ads by microad
おそらく、これ以外の方法ではらちが明かないと考えました。読みたい方だけ読んでください。
内容を一言でいうなら、「私は彼に対してこう思っている。その理由はこれだ」という叙述と意見です。
誹謗中傷、名誉棄損の意図はありません。彼自身に読んでもらえるとも期待していません。
最初に書いておくのはこの文章の目的だ。
この文章は、決して、絶対に、100%、『TSFのF』氏を揶揄あるいは誹謗中傷するものではない。
私と氏の間にある、越えがたい隔たりに関して、私個人の主観から整理したものだ。
これが真実だとか、彼は間違っているとか、そういった「反論」として書いたものではない。水戸湊という一個人の視点から観測した、『私にとっての事実』についてまとめた、いわば備忘録や回想録のようなものだ。
記憶違いがあるかもしれない。解釈のすれ違いがあるかもしれない。だとしても、ここに書かれたすべてが、少なくとも私にとっての氏との関係、そして私から見たF氏のすべてだ。
一言でいうならば「なぜ私がF氏を嫌うのか」という一点。これを伝えたい。
全部で12000文字ほどある。長いと思うかもしれない。しかし、140字という狭い空間は、一人の人間のすべてを語るのには狭すぎる。揚げ足を取られず、誤解されず、自分が伝えたいものを過不足なく伝えるためにはこれだけの分量が必要だった。
F氏が収集した私のツイートを見る限り、おそらく、すべての始まりは2016年10月頃だったと思う。
この文章を読んでいる諸氏ならあるいは覚えているかもしれない、「先天的TSF」問題が切っ掛けだ。少なくともそれ以前は、私と氏はほとんど接点がないながら、ごく稀にリプライで話し合う程度の親交があった。
先天的TSFとは、男性であるはずの人物が生まれながらに女の子になる、ということだ。転生とは別物で、二次創作において『もしも〇〇が女の子として生まれていたら』という設定によって書かれた創作物を言う、とされた。
原作では男性だったが、それを無視して女性として生まれ男性に恋をする創作だ――わけがわからない。TSF界隈にいる人間にとっては理解不能の概念である。いやそれTSFなのか?
この定義の可否はともかく、問題はこの『先天的TSF』の記事が、Pixiv大百科に突如現れたことだった。この言葉は、実はいわゆるTSF界隈から発祥したものではなかった。その出自は――適切な表現が見当たらないので包括的な言葉を使わざるを得ないが――腐女子界隈からだった。TSFという一ジャンルに浸かった人間たちが一切知らぬところで、その単語が生まれていたのである。
「先天的TSF」による腐女子の浸蝕は、界隈にいるほぼ全員に対して衝撃を与えた。ずっと「皆の中にあるTSFが、全てTSFだよ」という日本人的な曖昧な繋がりで維持されてきた界隈に一石を投じたのだ。今までの定義からすれば、先天的TSFは彼女ら(彼ら)がTSFだと認識しているので、TSFなのだ。しかしそれで納得できるかと言えばそうではない。概して先天的TSFを名乗る作品の多くは、その名に反して「TS要素」――男女の性別の変化による主題――がないのである。
先天的TSFに含まれるTS要素は、あえて言うならば原作である。原作で男だったから、男の時の記憶や人間関係がなくともTSFなのだ、というのが彼女達(正確にはその内の過激派とも言うべき存在)の言い分だった。
2020年の現在、いま一度TSFという概念と向き合って、先天的TSFという存在を許容できるかを考えて欲しい。おそらくその結論は2016年当時でも変わらなかったはずだ。
TS要素のない自称TSFは、瞬く間にその存在を拡大していった。元々pixivというサイトは女性向け創作が圧倒的に強く、数の多い世界だ。新たな作品のみならず既存作品にも先天的TSFタグは蔓延し、その定義は「二次創作における原作とは逆の性別でキャラクターが生まれていたら、という前提のもの」とされていった。あろうことか、それまでTSFとされていたオリジナルのTSものは「後天的」などというわけの分からない枠で括られつつあった。
押し寄せる先天的TSFの津波を見て、「後天的」TSF界隈は腐女子の浸蝕に呑まれる恐怖に凍りついたのである。
これは決して大袈裟な表現ではない。一時期、本気でTSFという名称の変更を考えられた時期があった。先天的TSFは止められない。もはや、先立ったジャンルたちのように名を捨てて出直すしかない。そういった諦観は徐々に広がりつつあった。
しかし、反抗する者達もいた。その旗手となったのが、TSFのF氏である。彼は誰よりも精力的に活動した。根源たるpixiv大百科のスレッドに乗り込み、TSFについて熱く語り住み分けを説いた。彼のTSF愛は間違いなく本物だった。彼をつき動かしたのは、愛する TSF作品、そしてその源泉であるTSF界隈を守ろうという強い想いからだったのだろう。
そして、彼は熱くなるあまり、ひとつのミスを犯してしまった。
彼は周囲にこう呼びかけていった。
「TSF界隈を守るために戦っているから協力してくれ」(意訳。Twitterに彼の戦いの記録は残されているかもしれないが、私は彼にブロックされているので確認できないし、彼のように熱心に過去ログを遡る気力も時間もない。以下、氏の発言については特に言及しない限り同文とする)
この瞬間、周囲の人間の中に、彼の発言、そして彼自身を疑問視する声が上がった。彼は主語を広げてTSF界隈を私物化しようとしているのではないか?自分の言葉をまるで界隈の創意のように語っていないか?
この疑問に対して、彼は過剰に反応した。
「私は界隈のために頑張っているのになんで分かってくれないんだ。TSF界隈がなくなってもいいのか。それが分からないお前らは馬鹿だ」(意訳である)
TSF界隈に、先天的TSFとの住み分けを図ろうとした人は他にも沢山いた。彼にはたくさんの理解者がいたはずだ。にもかかわらず、彼は荒れた。それはまるで界隈の全てが自分の思い通りに動かないことにイラついたようだった。その言動は彼から距離を置く人達の足をさらに一歩引かせることにしかならず、喚き立てる彼に苦言を呈すものも少なからず現れた。
私もその内の一人だった。
私は彼に苦言を呈した。
【ひとつ注釈を入れておく。私は@F_TSFに対して自分からリプライを送ったことはほとんど無い。ここから先の言葉は、特に言及しない限り、全て空リプというか「見えても見えなくても良い、自分の言いたいことを言うから反応反論はご自由に」という卑怯者のスタンスである。】
私はこうツイートした。「あの人は熱くなりすぎて周りが見えていない。このまま暴走すれば、逆に界隈にとっての悪影響となりかねない」(意訳。原文は氏がまとめたツイートにある)
返答はなかった。彼は私をブロックした。彼にとって、私は同士でも同じ界隈の住人でもなく、無責任に彼を責め立てる邪魔者のひとりと映ったのだろう。
私が他人からのブロックを確認したのは、これが初めてだった。即座に分かった。FFがどちらもひとり減っていたからだ。想定はしていた。苦言を呈した時点で、彼はすでに自らの理解者でない相手を次々にブロックしていたからだ。それでも、私はショックだった。Twitterというツールを利用していて初めて他人から明確な拒絶を受けた瞬間だったし、(大して仲の良いわけでもなかったので当然だが)私の言葉が彼に届かなかったのも残念だった。
私はその嘆きをそのままツイートした。騒動がひと段落したあと、彼からのブロックが解けて、リプライが来た。彼曰く、界隈が荒れる原因となると思いブロック解除した(原文ママ)とのこと。「こちらも熱くなってしまいました」「こちらこそ、煽り立てるようなことを言って申し訳ありません」。そんな大人ぶったやりとりで、1度目のブロックは解けた。ただ、彼にはわだかまりが残っていただろう。私としては、その当時はとりあえずブロックが解けて相手も落ち着いて一件落着だったが。
本題とは関係ないが、結局先天的TSFというタグは使われなくなった。記事も消えたようだ。F氏の働きによるものかは分からないが。
さて、こうして1度目のブロックが解けて、次の舞台は2017年8月のようだ。(皮肉にも、F氏がツイートを纏めてくれていて本当に助かる)
この時の騒動も、私は主役ではなく周りで騒ぐだけのガヤだった。
始まりは、F氏と他のひとりの言い争いだった。相手は私も親しかった人だった。
発端は、確か大規模TSFオフ会の開催についてだったはずだ。氏はいつものように「これはTSF界隈の活性化のためである」と言っていた気がする。確証がないが、彼なら言うだろう。だって彼はTSF界隈が大好きだから。
そこへ、「なんであの人すぐに界隈のためとか主語を大きくするの?(具体的に誰とは言っていない。誰か分かったら、その人もそう思っているということだ)」という意見、それに同調するものも一部でわき起こる。それに対し、F氏は動いた。
具体名を出さずとも、彼にはそれが他ならぬ自分であると意識したようだ。自覚があったかもしれないが、むしろタイミング的に自分しかいない、というところが大きいだろう。彼は自らを非難する相手に対してリプライを飛ばした。
この行動に関して、私は非を感じない。悪口、しかも陰口だ。見かけたら私だって怒るし、同じ行動をするかもしれない。
問題は、そのあとだ。
F氏の反論に対し、発言主がさらに意見を重ねようとしたところ、彼はすでにブロックされていた。言うだけ言われてブロックで反論を拒否された発言主はF氏をブロックした。
それに対してのF氏の対応は、返信を拒否して自分の意見が最後にあるツイートを晒し、さらに「彼はこんなことを言っている上に私をブロックした!」と言うことだった。
晒された方は怒った。1VS1で言い合いをする前に、いきなり相手が全世界に向けて「こいつは悪いやつだ!」と喚き立てたのだから。
私が観測した限りでの彼の特徴だが、彼は相手と向き合わない傾向がある。話し合いが平行線となると、直接相手にレスポンスをせず、名指しで晒しあげることで自らの正当性を訴えてブロックにより反論を拒否するのだ。(それだけなら「聞きたくないことは聞かないようにする」という正しいブロックの使い方ではある。これに関しての問題は彼の根源的な問題でもあるため、詳しく後述する。)
F氏の行動に対して反発をしたのは、主に言い争い相手と親しい人々――当然、私も含まれる――だ。彼らは当然ながらF氏の行動を非難した。
F氏の対応はお決まりだ。ブロック、ブロック、ブロック。発言者は次々とF氏にブロックされたという画像を流した。F氏は「彼に同調する者はブロックした」と……言っていた(未確認のため記憶だよりだ)。
「TSF界隈のために」、「界隈の平和のために」、F氏と敵対する相手はブロックしたということだった。まるでお前らが黙れば界隈は平和を保つことが出来るというように。
言うまでもなく、この件で私もブロックされている。これは2年半経った2020年1月現在も、継続的に外れたことは無い――どうも彼はたまに外して見ているようだが。あるいはサブ垢で見ているのか。どちらにせよ、「ことある事に私の嫌味や悪口をネチネチと」(原文ママ)と言う程度には私のことを見ている。先日の私宛のリプライとなったツイート時にも外れていた。直ぐにまたブロックされたが。
この時のF氏の神経をべったりと逆撫でしたらしい私の発言だが、「女々しいのと惨めったらしいのと分かってますアピールが気に食わん」と言ったらしい(F氏のスクショによる)。これをリプライで言ったならともかく、私が呟く限りは私の感想にすぎず、その上に「気に食わない」F氏の言動はまさにそのままではないだろうか……。
私の立場から見れば、『自らの行いは界隈の総意であり反対者は界隈への敵対者だ』とレッテルを張って議論から逃げ、さらに一方的に相手を悪者に仕立て上げて自己弁護に走り、かつその行動に対して「はいはい言いたいことは分かってるよ(内容に関しての理解は示さない)。じゃあブロックね」と必死で虚勢を維持しているように見えた。それを呟いたら無言ブロックだ。
F氏の立場から見れば、先に陰口をたたいたのは相手なのに、反論したら自分を酷く言われてむかっ腹が立つというのは理解出来る。ましてや当人ではない周囲の人間からの批判までは聞いてられないということだろう。
ここまでが、今までの経緯だ。少なくとも叙述はここで終わりだ。
ここからが、本題、私の意見だ。
私がなぜ彼を嫌うか。3つの理由をあげていく。
まず一つ目。彼はズルい。もう少し別の言い方をしたいが、それ以外の言葉を使うとどうしても強すぎる言葉になってしまう。読み手に誹謗中傷と受け取られうる表現は可能な限り避けると、この辺りが落とし所だ。
彼はとにかくブロックを多用する。無意味で根拠の無い批判は聞かない、それは正しい姿勢だ。
しかしながら、彼のブロックの使い方はそこにはない。それが問題だ。
全ての人間と向き合わなければならないという法はない。聞く価値のない意見だっていくらでもある。そういう言葉は誰だって嫌だ。なのにFF外からでもリツイート等で流れてくるし、ミュート機能だっていくらでもすり抜けて来る。そういうものはブロックするしかない。嫌なものはもう聞こえなくなる。それで全ては終わりだ。それが普通のブロックの使い方だ。
彼はブロックで終わらない。何故か嫌なものを聞きに来るのだ。ブロックしているのだから偶然流れてくるのではなく、わざわざ外して確認しに行っている。そして「嫌なもの聞いた!」と晒しあげる。(つい先日もあった行動だ)
【そもそも陰口を言わなければいいじゃん、と思うかもしれない。それは当事者意識を欠く考えだ。この現代社会においては誰も言論統制など出来ない――言いたいことは言ってよいのだ。私に対する批判だってしたければしていい。その内容に対して私も共感・反論・無視する権利があることを忘れず、根拠のない中傷でなければ。
周囲との関係を考えて口に出すことが出来ない場合など多々ある。特に、言われる相手のことを考えてそっと心に秘めることは多い。その場合、枷を嵌めるのは他でもない己自身だ。可哀そうに思う、嫌われたくない、発言することで被るそんな自己不利益によってのみ人は自分に枷をかける。
己にとって言うべきでないことは、誰も言わない。逆に言えば、そうでなければ人は発言するし、それを止めることは出来ない。】
私の例に限らず、F氏は自らへの批判ツイートを晒しあげることにより、自らが被害者であることを主張している。なぜそういうことを言われたのか、そもそもの原因を説明することはない。
やりとりの中で相手側の主張(中でもなるべく過激なもの)だけを切り取り、「ひどい批判を受けています。私は聞きたくありません」と言ってブロックする。
氏のブロックは、相手の批判を受け付けないための一時的な処置にすぎない。いうだけ言って、反論は受け付けない。そのためのブロックだ。
F氏周囲の人間には、氏がいわれのない喧嘩を売られているように思うかもしれない。氏は原因を説明していないのだから、与えられた情報だけで判断するとそうなってしまう。考えの足りない者のなかには、与えられた情報を精査せずに二次的な批判に走る者もいるだろう(この一文は私への自虐・訓戒でもある)。
会話から放り出された相手にとって、F氏は「やり取りをしていたらいきなり晒しあげて逃げ出した」という印象しか残らない。
やり取りの原因の段階では、もしかしたら擦れ違いがあったかもしれない。どちらかに――大抵はどちらにも――非があったかもしれない。そういうものを解消せず、ブロックする。なんの解決にもならないが、そういう終わらせ方もあるだろう。どんな時も相互理解で解決するわけではない。丸く収まるわけではないが、とりあえず終わらせなければどうしようもない時もある。……F氏の場合、終わらないのが問題なのだ。
相手としては、やり取りは終わっていないから自らの思うところを続けて発言する。一方的に話を終わらせたはずのF氏はそれを見ていて、「また批判してる」とさも終わった話を蒸し返しているような言い方をする。強制的に終わらせたのは誰だ?蒸し返しているのは誰だ?
相手に発言をしてほしくなければ、対話して相手自身に「言う権利を使うまではない、言わないようにしよう」と思わせるしかない。しかし、相手を納得させるまでの対話をブロックで拒否するF氏はそれが出来ない。
代わりに行うのが、「周囲からの圧力によって口を噤ませる」ための晒し行為だ。これをされると、相手はやりづらい。F氏によって悪者に仕立て上げられれば、周囲の――特に、親しくはない、彼をよく知らない――人間たちとの関係に良くない影響が出る。
先に述べたことを思い出してほしい。発言することで被る自己不利益によってのみ人は自分に枷をかける。
F氏の行動は、いわば強制的に枷をかけさせている。見方によっては、相手が悪いという同調圧力を形成することによって、自らへの批判に対する言論統制を行っているともいえる。(ネット上での晒し行為が基本的に忌み嫌われるのは、そういうところにある)
これは誰にでもできることではない。TSF界隈においていくつかの重大な仕事を果たして発展拡充に貢献した結果で得た、F氏の評価があってこそできるものだ。
F氏なしに、全国のTSF好きが一堂に会して思うがままに語り合う場が形成されただろうか。コミックアンリアルのようなTSFにも重点を置いた商業誌を出せる需要があると出版社に判断させた、その原因となる商業誌の元を作ったのは誰だろうか(チェンジHの話はするな。いいな)。今では徐々に浸透してきた、同人レベルでの金銭の授受による漫画の依頼を早くから行い、TSF好きを称するなら誰でも聞いたことのあるほどの同人誌を作成したのは誰だったか。
彼の業績は大きい。彼の行動は誰にでもできるものではない。発想、行動力、単純な事務処理能力やコネクション、そういったものを揃えていなければ、界隈のパイオニアにはなれない。
……しかしながら、輝かしい軌跡と名声によって為されるのは、気に入らない相手の晒しあげだ。声望高いF氏にそれをされれば、自らの不利益を悟って口を閉じる人間もいるだろう。その行為にはなんの正当性もない。ブロックで話し合いを拒否して、かつ相手を黙らせる。だから彼はズルいのだ。
ここまで読んで、もしかしたら、F氏への嫌悪感を覚えた方がいるかもしれない。これはあくまで私から見たF氏像であり、実態が完全に重なるとは限らない。
だが、その嫌悪感は私も感じているものだ。
その正体、私がF氏を嫌う二つ目の理由は、女々しさだ(女々しいという表現が男女差別だという話は、興味深いが今度にしよう。あくまでも辞書的な意味だ)。
どんな形であれ、ブロックで話は終わる。一方が話し合いの席を立てば、会話は途切れる。残されたものがどう動くにせよ、席を立った者には無関係なこととなる。それを選択したのは席を立った者自身だ。
F氏は一度立った席に、自分の都合の良い時だけ戻ってくる。そして相手の言い分を収取し、言葉を返さずに周囲にバラまく。相手がF氏の行為を批判すれば、また戻ってきて、無言で席を立って、皆に「これを見てくれ。私は被害者だ!」と叫ぶ。
氏の集めたツイートの中に、情けないとか、意気地がないとか、卑怯者とか、もしも私がそういう発言をしていたら、それらはこの行動を指して言うものだ。彼は二度目のブロック後、一度たりとも私と直接対話したことはない。聞きたくないなら、聞かなければいい。言われたくないなら、相手にそれを伝えればいい。私が言っているのはつまりそういうことだ。
会話の席にきちんと着いて、話にケリをつけろ。
それをしないから、こんなこじれたことになっている。私としては、非難している行動を彼がそのまま繰り返すのだから、同じ非難を繰り返しするしかない。私は、氏の行為を自分がどう感じたか、これ以上ないほどに――氏の表現を拝借すればことあるごとにネチネチと――呟いている。それを受けての彼の行動が内容そのままなのだからどうしようもない。
私の対面で空いている席に着く。何度も言っている「ブロックを解除してほしい」とはそういう意味だ。
正面から話し合わず、相手の反論の聞こえない安全なところから悪評をばら撒く。そういう女々しい行為は見てて痛々しい。嫌なら見るなって?それについて、私が彼をブロックしない理由については、最後に説明したい。
そもそも、私とF氏の確執の始まりは何だったか?
私はすでに書いているが、覚えているだろうか。
彼が私をブロックしたから? それは、私が彼のことを非難したからだ。
なぜ私は彼を非難したから? それは、彼が私の親しい人間とのツイートを晒して悪者に仕立て上げようとしたからだ。ことの発端はそこにある。
その、さらに前の原因。なぜ彼はそんなことをしたのか。その原因こそが、私が彼を嫌悪する三つ目の理由だ。
彼は常に「界隈のため」を掲げ、自らに敵対する者を界隈の敵と断定する。主語が大きく、かつ器が小さいのだ。
先に書いた「先天的TSF」の話を思い出してほしい。
界隈を私物化するような彼の言動に、不快感を漏らす呟きが上がった。それに対しての彼の反論は、「貴方たちは界隈を反映させる気がないのか? 私は界隈のために動いているのに」だった。
大勢を相手にする時の彼の行動原理は、得られた成果は、「界隈の発展」の一点に絞られている。アンソロジー、オフ会、そういった企画は常に「界隈のため」という名目で行われてきた。実際、それらが界隈を盛り上げることになっているのは間違いない。
彼はまぎれもなく界隈におけるインフルエンサーの一人だ。評価をされる言動をしていて、フォロワーが多い。界隈の中心的人物のひとりであることは疑いようがない。
だが、TSF界隈とは彼とその信奉者を指すものではない。統率を受けない個々人の集まり、スタンドアロンな人々が自らの意志で行動した結果としてひとつの場所を形成している集団だ。そこに本来リーダーはいない。人と人との繋がり、そのネットワークこそを界隈というのだ。会社のように誰かが指示して構築したものでない以上、その広がりはあくまでも一個人の意思によって伸びるものだ。動くも動かないもそれぞれの自由。
彼は、その自由を認めていない。自分が企画した計画に基づいて動かない者は界隈を反映させる気がない、とレッテルを貼る。自分の意志に準じない者はネットワークから出ていけ、とまるで己が完全にネットワークを掌握しているかのようにふるまっている。
TSFのFという人間は、どれだけの影響力があろうと、界隈における一個人にすぎない。その行動には何の強制力もない。従うか従わないか――従うことで享受できる利益があるか、それはひとりひとりが決めることだ。
私は界隈にリーダーが不要だとは考えていない。それで色々な作品がもっと読めるようになるのなら大歓迎だ。F氏はたしかにそうできるだけの力量はある。だが、それに見合った器量はない。Twitter上では簡単に他者を排斥する言動をする人間だ。意見の違いを容認できない、相手を拒絶しかしない、
界隈の中心的人物として発展に尽くす。その尽力は素晴らしい。他人にはそうそう真似できない。界隈のために働いていると、胸を張って言ってほしい。しかし一方で、どんなに影響力があろうと、すべての言動が肯定されるわけではないと理解してほしい。ひとりひとりの考え方がある。界隈は一枚岩ではないし、彼一人で動いているわけでもない。
どれだけ界隈に影響力があっても、彼=界隈ではないという自覚がない。界隈と自己の同一視によりF氏個人への非難を界隈全体への非難と置き換えてしまう。
最初に私をブロック解除したときの理由を、彼はこう書いている。「界隈が荒れると思ってブロックを解除した」(氏のツイート画像より)。ブロックしたのも、その原因となった言動を弁明していないのも、彼自身だ。問題の根底はF氏個人にあるのに、それを解決することなく「界隈のために」と責任転嫁してブロックを解いたのだ。
F氏個人としての言動が相手に何らかの不快をもたらした場合、個人として向き合わなければなにも解決しない。界隈という大義名分を振りかざして批判し、晒して黙らせる。それであがった批判をブロックして、また晒す。その繰り返しをする人間を、どう肯定的に受け入れられる?
以上が、私個人がTSFのF氏について思っているすべてだ。私は今現在、彼のことを、その言動を根拠として嫌っている。
どこかで思い違いがあるかもしれない。私が事実誤認をしている部分もあるだろう。だが、現在のところ彼との話し合いは一切できていない。ゆえに、私は上記のように思っている。
彼がそれでよいと思っているのなら、この話は本当に終了だ。初めて、私の方から終了させる。誰もいなくなった話し合いの席にもはや言葉は生まれない。TSFのFという人間は、上に書いたとおりの人間だと思い込むしかない。
もしも彼が何らかの訂正を行いたいというのであれば、席は常に空けてあるから座ればいい。ブロックはしていないのだから。相互理解が可能か、平行線で終わるかは分からないが、それはそれで問題の一定の終了を見るだろう。個人的には、そうなることを望みたい。
ここから先は、特に読む必要はない。あとがきのようなものだ。
ブロック、という言葉を散々使ってきた。
機能としてのブロックは「特定の相手の発言を見えなくする」という、いわば防御的な機能だ。しかし、人間関係の中でそれを行使することは別の側面を持つと考える人も多い。
すなわち、「相手への最大級の非難」だ。
人によっては、ブロックとは完全なる相手の否定である。お前の話すことはすべて無意味で、俺には意味がない。そういう意味合いで使用する人、そういう風に受け取る人も多い。だからこそ、ブロックしただのされただので騒動が起こるわけだ。
私個人としては、ブロックはあくまでも機能の一つである。ミュートで間に合わないのなら、ブロックすればいい。それだけだ。しかし、受け取る側にそうでない人が多いことも理解している。
私はF氏相手に限らず、可能であれば相互理解の上で問題を解決したい。平和主義なんて言う幻想ではなく、互いに言葉と言葉で殴りあって正当性を主張し相手の主義を自分の方へ傾ける、そういう話し合いだ。こう書くと怖いが、腹を割って話したいということである。
いち個人の観測できる情報には限りがある。
例として、「10+X =5」、という数式があるとしよう。この場合、Xは「-5」に見える。しかし、よく見ればXの後には空白がある。そこに何らかの数字が隠れていたら、Xは「-5」ではないかもしれない。続きに-10があれば、X=5となる。
観測された事実がすべてとは限らない。その時点での情報によって判断を下すことは必要だが、新たな事実が発覚することもある。大切なのは、その時に従来の主張に拘泥しないことだ。事実を認めずに妄想に走れば、その時点で誰とも相互理解はできなくなる。
ブロックというのは、新たな情報の一切を遮断することだ。それをすれば主観的な事実という数式は固定され、空白は空白のまま意味をなさない。解決可能な問題を誤ったまま放り出す可能性があるということだ。
もう一つ。もしもF氏がこの文章を読んだとき、どうするかだ。
彼は「水戸湊には興味がない」と宣言し、私のツイートを見ないと宣言した。それはおそらく嘘だ。彼は見る。間違いなく見て、この記事を見つけるだろう。
このすべてに目を通すかどうかは分からない。無駄に長いし、十中八九、内容を彼自身の否定と考えるだろう。もしも見たことを認めたとしても、その対応は「事実無根な中傷だ」というところだろうか。もしもそうなったら、(彼にとって)最悪だ。この文章は、読み手に対して出来るだけ私の思うところが伝わるように心がけて書いている。それを中傷の一言で片づけるなら、それは逆に読解力の大きな欠如を意味することに他ならない。あるいは単純に、最後まで読んでいないかだ。これは、彼のみにならず全ての読者に言っている。私は、己の文章力を駆使して書いたこの記事が、言いたいことが伝わるのに十分な文章と主観的に判断している。論拠なく感情のみで喚き散らされても、おおよそはこの記事内の引用で反論可能だろう。
おそらく、一番最後に書いた理想的な解決はおこらない。彼は知らん顔でブロックし続け、私も諦めて彼についての話題はこの記事をRTしてすべてを語るにとどめるだろう。この記事にはそういう意味合いもある。
ちなみに、見なければ――それはそれで、私の中で整理がつくと思おう。
最後に、これは予想さられる非難に対してのあらかじめの回答である。
『初めに陰口を言ったのはお前の方では? それでブロックされて逆切れしてるんじゃない?』
その意見はただしい。ただし、本文に書いたように、当事者意識を欠くものだ。事実無根の中傷でない限り、言いたいことは言う。私にはその権利があるし、F氏にはいかなる対応をも行う権利がある。それに対するさらなる対応の連鎖も、すべて個人としての権利を行使するものだ。この意見に対しても、同じことが言える。
『F氏をさんざん煽っていたんじゃない? そこに悪意はなかった?』
私自身は存在を覚えていないが、F氏はこの記事が事実と異なるという反証として私のそういった『悪意に満ちた』ツイートを発掘する可能性があり、それを見た誰かがこの問いを投げてくることを想定している。
そもそも悪意の可否について逆に問おう。言いたいことというのは、良し悪しすべてに関して言えることだ。悪しざまにいうことを悪意があるというのなら、それを言う権利が私にはある。言わせたのは彼だ、とすら言おう。
私は基本的にF氏の行動に対し、自らの思ったことを呟いているつもりだ。根拠のない中傷をもしも行っていたとしたら、それについては陳謝する。万が一、そのことを最もF氏が問題視しているというのなら、一切の非は私にあることも認める。
『事実と異なる部分がある。(例えば、最初にF氏にブロックされたことを呟いた人が、以前から彼を中傷していてその結果だった、とか)』
私はその事実を観測していない。可能であれば証拠を提示してもらいたいし、必要なら私自身が確認をして、適宜文章を追記する。また、先天的TSFに関しては、なにぶん4年も前のことなので(本題には関係のない)観測できていない事実も多いと思われる。それに関しては、必要と考えられたもののみを注として追記し、私の意見を述べる。
『つまり、なにが言いたいの?』
本文を読め。そこにすべて書いてある。
『よくわからないけどTSFのFっていう人が悪いの?』
本文をよく読め。そのうえで調べて、自分で判断しろ。
ads by microad