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卒業論文要旨

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平成30年度 卒業論文

 外国人集住地域における「やさしい日本語」の有効性に関する一考察―茨城県常総市を対象として
伊藤 諒平
 茨城県常総市は外国人(ブラジル人)集住地域である。そのため在留外国人の日本語能力は低く、また日本語のできない外国人たちの日本語ができる外国人への依存、ブラジル人にはポルトガル語翻訳で対応するという自治体、地元NPO団体の姿勢から「やさしい日本語」への期待値が低い。
 平成27年に起こった鬼怒川水害では、翻訳する人員の人手不足により、ポルトガル語を始めとする外国語への翻訳がままならなかった事例や、外国人コミュニティで情報の伝達がうまく行われていない事態が発生した。このことから、外国人集住地域にこそ「やさしい日本語」で伝える必要があると考えて、常総市の在日ブラジル人と地元NPO職員、自治体職員に「やさしい日本語」の認知度と期待度についての調査を行った。
 その結果、日本語能力がN4,N5程度かそれ以下の外国人は、「やさしい日本語」によって著しく理解度が上がるということはないが、N3程度(N4修了程度)の外国人なら、内容を理解し、情報を発信できる者として重要な役割を果たすのではないかという結論に至った。また、地元NPO職員と自治体職員への調査からは、全ての内容物を「やさしい日本語」にすることは難しく、むしろ混乱を招く危険性があることを指摘されたが、公文書などの難解な日本語文を「やさしい日本語」化し、それを元文にして外国語へ翻訳することは有効なのではないかという見解を得た。


 黒人奴隷のことばの翻訳表現に関する一考察
柿崎 結香
 文学作品において、黒人奴隷が使用することばは共通語とは異なることが多い。そこで、黒人奴隷が話すことばを日本語へ翻訳したときのことば遣いについての研究を行った。具体的な作品としてM・ミッチェル『風と共に去りぬ』の日本語訳を対象とした。
 文法の観点からみた。言い切りの形(終止形・連体形)に、通常ならば接続しない断定の助動詞や、念押しの終助詞が接続していた。(「ですだ」「ますだよ」など)これは自然な日本語表現の規範から外れるものであり、その結果、田舎ことば的・方言的に聞こえている(読まれている)ことが分かった。また、音韻の観点からもみた。これまで疑似東北弁が使用されているという見方が主流だったが、江戸語を発端とする関東周辺の六方詞や関西方言も登場していた。(「おめえ様」「ええ乳母」など)。
 つまり、黒人奴隷のことばは共通語を規範としたとき、それから外れるものであった。そこに方言の使用も見られるが、ここといった具体的な方言ではなく、共通語の規範から外れさせることで、英語原文にある「目で見てわかる方言」を伝えていた。


 津軽方言と共通語の使い分け行動に関する一考察
工藤 香那子
 弘前市は、日常の生活を津軽方言で過ごすことが主流となっている。いわゆる「方言主流社会」である 。弘前で生まれ育った者にとって、津軽方言はコミュニケーションの手段であり、重要な役割を果たしている。本研究では、弘前市の高校生を対象に、津軽方言と共通語の使い分け行動を明らかにした。高校生は、方言と共通語を使い分ける必要性を感じ、様々な場面で積極的に使い分け行動を行っているのではないかという仮説をアンケート調査によって検討した。
 調査の結果、高校生は日常生活で、方言か共通語かに関わらず、自分になじみのあることばを使っていた。また、積極的にことばを替える意識はないものの、ことばを使い分けるべき場面や相手をしっかり見極めて会話していることがわかった。本研究を通して、弘前市に住む高校生の共通語や津軽弁に対するイメージやことばづかいを知ることができた。


 津軽方言話者が使う強調表現に関する一考察
駒井 南美
 就職活動をする中で日本語の「強調表現」に興味を持った。日常生活で意識してみると、場面や相手によってさまざまな「強調表現」を使い分けているように感じた。そこで弘前とその周辺地域に住む大学生に予備調査を行ったところ、使い分け行動をしていることが分かった
 そこで本論文では、弘前とその周辺地域に住む中学生と大学生が「強調の副詞」を相手や場面によってどのように使い分けているのかや、なぜ使い分けているのかなどに着目して世代差による違いを明らかにした。


 「やさしい日本語」と土砂災害情報に関する一考察
坂本 芽依
 社会言語学研究室では、これまで主に地震災害時の被害状況からの情報を伝える「やさしい日本語」表現を作成してきた。近年は毎年起こる大雨や大雨による土砂災害で危機感を持つ外国人住民も多く、地震災害だけでなく、大雨や土砂災害にも対応できる「やさしい日本語」について研究することにした。
 そこで近年になって発生した大雨と土砂災害を伝えたネットニュース記事から災害語彙を収集し分析した。地震災害と大雨土砂災害との比較や被災地内外で必要になった語彙を選択し、研究室が公開している「外国人用地震災害基礎語彙100」のような「大雨土砂災害基礎語彙」100語を選別することを目的にした。
 調査から、地震災害と大雨土砂災害の相違点が明確になり、地震災害以外での「やさしい日本語」の有効性を明らかにすることができた。また、これらの語を理解できたら人命は守られるだろう大雨土砂災害基礎語彙を60語まで選出することもできた。しかし100語の選出までに至らず、外国人用大雨土砂災害基礎語彙100の確定は後継研究に委ねることにした。


 方言を使われることへの感情とその感情を形成している個性の背景に関する一考察
杉山 希
 方言を話すアイドルやキャラクター、方言を施設名にした商業施設など、方言が価値を持つようになった現代社会において、観光と方言の関係について考えたいと思った。方言を使うことが「不躾だ」や「なんとなく不快だ」と感じる観光客がいたとして、方言は観光資源となり得るのかについて考えた。
 方言と観光は密接なつながりを持ち始めたことは事実である。しかし方言を観光資源として受け入れられる人と受け入れられない人がいることもまた事実である。この肯定と否定の層をそれぞれの個性から明らかにすることを目的とした。
 その結果「外交的な性格をもつ人は仲間意識強調のための方言使用を行い、観光場面での方言の受容は高い」こと、「内向的な性格の人は自分の方言や共通語に対してとくに関心を示す割合が低い」ことなどが明らかとなった。


 大学生の語感に作用する個人の社会的背景に関する一考察
鈴木 かえで
 文章を書いたり話したりするときは、自身が持つ語彙の中から場面や相手に合わせたことばや自分の好きなことばを使用する。本研究では、以下の二つの仮説についてアンケート調査を行いて検討した。二つの仮説の内の一つは、文章を構成するいくつもの要素は、意識的に、あるいは語そのものや語種が持つ語感によって無意識的に好かれているものを選択しているのではないか。二つ目の仮説は、その差は性別や学んでいる学問の違いなど個人の社会的背景が何かしらの影響を与えているのではないかというものである。
 調査の結果、弘前大学の学生は漢字含有量の多い文章やカタカナを含まない文章を好む傾向にあることがわかった。特に漢字含有量の多い文章については「知的」「かっこいい」など語感に関する自由記述が多く見られた。また文章構成要素の好みは個人の社会的背景には関係がないということもわかった。


 奥州市方言の残存と衰退に関する一考察
高橋 みなみ
 弘前市は津軽弁を使って円滑な人間関係を保つ方言主流社会である。そこで同じ東北である出身地の岩手県奥州市での方言使用の状態はどのようになっているのかを知りたいと思った。奥州市の方言が若い世代にどれくらい受け継がれているのかや衰退している方言(語や表現)にはどのような特徴があるのか、奥州市方言の衰退と残存についてまとめた。
 同課題を解決するため、過去に使われていた語が現在どのくらい使われているかを知るため168語について、世代別、品詞別にアンケート調査を行った。被調査者は中学生から70代以上までの男女98名である。その結果「概ね世代があがるにつれて方言語彙量は増加している傾向」があり、「使用語彙の割合がもっとも高かったのは70代」であった。「方言量の最も多い70代はかつての方言語彙の5割以上を使っているが、最も低い中学生は1割以下であった」などの結論を得ることができた。


 津軽ネイティブとノンネイティブにおける方言イメージの異なりとその理由に関する一考察~大学生を対象にして~
山口 和誠

 私は生まれも育ちも津軽弁が主として話される地域・環境の中で育った。高校を卒業するまではほとんど津軽弁のみを用いて生活を送っていた。しかし、大学生になると非津軽弁話者と関わる機会が増えたため、共通語を話す必然性を感じるようになると共に、「津軽弁を話さない、あるいは理解できない人は津軽弁についてどのようなイメージがあるのだろうか」と考えるようになった。また、非津軽弁話者との関わりの中で、まだ津軽弁に慣れていない者と接した際、特に面白い話をしているわけではないにも関わらず、津軽弁話者が話す津軽弁に対して若干小馬鹿にしているかのような反応がみられた経験があり、「津軽弁は、ノンネイティブにとって何か面白いと感じる部分があるのではないか」と考えた。そこでネイティブとノンネイティブを対象に「津軽弁はなぜ面白いか」を調査した。
 調査の結果、ノンネイティブだけでなく、津軽弁を話す(ネイティブ)人たちにも「津軽弁は面白い」と考える者が多いことがわかった。また面白さの要因としては、ネイティブとノンネイティブで異なりのみられる言語意識もあったが「津軽弁はなぜ面白いか」の結論にまでたどり着くことはできなかった。 この研究の結論にたどり着く今後の課題としては、インフォーマントの数を増やしたり、理由を知るための枝質問の回答肢を充実させたり、グループ間の比較を詳細に行っていったりすることが求められた。このことと同時に、この研究は「方言コンプレックス」に近接する課題であることにも気付き、慎重に扱うべきテーマであり注意を要すとの新たな課題にも至った。



 日中両国語の比較研究ー「化物語」訳本から見るライトノベルの翻訳
楊 木
 ライトノベルはラノベと呼ばれ、中国の若者をおもな読者とする日本の娯楽小説である。ゲームやアニメ、マンガなどと同じ日本の二次元文化であり、中国だけでなく世界中の若者に支持され、日本文化の浸透に巨大な影響力がある。
 一方で日本語が外国語に翻訳されることで文化の違いや国民性による認識の違いからさまざまな課題が生じるようになった。たとえば中国語翻訳本は、台湾や香港で翻訳され、それが中国本土で読まれるが、台湾での翻訳により違和感を持つ読者も相当数いる。卒業研究では『化物語』を対象として日中両国語の翻訳問題とライトノベルの翻訳特徴についてまとめた。ライトノベルは新しい小説として世界中の若者の人気をますます得ていくだろうが、作品を翻訳する者は非日本人であり、かつ日本語が熟れた表現であればあるほど翻訳者は日本の若者語を知らない世代であり、ライトノベルの翻訳者は日本の若者が使っていることばや表現、それらが意味する特徴(ニュアンス)を十分に知る必要のあることを結論にした。


平成29年度 卒業論文

 同意表現の若者語についての一考察 〜使用・見聞経験、使用・見聞場面の違いに着目して〜
土倉 拓人
 同意を表す若者語6語について、使用・見聞実態の違いや世代差、そしてそれらが生じる要因を明らかにしたいと考えた。そこで同意表現6語の使用実態、見聞実態、それぞれの語に対して抱く意識を尋ねるアンケート調査を行った。
 調査の結果、使用・見聞実態は3タイプに分類できた。“会話や人間関係にネガティブに作用する”と意識される語は、直接対面のときの会話に比べてSNS上での使用・見聞経験は少なくなっていた。またそこにはSNSを利用する際に特有の心理状態(感情やニュアンスが相手に正しく伝わっているのかどうか不安な心理状態)が深く関わっていた。 SNSに比べて直接対面での使用や見聞経験が少ない語は、元々SNS上でのみ使用されるいわゆる“SNSことば”だったからと考察した。 世代差については4タイプに分類できたが、その要因を解明するまでには至らなかった。


 いじめ問題と方言教育に関する一考察
保坂 捷太
 現代社会にとっていじめ問題は深刻である。その解決に向けて、社会言語学の立場から方言の活用に注目して考えた。 方言は地域によって違う言葉であり、それぞれの地域の個性である。個性を学び、受け入れる考えを学ぶことは、異質性を受け入れられないことから生じるいじめの解決につながると考えた。
 調査の結果、異質性を受け入れる人と異質性を受け入れない人の間で、方言意識に有意な差のあることが分かった。つまり、方言を受け入れようとする意識を育成できたら「人間関係の異質性も受け入れられる」ようになり、いじめ問題の解決につながると考えた。そこで、学校教育で活用してもらえるよう、調査によって判明した方言意識を育成する教育展開例を集め、理想的な指導案を作ってみた。今後は仮説の指導案を使って研究授業を行い、本当に効果があるのかを検証していく必要があると結論づけた。


 福島県磐城方言話者の言語行動と言語意識に関する一考察 〜いわきへの帰属意識に着目して〜
三岡 優衣
 福島県磐城方言話者を対象にアンケート調査を行った。磐城方言話者のいわきに対する帰属意識の強弱を数量化し、その強弱から磐城方言と共通語の使い分け行動や磐城方言と共通語に対する意識に違いが見られるか分析した。
 その結果、帰属意識が強い人ほど方言を使用する頻度が高く、また方言と共通語の使い分け行動を避ける傾向が見られた。一方、帰属意識が弱い人ほど相手の言葉や場所に合わせて言葉を使い分ける傾向があった。言語意識については、磐城方言に対する意識と帰属意識に強い相関があり、帰属意識が強い人ほど磐城方言に良いイメージを抱いていた。一方共通語の意識については、いわきへの帰属意識と相関が見られず、磐城方言話者全体が画一的なイメージを抱いていた。磐城方言話者は、青森など北東北の人々に比べ、共通語を身近な言語として捉えていることもわかった。


 津軽方言語彙の残存と衰退に関する一考察
山口 結希
 私自身もそうだが、家族も津軽地方の出身で津軽地方在住である。そのため、津軽方言を日常生活で見聞きすることは多い。特に津軽方言らしい語彙、あるいは津軽方言で特徴的と思われるものとして、助詞と助動詞が思い浮かんだ。そしてそれらには、どれだけの種類があり、それら全てが現在も用いられているのか興味が湧いた。そこで、文献を用いて意味や用例を調査した。また、どのように発生したかを調べた。次に、家庭で交わされた会話から、それらが今も使われているのかを調べた。
 その結果、津軽方言の助詞と助動詞の多くは、津軽地方で自然発生的に生まれたことばでなく、津軽地方の外でも使っていることばを津軽の人たちが発音しやすい形に変化させたものであったことが分かった。また、残存している語彙は、他に置き換えることのできない、微妙なニュアンスを伝えることばであることも分かった。


 コミュニティへの帰属意識と敬語意識に関する一考察
山本 和貴
 大学生という時期は敬語の習得時期であるとともに多様な人間関係の中で自らの言葉遣いを見直していきながら、その敬語意識が変化していく時期である。本研究では、大学生のコミュニティに対する帰属意識と敬語意識との間に何かしらの関係があるのではないかという仮説をアンケート調査をもとに検証した。
 調査の結果、大学生の敬語意識は所属しているコミュニティへの帰属意識の強弱によって違っていることがわかった。またその逆に敬語意識の強弱によって敬語を使うべきコミュニティの判断も違っていることもわかり、敬語意識とコミュニティへの帰属意識との間に相関関係があるという仮説は立証できた。 本研究を通して社会の変化とともに変化していく言葉とその意識、そしてこれから社会へと旅立ちその一員となる大学生はどのような意識を持って敬語と関わっているのかを探ることができた。


平成28年度 卒業論文

 看護を学ぶ大学生が考える方言を話す患者とのコミュニケーションに関する一考察
伊藤 佑佳
 これからの医療現場を担う本学看護学科の学生を対象に、津軽地域の医療現場における方言を使用する患者とのコミュニケーションや大学(専門科目)での方言教育についての考えを調査した。
 調査の結果、看護学生は方言をある程度理解するが、他方で8割の学生が患者とのコミュニケーションに困った経験のあることが判明した。学生たちは、方言でのコミュニケーションをとる必要を感じており、共通語のみでなく津軽弁も用いた方が良いという考え方をしていた。また、看護学生の7割以上が方言教育を必要と考えていた。
 しかし、出身地や就職希望地によって看護学生の考え方に違いがあり、看護学生が行う実習や希望する就職先などのニーズに合わせて、教育の内容や授業の制度を考えていくことが今後の課題となり得るという結論に至った。


 アメリカ人大学生・中国人大学生・日本人大学生の外国語学習の理由に関する一考察
浦山 由希
 論文では、今のアメリカ人大学生・中国人大学生・日本人大学生が外国語学習についてどう考えているのかを調査し、過去の調査結果と違いがあるのかを明らかにしたいと考えた。そこで、学びたい外国語や学習理由などについてアンケートし、18年前の調査結果と比較した。
 調査の結果、国籍ごとに変化の度合いが異なることがわかった。もっとも変化の度合いが大きかったのはアメリカ人大学生で、学習理由では上位にきている選択肢が過去の結果と大きく入れ替わっていたり、学びたい外国語の上位3つも過去の調査と全て入れ替わっていたりした。反対に、もっとも変化の度合いが小さかったのは日本人大学生で、学習理由にほとんど変化はなく、学びたい外国語の上位3つも過去の調査と全て同じであった。


 学年の違いから見た大学生の敬語の使用意識に関する一考察
窪田 託也
 大学生の敬語への意識に興味を抱き、学年の違いという観点から大学生の敬語への意識を明らかにしたいと考えた。そこで、弘前大学に在籍する大学生の各学年にアンケート調査を実施した。アンケートではアルバイトの場での敬語、就職活動の場での敬語といった、それぞれの場の違いに対する敬語イメージや、使用意欲、使うことへの自信などについて質問した。
 調査の結果、アルバイトの場での敬語と就職活動の場での敬語とでは、学年による違いが意識について認められ、さらに同学年内であっても、場面が違うと敬語への意識も変わることがわかった。これらから、大学生の敬語意識は、学年や敬語を使う場面によって違いのあることを明らかにした。


 津軽方言と共通語の使い分け行動に関する一考察
芳賀 亜美
  津軽方言と共通語の使い分け行動について知るため、青森県平川市にある2校の中学1年生と2年生を対象にアンケート調査を行った。調査対象とした中学生を、学年、性別、運動部所属か文化部所属かといった対になる属性ごとに分けて比較した。さらに学校生活および家庭内での代表的な場面と、同級生や親といった会話の相手をそれぞれに違えた合計15の場面の使い分け行動についても分析した。
 その結果、話す相手が先輩の3場面では、いずれも1年生が共通語を使用し、2年生が津軽弁を使用するという違いあった。男子が女子よりも共通語を使用している場面が多く、女子が津軽弁を「仲間と打ち解けられる表現である」と考えているのに関係していると考えた。また運動部の生徒が文化部の生徒よりも多くの場面で津軽弁を使用していて、これは、文化部の生徒が持っている「津軽方言を使うのは恥ずかしい」という意識が文化部の生徒の津軽弁使用の少なさと関係していると考えた。


 日本語、韓国語学習歴の有無・長短から見る日韓言語観の相違に関する一考察
本川 琴美
 日本人と韓国人が互いの国についてどのように考えているのか明らかにしたいと考え、日韓での言語観調査を行った。調査では、言語学習経験の有無を軸に、互いの国やその言語に対するイメージや興味・関心、言語学習に対する考え方、日韓の交流についてどのように考えているかについて尋ねた。
 その結果、日本人も韓国人も国や言語に対するイメージや考え方が、学習歴によって異なっていた。興味、関心についても、韓国人は日本のアニメ、マンガに詳しく、日本人は学習歴に関わらず、韓流ドラマやアイドルについて詳しいことがわかった。言語学習については、日本人も韓国人も学習歴に関わらず肯定的な意見であった。しかし、日韓の政治交流になると、日本人も韓国人もあまり肯定的でないという結果になった。日本人も韓国人も経済の交流を盛んにするべきだと考えていることもわかった。


平成27年度 卒業論文

 津軽ネイティブの方言コンプレックスに関する一考察 ~30年前との比較から~
阿部 真弓
  津軽ネイティブに、津軽・津軽弁・共通語に対する好悪やイメージなどについて質問し、弘前大学人文学部国語学研究室が過去に行ったデータと比較して、現在の津軽弁に対する意識を分析した。30年経った津軽の人々の意識に、方言コンプレックスが存在するかどうかを明らかにしたいと考えた。
  分析により、現在の津軽ネイティブは、津軽弁を文化であり、後世に残すべきと考えていることや、津軽弁の大きな特徴と思われるアクセントやイントネーションを嫌いではないことがわかった。また、共通語についても、以前ほどいいことばという意識はなく、方言コンプレックスは存在しないという結果になった。
 自分のことばや発音に津軽弁の特徴を感じていても、それをコンプレックスとは思わず、しかし、相手にわかりやすく伝えるために共通語で話したり、丁寧な津軽弁で話すように心がけていた。


外国人が津軽弁を使う理由と使わない理由に関する一考察
池内 綺香
 弘前は津軽弁を使って生活する方言主流社会である。津軽弁を使うことでうまく関係を築くことができる。津軽地方に住む外国人は、どのような理由で津軽弁を使ったり使わなかったりするのか。青森市と弘前市に住む外国人を対象に調査を行なった。
  津軽弁を使う理由は、無意識に津軽弁を使っているほか、周りに合わせて使う、親しみを示せるから使うという方言主流社会ならではの理由であり、津軽弁が好きだからという好意的な感情からの理由も多く見られた。使わない理由としては、共通語に慣れているから、共通語の方が万能だから、共通語が普段通りのことばだから、共通語の方が上手に話せるからといった津軽弁より共通語を話す能力が高いことや、共通語に便利さを見出していることが理由として見られた。津軽弁に対するマイナスな感情が使わない理由になっているのではなかった


 多言語翻訳の限界と「やさしい日本語」活用の展望に関する一考察
 -外国人集住地域・常総市での洪水・氾濫を事例として-
佐野 恭子
 「やさしい日本語」は、発災後72時間以内に外国人へ災害情報を伝えるためのことばである。平成27年9月に、東北・関東で豪雨災害が発生した。茨城県常総市は外国人集住地域であり、鬼怒川の氾濫により大きな被害を受けた。常総市で伝えられた情報を調査し、水害時に必要とされる情報を収集した。また、外国人支援を行っていたNPOや在住外国人にインタビュー調査を行い、常総市で行われた多言語支援の内容や「やさしい日本語」についての考えを明らかにした。
  調査によって、「やさしい日本語」で新たに伝える多数の公衆衛生情報が集められた。また、常総市に住む外国人の特徴から、平易な日本語であっても多くの外国人にはほとんど理解されず、「やさしい日本語」は効果がないと考えられていたが、一方で、多言語翻訳の現場では、翻訳者の不足による迅速な情報支援に課題が生じていた。日頃の日本語広報に「やさしい日本語」を取り入れることで、翻訳の負担を軽減することができると考えた。


大学生と中年層の若者語意識の違いに関する一考察
 ~情報の摂取先・摂取量・摂取内容の多寡及び使い手の人間関係に着目して~
庭田 晃輔
 若者語の使用は若者だけにとどまらない。世代によって若者語の使用や使用意識は異なるものなのかを明らかにしたいと思い、大学生とその親世代である中年層を対象に若者語に関する調査を行った。
  調査の結果、大学生は中年層と比較して若者語をよく知っており、使用する傾向が高い。若者語に不快感を抱くことはなく、幅広い対象に対して若者語を使用していた。一方、中年層は大学生と比較して若者語をあまり知らず、使用も少ない傾向にあった。また若者語に不快感を抱くことが多かった。次に、情報摂取量は若者語意識に影響を与えていると考え、大学生、中年層それぞれの情報摂取量を明らかにした。その結果、大学生はインターネットやSNSなど今の若者に身近と考えられるメディアとの接触時間が長く、中年層はテレビや新聞など昔からあるメディアとの接触時間が長かった。


ナラティブ・ベイスト・ナーシングと方言  ~方言主流社会での方言活用を考える~
本川 彩佳

 津軽地域で働く看護師を対象にアンケート調査を行い、看護現場における方言理解の現状とその活用について考察した。
 その結果、現状として患者の津軽弁使用頻度は非常に高く、それに伴い看護師の医療方言語彙認知度も9割を超えていることが分かった。また看護師は、患者へ的確に示したいという狙いと地元や同郷にこだわりを持つ意識から、共通語をベースとした津軽弁の語やイントネーションを交えたことばづかいをしていた。このことから、津軽地域の看護現場では患者、看護師ともに活発な方言使用がみられるといえる。
 近年、患者の語った体験などを通して病いや治療の意味に着目することでより個別性の高い医療を提供するという「ナラティヴ・アプローチ」という考え方が注目を集めている。看護師は、患者の語りそのもの、津軽弁に耳を傾けることで痛みや苦しみを直に受け入れ、専門家としてその語りを処置に生かすことができる。このことから、看護師のナラティヴ・アプローチを「ナラティヴ・ベイスト・ナーシング」とし、そこに方言を取り入れることで方言活用の場が生まれると考えた。



 外国人観光客への外国語対応に関する一考察 
山部 裕太
  日本を訪れる外国人観光客は増えているが言語の問題は大きい。私の出身である札幌で様々な職業に就く人が、外国語についてどのように考えているのかを知りたいと思った。
  調査の結果、外国語を使用することに積極的な人は多いことがわかった。一方、消極的な人の意見には、外国語を使うよりも「おもてなしの心」を重要視するものであった。そのようなことから、外国人観光客の特徴に応じて、ことばを使い分けていくことが必要と結論づけた。


平成26年度 卒業論文

方言意識の芽生えに関する一考察 〜弘前市内の小学生を対象にして〜
大庭 笑美

 弘前は、日常の言語生活で津軽弁を使うことが自然な方言主流社会であり、津軽弁は地域社会での共通語となっている。そのような弘前に住む小学生は、いつ頃に方言意識が芽生え、どのようなイメージで方言を話したり、聞いたりしているのか。また、小学生の方言意識に及ぼす外的要因にはどのようなものがあるのかをアンケート調査によって明らかにした。
 その結果、弘前市の小学生は、上級学年になるにつれ方言意識が明確になっていき、高学年になると方言は内輪で話すことば、共通語を公的な場面で使うことばと捉えていた。小学生の方言意識の芽生えに及ぼす外的要因には、津軽弁を話す保護者や兄弟の有無、保護者が津軽弁を好きだったり、弘前以外の土地の方言にも寛容、また保護者は方言を残したいと考えているかなどが挙げられた。



共通語中心社会札幌市での方言と共通語の教育に関する一考察 
                    〜中学校国語か教員と生徒を例として〜
木本 有美

 方言と共通語の役割や変遷について、学習指導要領、中学校国語科の教科書、教師用指導書を使って分析した。国語の授業で扱われるようになった昭和20年代に比べ、方言と共通語への考え方は大きく変化していた。近年の方言と共通語の単元は、それぞれの違いを考えさせたり役割の理解、また言語生活を振り返らせること等が目標となっていて、その考えは教師用指導書においても指導目標として掲げられていた。  さらに、方言の使用意識が弱いと思われる札幌市内の複数中学校で、国語科での方言教育の実態について調査を行った。被調査者は中学校に勤務、あるいは通学する国語科教員と生徒である。その結果、教員の多くは、学習指導要領や教師用指導書などに忠実に基づいて授業を行う一方、工夫した内容を扱うことは難しいようで、理想とかけ離れたものであることが明らかとなった。また、方言主流社会の青森と共通語中心社会の札幌とでは、方言の単元を扱う難しさや生徒の意識にも差があることが明らかになった。その地域の方言を中心に扱うなど、地域に見合った副教材による授業法を改善策として挙げた。



中学校国語科における「やさしい日本語」単元の授業実態と教師が求める副教材の内容に関する一考察
佐々木 広宣

 光村図書出版発行の国語教科書に掲載されている「やさしい日本語」単元の授業について考察した。とくに「やさしい日本語」に言い替える活動の有無に着目した。教科書や教師用指導書が想定する授業と、教員免許状更新講習で「やさしい日本語」について学んだ教員が想定した授業、実際に行われた授業という3つの授業形態の分析をもとに、現状行われている授業の形態や問題点を明らかにし、それを補う副教材について考察した。  その結果、「やさしい日本語」に言い替える活動が実際の授業に多く取り入れられており、副教材に対する教員たちの関心も高いことが分かった。また、明らかになった問題点や教員が感じた困難な点などから6つの副教材の理論案を考えた。今後これらの副教材を実際に作成し、教育現場で使用できるものに仕上げることで、「やさしい日本語」単元の授業はより充実したものになると考える。



カタカナ語意識から見た日本語文の読みやすさに関する一考察 
                        〜カタカナ語含有率の関係から〜

中西 香織

 最近は、外来語だけでなく、イヌやネコなど、あえてカタカナで表記することばが増えてきたように思う。私は、それらカタカナで表記された語の量によって読み手の印象も変わるのではないかと考えた。そこで、カタカナ語が文中にどのくらいあると、読み手はその文章を見たくなくなるのかを明らかにすべく、弘前大学の学生にアンケート調査を行った。  その結果、カタカナ語含有率10%が最も見やすい文として支持された。これは、読み手の学部や日常での情報媒体接触頻度、カタカナ語に対する意識、許容度等でも変わらなかった。 また、カタカナ語含有率以外にも日本語文の見やすさに影響を与えると考えられる、カタカナ文字含有率、漢字含有率、ひらがな含有率、空白含有率、記号含有率の5要素に着目して日本語文の見やすさを分析した。その結果、大学生は日本語文の見やすさにおいて、空白含有率に最も影響されることが明らかになった。



津軽ネイティブとノンネイティブの方言使用と言語意識の推移に関する一考察
渡部 莉帆

 弘大生を対象に、大学で使用されていることばの実態や、方言や共通語に対する意識、津軽ネイティブとノンネイティブの交流についての言語意識を調査した。さらに、古川(1998)の卒業研究を用い、過去の弘大生の言語意識との比較を行った。
 津軽弁は、ネイティブにとっては同じ弘大生と話す際に使いやすいことばであり、津軽出身かどうかに関わらず、津軽弁が好きな人は15年前より増えていた。ノンネイティブにとっての出身地の方言は、親しい友人と楽に話すことができることばであり、津軽弁と同様、ノンネイティブの自身の出身地の方言が好きな人も増えていた。共通語が、目上の人や発表の場で使う、マナーを守ったことばという意識は津軽出身か否かに関わらず共通していたが、ノンネイティブにとっては普段通りのことばであるという意識もあるようだった。またネイティブには共通語をうまく話す自信のない人や、うまく話したいと思う人が増えてきており、反対にノンネイティブにはうまく話す自信のある人が増えてきている結果となった。



平成25年度 卒業論文

否定疑問文「なくない?」の使用に関する一考察

粟田 菜月

 若者によく使用される表現に「なくない?」という否定疑問文がある。ある事柄について、話し手自身が否定的な感情を抱いた時、直接的に表現することを避けるために使用される。本論では、弘前と東京の大学生を対象に行ったアンケート調査をもとに、「なくない?」が使われる背景について地域差と両地域間の使用率の差から分析した。結果として、使用率の高低に関わらず、話し手側、聞き手側という立場の違いから意味の解釈に変化が生じ、「なくない?」が曖昧な表現として広く使われているといえる。また、地域の違いに関わらず、使用する場面によって使用率が変化する表現であることも明らかとなった。
 それを使う理由として、使用率の高い人は聞き手に共感を促し会話を楽しむための表現として捉えていた。



社会的属性の違いから見た外来語の使用実態に関する一考察
     ~外来語の受容と相手意識の違いによる使い分けに着目して~

長内 結希

 外来語とは、もともと外国語であったものが、国語の中に取り入れられたことばのことである。外来語はふつうカタカナで表記され、漢語では表しきれない事物や、それまでの日本にはなかった概念などを表すことができる。また、日常生活から専門分野に至るまで、外来語は様々な用途、場面で使われる。このような特徴を持つ外来語は、古くから日本語に取り入れられてきたが、その一方で誰もが平等に理解しているわけではないということも事実である。そこで卒業論文では、人々は実際にどれくらい外来語を理解し使用しているのかを、一般的に難しいと言われている専門分野の外来語をもとに、受容度や職種の違いに着目して研究した。
 その結果、職種や受容度の違いによって、理解と使用の実態も違っていることが分かった。同時に、世間一般の外来語の使われ方について、ほとんどの人が職種や受容度に関係なく、わかりやすさを求めているということも明らかになった。



平常時に伝えられるチェーンメールに特有な文体に関する一考察

工藤 康平

 災害が発生すると、災害にまつわる不確かな情報、デマや流言、チェーンメールが発生する。そのようなデマや流言、チェーンメールが一度発生すると、事態の収拾に人員をさかねばならず、また多くの人々に誤解を与え続ける。その類の情報は災害時だけでなく、平常時にも発生する。平常時は、嘘か本当かを確認する手立てもあるはずだが、それにもかかわらず、チェーンメールとして人々の間に広まっていく。
 原因はその文体にあると考えた。この種の研究は災害時のものについては存在するが、平常時についてはあまりなされていない。そこで、本研究では平常時に伝えられるチェーンメールに特有な文体に関する調査を行った。
 その結果、平常時に伝えられるチェーンメールでは、「不用意にカタカナが用いられる」、「記号や顔文字といった非言語情報が使われやすい」などといった、災害時のデマ・流言の文体にはない特徴を見出すことができた。



下北方言話者の言語意識と言語行動に関する一考察
                     ~下北への帰属意識に着目して ~

鈴木 浩美
 青森県下北方言話者を対象にアンケート調査を行った。下北方言話者の下北に対する帰属意識を数量化し、帰属意識の度合いによって下北方言と共通語の使い分け行動や、下北、東京、下北弁、共通語に対する意識に違いが見られるのかを分析した。 その結果、帰属意識が強い人は帰属意識が弱い、あるいは平均的な人に比べて下北弁や下北弁アクセントで会話する人が多いという傾向が見られた。また帰属意識が弱い人ほど共通語を使用するという傾向があった。
 言語意識に関しては、下北弁に対する意識と帰属意識との間に相関関係が見られ、帰属意識の度合いが強くなるほど下北弁に対して好意的な感情を抱きやすく、プラスのイメージを持ちやすいということが分かった。共通語に対する意識に関しては、帰属意識の度合いに大きな差は見られなかったが、帰属意識の強い人だけは好きでも嫌いでもないという曖昧な感情を抱きつつもやや好意的な意見も持っていることが分かった。



大学生における若者語の使用実態に関する一考察
                          ~属性の違いに着目して ~

遊佐 栞

 方言の使用には個人の言語意識が大きく関わっており、この言語意識によって方言の使用差が生まれる。では、若者語においてはどうなのだろうか。人々の中には、若者語を積極的に使用する人と、あまり使用しない人がいるように感じる。このような若者語の使用差はどのような原因から生まれるのだろうか。どのような人が若者語を使用し、また反対にどのような人が若者語を使用しないのか。このことを明らかにすべく、弘前と東京の大学生を対象に、若者語の使用率と様々な属性との関係性を調べるアンケート調査を行った。
 その結果、情報接触量が多い人、中でもSNSや雑誌といった情報媒体によく触れている人は若者語の使用率が高い傾向が見られた。また、社会的外向性が高く、人や社会とのかかわりが多い人も若者語の使用率が高かった。




平成24年度 卒業論文


外国人に支持される「やさしい日本語」の読み方に関する一考察-聞きやすいポーズの多さ・ポーズの時間・速さについて-
伊藤 友佳子

 「やさしい日本語」は、災害発生時に外国人へ情報を伝えるために作られた日本語表現である。「やさしい日本語」の、書きことばの規則は定められているものの、話しことばの規則はまだ曖昧な点が多い。そこで本研究では、「やさしい日本語」の音声化研究の中でも重要と考えられる速さとポーズの調査をして外国人にとって聞きやすい速さとポーズの数、時間などを提案した。調査は、日本語のレベルが中級程度の留学生を対象に実施した。

 速さに関しては、現在「やさしい日本語」を使ってラジオ放送をしている4つのメディアを取り上げ、それぞれの音声を分析し、調査結果と比較した。

 今後はこの結果をもとに、さらに多くの留学生で追検証を行い、話しことばの速さとポーズに関する信頼度の高い規則を確定させる必要がある。


中学校国語課の方言と敬語教育に関する一考察
加賀谷 悠

 中学校国語科には方言と共通語に関する単元が必ず存在する。しかし、単元の指導内容は「方言と共通語、それぞれの特性を理解させる」に留まっているのが現状である。そこで、学習指導要領や現場の職員が理想として挙げた「使い分けができるようにする教育」を行うためには、方言に関する単元と、敬語に関する単元を併せて授業することが有効と考えた。どちらも、場面や相手によってことばの使い分けを行う力をつけることが目的とされる単元なためである。この二単元を一単元として扱うことで、方言と共通語教育において問題とされる授業時間不足の解決にもつながる。

 つぎに拙稿では、上述方言と敬語教育を併せて行うための副教材を作成した。副教材は、先行研究と、津軽地方在住の高年層の女性を対象としたことばの使い分けに関する調査をもとに作成し、「方言敬語」について言及した。またインタビュー等の活動を取り入れることで、ことばの使い分けについて生徒が意識できるような工夫をした。


平常時における「やさしい日本語」の作成基準の検証に関する一考察-分かち書きと文構造について-
狩野 絵里香

 「やさしい日本語」は、発災から72時間以内の情報提供を目的とした外国人被災者のための日本語である。一方で「やさしい日本語」は災害発生時のみならず、日常生活における情報提供の手段としても注目されつつあるが、平常時に提供する情報は一文が長く複雑になるものが多い。

 書きことばとしての「やさしい日本語」は、文は文節で余白を空けて区切り、分かち書きにすることがルールの一つとして決められているが、長い文章を文節ごとに分かち書きしてしまうと、さらに長文となって読みにくい。そこで本研究では、平常時の「やさしい日本語」の作成基準に関する追検証と併せ、書きことばにおける「やさしい日本語」の分かち書きについても検証を行い、規則を確定した。


現代社会における日中外来語の受け入れについての比較研究-日中両国の新聞に使われた外来語の比較調査より-
彭 龍

 外国語は現代社会の各国語にとって重要であり、不可欠な部分でもある。拙稿では日本の「朝日新聞」と中国の「人民日報・海外版」を使用して、日中外来語の語源と分類の考察を行い、両国間での外来語の特徴を求め、また両国での外来語、和製英語と和製漢語も研究した。拙稿の目的は、日中両国の言語学習者の興味を育てることである。

 その結果、中国の方が日本より外来語が多用されていた。外来語の受容元をみると、日本語の外来語は約9割が英語語源であり、中国語での英語語源からの外来語は日本の約二分の一であった。また、新しいことばを受け入れる時の中国語は意訳傾向が強く、一方、日本語の方は意訳傾向が著しいという結論も得られた。

 和製漢語は明治維新後に、先進技術や思想を吸収した日本人が中国に輸出した外来語でもあった。


方言主流社会の教師に見る方言と共通語の使い分け行動に関する一考察
三田 綾乃

 方言主流社会に勤務する教師は、学校現場で方言と共通語を巧みに使い分けている。この方言と共通語の使い分けは何を基準にして行われているのだろうか。そこで、秋田県の中学校国語科教師を例に、教師の言語行動や言語意識、秋田県で過去に行われた言語教育の認知度と今後の言語教育という4つの観点から調査し、教師が方言と共通語を使い分ける基準を調査した。

 その結果、教師の方言と共通語の使い分け行動は、話し相手や場に応じて多様に切り替わっていることが分かった。このように切り替わる理由として、教師の心理的変化や他者との距離感が影響しているということ、また、国語科教師としてどのような指導を行うと考えているのか等、様々な要因が複雑に絡み合っていることが明らかになった。


eラーニングを用いた「やさしい日本語」学習に関する一考察-「やさしい日本語が作れるまでのシラバスとeラーニングの構造を中心に-
吉野 泰崇

 「やさしい日本語」について調べたい時、ネットワークを使うと多くの情報を見つけることができる。しかし、「やさしい日本語」について学習するための教材はあまり見受けられず、「やさしい日本語」を学習する機会が限定的になっている。

 そこで拙稿では、ネットワークを使って学習できる「eラーニング」で「やさしい日本語」を学ぶシステムを提案した。システムの内容や学習方針は、「やさしい日本語」をどのように学習者へと教えるかや、どのような点で注意すべきかを、現在の「やさしい日本語」の作成ルールを基にまとめた。



平成23年度 卒業論文

津軽方言と南部方言における方言語彙量および言語イメージの違いに関する一考察
石郷岡 芽依

 津軽地方と南部地方の方言イメージと、共通語のイメージや方言に対する好悪の感情について調査した。さらに双方の方言語彙量と、言語イメージに何らかの関係性があるのかを考察した。
 
 その結果、津軽方言語彙量のほうが南部方言語彙量よりも多く、南部よりも津軽の方で、より方言が残っていることがわかった。また、津軽と南部どちらの方言も、世代があがるにつれ、方言語彙量も増えるという結果になった。
 
 次に、それぞれの方言のイメージを調べてみると、津軽の方が南部よりも悪いイメージで捉えていたが、南部に比べ、良いイメージと悪いイメージどちらも抱きやすいということもわかった。南部は方言に対する好悪の感情でも「どちらでもない」という曖昧な回答が良く選ばれており、南部方言語彙量が津軽のそれよりも少ない理由として、方言に対するイメージの希薄さが挙げられると結論付けた。


大学生のPISA調査の実態と新聞を読む時間との相関についての一考察
小縣 大輝

 若者の新聞離れが騒がれている近年、新聞を教育の現場で用いるNIEという運動が2011年度から小学校5、6年生の授業で本格的に始まった。近年、新たに登場した読解力でもあるPISA型「読解力」を育む教材として新聞の果たす役割が注目されつつあるが、新聞との関係性は本当にあるのだろうか。
 
 そこで、まず新聞と旧来の読解力とは異なるPISA型「読解力」の関係性を探ることから始め、新聞と読解力の関係に迫った。そして弘前大学を対象に、PISA型「読解力」に関するテストを行った。
 
 しかし実際には、大きな差は見られなかった。今回の調査では、被調査者数や問題数の少なさなどが原因で、新聞とPISA型「読解力」の間に関係性が見られなかったと考えている。


日本に住む外国人のための災害語彙教育の実態と必要性に関する一考察
-災害教育を教えるための学習教材を作る-
小林 彩花

 2011年3月に、日本は最大震度7、マグニチュード9.0の東日本大震災が発生した。近年、ますます国際化の進む日本は、世界でも有数の地震大国であり、日本に住む外国人にも災害に関する知識が必要とされているように思う。
 
 しかし、日本語初級の学習教材では、災害に関する語彙があまり取り扱われていないことから、外国人が日本語学習を通して、災害語彙を知ることは難しい状況にある。そこで、本研究では阪神淡路大震災(1995)を経験した子どもたちが書いた作文集から、災害に関する特有の語を抽出し作成された「外国人用地震災害基礎語彙100」を使用し、そこにまとめられている災害語彙100語を学ぶことのできる災害語彙学習教材を作成した。
 
 今回作成した教材を今後広く利用してもらうためには、辞書などを使用せずとも、教材のみで災害語彙を学習できるようなものとすることが課題として残った。


北海道内陸部方言ネイティブの言語意識と方言語彙量に関する一考察
-大学生の居住先の違いに着目して-
齊藤 桂子

 北海道内陸部の方言は全国共通語に近い性格だと言われる。しかし北海道内陸部方言は本当に共通語に近いことばなのであろうか。ほとんどの人が地元を離れる経験となる大学進学に伴う転居や居住先の違いで、方言語彙量や言語意識が異なるのではないかと考え、地元・札幌・弘前・首都圏に住む北海道内陸部方言ネイティブの大学生に調査した。
 
 その結果、居住先の違いで、ある語彙を方言と思うか共通語と思うかの意識が違ったり、方言語彙量にも差がみられたりした。また北海道内陸部方言ネイティブのほとんどが、共通語に近いと言われる北海道内陸部方言に共通語との違いを見出していることもわかった。札幌のことばは共通語と同じであり、方言意識が希薄であると言われることがあるが、同じ北海道内陸部方言でも、札幌のことばと自分が話していることばとでは少し異なるという言語意識があるように感じられた。


方言主流社会における方言を必要とする職業と方言の使用理由に関する一考察
佐々木 優希

 31の職業に就く津軽地方出身で在住の40~50代男性を対象にアンケート調査を行った。方言を必要とする職業と仕事上の方言の役割について尋ねたもので、サービス業と小売業での比較や、その職種にマニュアルが有るか無いかによって、ことばの使い分け行動に違いが見られるかなどを分析した。
 
 その結果、ことばの使い分けや方言量、自由記述などから、方言を必要とする職業は、客層が地元の人で、仕事上相手の気持ちを和ませる必要がある職だということがわかった。また方言の役割は、相手との距離を縮めるために必要なコミュニケーションツールである、ということも明らかになった。そして、サービス業と小売業では、小売業の方が方言量は多く、マニュアルの有無では、マニュアル無しの方で方言量は多かった。さらにマニュアル有りの方が、ことばを使い分ける割合は低かったことから、マニュアルはことばの使い分けに影響を及ぼしているということも明らかになった。


津軽方言話者の「気づかない方言」における気づいたのちの使用実態に関する一考察
佐藤 美佳子

 「気づかない方言」とは、その地域特有のことばであるにもかかわらず、方言話者たちに共通語であると認識されているものを指す。本論では、津軽方言話者を対象にアンケート調査を行い、共通語だと思って使っていた語が方言だと気づいたのちも、津軽方言話者がそのことばを使い続けるのかどうかを調査した。
 
 方言だと気づいたのちに使用するかどうかを左右する要素として、津軽への帰属意識や津軽弁や共通語の言語意識との相関が挙げられると考えた。そこで、津軽方言話者の津軽地方に対する帰属意識の度合いを数量化し、その度合いによって、方言と気づいたのちの使用実態に違いが見られるか考察した。同様に、津軽方言や共通語に対する好悪の感情といった言語意識の違いによっても、違いが見られるかについて言及した。


発災72時間以降の「やさしい日本語」案文の定型化に関する一考察
鈴木 真理子

  「やさしい日本語」は、発災から72時間以内の情報を外国人被災者へ伝えることを目的としている。しかし、2011年3月11日の東日本大震災では、72時間以降の情報も「やさしい日本語」で発信する必要があった。発災から時間が経過するほど、情報の分量は増え、文構造が複雑になる。そのなかで、迅速かつ正確な情報発信のための翻訳態勢を整えることが重要と考えた。
 
 そこで、発災から72時間以降の「やさしい日本語」案文の情報配列を構造化し、雛型となる定型文を作成することにした。これにより、普通の日本語原稿からスムーズに必要な情報を抜き出し、効率的に翻訳できるようになると考えた。
 
 東日本大震災で実際に伝えられた情報から「やさしい日本語」案文の情報配列を明らかにし、定型文を作成した。また、外国人留学生へのアンケート調査により、定型文の理解度を検証し、「やさしい日本語」案文に使用することのできる文型を明らかにした。


発災から72時間以降の情報を伝える「やさしい日本語」の新基準に関する一考察
豊間根 鮎美

 「やさしい日本語」とは、災害発生から72時間の情報伝達を目的とした、外国人のための簡易な日本語のことである。2011年3月11日に起きた東日本大震災で社会言語学研究室が翻訳支援した情報は、通常の「やさしい日本語」で想定されている72時間よりも後に必要となる情報が多数あった。
 
 それら72時間以降の情報は、「やさしい日本語」に翻訳したものでありながら内容も複雑で情報量も多い。そのため、対象となる外国人の日本語能力の基準を引き上げ、より複雑な情報にも対応することができる「やさしい日本語」の新基準を作成しようと考えた。
 
 そこで、実際に公開された「やさしい日本語」の情報文から72時間以降の情報を抽出し、それを用いたアンケート調査を外国人留学生に行った。卒業論文では、調査結果である情報文の理解度を分析し、適切な語彙の難易度や文構造、掲示文の体裁等を明らかにし、発災から72時間以降の「やさしい日本語」作成のための新基準を提案した。


「平常時における『やさしい日本語』」の作成基準の検証とそのガイドライン化
-「平常時における『やさしい日本語』」の指針についての一考察-
平川 益美

 「やさしい日本語」は、災害発生から72時間以内での情報提供を目的に作られたものであるが、その他に「やさしい日本語」の社会的ニーズとして、日頃からの活用も望まれている。先行研究である秋山(2010)の卒業論文では「平常時における『やさしい日本語』」の作成基準が試案された。この基準を使うことで、日常生活における「やさしい日本語」を有効に利用できるかもしれないと考えた。しかし同基準では、実際に外国人に通用するかどうかの検証がなされていない。
 
 そこで本研究では、秋山が設定した「平常時における『やさしい日本語』」の作成基準が適切であるかを、本学の留学生により検証することにした。そして検証と分析の結果から、「平常時における『やさしい日本語』」の作成ルールを確定した。


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平成22年度 卒業論文

中学校国語科教員の考える生徒に教えたい方言の価値と共通語の価値に関する
一考察
五十嵐 純平

 時代ごとの方言教育の方針を知るため、各時代の学習指導要領を見ていった。いずれの時代にも似た教育方針が見られ、それは小学校でなまりを正し、中学校までには方言そのものを使わせないよう習慣付け、共通語を使わせるものであった。しかし平成10年度の学習指導要領からは、「方言と共通語のそれぞれの果たす役割を理解させる」という新たな方針がとられ、教育現場での方言の扱いは見直された。
 
 そこで、その実態についての調査を青森市内の中学校っで行ったところ、生徒の約6割が方言を授業で扱って欲しいと感じているが、一方で共通語との使い分けを意識している生徒は一部であった。教員が教えたい内容と教科書の内容にズレが生じている面もわかり、方言教育は様々な形で問題を抱えていた。現状を改善するには、教員の方言教育に対する意識を高めることが不可欠と結論付けた。


南部方言話者の言語行動と言語意識に関する一考察
―南部への帰属意識に着目して―
岩澤 彩

 青森県南部方言話者を対象にアンケート調査を行った。南部方言話者の南部地方に対する帰属意識の度合いを数量化し、その度合いによって南部弁と共通語の使い分け行動や南部弁と共通語に対する意識に違いが見られるかを考察した。
 
 その結果、帰属意識が強い人ほど方言を使用する頻度が高く、相手が共通語を話す場合には、共通語を使う傾向にあった。一方、帰属意識が弱い人は、日常から共通語を使用している傾向が見られた。
 
 言語意識に関しては、南部弁に対する意識と帰属意識に強い相関性が見られ、帰属意識が強い人ほど南部弁が好きであり、良いイメージを抱いていることが分かった。共通語に対しては、南部に対する帰属意識の強弱に関係なく画一的なイメージとなっていた。


津軽方言話者が認識する五所川原方言の位置付けと弘前方言との差異に関する
一考察
大坂 愛実

 五所川原市と弘前市で津軽弁の残存語彙量とことばの使い分け行動についての調査を行った。また言語意識を世代別に調査・比較し、同じ津軽弁話者でも地点による違いはあるのかの分析をした。
 
 その結果、20歳以上では五所川原ネイティブの方が弘前ネイティブよりも方言語彙の残存量や津軽弁の使用頻度が高いことがわかった。しかし五所川原ネイティブの10代(若年層)は、弘前ネイティブの同年代よりも共通語化していて、方言の残存量も使用頻度も低いことが明らかになった。言語意識については、ほとんど差が見られなかったが、若年層での「使いやすい」などの評価語に違いが見られた。ことばに対する意識についての地域内での違いはなかったが、方言の残存量などについては、世代差や地域差のあることが明らかになった。


中学校における国語科の方言教育の実態と副教材に関する一考察
三上 綾佳

 現在、津軽地方で行われている国語科の方言教育の実態を確認し、それをふまえ青森県津軽地方で使用することを想定した方言用の副教材を作成することを目的とした卒業論文。副教材の作成に先立ち、全国の都道府県教育委員会が作成した方言の副教材の有無を調査した。その後、津軽弁用の副教材の仮目次を作成した。仮目次をもとに、アンケート調査を津軽地方で教壇に立つ中学校国語科の教員に行い、その結果に基づいた副教材案を提示した。
 
 今後の課題は、アンケート調査の中で、充実することが望ましいと答えられた副教材部分を修正していくことである。例えば、地図を用いながら方言の紹介をしたり、日常の方言会話・談話の文字資料を掲載したりすること、方言と敬語について触れることなどである。特に方言と敬語に関しては、方言と共通語の使い分けとも関連する部分であり、生徒の言語生活を豊かにするためにも補わなければならない部分だと考える。


大学生に求められる言語力の向上法に関する一考察
山口 佳織

 言語力とは、「言語を用いたコミュニケーションに必要となる能力のこと」である。国際的な学力検査において日本人学生の読解力が低下傾向にあることやいじめ・ニートなど、人間関係の問題が深刻になっていることからその必要性が高まっている。言語力は大学生にとって重要な能力である。企業からコミュニケーション能力の高さを求められるが、その能力の不足故に若年者の離職原因ともなっている。しかし、大学の授業で対策を講ずるには教員の負担や時間の不足などの課題が残る。
 
 そこで、学生が各自で言語力の向上を図る方法がないかを考えた。先行研究では、日本人学生は知識があってもそれを表現することが苦手である傾向が明らかになっている。そこで、言語を操る技術の育成が必要と感じ、欧米の言語教育で盛んな言語技術を手がかりに向上法を考えた。その際、手に入りやすい教材を使えるよう、身近な活字情報源である新聞を教育に取り入れるNIEを使うことを提案した。


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平成21年度 卒業論文

平常時における「やさしい日本語」の有効性と可能性に関する一考察
―日常の生活情報を伝えるための基準―
秋山 ひかり

 「やさしい日本語」は、災害後72時間以内の情報伝達を目的とした外国人のための簡単な表現である。「やさしい日本語」は、災害時以外の利用も望まれているが、平常時の利用にはまだ問題が多く、実用化には至っていない。一方で日本の外国人登録者数は年々増加し、話される言語も多様化している。このようなこともあって、平常時から「やさしい日本語」が使われることは大切ではないかと考えた。
 
 そこで、平常時の「やさしい日本語」が実用化することを期待して、外国人が日常生活で必要とする情報は何かを抽出した。ついで外国人向けに書かれた刊行物から、 外国人の理解度が最も高かったものを選出し、その文構造を明らかにした。
 
 これら「やさしい日本語」文や外国人向け刊行物、および日本語能力試験の問題文 を元に、日常生活を伝えるのに適切な文構造とは何かを明らかにし、平常時の「やさ しい日本語」作成基準として提案した。


佐渡方言話者の佐渡方言に対する言語意識と言語行動に関する一考察
氏江 南

 佐渡に住む佐渡方言話者は、佐渡という地域と佐渡のことばをどうみているのかを明らかにするアンケート調査を行った。佐渡の高校に通う高校生、佐渡にずっと住む20代のネイティブ、佐渡から離れて生活したことのある20代のUターンネイティブを対象に調査を行い、佐渡方言話者の言語行動と言語意識を考察した。その結果、佐渡方言話者は佐渡と新潟を対称的な地域と考えていることがわかった。
 
 そして、佐渡のことばと共通語のイメージははっきりしているのに対し、新潟のこと ばにははっきりとしたイメージを持っていないということもわかった。また、10代から20代になることや佐渡から離れて生活したことがあるという経験は、地域イメージやことばイメージに影響を与えること、佐渡のことばと共通語を上手く使い分けられるようになるということが明らかになった。


共通語中心社会札幌と仙台の共通語化意識と方言アイデンティティに関する一考察
~東京と弘前との比較調査から~
相馬 咲恵

 札幌・仙台・弘前・東京の4都市で、自分の話していることばや共通語に対する意識、 共通語と方言の使い分け行動を調査し、札幌・仙台はどの程度共通語化しているのか、方言に対してどのような意識を持っているのかについて分析した。また、お互いの都市に対する位置付けについても分析した。

 その結果、札幌と仙台の両都市では、普段から共通語を使用し、自分の話している ことばは共通語であると思っていることが明らかになった。また、自分の子どもには方言と共通語を使い分けてほしいと思い、方言を後世に残したいかについては「残るものなら残したい」と考えていることが明らかになった。

 札幌と仙台で、互いの都市について尋ねたところ、自分の都市のことばの方が共通語に近いと考えていた。しかし、方言を大切にしている都市については、札幌・仙台ともに同じ位あるいは仙台の方が方言を大切にしていると思っていることも明らかになった。


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平成20年度 卒業論文

日本人と韓国人の方言意識に関する一考察
-津軽方言話者と慶尚道方言話者を比較して-
工藤 周子

 慶尚道出身の韓国人大学生は、場面に応じて方言と共通語を使い分けるのか、また方言や共通語に対しどのように考えているのか等、韓国人の方言意識について主に論述し、その結果と比較するため、津軽地域出身の日本人大学生も対象に分析を行った。

 結果、韓国人は共通語をあまり使用せず、日本人は方言だけでなく共通語も積極的に使用する傾向が見られた。韓国人が方言化する理由として考えられることは、ことばの使い分けについて明確な考えがなく、「共通語を使用すべき場面では共通語を使用するが、それ以外の場面では方言でよい」という考えや、「共通語に必要性を感じない」「使い分ける必要ない」「方言を残したい」「慶尚道も比較的都会の方だ」という考えだ。

 慶尚道で暮らす韓国人は、共通語が適当と見られる数少ない場面では共通語を使うが、日常的には方言を使う。ことばの伝達手段としては方言が主流で、共通語より方言を重要視していることがうかがえる。


中学校国語科教育における方言と共通語の指導に関する一考察
-青森県の中学校国語科教員66人を例として-
境 沙都美

 筆者が中学校へ教育実習に行った際に、学校教育では主に共通語を用いていることに気がついた。それに対して、学校教育の中で方言を扱う機会は少ない。よって本研究では、文部科学省作成の学習指導要領と5社の国語科教科書を分析し、さらに、青森県の中学校国語科教員66人を対象にアンケート調査を行ない、中学校国語科における方言と共通語の指導についての現状と、国語科教員の意識を考察した。

 その結果、学習指導要領と、実際の教育の現場の間に差があるということが明らかとなった。学習指導要領解説では「共通語を使いこなせるようにし、場面に応じた共通語と方言の使い分けを身につけさせる」ことを求めているが、現場ではまだそこまで追いついていないのである。この問題を解決するためには、国語科教員自身が方言と共通語の指導をより一層重要視するということと、「方言と共通語の使い分け」を指導するための副教材を作成するという2つの課題が挙げられる。


方言の受容と行動様式に関する一考察
-津軽地域に来た学生の方言習得を具体例に-
菅原 麻美

 生まれ育った土地から新しい土地に移り住むと、その土地の方言も受け入れるようになり、場合によって会話の中で使われるようになると感じていた。そこで、津軽地域に来た大学生に、地域やことばに対する意識、方言と共通語の使い分けについてアンケート調査を行なった。

 その結果、津軽弁が好きな人は津軽弁に対して良いイメージを持つ傾向にあった。津軽弁が話せるようになったら、津軽方言話者と会話してみたいという意見も見られた。また、方言と共通語の使い分けに関しては、相手の話すことばや相手との親しさの度合いによって使い分けられていることがわかった。津軽地域以外の出身者が津軽弁を使うのは、相手との心理的な距離を近づける効果があるためだと考えられる。


「やさしい日本語」研究の現状と展望に関する一考察
-社会的ニーズに着目して-
三浦 彩乃

 「やさしい日本語」とは、災害時に外国人に必要な情報を伝える手段として考え出されたことばである。「やさしい日本語」は有効性も検証実験によって証明されており、実際に「やさしい日本語」を使って外国人への情報提供を行なっている団体もある。しかし、まだ社会全体には認知されておらず、普及もしているとは言えない状況である。「やさしい日本語」の普及には、まず社会が「やさしい日本語」にどのようなことを期待しているのかを明らかにする必要があるのではないかと考えた。

 そこで本研究では、「やさしい日本語」を使用して外国人に情報提供を行なっている方や、外国人登録者数の多い自治体の職員の方にアンケート調査を行い、「やさしい日本語」への社会的ニーズを考察した。

 「やさしい日本語」へのニーズを探った結果、平常時から利用できる、文字媒体で使用できる「やさしい日本語」、コミュニケーション手段としての「やさしい日本語」が望まれていることが分かった。



札幌在住高校生の言語行動と言語意識の変化に関する一考察
-14年間で高校生の意識はどう変化したか-
吉田 雅

 北海道方言は、大きく内陸部方言と海岸部方言に分かれる。海岸部の方言は東北地方や北陸地方の方言の影響が大きく、内陸部方言は共通語的性格が強い。特に、内陸部の中心都市である札幌は全国共通語的な性格が強く、「東京よりも札幌のことばはきれいだ、」と論ぜられることが多い。本研究では、札幌在住の高校生男子50名を対象にアンケート調査を行い、札幌市における、言語行動・言語意識の現状と変化を考察した。

 その結果、札幌在住の高校生は、共通語と札幌のことばが混同し、その違いがわからなくなっている、という現象が見られた。ただ、「方言と共通語を使い分ける機会」を経ることで、その意識は変化する可能性がある、ということも明らかとなった。また、現在の札幌在住高校生は、状況・相手を問わず、方言よりも共通語を使用する傾向にあった。それは、以前に比べ彼らが、「共通語が好き」と感じるようになったからであると思われる。


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平成19年度 卒業論文

津軽ノンネイティブの帰属意識と方言受容に関する一考察
-帰属意識の強弱を出身地の違いから見て-
今井 愛子

 津軽地域に住む津軽地域外出身者(津軽弁ノンネイティブ)の各津軽弁語彙の受容度と出身地との関連性を比べた。さらに方言の語彙量と津軽への帰属意識や出身地域などの社会的属性との相関を明らかにしたいと考えた。津軽ノンネイティブに、津軽弁語彙の受容度、津軽や出身地への帰属意識についてアンケートを行った。

 この結果、出身地より津軽に対する帰属意識の強い人や津軽に近い北東北の出身者は津軽弁語彙の受容度が高いことがわかった。また受容されやすい津軽弁語彙とは、まず津軽ノンネイティブが津軽地域に住む以前から自の方言とし獲得している北東北や北海道でも使用されている広域の津軽語彙である。次に東日本出身者が共通して受容していると考えられる津軽弁語彙、さらに比較的聞き取りやすい津軽弁語彙であることがわかった。


外国人の外来語量に基づく日本語教育への一提言
小笠原 美幸
 日本語には外来語が氾濫している。外来語をむやみに使用すると意思の疎通に支障をきたす場合もある。日本人にとっても分かりにくい外来語は、日本語を学ぶ外国人にとってますます理解しにくいと考えられる。本研究では、弘前大学の外国人留学生にアンケート調査を行い、外国人の持つ外来語量や外国人の外来語に対する意識を明らかにすることで、外来語は日本語教育においてどう教えられるかを考察した。

 アンケートの結果、留学生の約8割が外来語を分からなくて困っていた。とくに外来語の聞き取りが最も苦手で、英語と違った日本人独特の発音に困っていた。日本語教育では外来語の聞き取りに重点を置くべきことや、彼らにとって調べやすく、知りたい語が載っているような外国人用の日本語辞書があると理解が深まるといった結論が得られた。


非都市部居住者における外国語教育への意見に関する一考察
-「日本人にとって大切なのは国語教育か英語教育か」への意見を中心にして-

田村 直子

 青森県の津軽地域に住む人々が英語教育をどのように考え、英語教育に対して何を期待しているのか、国語教育と英語教育ではどちらが日本人にとって大切だと思っているのかといったことをアンケート調査により見出した。

 その結果、津軽地域居住者は、英語教育は日本人にとって必要と考え、英語教育に対して実践的なコミュニケーション能力を養うことを期待していることがわかった。


 また、授業時間を増やすべき科目に関しては、英語よりも国語をあげる人が多かった。国際化が進む中、英語は学ぶ価値がある。しかし、学校で英語ばかり重点的にみることに賛成する人はほとんどいない。
 私は、津軽地域居住者は英語を使いこなすためにはまず国語からという考えを抱いているのではないかと考えた。日本語で自分の言いたいことを正確に相手に伝えられる表現力を身につけることが、英語を使いこなすための土台となるのではないだろうか。


津軽地域に見る医療面接時の方言に関する一考察
對馬 菜都美
 医療や福祉の現場における方言が注目されている。診察の際、医師や看護師などの医療従事者が患者の話す方言の意味を理解できず、適切な診断ができなかったり、誤った診断をしてしまう可能性があると考えられている。そのようなことを問題であると捉え、また様々な地域で研究や対策のなされていることを知り、方言主流社会である津軽地域でも患者の話す方言が通じなかったり、またはわからずに困ることが起こりうるのではないかと考えた。

 本研究では、津軽地域で働く医師と津軽地域の病院を利用している患者に、医療面接時に方言がわからず、または伝わらずに困った経験がなかったかなどを聞き、医療面接時のことばの問題についてどのように考えているのかを調査した。また、医師を目指す医学部生にも同様の調査を行い、医師と医学部生で考え方に違いがあるのかについても調べ、それぞれのアンケート結果から医学部教育の今後の課題についても言及した。


世代の違いによる流行語への規範意識に関する一考察
-情報量の多寡との観点から-
中村 香織

 近年、日本語が注目されている。流行語は日本語の中でも誕生スピードが速く、単語も増加傾向にある。しかし誕生はしてもそのことばを知っている、あるいは使っているという人はどのくらいいるのだろうか。また、流行語といっても語形が崩れているもの、カタカナ語、メディアで使われた語など、出自はさまざまである。

 そこで、各個人が持っている規範意識の強弱が流行語の理解・使用語彙数にどのような影響を与えるのかということや、流行語がメディアから発信されるということに基づいた情報量の多寡という観点から流行語について考えてみた。


『やさしい日本語』のやさしさに関する一考察
-やさしさの基準を小学校教科書に現れる分構造に求め-
成田 有梨沙

 「やさしい日本語」とは、阪神淡路大震災の教訓を元に、災害時に外国人に情報を伝えるための手段として考え出されたことばである。外国人入国者数が増加傾向にある近年、「やさしい日本語」に対する関心と需要が高まってきている。しかし、「やさしい日本語」に関しては曖昧なところも多く、やさしさの基準となる日本語能力試験3級レベルがどの程度の難易度かを日本人にはイメージしにくいという問題点がある。「やさしい日本語」の知識が無い人にとって「やさしい日本語」の文章を作るのが困難となる。

 そこで本研究では、「やさしい日本語」の基準となる日本語能力試験3級レベルがどの程度の難易度なのかを、日本人に馴染みのある小学国語の教科書を具体例として用い、文法事項の難易度を考察した。

 その結果日本語能力試験3級レベルとは、小学国語の教科書で言う2年生程度の難易度に相当することが分かった。


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平成18年度 卒業論文

津軽地域に見る待遇表現に関する一考察
-農村と都市を比較して-
一戸 淳也
 津軽という一つの地域内であっても、都市化の進んだ場所とそうでない場所で話されることば遣いに違いがあると感じていた。そこで、弘前市を農村部と都市部とに分け、それぞれの地域で待遇表現に関するアンケート調査を行い、両地域での待遇表現の違いを考察した。
 調査は依頼表現、終助詞、逆接、順接の使い分けと言語意識をたずねるもので、弘前市に住む津軽ネイティブの男性を対象に行なった。
 その結果、依頼表現、逆接、順接の一部で違いが現れ、終助詞については農村部と都市部で使い分けに大きな違いが認められた。また相手別で見ると非津軽弁話者に対する使い分けよりも、津軽弁話者に対しての使い分けに違いが現れた。言語意識については農村部と都市部でほとんど差は見られず、使い分けの違いを支える意識は見つけられなかった。


津軽方言話者における言語意識の変化に関する一考察
-非津軽方言話者からの言語的影響に着目して-
菊池 慎吾
 津軽方言話者の言語意識について、大学入学後と入学以前で津軽弁と共通語に対する好悪やイメージ、そして両者の使い分けに対する意識に変化が見られるかを考察した。
 大学入学後、共通語話者と会話する機会の増加を主な原因として、さまざまな意識の変化が見られた。例えば津軽弁に対しては、入学以前に比べ「乱暴」「汚い」などマイナスのイメージは強まるが、好悪の感情では決して津軽弁に嫌悪感を抱くようになるわけでもなく、むしろ好意的な感情が強まっていた。一方、共通語に対してはイメージの変化はそれほどでもないが、入学以前に比べて好意が強まることがわかった。また両者の使い分けについて、共通語話者と会話する機会が多い人ほど使い分けをしようとする意識が高まることが明らかになった。


災害情報を伝えるための「やさしい日本語」の文構造に関する一考察
沼田 ひかり
 「やさしい日本語」とは、災害時に外国人へ必要な情報を伝えるために考え出されたことばである。その有効性はいくつかの検証実験によって証明されているが、「やさしい日本語」の文の構造については曖昧な点が多く、詳しく定義されていない。そこで本研究では外国人に対する日本語教育の教科書や小学校低学年の国語の教科書、新聞などの報道で使われている日本語文を比較し、それぞれがどのような構造なのかを文の長さや漢字の量、種類、文末表現、助詞などの観点から分析した。そして日本語教育でよく使われているものを日本語初級者にも親しみがあり、よりやさしいものと考え、それを「やさしい日本語」の文構造として提示した。また、「やさしい日本語」の詳細な文法を定義することによって可能となる、普通の日本語を「やさしい日本語」に変換するツール「やんしす」の問題点について言及し、解決策を提案した。


津軽方言話者の言語行動と言語意識に関する一考察
-津軽に対する帰属意識との関係から-
本田 春香
 津軽で生まれ育った人にとって津軽弁は一番のコミュニケーションツールであると共に、自己の津軽に対する帰属意識を表現するという機能も果たしているのではないかと考えた。そこで、津軽方言話者の津軽に対する帰属意識の度合いを数量化し、その度合いによって津軽弁と共通語の使い分け行動や、津軽弁や共通語に対する意識に違いが見られるかを明らかにするために津軽方言話者にアンケート調査を行なった。
 その結果、言語行動に関しては、津軽に対する帰属意識が強い人ほど方言使用の頻度が高く、使い分け行動を避けるような傾向が見られ、帰属意識が弱い人ほど相手の言葉や場所に応じて柔軟に言葉を使い分けるという傾向が見られた。言語意識に関しては、津軽弁に対する意識は帰属意識と強い相関性が見られ、帰属意識が強い人ほど津軽弁が好きであり、良いイメージを抱いていた。共通語に対する意識に関しては、津軽に対する帰属意識と相関性は見られなかった。


ことばのユニバーサルデザインに関する一考察
-公共施設における言語表記を考える-
吉田 奈菜
 日本における外国人入国者の数は、年々増加している。しかし、年齢や国籍を問わず誰もが利用する駅や病院などの公共施設において、外国人へ向けての情報提供は十分になされているとはいい難い。公共性の高い場所で外国人にも平等に情報を提供するには、現状の標識や掲示物に書かれている文を、どう改善すれば良いのだろうか。
 本研究では「ことばのユニバーサルデザイン」というテーマで、公共施設の標識や掲示物に使われている日本語(書きことば)の問題点を外国人の視点から考えた。調査では留学生の協力を得て、街中にある標識や掲示物に使われている日本語について意識調査した。また、街の中で実際に使われている標識や掲示物から日本語文を抜き出し、それぞれの文の表現のわかりやすさとわかりにくさについても比較した。さらに、ひらがな・カタカナ・英語・ローマ字でルビをふった掲示物それぞれのわかりやすさについても検証した。


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平成17年度 卒業論文

台風や風水害時に使える「やさしい日本語」案文に関する一考察
-伝える情報とその表現様式について-
斎藤 庸子
 「やさしい日本語」は、非日本語話者を対象としており、通常とは異なった読み方をする。そのため、日本人は違和感を覚えることもある。そこで、外国人が理解でき、かつ、日本人にも支持される「やさしい日本語」の読み方や具体的なポーズのとり方などについて分析・考察した。本文中では、調査により効果的であると判断されたポーズを実際に使用した台風や風水害情報の案文を例示した。


方言主流社会に暮らすノンネイティブの言語行動に関する一考察
-言語意識を支える社会的背景との関係から-
矢口 亜紀
 方言主流社会におけるノンネイティブの方言使用にはどのような社会的背景が関係しているのかを知るためのアンケート調査を行った。その結果、津軽弁使用者には10年以上の在住歴を持つ人や社会人が多く分布していた。また出身地の方言使用についてみてみたところ、属性・意識との関連性は見られず、親しい者との間で多く使用されていた。方言主流社会人的な意識を保持する人たちには、方言を実際に使用している割合が高い傾向を見出す
ことができた。


青森県下北方言語彙の特徴と残存に関する一考察
-若年層方言話者の言語意識との関係から-
若佐 知加子
青森県下北地方には自衛隊の基地などがあり、そのため地域の狭さに対しての人の出入りは激しく、独特のことばが存在する。そのような理由から、下北方言は南部方言に属するものの、特徴のつかみにくい方言とされてきた。
 本稿では、下北地方の方言の特徴を明らかにすると共に、下北地方に現存する方言の語彙集を作成し、若年層に対して、その意識と方言使用状況の相関関係を明らかにしようとした。


平成17年度 修士論文

方言人称詞の社会言語学的研究
-「方言主流社会」弘前の若年層話者に見られる単数形自称詞の使い分け行動を中心に-
柴田 朝幸
 本研究では、青森県弘前市の小学生、中学生、高校生、大学生を対象に質問紙調査を行い、自称詞の使い分け行動や使い分け意識について考察した。使い分けの基準(ことばづかいを変える要素)を心的距離という尺度によって分類し、それに従って現在における津軽方言自称詞の体系を客観的に示した。分析では、特に津軽方言の伝統的な自称詞「ワ」に注目し、その<親しみ>を表す役割から「少年層を社会化させる」、「ノンネイティブを受容する」、「男女の使用を可能にする」といった3つの機能を見出すことができた。また、「ワ」は<もてなしの度合い>が広く、距離の遠い対話者にも使うことが可能な表現でもあることを指摘し、その要因について考察した。


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平成16年度 卒業論文

方言主流社会における待遇表現の使用意識に関する考察
宮尾 聡一郎
 一般社会の縮図ともいえる企業においては、コミュニケーションを円滑に進めるために敬語を始めとした待遇表現が重要な役割を果たしている。また、方言主流社会である弘前市では、方言と共通語の使い分けも待遇表現として機能している。企業内において、敬語や方言の使用および使い分けが、どのような意識の上でなされているのかを明らかにするために、弘前市内の土木・建設会社を対象にアンケート調査を行った。
 ことばを「敬語」「方言」「共通語」の三種類に分類し、主に上下関係によることばの使い分けを見ることで、待遇表現としての位置付けを考察した。その結果、敬語は丁寧さを表すことば、方言はくだけたことばとしての位置付けにあり、共通語と方言の使い分けは、実際には待遇表現としてあまり機能していないことがわかった。また、方言は必ずしもくだけたことばではなく、丁寧なことばとしての役割を担う場合もあることがわかった。


津軽方言語彙の残存と言語意識に関する一考察
三上 奈津子
 方言語彙の残存と衰退の要因として、世代差や地域差といった社会的要因だけではなく、各々の方言に対する意識も関係しているのではないかと考えた。論文では、方言の語彙量に個人差が生じる要因について、言語意識との関係から探ろうとした。方言語彙量の多寡によって津軽弁に対する意識に違いがあるのかを明らかにするため、津軽ネイティブを対象としたアンケート調査を行った。
 その結果、方言語彙量が多い人のほうがそうでない人に比べ津軽弁に対して好意的であり、今後も残していきたいと積極的に考えていることがわかった。また、世代差や地域差についての分析も行ったところ、津軽弁を消極的に見ているかどうかは、衰退の大きな要因となっていた。個人・世代によって津軽弁に見出す価値の度合いは異なるものの、津軽ネイティブの多くが津軽弁を好意的に思っていることもわかり、方言が完全に衰退してしまうことはなさそうである。


外国人にも支持されるやさしい日本語に関する一考察
-効果的な読み方を中心に-
熊谷 和恵
 阪神大震災を教訓に、外国人被災者に対する情報提供の方法としてやさしい日本語によるものが考えられており、今、その有効性の検証がなされつつある。本研究では、実際にやさしい日本語で情報を流すとして、どの程度のスピードであれば外国人の理解度を下げず、かつ日本人にも受け入れられるのかを探った。
 一つの文の中に置くポーズの量や、そのポーズを採用した文のスピードはどの程度が最適なのかについて、外国人を対象に調査を行い、効果的な読み方となるポーズとスピードを明らかにした。
 この実験から得られたポーズやスピードによる文を、大学生と高齢者に聞いてもらったところ、災害時のニュースとして論文中に提案したそれらは、両者からも受け入れてもらえることがわかった。
 また災害時に多用されることばは、外国人であっても知っていたほうが災害時に日本人との間でやり取りがスムーズになると考え、初期の段階で習う日本語として選び出し、「災害基本語分野」「日常分野」「外国人分野」に分けて提案した。


津軽方言語彙の残存・衰退に関する一考察
-弘前市と青森市の比較調査から-
黒瀧 友里
 本研究では、津軽方言語彙が衰退しているのかどうか、また、もし衰退しているのであればどの程度衰退しているのか、ということについて明らかにした。1975年ごろに使用されていた津軽方言語彙が今はどうなっているのか、その使用状況について弘前市と青森市でアンケート調査を行った。世代と意味分野という観点から津軽方言語彙の残存と衰退について考察した。
 その結果、津軽方言語彙は衰退していることが明らかになった。弘前市でも青森市でも、世代が下がるにつれて使用する方言の語彙は減少しており、若い人ほど使用する方言語彙は少なくなっていた。残存している意味分野は「行動・感情」「天地・気候」といったもので、逆に「民族・遊戯」「職業・経済」といった意味分野の語彙では衰退していた。弘前市と青森市で使用されている語彙の意味分野に大きな差は見られず、使用語彙は似通ったものであった。また、方言の語彙集は青森市よりも弘前市のほうで多くなっていた。


津軽ノンネイティブの方言習得に関する一考察
-方言意識との相関を通して-
相馬 美子
 わが国の地域社会の言語生活は、近年、若い世代を中心に急速に共通語が浸透しているが、全国各地の方言はただひたすら共通語化に向かっているわけではなく、今なお根強く使われ続けている方言も多い。これは青森県でも同様で、ネイティブから聞き取れるのはもちろん、ノンネイティブも津軽弁を使用していると考えられる。そこで、ノンネイティブが青森市に住むようになって、津軽弁の語彙をどのくらい習得するようになるのかを明らかにすべくアンケート調査を行った。
 まず、ネイティブの津軽弁語彙量を高校生と高年層に分けて分析したところ、高校生での方言離れが進んでいることが明らかになった。次にノンネイティブの津軽弁語彙量を性別・世代・出身地などの属性や、滞在歴の長さや津軽弁に対する意識によって違いが現れるかを分析した。その結果、ノンネイティブは津軽弁語彙を習得しており、その度合いは属性によってそれぞれ異なっている結果となった。


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平成15年度 卒業論文

方言みやげに見る方言の価値
石川 友美
 青森県内には津軽方言・南部方言・下北方言があり、各方言の方言みやげが作られている。方言みやげの種類数や販売範囲から、県内の3つの方言の商品価値には差があるのかを考えた。また、方言みやげを買う人や企画する人に聞き取り調査を行い、方言の知的・情的・経済的価値について考察した。加えて、方言みやげに載りやすい単語の傾向を分析した。
 その結果、県内の3つの方言には商品価値の差があることがわかった。また、共通語化が進んできている中で地方色を反映するものとして、方言に対し知的・情的・経済的価値が見出されていることがわかった。方言みやげに載っている語には、今はあまり使われていない3~4拍の名詞や共通語訳をつけやすい語が多くなっていることがわかった。


言語的「訛り」の構成要素に関する一考察
-青森県津軽地方を具体例として-
大西 健
 現在、方言は「きたないことば」としての存在から、「親しみのある故郷のことば」としてとらえられるようになってきた。しかし、方言と似通った「訛り」ということばに関しては依然としてよくないものとしても評価が下されている。そこで、その言語的「訛り」とは、ことばのどういった状態を指す概念なのかを明らかにするために青森市民を対象にアンケート調査を行った。
 訛っているかどうかを判断する基準には共通語を標準としたものと、自分たちが話すことばを基準としたものがある。また、訛りとは発音の特徴をさすことが多いが、実際は基準のことばとの違いがはっきりしていれば発音に限らず訛りとされることがわかった。そして、中心地のことばが基準となるといったことや共通語などの基準のことばに抱かれたきれいなことば、丁寧なことばという固定観念や、その対極にある好ましくないものとして「訛り」が意識されているということが明らかになった。


在日留学生がもつ方言意識と言語的価値に関する一考察
沖 絵美
 近年、在日外国人の地域への拡散化に伴い、留学生が地方の大学に学びに来る機会も多くなってきた。そのため、留学生は普段の生活の中で来日する前に学んできた共通語としての日本語だけではなく、自分たちが生活している地方で使用されている方言に触れることも少なくない。
 そこで、全国12の地域社会で生活する留学生はそれぞれ方言に対してどのような意識を持っているのかということを「方言認識」、「方言受容意識」、「方言の価値」という3つの質問項目から明らかにしようと考えた。
 その結果、日本に方言があることを認識できているのかということ、方言を使用できるようになりたいかどうかという考えは地方によって傾向が異なるものの、ほとんどの留学生が日本の方言に興味を示し、方言に対して高い価値を認めていることが明らかとなった。


意識的側面から見た津軽方言の残存と習得
-文末表現を中心として-
黒瀧 恵
 津軽地方における会話の中で、ことばの端々から津軽方言らしさを醸し出している文末表現等の津軽方言について、残存・衰退を中心に考察した。これらの津軽方言は助詞・助動詞・接続詞といった品詞の語彙で、津軽方言の中でも特に文法的な働きを担っている。
 弘前市に暮らす津軽ネイティブおよび津軽ノンネイティブに対するアンケート調査の結果、これらの語彙は若い世代や津軽ノンネイティブにも少なからず使用されていることがわかった。残存しやすく、習得にも向いていると言えよう。また、津軽方言に対しては、好意的な意見が多く見られた。
 文末表現等の津軽方言は若い世代や津軽ノンネイティブにも使用されやすいことから、今後とも残存していく可能性が高いと考えられる。方言の衰退が危惧されているが、津軽方言らしさはこれらの文末表現等の津軽方言が守っていくだろう。


災害時に使える情報弱者のためのやさしい日本語研究
-伝えるべき情報と使えることばの検証を中心に-
小関 雅子
 情報を、何らかの問題により受け取ることができずに情報弱者となってしまう人々がいる。例えば現在日本には多くの外国人がいるが、彼らが皆日本語に堪能であるとは限らず情報弱者となってしまう可能性が高くなる。そこで、本研究では阪神大震災で外国人が情報をうまく得ることができなかったということを踏まえ、災害時に必要となる情報をやさしい日本語で伝達することについて考えた。
 まず、阪神大震災時の資料等から、災害時に必要となる情報を整理し、それらの情報を伝えるためのやさしい日本語での情報案文を作成した。そして、実際にやさしい日本語作成したものが理解され、今後使っていけるものかどうかについて外国人を対象に検証を行った。その結果、使えることば、使えないことば、またやさしい日本語で案文を作成する際の注意点等が明らかになった。


現代日本人の正しい・美しい日本語に関する一考察
-規範意識の強弱と社会属性の違いという視点より-
中田 陽子
 「正しい日本語」「美しい日本語」という明確な定義は存在しない。また、ことばの「乱れ」もことばの「変化」と捉えられることの多いものである。しかし、日本人の中にはことばの乱れをなくし、「正しい」「美しい」日本語を残していきたいという気持ちがあるように感じられる。
 本論文は、現代日本人がどのような日本語を「正しい」「美しい」日本語と捉え、残していきたいと考えているのかを、アンケート調査の結果から述べ、社会的属性や規範意識の強弱によって比較しているものである。
 多くの人に「正しい」「美しい」と認められている日本語は「アナウンサーの日本語」であった。また、「敬語の使い方」や「男女のことばづかいに差がなくなってきていること」などに「乱れ」が感じられていることからそれを正していきたいと考える人はいるのか、どのような形が「正しい」「美しい」ものであると考えられているのかを探っている。


青森県西北五地域における言語地理学的研究
-沿岸部集落の特殊性に着目して-
中村 真
 西海岸地域で話される津軽方言に対して筆者が感じていた特殊性が実際にあるのか、というきっかけをもとにして、青森県西北五地域を対象とした言語地理学的研究を行った。調査は語彙・文法・アクセントの三分野から構成された調査票をもとに西北五地域に住む高齢層の話者に面接形式で行なった。調査結果のそれぞれに対応する記号を与えて、地図上に分布させた方言地図集を作成した。そしてこれらの方言地図集に、ことばの新古関係と語源、歴史的背景を考慮に入れた分析を項目一つずつについて加えていった。その結果、一部の項目では沿岸部集落の特殊性が認められた。このような特殊性が現れたのは、かつての十三湊や鯵ヶ沢と上方の交流が影響して独自の文化圏を形成していたことが要因だと考えられる。また、沿岸部南方と秋田との交流、周圏分布による沿岸部集落での古語残存などの要因も絡み合って現在の方言分布を示していることがわかった。


津軽方言に見る気づかれにくい方言の使用意識と使用実態に関する一考察
成田 麻美
 方言はその地域特有のことばである「俚言」のほかに、共通語と同じ語形を持ちながらその意味や用法が共通語とずれていることばである「気づかれにくい方言」というものがある。本論では後者に着目し、津軽地方で見られる気づかれにくい方言の実態を明らかにしようとした。実際に津軽地方で見られる気づかれにくい方言を収集し、それらの語について共通語だと思っているか、方言だと思っているかを尋ねた使用意識、使っているかどうかを尋ねた使用実態を中心に調査を行なった。
 その結果、世代が上がるにつれて方言だと気づきやすく、さらに使用率も高くなっていることがわかった。気づかれにくい方言は、俚言と同じようにノンネイティブとの間では使い分けが行なわれ、ネイティブとの間ではコミュニケーションを図る上で必要なことばとして使われているようである。


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平成14年度 卒業論文

災害時情報のユニバーサルデザイン化
秋田谷 美代子
 情報はわれわれの生活の中で欠かせないものである。ところで現在日本には多くの外国人がいるが、彼らが皆日本語を話せるとは限らない。本研究では阪神・淡路大震災時に外国人被災者が情報を得られなかったために情報弱者となったことを踏まえて、どのような人にも理解できる情報の伝達方法とはどのようなものかを考えた。
 ここでは誰にでもわかる情報の伝達手段として記号に着目した。まず様々な資料を元に、災害時に必要となる情報を整理し、それに準じて何種類かの図を作成した。次に外国人にアンケートを行い、この結果を元に絵柄を1つ選択したポスターを製作した。このポスターを外国人、小学生、高齢者の3種類の調査者に見てもらい、最も多くの人に誤解なく伝わるものはどのようなものかを検証した。その際、情報の内容というソフト面、実際の出し方というハード面についても検証を行なった。


方言語彙の残存と習得に関する一考察
-抽象観念語彙を中心として-
伊藤 沙菜美
 津軽弁には共通語に置き換えると細かなニュアンスを正確に伝えるのが難しい、抽象概念を表す語彙が多く存在する。そうした語彙が津軽ネイティブの会話中にどれほど残存しているのか、また、言語習得期を過ぎてから津軽に移住した人が津軽弁語彙をどの程度習得するようになるのかを明らかにすべくアンケート調査を行なった。
 世代・居住地域・言語意識を考慮に入れてネイティブの語彙量を分析した結果、語彙の衰退は進んでおり、それにはテレビの普及や都市化が大きな影響を与えていることがわかった。また、方言をよく使う人の方が方言には好意的であった。ノンネイティブの語彙習得に関しては、滞在歴が長くなるにしたがって多くの語彙を理解するようになるが、使う語彙はあまり増えないことが明らかとなった。


携帯メール内の方言の役割についての一考察
小泉 学
 日常生活で多くの人とメールを交わす中で、「普段は方言を話しているのに、メールになると共通語になる人」が多数いることに気づき、メールになると方言色が薄れる理由についての調査を行なった。
 その結果、方言を用いることによって、見づらさ、入力の面倒くささなどといった障害が生じていることが明らかとなった。それでもあえて方言を用いる人たちは、「親しみ」や「普段のことば」を表現したいという意識を持っているようである。この「メールに普段の会話表現と同じ自然さを表すこと」、「主に同郷の)相手への親しみを強く表すこと」は、通常の会話と同様方言が持っている役割といえる。
 そして通常の会話と異なる点は、メールに用いられる方言は、使い勝手のよいものに限られている点である。これについては、メール機能の進化によって今後変化する可能性がある。


待遇表現の実態と使い分けの基準に関する 一考察
-弘前市内の高校生を例に-
柴田 朝幸
 本研究では、弘前市の高校生を例に、待遇表現使用の実態とその使い分けの基準について調査・分析を行なった。
 その結果、弘前市内の高校生は、対話者との人間関係(上下関係、親疎関係、ウチ・ソト関係)を考慮してことばを使い分けていることが明らかとなった。その使い分けは概ね、相手との心理的距離が遠くなるにつれて、津軽弁やぞんざいな表現の使用を控え、共通語や丁寧な表現を使おうとするものである。
 また、対話者に対する規範意識が明確であり、丁寧なことばづかいや共通語の役割を理解し、それらに皇帝的価値を認めかつ、積極的に身につけようとする意欲がある人ほど、待遇意識が高くなることもわかった。
 さらに、待遇意識の向上のために学校教育ができることについて提言し、その具体的方法について考えていくことを今後の課題とした。


佐竹・南部両藩境地帯における言語地理学的研究
能登 祐一
 秋田県鹿角市は藩政期には出羽国南部藩の領地であり、佐竹(秋田)藩との藩境地帯だったためことばに南部弁が入り込んでいると言われている。しかし、これまで秋田・岩手両県にまたがった詳しい方言分布調査を行なった例はなかった。そこで鹿角市とその周辺地域における方言分布の様相を知るため、鹿角市と、隣接する1市3町を調査地域とし、老年層を対象にした語彙・文法の面接調査を行なった。
 調査の結果にはその方言形それぞれに記号を与え、調査地域の地図上に分布させた方言地図を作成した。また、歴史的・地理的背景や人の移動などを加味して地図の考察を行なった。総数68葉ある方言地図の半数以上は、文献調査による予想に比べて共通語化或いは数種の方言形に統合されていた。また地図の重ねあわせによって、言語境界線が旧藩境・県境・分水嶺に集中していることが明らかになった。


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平成13年度 卒業論文

民話が持つ情報とその役割に関する一考察
石山 恵理
 我々は民話を読むことで、物語の楽しさとともに、教訓や歴史などいろいろなものを感じ取ることができる。それは民話が、誰かに大切なことを伝えるための手段として使われていたからに違いない。論文では、秋田県鹿角市の民話を題材に、特に食べ物に関する民話の分析を行なった。食べ物という、人が生きていくうえで不可欠のものに対して、人々がどんな思いを持ち、何を伝えようとしていたのか。それを知ることで上の伝説を立証しようと試みた。


漢字表記における規範と変種の対立
小山内 牧子
 現代日本語の表記は、漢字仮名交じり文が一般的であるが、一般社会生活では、ある程度の基準に従うことが、表記の不統一を避けるためにも必要なことである。漢字表記において、常用漢字表による形式を規範とした場合、それ以外の形式は変種と呼ばれる。常用漢字表の制定により、表記の規範的な形式が確立したにもかかわらず、実際の使用において私たちは変種を目にすることがある。この規範と変種の対立について、どうして今でも変種が見られるのかを明らかにしようとした。
 研究の結果、熟語の使用が変種の現れに大きく影響しているということがわかった。変種を用いた熟語がよく使われる場合、その影響で変種が現れやすいのである。また、書き手の気持ちが込められるという利点から、使い分けをしたい場合に変種を使用するということがわかった。特に変種をある特別な場合に限って使用する傾向が見られた。


日常会話におけるあいづち使用の実態
-津軽方言について-
川端 陽子
 津軽方言話者の日常談話におけるあいづち使用の実態を、その頻度・表現形式・機能の点から分析した。
 調査方法は6人の津軽方言話者に協力を依頼し2人1組とし、合計3組の自由会話を録音し、それぞれの談話の10分間を文字化し、それをもとに分析・考察を行なった。
 あいづちの頻度に関しては、1分当たりの回数を求めた。表現形式に関しては、多くの種類のあいづちを豊富に使い分けているということがわかった。機能に関しては、特に方言形のあいづちに注目し、それらが会話の中でどのような働きを持つかについて考察した。


村上春樹作品に見る比喩と象徴
高橋 雅幹
 村上春樹は特異な「比喩」を多用する作家として知られる。本論では、その多用の意味を、彼の作品に通底して見られる二次元的世界観を反映させながら、言語学・記号学の基礎をもとに考察した。そうした考察によって、「ことば」のもつ目に見えない力の働きを理解し、「ことば」における普段意識しない一つの側面をあぶりだす事を目的とした。
 基本的な方法として、『スプートニクの恋人』を中心に村上春樹作品の中から特異な比喩表現を抽出し、一般的な用法と比較することでその特異性を確認した。また、比喩に関連する「記号と象徴」、「あちら側の世界とこちら側の世界」を相関的に見ていき、整理した。
 結果として、「ことば」は記号であるだけでなく、象徴でもあり、村上はそのことばの象徴性を効果的に使っていることがわかった。


広告における表現技法
-新聞広告を題材として-
中島 由紀子
 私たちの周りにあふれる広告に注目し、なぜ読み手が広告にひきつけられるのかを明らかにしようと考えた。幅広い年齢層の人が定期的に目を通し、情報の信頼性が高く、能動的な接触方法が期待できるなどの理由から新聞広告を題材とした。抽出したキャッチフレーズや文章を修辞法で分類する方法によって、広告においてどのような表現が用いられているかを調べた。その結果、直喩や隠喩などの比喩表現、対照法や命令法などの構文上の技法、頭韻や脚韻を駆使した音やリズムの工夫による技法など様々な技法が見られた。
 広告はキャッチフレーズや本文といった「ことば」だけでなく、写真や挿絵などとともに構成され、文字の大きさや書体も工夫されている。現在の広告はタレント広告が全体の大部分を占めるといわれるが、この研究を通してことば自体の力に頼るという手段も健在であるのではないかと考えた。


現代人のカタカナ語意識に関する一考察
-属性別比較を中心に-
中田 絢子
 現代、カタカナ語が増加してきているといわれている。その中で人々が、カタカナ語についてどのような意識を持っているのかについて考えていく。調査はアンケートで行い、留置調査法を用いた。調査対象は10代~70代の男女104名である。その結果、高校生がもっともカタカナ語に好意的であり、世代が上がるほど否定的になる傾向があった。しかし、60代だけはこの傾向に反しており40代よりも好意的となっていた。その理由は、カタカナ語に触れる機会が極端に少ないことと小学校時にカタカナ語にカタカナで教育を受けたことなどが考えられる。また、英語をよく使う人はあまり使わない人と比べ、カタカナ語に好意的という傾向もあった。このことについては、カタカナ語の語源の多くが英語ということに影響していると考えた。また、文中のカタカナ語は20%以上(文節)になると多いと感じられる傾向にあった。


夏目漱石の作品における「真面目」
生魚 孝明
 なぜ、「まじめ」な少年はおとなしくて、目立たないんだろう。「まじめ」で完全主義の人がうつ病になりやすいとされるのはなぜだろう。「まじめ」には何か胡散臭いものが感じられはしないか。
 夏目漱石の『虞美人草』には「真面目」が頻出し、「真面目」になることの意義を堂々と主張する。ここでの「真面目」は現代の「まじめ」とは何かが違う。『虞美人草』『それから』の「真面目」の分析を中心に、その差異について考察する。
 この差異には、ことばが使われる背景に原因がある。『虞美人草』の「真面目」は心情の純粋性を重んじる日本の伝統的な道徳思想の影響下に使用されている。伝統的な道徳思想が衰退した現代において「まじめ」が使われるとき、このことばは、規範的に好ましいとされることに上っ面だけ適合するさまを表すもののように、感じられてしまうのだ。


近代小説における顔の表現の諸相と意義
吉原 直子
 人物を表現するのには様々な方法があるが、その詳細な情報は読者が小説を読み進めていく助けともなり、作者が登場人物に与えた属性や人間性を凝縮できる格好の表現箇所でもある。そこで、近代小説から「髪」「額」「眉」「目」「鼻」「口」「顎」「顔」の表現を抜き出し、「登場人物」と「性格と属性」と「顔の描」のつながりを明らかにしていく。
 その結果、顔の部位を用いる確率は、「顔」>「髪」>「目」>「口」>「眉」>「鼻」>「額」>「顎」の順であった。また客観的、かつ具体的に外見を描写して、性格や属性についても含みのある表現になっていた。外見に関する具体的描写が大半を占めているが、場面によっては内面を表しているものもあり、特に顔の表現は属性を表す効果があることがわかった。しかし、顔の表現がなくても小説は成り立つので、その場合は人物の行動や別の形での内面描写で人物を表現する。


方言語彙の残存と言語意識に関する一考察
-青森県南部方言を例に-
福田 祥一
 言語意識が方言語彙の残存に及ぼす影響を明らかにしようとした。仮説として、自分が暮らす土地の方言について肯定的な人は方言語彙量が多く、否定的な人は方言語彙の受容を拒絶して、方言語彙量が少なくなっているのではないかと考えた。
 そこで、青森県三八地方で南部方言話者を対象にしたアンケート調査を行い、方言語彙量と言語意識との関連についてこのような傾向が見られるかどうかの検証を試みた。
 調査の結果、方言語彙量が多い人は、方言について肯定的或いは否定的かが明確であり、一方、方言語彙量が少ない人は方言について肯定的でも否定的でもなかった。方言について否定的な人の方言語彙量が特に少ないということはなく、言語意識が方言語彙の残存に及ぼす影響は確認できなかった。方言語彙量と言語意識は相関の関係にあるのではなく、それぞれが個別に、世代や性別といった要因に支えられていた。


平成13年度 修士論文

「国語教育と方言」試論
-方言主流社会の現状と課題-
菅原 若菜
 方言と共通語の授業の実態、学習指導要領、教育者たちの意識をもとに、小学校教育における方言と共通語の授業のあり方について考えたもの。
 方言のイメージは、明治期の国策によって確立された。またこの概念の浸透には、学校教育が大きく影響していたことが明らかとなった。また、学生への意識調査により、学生の価値観は共通語と方言の講義を受講した後に大きく変容することから、国語教育で方言を扱うことは、方言への誤った先入観を取り除くのに有効であることを検証した。さらに、東北6都市での調査結果から、教師は「方言と共通語の使い分け」を目標としていること、方言や共通語の必要性を理解していない児童が多いと考えていることなどが明らかとなった。その際m、方言と共通語の単元に対応した副教材があれば使いたいという意見が多く見られた。
 拙論では、偏りのない言語観や正当な価値観を育てるための授業を実現するには「副教材」が有効であることについて言及した。


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平成12年度 卒業論文

日本語表現における文字種とその使い分け意識に関する一考察
佐藤 大地
 日本語表記は世界に類を見ないほど複雑である。世界には約5600の言語があるといわれるが、その多くは文字を持たず、また文字を有しているとしても、ほとんどの言語がその表記に1種類の文字を、例えば、ラテン語であればラテン語だけを、中国語であれば漢字だけを正書法としている。一方、日本語表記は漢字を始めひらがな、カタカナ、ローマ字の4種の文字を併用している。
 わが国の複数の種類の文字は、ただ雑然と混用されているというのではなく、ことばの意味や種類、ニュアンス等を細かく表現し分けているという機能を分担し、その複雑さに相応するだけの表現の豊かさを持ち合わせている。全く同一のことばでも、漢字やひらがな、カタカナを意図的に使い分けること、つまり表記手段の選択が可能である。このような多様な表記文化を私たちはどのように捉えているのかについて考察した。


若者語の使用意識とその役割に関する一考察
-盛岡市在住の若者を例に-
澤 みずき
 最近、日本語の乱れがよく指摘され、その中で、若者のことばもよく取り上げられている。しかし、一口に若者のことばといっても、その使われ方や意識は同じではないと考えられる。そこで、現在使われている若者のことばが、若者にどのような意識で捉えられていて、どのように使われているのかを明らかにしたいと考え、盛岡市在住の若者を対象に調査を行なった。
 その結果、全体的に若者語の使用率は高く、使ってはいなくても知っている人がほとんどであった。また、その使用理由を見てみると、若者語全体では、会話のテンポをよくするといった、会話を楽しむ機能で使われているものが多かったが、使用率の高い語に関しては、実用的な理由が多くあげられていた。若者語の使用には、個人的なものではあるが、実用的かそうでないかが大きく関わっているようである。


秋田わらべうたのことばと韻律と表現
柴田 歩
 「わらべうた」とは子どものための歌なのであるが、よく考えてみると、内容を知らずに怖いものや訳のわからないものを歌っていることが多かったように思われる。このことが大変興味深く思われ、自分の育った環境である秋田に注目し、秋田のわらべうたを題材として、どのようなものがあるかをことばの面から探ってみた。
 「わらべうた」は二つに大別され、自然発生的なものと、創作されたものがある。本論文では、主に自然発生的なものを題材として扱った。その中でも、種類別に分けることができる。これについては、文献を参考にしながら、自分なりにわらべうたを分類し、種類を設定した。それに基づき、使用単語の意味分類と使用頻度、方言単語の分類と使用頻度、表現技巧の種類と特徴、リズムパターンの種類について分類と考察を行なったものである。


転入者の言語意識と言語行動
-津軽地域への転入者を対象として-
高橋 容子
 弘前に転入してきた他地域出身者を対象にアンケート調査を行い、転入者が弘前という方言主流社会に参加したとき、言語意識と言語行動にどのような変化が生じるのかを探る。「ことばは変化するのか」「方言主流社会において、その土地の方言を使うことは必要なのか」「出身地の方言は、個人の中で衰退していくのか」の3点に沿って考察した。
 ことばが変化する背景には、居住年数や、地域の方言に対する個人の意識なども大きく関わっていた。長年津軽に住んでいる転入者の多くは、津軽弁を自分のもの、自然なものとして受け入れていることがアンケート結果から見て取れた。また、転入者たちは、自分の生まれ育った地域の方言も自分のことばとして普段から用いつつ、津軽弁と共存している。これらのことから、転入者が地域社会と柔軟に関わっている様子を見て取ることができた。


津軽方言話者の言語行動と言語意識
 成田 百合香
 青森県津軽地域は、主に津軽弁が話されている方言主流社会である。そのため、共通語の入り込みによって、人々は方言と共通語を使い分けて生活するようになった。
 しかし、人々の属する社会との違いで、共通語への接触度合いに差異が生じ、ことばの使い分け行動や意識にも違いが出てくるのではないかと考えた。
 そこで、共通語への接触度合いの違いに注目し、三つの社会集団に属する津軽方言話者の、方言と共通語に対する意識や使い分け行動を調査し、その使い分け行動と意識にどのような差異が見られるのか、明らかにしようとした。
 調査の結果、共通語への接触度合いが高いほど、津軽弁に対して肯定的な意見が多くなり、逆に接触度合いが低いと、共通語に規範のことばといったイメージを盲目的に強く抱いていることがわかった。また、ことばの使い分け行動は、共通語への接触度合いが高いほど、津軽弁と共通語をはっきりと区別して使い分けていることがわかった。


進学先の違いによる、ことばの使い分け意識に関する一考察
-秋田県琴丘中学校卒業生の場合-
見上 清
 進学先の違いによって、ことばはどのように違うのだろうか。秋田県琴丘中学校では、それまで同じ方言主流社会で育った卒業生のほとんどが、方言主流社会である能代方面、共通語主流社会である秋田方面のどちらかに進学する。この琴丘中学校卒業生をインフォーマントに、高校生によく遣われると思われる二五方言と、それに対応する共通語について、場面によることばの使い分け意識に関するアンケート調査を行なった。
 結果、共通語主流社会である秋田方面に進学した琴丘中学校の卒業生は、比較的場面による使い分けがはっきりしているのに対し、方言主流社会である能代方面に進学した琴丘中学校の卒業生では、比較的場面よりもことばによって使い分けを行なうという傾向があった。進学先の違いによって、使い分けの傾向に違いが見られたが、両者とも方言に見出す価値は同じようなものであるということもわかった。


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平成11年度 卒業論文

国語教育のあり方に関する一考察
-高校生の方言と共通語に対する意識として-
川嶋 三穂
 地方の個性が認められてきている最近であるが、郡部では未だ都市への憧れが強く、若者の地方離れがある。
 それを食い止める方法として、方言教育の可能性を可能性を考えた。方言について内省する機会を得ることで、方言の背景にある地域文化の特色や地域の価値を見直す機会も得、そのことが地方に戻ろうという意識を起こさせるのではないかという仮説を立て、どのような教育が地域再考に有効なのかを探ろうとした。
 そこで高校生に対し言語意識や地域についての考えについて調査を行い、その結果地域に対してプラスの印象を持っているものは方言に対しても同様であり、彼らは過去に何らかの言語教育、もしくは地域に関する授業を受ける機会を持っていたことが明らかとなった。
 地域の再考に有効な言語教育は、ことばだけに捉われず、地域社会の歴史といった地域に関する事項も含めて行なわれた方がよいのではないかと考えた。


現代日本語の数詞について
木村 中
 現代の日本に伝えられている数詞は、「万~無料大数」の十七個の大数詞、「分~清浄」の二十一個の小数詞など数多い。
 しかし、経済や天文学、さらにはSF小説や漫画など、様々な分野での数詞の使用を調べ、これらが現代の日本において実際にどのように使われているのかを見た結果、すべての数詞が日常的に遣われるわけではないことがわかった。
 実際に使われないにもかかわらずこれだけ多くの数詞が存在するのは、先人の精神的、文化的余裕の賜物といえる。これらの数詞のほとんどは実用的なものではなく、あくまでアカデミックな数学の発展の過程で発生したものである。人間の余裕が非現実的な「文化」という存在を如実に語ってくれる。


現代小説における誤用の分析
駒沢 真貴子
 日本語の規範から外れていることばづかいは避けられるべきはずだが、それが使われ時とともに一般的なものとなったり、常識として認められるようになるものさえある。誤用はどうして行なわれるのか。誤用が使われる理由を調査し、そこから誤用の持つ役割について考察した。
 誤用例は、現代日本語の規範となる国語辞典と照らし合わせながら、現代小説からそれについて分類・考察を行なった。
 誤用が使われた理由から分類を行なうと、大きく二つに分けられることがわかった。一つ目は簡単で、短く、わかりやすい文章にしようとして使われる誤用である。二つ目は、ことばで伝えたいことをより効果的に伝えたり、文章表現を豊かにしようとして使われる誤用である。そして誤用は、それらの欲求を満たすことができるものであるということがわかった。


三遊亭圓朝の作品における熟字訓についての一考察
城地 綾
 『三遊亭圓朝』中の作品では、現代では行なわないような漢字の用い方が多く見られる。速記者の若林玵蔵が「速記法を以って圓朝子が演ずるところの説話を其儘に直寫し片言隻語を改修せずして印刷に附せし」(『怪談牡丹燈籠』序詞)と述べているように、圓朝自身のことばをこれらの作品では尊重している。では、なぜ圓朝の話したことばに対して、現代には見られない様々な熟字が当てられたのか。本論ではその理由を明らかにしようとした。
 調査の結果、本文の語に当てられた熟字の意味、熟字に用いられた漢字の意味、漢字の音や訓の三つの要素に影響を受けていることがわかった。
 本文の語に過ぎない熟字をなぜ当てるのか。本文の語と漢字の両方から、本文の意味を解釈できるように補助するということと、様々な熟字を用いることによって、読み手を飽きさせないようにするという二点が、その解答である。


現代短歌における造語の諸相
田村 真紀子
 短歌にはしばしば造語が使われている例が見られる。造語の新しさは、そのことばが表す意味内容と、どのような形のことばかという形式に現れる。そのため現代短歌に使われた造語について、内容と形式の点から考察した。
 造語に使われていることばは、伝統的な歌言葉と大きな違いはなく、新しいことばは古くからの主題をより深めるために使われていることがわかった。
 造語の形式はことばの省略や短縮、漢語から和語への読み替え、故事成語のパロディ、口語の文語化などが見られた。短歌という制約のある詩形から生じたものが多かった。
 それによる表現効果は、新鮮さを与えられる、ことばの伝統的背景を利用したおかしみを伝えられる、短歌にふさわしいことばという感じを与えられるなどがあった。


高校生の共通語使用実態と方言意識に関する一考察
-秋田県本荘・由利地区の高校生を対象として-
三浦 喜美子
 若い人が共通語化しているというのは、どこの地域でも言われていることだろう。特に高校生については、学校という閉ざされた環境にいるために一層方言を使わないのだという指摘がある。私の出身は秋田県本荘・由利地区だが、そこでの高校生活を振り返ってみても、確かに共通語で話す人が多かったように思う。
 その印象が正しかったのかを確かめ、さらに共通語話者はどのような人なのかを明らかにしようと考えた。
 本稿では、まず、アンケート調査から当地域のどのくらいの高校生が共通語で日常を送っているのかを明らかにした。次に、共通語で話す生徒に共通する要因を探った。
 その結果、家族や友人といるときの共通語使用量は、方言使用量を上回っていた。ただし、「家族とも友人とも共通語で話す」「家族とは方言で友人とは共通語で話す」というように、言語行動は三種類に分類された。これらの言語行動の違いによって、居住地や方言に対する意識にも差異が見られた。


八大集の掛詞に関する一考察
光松 江里
 掛詞とは、同音を利用して文脈上二つ以上の意味を持たせるものである。三一文字という字数制限の中で、和歌の物語を膨らませるためには、この掛詞が大きな役割を果たしているといえる。
 その掛詞を調査するにあたり、勅撰和歌集である八大集を対象とし、『古今和歌集』よりも、『後撰和歌集』と『新古今和歌集』で多く掛詞を使っていることがわかった。また、『後撰和歌集』と『新古今和歌集』で使われている掛詞の種類も、ほかの和歌集より多いことがわかった。


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平成10年度 卒業論文

群馬県山田郡大間々町における方言同士の活用に関する一考察
-「来ない」から「来ない」へ-
井出 伸一
 群馬県の方言文法には、カ行変格活用動詞「来る」の上一段化、意思表現の多様化という二つの特徴がある。そこで本稿では、群馬県山田郡大間々町を中心に子の二つの特徴を世代差、地域差の観点から論じた。
 大間々町を若年層、活躍層、老年層の三世代に分けたとき、世代ごとにこれら二つの特徴はどのような現状にあるのかを明らかにした。また世代差を比較することによって、この二つの特徴がどのような変化をしてきたか、今後どのように変化していくかを考えた。次に、群馬県は三つの方言区画に分けることができるので、大間々町の属する方言区画以外の方言区画との比較により、これら二つの特徴の大間々町においてはどのような状況にあるのかを考えた。


近世後期の滑稽本における洒落に関する一考察
境 和則
 日本において、洒落は古くから存在したことば遊びの一つである。洒落は江戸時代には地口と呼ばれたが、その地口を扱い、さらに江戸語や方言を巧みに取り入れた小説のジャンルがあった。それが滑稽本である。
 本論では、近世後期における滑稽本から、当時の洒落の技法について考察するというものである。使用した作品は、十返舎一九の代表作である『東海道中膝栗毛』と、式亭三馬の『浮世風呂』の二作品である。これらの作品から洒落の技法を分析するとともに、そこから両者の特徴や違いについても考察した。
 二作品中に使われた洒落を分類し、さらに技法別の使用頻度の割合などから考察した結果、現代にも通じる一般的な洒落を使う『膝栗毛』に対し、『浮世風呂』の洒落は、あくまで作品の中の技法という意味合いが比較的強いのではないかと考えた。


津軽方言に見るオノマトペと方言音韻の対応関係に関する一考察
佐藤 春奈
オノマトペが表現力を持つためには、その語を構成する音連続が話者および聞き手の聞こえの感覚と一致していなければならない。その感覚は、各言語の音韻体系により異なる。小論は、津軽方言音韻と方言オノマトペを対象とし、方言話者の聞こえの感覚の傾向について調査・考察を行なったものである。
 ある状況で規範的に用いられるオノマトペ知識を持たない話者でも、調音様式の近い音を選択してその状況を表現しようとしていた。その一方で、音連続から受けた印象と本来の語義とが全く異なる例も見られた。直感的に感じたことを表現するには、音韻体系内から適当な印象を持つ音を選択していること、転用を経たオノマトペは、語義とその音連続の印象がずれること、そしてそのような語は慣用によって学習されることが明らかになった。


教育が及ぼす言語的価値への影響
-受講者と非受講者との比較より-
菅原 若奈
 あることばについての教育を受けた人は、そのことばについて柔軟な姿勢になることを明らかにするために言語(方言)に対する意識調査を行い分析した。受講前は、方言に否定的だったほとんどの人が、受講後、方言をプラスイメージで捉え、大きな関心を寄せていることがわかった。
 方言をはじめとした言語教育は、個人の言語生活を内省するきっかけを与え、その言語のみならず、他のことばとの関係や背景にある文化をも考えることができる場であるということもはっきりといえる。そのことも踏まえ、これかの方言教育について自分なりに具体的な方向を示した。
 若者の方言離れが進んでいるといわれる現代社会ではあるが、大学生を対象に行なった意識調査の結果からもわかるように、それは先入観のない教育によって解消することができるのではないかと思う。


明治期における洋語の浸透
土田 理絵
 日本文化は外国文化を受容し消化し発展してきたが、ことばについても影響を与えられていったのである。この論文では、洋語との接触が盛んに行なわれるようになった明治時代に限定して、洋語の浸透状況について論じた。
 調査の結果、明治期における洋語の浸透は、明治後期になされたと考えられる。前期、中期では使用された外国語はまちまちで、誤用さえされていたようであるが、後期には整理されていった。また表記についていえば、洋語の理解を補うため使われていた漢字表記は、カタカナ表記へと統一されていった。生活物資や工業関係用語がほとんどであるが、一般情報として洋語の使用頻度が増加し、当時の人々にとってそれらの洋語が定着していったことがわかる。
 以上のことから、明治期には洋語の浸透が行なわれ始めたといえるのである。


明治期の二字漢語の字順と現代の字順との比較に関する一考察
町田 真希
 漢字二字の天地の逆になった対の語形で、しかも同一の意味を表す漢語について考察した。漢語流行の時期として特徴付けられる明治時代語に着目し、幕末から明治前期に活躍した福沢諭吉の著作から当時の使用状況を確認し、さらに言語運用の面から不都合と思われる対の語形の併用について、作品と同時期の辞書、新聞等を参考にして、対の語形間の差異を見出すとともに、現代語の字順の状況との比較も試みた。
 その結果、表す意味を構成する漢字により判断していた当時は、漢字一字一字が単字としての自律性を持っていたため、逆の字順の共存が起こっていたと考えられる。それに対して、現代語は組み合わさった二字漢語が順序、意味ともに固定されているといえる。


江戸後期の女性のことばの規範と実態
金賀 奈美
江戸時代の女性は「劣った性」として、常に男性を敬い、自己主張せず、控えめで柔らかな物腰の女性であれという価値観で見られていた。そのような女性に育て上げるための教育書「女訓書」が江戸時代には多数出版され一般市民に広く読まれた。この内容は家事や身のふるまいの項目のほかに「女のことばづかい」として室町時代の女房詞の流れを汲む語彙が列挙されているものがある。このことばを当時の女性が使うべき規範と捉え、実際話されていた女性のことばはこの規範に沿っていたのかを調べてみることにした。
 時代は、会話主体の小説が多く生まれた江戸後期とし、女性の登場人物の多い人情本の中から二編を取り上げ会話を抜き出して調査した。おおまかには教養のあるべき高い身分の女性から町娘まで、規範との一致は低く、生活に浸透したものではなかったといえる。


同一県内二都市における方言イメージに関する一考察
-青森市と弘前市を具体例にして-
浜野 毅
 津軽地方には青森市と弘前市の二つの大きな中心地がある。この二都市は方言を生活語としている。しかし、同じ方言を話しているようであるが、青森市の津軽方言(青森弁)はきつく荒っぽく、弘前市の津軽方言(弘前弁)は丁寧でやさしいというそれぞれの特徴を持つ。
 本稿では、都市とそこのことばへのイメージに関連性があるのかを調査したものである。
 調査の結果から言えることは、①都市へのイメージとそこのことばへのイメージは似やすいということ、②相対的に自分が住む町にマイナスとなるイメージ、特に田舎くささを強く感じている、③青森市民は弘前と弘前弁に好意的なイメージを抱き、弘前市民は青森に一般的なイメージ以外は特に何も持っていない、ということであった。


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平成9年度 卒業論文

音節構造と言語意識に関する一考察
-擬音語の音節を中心に-
石垣 幸恵
 擬音語は、自然音やある種の状態を、言語音をもって表現したものである。そして、それは日常的に用いられており、理性より感情に訴えることばとして、時にはある状況をより有効に聞き手を伝える力を持つ。
 擬音語を表す言語音は、その状況をいかにもぴったり表現し得る音が用いられているが、それらの音の選択は感性に基づいた、無自覚的なものが多い。本論は、擬音語の音声による状況描写能力(どんな音が、どんな状況下において用いられるか)を調査により明らかにするというものである。
 状況の設定によって、用いられやすい音の傾向は子音分布グラフにおいて表すことができた。また、母音の結合の仕方によって、同じ子音においても語感は大きく左右することがわかった。さらに、音の清濁の語感については、世代別にみると使用法に大きな違いが見られた。各世代において有力な表現型があって分類できるということが興味深い結果であった。


方言主流社会におけるネイティブとノンネイティブのことば
-大学生の言語意識を通して-
古川 桃子
 方言主流社会である弘前において、津軽地方出身者(ネイティブ)と他地方出身者(ノンネイティブ)は、どのような言語意識を持って交流しているのか。場面によることばの使い分け、共通語・津軽方言・出身地のことばに対する意識、ノンネイティブがネイティブに望む言葉遣いなどについて、ネイティブとノンネイティブとの交流が盛んであるという点を考え、弘前大学の学生を対象に調査を行なった。調査結果を見ると、ネイティブもノンネイティブも自分の出身地のことばに愛着を持っており、私的な語らいの場ではそれを使っていること、ノンネイティブはネイティブのことばに方言的要素を求めていること、弘前には弘前の共通語があることなどがわかった。


音訳語に使用される漢字に関する考察
斉藤 ルミ子
 音訳語とは、漢字の音に当てて表された語のことである。例えば「アメリカ」は「亜米利加」或いは「亜墨利加」などと表記されている。これらは単に、漢字の音に当てただけで漢字の持つ意味とは関係がない。ではなぜそのような漢字が音訳語として使われたのか。本論では日本の文献と、それよりも古い中国の文献に載っている音訳語を比較し、日本で使われている音訳語の特徴を探った。また、使われている漢字一字一字について、中国語の発音と照らし合わせながら考察した。そうすることによって、なぜそのような漢字が使われたのかを明らかにしようとした。
 その結果、日本の音訳語と中国の音訳語とで、一致するものが多く見られた。そこから、日本の音訳語は、中国からの拝借または強く影響を受けたものであろうと考えた。


近代音訳語における漢語使用についての一考察
鈴木 精
 鎖国が終わり文明開化によって、欧米諸国との交流が盛んになり新しい概念が多く流入してきた明治時代において、それら著しい新概念に対して識者たちは漢語を使用することによって、訳語として当てられていった。
 本論では訳語と思われる十語を選び、それらがいつ、誰によって、どのような方法で訳語として当てられたのか、また訳す際になぜその漢字が使われたのか、なぜその語が定着したのかを考察した。
 選んだ十語が哲学用語だったため、ほとんどが西周による訳語で、明治三年頃から使用されたことがわかった。また、これらが述語であったこと、語基として一般に親しまれている語で音訓の関係の密接な漢字が必要とされる、といった条件が定着する要因であると考えた。


古代・中世における天皇・皇族関係の死の表現
茶木 正博
 「悪」というものについて、多くの作品に仏教的善悪という観念が含まれており、だから作品中でいわゆる悪人と称される人々の死に方というものを見たときに、たとえば『平家物語』中における平清盛の死に方などを見ればわかるように、ある程度の無残さ、悲惨さなどがそこに入っているものである。しかし、悪源太義平(源義平)や、『平家物語』の悪七兵衛景清(平景清)などは、いわゆる悪人然とした悲惨な死に方はしておらず、むしろ悲劇の主人公のような死に方である。
 この表現の大きな差は一体どこからきているものなのだろうか。私はそれを、悪の基礎となっているものが違うのではないかと考えた。それは、漢文中での悪と、仏教的悪の差であり、さらに強者としての意味の接頭語「悪」は、史記等に出てくる人物「悪来」に依拠しているものではないかと考えた。


社会的属性の違いによる敬語行動の差異に関する一考察
-津軽の職場敬語を中心として-
東峰 昌生
 敬語行動は、使用する場面、使用者の社会的属性により異なる。そこで、本論は二十代の津軽ネイティブの職場(津軽地域内)における敬語行動を対象に、その学歴による差異に注目し調査を試みた。
 その結果、差異が認められることがわかった。大卒者は丁寧語、謙譲語などの使用よる丁寧な表現形式と、共通語形式の多さによって特徴付けられる。高卒者は、方言形式が多いことと、丁寧な表現形式が少数の上位待遇者にのみ使用される傾向が強く、他者と比較して、使い分けがはっきりしていることで特徴付けられる。また、社会経験の少なさからか、社会人では一般的と思われる表現とは異なる表現形式が多いことも特徴である。


近世の女性語における待遇表現の考察
山本 啓介
 四世鶴屋南北の歌舞伎台帳10作品を資料とし、そこに女性語の待遇表現として表れる終助詞・間投助詞・接続詞、敬称・尊称・卑称・謙称について調査を行なった。
 その結果、表現の使い分けには、自分と相手との関係に応じたものと、その場の状況での心的傾斜に応じたものとが認められた。すなわち、年齢差・男女差・身分差に支配されるという古代語的待遇表現と、戦略的作用を意図するという現代語的待遇表現が表れてくるのは、近世語の特色である。
 また、古代語的待遇表現を段階分けし、先行研究と比較した結果一致した。このことにより、歌舞伎台帳の持つ、近世後期の口語資料としての価値を再確認することができた。


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平成8年度 卒業論文

青森県五所川原方言における可能表現についての研究
-自発の表現サル・ラサルを中心に-
笠井 敦司
 五所川原方言に見られる方言助動詞の形式「サル・ラサルについて、これまでは単に「自発」の表現形式であるとされ、「サル・ラサル」表現の持つ細かな意味・用法の別を確認しようと試みた研究はほとんどありませんでした。そこで小論は、現地調査で得た実際の用例をもとに「サル・ラサル」の意味・用法を帰納的に探り、その類型化を試みました。その結果、「サル・ラサル」は「不随意」の表現形式と定義することができ、その基本的意味は「話者の意志や能力とは無関係に動作が実現する」であり、動作の意志姓の薄弱さを表現するものであることが明らかになりました。 


弘前方言語彙の変容に関する一考察
奈良 千春
 方言語彙の変容について、これまではその衰退が主に示されてきたが、最近では変容(衰退)が落ち着き、安定化し始めているという説も見られる。そこでここ二十年間における弘前方言語彙の変容について考察した結果、現在も衰退しつつあることがわかった。これは老年層では方言主流、中年層では方言と共通語の混在、少年層では共通語主流であるように、世代差が大きな要因と思われる。ほかに市街化による衰退、動物や民俗・遊戯に関する方言語彙の無くなりやすさがあげられる。
 また、衰退している方言語彙がどのようなことばに変容しているかを見ると、一つの共通語に換言されているものが多いが、いくつかの語形が混在しているものもある。それらには方言形と共通語形を一対一で単純に換言できない要因、事物の消失や意味上のずれが認められた。


長野県上伊那郡移住者の言語意識
吉江 謙一
 共通語に近い方言を使う長野県の人々は、方言等をどのように意識しているのか、私の故郷上伊那郡の居住者を対象に調査を行なった。
 上伊那郡居住者は、共通語を話す自信を八割以上の方が持っている。これは、長野県方言が共通語に近いことが反映されている。そして、共通語に対し六割の方が好きと回答している。しかし、上伊那郡の好悪では、好きの回答とどちらともいえないの回答が半々に分かれた。方言に対し複雑な心境を持っていることが伺われる。
 上伊那郡居住者は方言に対して劣等感を持っていない。イメージでもプラスイメージを持っており、マイナスイメージはあまりない。県外居住歴がある人は、県内にずっと居住している方より、温かみを感じさせるイメージで肯定回答が多かった。外から上伊那・方言を見てそれらの良さを新たに感じたからではないか。


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