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【ドラニュース】

「ミスタードラゴンズ」高木守道さんの歩み 中日で2度監督 2006年に殿堂入り

2020年1月17日 21時45分

第一次政権時。厳しい表情で指揮する高木監督=1992年3月

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 現役時代は中日の名二塁手として活躍し「ミスタードラゴンズ」と称された中日元監督の高木守道さんが17日、急性心不全のため名古屋市内で死去した。78歳だった。葬儀は家族葬で営まれる。高木さんの歩みを年表で振り返る。

▼1941年 (昭和16年)7月17日に生まれる。

▼57年 県岐阜商に進学。

▼60年 中日入団。5月7日の大洋戦(中日球場)で代走として初出場、初盗塁を記録。さらにこの試合で宮本和佳からプロ初打席初本塁打を放った。

▼63年 背番号が41から1に変更。50盗塁で自身初タイトルの盗塁王。ベストナインも受賞。

▼65年 44盗塁で2度目の盗塁王。

▼73年 28盗塁で3度目の盗塁王。

▼74年 リーグ優勝。日本シリーズではロッテに敗れたが、打率3割6分4厘(22打数8安打)、1本塁打、3打点の成績を残し、敢闘賞を獲得。

▼77年 6月12日の阪神戦(甲子園)ダブルヘッダー第1から14日の大洋戦(ナゴヤ)でプロ野球タイ記録の4打数連続本塁打を記録。

▼78年 4月5日の広島戦(広島)で史上11人目の通算2000安打を達成。

▼80年 現役引退。

▼92年 中日の監督に就任。

▼2006年 野球殿堂入り。

▼12年 再び中日監督に就任。

 

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