は、誰かに愛されたいんだ。
ふと浮かんだ言葉はストン と胸の内に収まった。悟の頭の中から疑問を押し流した。
個性的な仲間たちの意見の調整も、皆が去った後のギルドの維持も、全てはその為に。モモンガ=鈴木悟は誰かから向けられる愛が欲しかった。
母を幼い頃に亡くし、友人も作れず、孤独に生きてきた。けれどユグドラシルで初めて大切な友人を得た。
遅れてきた青春を謳歌する日々。
楽しかった。とても、とても楽しかったのだ。
でもユグドラシルで得た仲間達も、自分を1人置いて去っていった。
(リアルのほうが大切なのは理解している。皆、自分の生活がある。ユグドラシルは楽しむ為の場、羽を休める為の仮宿でしかないんだ)
憩いの場に無理矢理に来る必要は無い、それは当たり前のことだ。楽しむという行為は、強制されて行うものではないのだ。
そんな無理をする友人をモモンガも見たくはない。
それでも理解と感情は別だった。
胸に秘めた感情はずっと燻り続けていた。
欲しい。もっと、もっと、もっとだ!より輝かしい思い出を!より多くの、より深い仲間との繋がりを!
過去に積み上げたモノが大きい程、手に入れたいモノの理想が高くなる。
事実、別のゲームに誘われたりもしたではないか。
けれどもうモモンガの目には
それが致命的なズレだとは気が付けずに。
己にとっての特別は他人にとっての特別ではない。たとえ仲の良い友人であってもだ。
鈴木悟は学生時代、勉学だけに集中していた。母の頑張りを無駄にしたくはなかったから、友人など作る暇もなかった。
そして営業マンとしての生活で、人との亀裂を生まない関わり方が完成された。
話を相手に合わせて聞き役に徹する。共通の話題を見つけて共感を示すのもいい。相手の言葉を否定せず、通さなくてはいけない事柄に持っていく。
故に気が付けない。そもそも発想自体が存在しない。
自分の胸の内を表に出して相手に伝えるなど、母親にさえやったことが無いのだから。
初めて手に入れた輝きに目を焼かれて
(後悔しているのか?皆を追わずに1人残ったことを?)
「……違う!違う違う違う違う!俺にとってはここが全てだ!アインズ•ウール•ゴウン以外など!ここが帰るべき家だ!」
思わず叫んだ。
モモンガは今でも思い出せる。ここに来れば暖かい団欒があった。
喧嘩をすることもあるけれど、皆楽しそうに笑い合っていた。あの光景には確かに愛があった。
鈴木悟の求めた全てが過去にはあった。
「けれど今は俺一人だ」
だから、きっと飢えていたのだろう。いくら精巧に作られている人型とはいえ、ただのデータに求めてしまうほどに。
仲間との思い出に縋って生きているのに、大切な思い出の結晶たるNPCを書き換える。
何という矛盾だ。……過去の記憶に泥を塗る所業ではないか?
仲間の作ったNPCを、仲間の代用品として扱った。
それを自覚してしまった。
「俺は、俺は……」
いたたまれなくなった。
なんて独り善がりな、独善的な
愛、愛。愛情。
愛と情。
情け。
それは他者に与えるもの、人に求めるものではない。そんなことは独り身のモモンガとて知っている。いや、子供の頃から知っていたではないか。
何故なら彼は母に愛されていたからだ。そして幼き鈴木悟自身も、大切に思われていることを自覚して深く感謝していた。
母を愛していたのだ。
(だから失ったことで、胸に大きな穴が空いてしまった、のか?空いた穴を埋める為に来ていた?……いいや、それだけじゃなかった)
何故ギルドの維持をしていたのか?
思い出の結晶が失われるのを恐れた?
――それもある。
仲間が帰ってくることを期待していた?
――それが全てだ。
いや違う。
ギルドの維持、その対価として仲間の
(あぁああああぁぁあああああ!!?)
こんなにも皆を愛しているのだから、皆も私を愛してくれ。
そんなおぞましいメッセージ。
一切相手の都合を考えない、一方通行の思い。
対価を理由に愛を囁いて欲しいのなら、金で買える娼館にでも行けばいい。
なんなら友人のバードマンのようにエロゲでも買ってプレイしたら良かったのだ。
モモンガは己の行動の意味を解体すればするほど、自分という存在が矮小なモノに思えてきた。
ーーあぁ、素晴らしい仲間たちに比べて、自分はなんてくだらない、つまらない存在なのだろう。
ーーこんな者は王ではない。たとえお遊びのロールプレイだとしても、この思い出の結晶たるナザリック地下大墳墓の玉座に相応しくない。
ーーそれどころか、こんな男だからきっと 皆 ここから去って行ったのだ。
「ッ」
ある筈もないネガティブな妄想が浮かび、モモンガは逃げるように第一階層へ転移した。
人の内心なんて簡単に測れる筈もない。まして自身の意見を殆ど発信せずに調整役をしていた鈴木悟の心の内は尚更だ。
ネットゲームのギルド解散程度、今この瞬間も何処かで行なわれているだろう。だからモモンガ個人を嫌って全員が去った、なんてことはありえない。
けれど。だとしても。
あの気の良い仲間達がそんなことを考える筈がないと判っていても、それを想像してしまう自分にモモンガは耐えられなかった。
矮小な己への羞恥、嫌悪、怒り、悲しみ。しかし次から次へと感情が湧き上がり、もはや1秒たりともあの場に居たくはなかった。あれほど大切にしていたのに、いや、今でも大切に想うからこそ、自分のような者が居ることで汚されることを、鈴木悟は良しとしなかった。
大墳墓入口の石畳を、下を向いて移動する。ただひたすらに、地上へ向けて走り続ける。その光景を見たものが居れば、彼が怪物から追われているように見えただろう。
いいや、事実。鈴木悟は逃げていたのだ。己の肥大化したエゴから、膨れ上がって破裂してしまった感情から、自分という醜い怪物から、積み上げてきた思い出……仲間との関係からすらも。
そして地上へと続く階段を上がりきる所で、不快な思考を振り払うように目を閉じ首を振ってーー
己の内で暴れ狂う全ての激情が消え去った。
突然の変化に足が空を切り、転ぶ。倒れた顔面にぶつかったのは石畳ではなく、青々と茂る野草であった。そして鼻の奥に広がる、消毒液や薬品などに混じるような独特の刺激臭。
「は?え……?」
◆
半径20mほどの更地の中心。
ある程度の実験を終了し、接触系のスキルをあらかた切ったモモンガが立っていた。
鈴木悟は精神の死を迎えようとしていた。肉体の死を招きかねない程に、心が沈みこんでいた。
それらが全て打ち消された。
残ったのは、誰かとの繋がりを求める心。鈴木悟が常に心の奥底に抱いていた、しかし忘れていた行動原理である。
(取り敢えず誰かを探そう。ここ、どう考えてみてもゲームじゃなくてリアルだよ)
自己否定の繰り返しの果てにあるのは、絶対的な自己の肯定。
醜かったとしても、それが己なのだという強い自負。開き直りともいう。
(でも本格的に糞野郎だな、俺。癇癪で動物を殺してたなんて。しかも死骸見ても何も感じないし)
感情のままに負のオーラを撒き散らし、同時に強制的な鎮静化を何十と繰り返した。
周囲の動植物が死に絶えた頃には、彼の精神は取り敢えずの落ち着きを見せた。
(人に会うにはこれじゃ駄目だ。外面だけでも取り繕うのがきっと正解だ)
冷静になってみて。
鈴木悟が恐れているのは、仲間からの拒絶だった。
精神までアンデッドとなってしまった身では否定される可能性が高い。
唯一無二の大切な存在に嫌悪され否定され拒絶されるなど、死ぬよりも嫌だ。それでは生きている意味がない。
その状況に陥ることが何より恐ろしかった。
(これからの行動が、皆に伝わるかもしれない。でも俺は俺自身の心を、衝動を信用できない)
故に。
鈴木悟が知る中で、善性の極致とも言える存在をリスペクトする。
化け物となった自分の行動に自信が無いのなら、素晴らしい人を元にしたロールプレイをする。
「困っている誰かを助けるのは当たり前、でしたよね」
何処まで行けるかわからない。けれど、あの輝きを目指すとモモンガは決意した。
(そしてなるべく、知的生命体との戦闘は控える。俺のようなアンデッドが居るのだから、化け物のような見た目でも話が通じる存在がいるかもしれない)
ここがユグドラシル似た世界だったとして。ゲーム内のフレイバーテキストで頭が良いと書かれていたモンスターなどは、本当に頭が良くて会話できるかもしれない。
何よりモモンガと同じように現在の状態になったプレイヤーが居るとすれば。彼等との衝突は絶対に避けなくてはならない。
その為にはモモンガの姿は不都合だった。
(ノリノリで魔王ロールしてたからなぁ。ユグドラシルでの悪名が高すぎて命の心配をするなんて……)
偽装のための装備を作り出す。
少し前のモモンガなら、たっち•みーの姿を意識した装備を纏っただろう。
けれど、今はもはやギルドメンバーは目指すべき高みだった。壊れた鈴木悟が真人間になるための目標だった。
だから装備品は(ユグドラシル基準で)質の低い量産品を模したもの。
どことなくデス•ナイトの装備に似ている金属鎧のシリーズだ。
(動きは干渉しない。重さも感じない。ここら辺はゲームっぽいんだよなぁ)
◆
「戦闘は避ける。戦闘は避ける。せんとうはさ……」
モモンガは接近してくる大型の生命体を感知していた。
こも世界で初の生物との接触である。常より気合いも入っていた。
「むむっ、某の縄張りを荒らす愚か者は御主だったのでござるな!よほど命が惜しくないとみえる!」
(はぁ!?え?なん……え!?)
モモンガの立つ荒れ果てた、命ある者の存在しない空間を見て、こめかみに青筋を立てた巨大な魔獣が居た。
しかしモモンガにはそれが大きなジャンガリアンハムスターにしか見えなかった。
離れていても木々の大きさによってその大きさを判別出来る。しかし目の前の光景には違和感しか無かった。
モモンガと獣の間20mに何も無いがために、ハムスターが小物を並べたゲージ内に居るように見えるのだ。
「さぁ、命を賭けた真剣勝負でござる!おとなしく首を差し出すといいでござるよ!!」
そう宣言した魔獣は猛スピードで突進してくる。
しかしモモンガは驚愕により反応出来なかった。いや、それよりも戸惑いの方が大きかった。
確かに巨大ではある……が。まったく脅威を感じない可愛らしい生物が、己に敵意を向けてる状況に困惑した。
こちらに向かって駆けて来るのも、愛玩動物が主人の元へ突撃しているようにしか思えない。
故に何をする間もなく、頸筋を噛まれた。
「!?か、硬いでござる!某の歯が立たないなんて、初めてで」
「!?……ぬんっ!」
「ござっ!?」
即座に鎮静化が働き、取り敢えず頬を掴んで引き剥がす。
鈴木悟は殺意の篭った一撃を貰った。これが生身なら首が飛んでいただろう。
それでも今の身体ではジャレついているようにしか感じなかったので、躾の意味を込めて地に押さえつけようとする。
(犬とかだと上位者だと判らせればいいんだっけ?あれ?でもこいつジャンガリアンハムスターだよな?)
しかしスルリと抜けられてしまう。
そのまま推定ジャンガリアンハムスターは巨体をくねらせながら距離を取り、騎士に前足の爪を突きつけた。
「お主、なかなかやるでござるな!今度はそうはいかないでござるよ!」
「……ほんとどうしようかな」
いつの間にやら居た世界で、初めて接触した会話可能な生物の対処に、鈴木悟は未だ悩んでいた。