東京に来て驚いた鉄道 故郷福井と色々違った… 「時刻表いらず」は同じでも意味違うし
上京した10年前。地元が福井県のJR越美北線沿線だった私にとって、東京の鉄道は驚きの連続でした。満員電車のほか相互直通や多くの種別。スマホで行先を調べるのが主流ではなかったころに感じたことを、思い出とともに語ります。
山手線も越美北線も「時刻表がいらない」
「雑誌で読んだやつや」
私(蜂谷あす美:旅の文筆家)が上京したのは2008(平成20)年の春のこと。ついこのあいだのことだと思っていますが、いまは東京の鉄道に対して戸惑いも新鮮さもなくなっているうえに、「Suica」を搭載したクレジットカードを何度か更新しているのが現実です。干支は一回りしました。
冒頭の興奮に戻ります。これは上京前の大学受験時にJR山手線ホームで発した心の声です。2007(平成19)年の鉄道雑誌に「山手線ホームから時刻表が撤去された」とあり、それを自分の目で確かめた瞬間でした。
私の地元は福井県福井市のJR越美北線(九頭竜線)沿線にあります。越美北線は福井駅と九頭竜湖駅(福井県大野市)を結ぶ単線非電化のローカル線で、本数はおおむね3時間に1本。具体的には1日9往復です。これだけ本数が少ないと、列車の時刻が記憶されるので時刻表は不要。一方、東京では列車の本数が多すぎるがために時刻表が不要。同じ「時刻表不要」でも、理由がまったく逆です。
もっともここまでは、図鑑に載っている昆虫を実際に見て喜んでいる子どもと同じようなもの。本番はその後でした。ちょうど朝ラッシュの時間帯でホームは大混雑。到着した乗客満載の列車を見たときは「これ、本当に乗れるんか」と大いにたじろぎました。結局私はその列車に乗車したわけですが、どうやって乗ったのかほぼ覚えていません。いまの私が2008(平成20)年の私を見たら、「この子は何を言っているんだ、そんなん楽勝やろ。後ろがつかえるから、とっとと乗らんかい」と思ったことでしょう。
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