全2880文字
(著者近影 © naonori kohira)

 僕の会社人生は東京ガスという会社から始まりました。新人でいきなり配属されたのが都市エネルギー事業部という部署で、大規模ビル群のエネルギー供給システムの企画、営業、設計、事業化までを一貫して担う、ガス会社にとって新規の事業部署でした。

 当時はまだIT(情報技術)化が本格的に進む前。すでにPC(パソコン)オタクだった僕は、私物のPC-98をいきなり会社に持ち込み、ワープロソフトの一太郎で提案書を作り、グラフィックソフトの花子でプラント概略図を作製しました。開発言語BASICで作られていた外注の事業化シミュレーションソフトもすべて、表計算ソフトのMultiplanで作り直し、適用する業務をどんどん勝手に拡大していきました。

 当然、中間管理職や若手の先輩には疎まれます。しかし当時の上司は東大法学部卒の温厚な方。非常に論理的で、かつ、メンバーと議論しながら良い提案を作っていくことにたけている人。部内でちょっとした摩擦が起きても、「新人でも誰でも、できる人がやればいいんじゃない」とか、「夏野君に頑張ってもらえばその分他の人も楽になるのだからいいじゃない」とかばってくれました。おかげで僕は、調子に乗ってどんどん仕事をしていました。

 さらに、この部署はゼネコンや設計事務所、再開発をする企業の不動産開発部の方々との交渉、通商産業省(現在の経済産業省)や東京都との折衝も多かった。3年目くらいからはどんどん外に出て、夜に帰社し、深夜まで資料を作る、というはちゃめちゃな生活をしていました。「面白い若手がいる」ということで、その業界ではちょっと名前が売れ始めました。

ボスの性格ひとつで、働く環境は激変する

 ところが4年目に上司が代わりりました。同じ東大法学部卒だけれど、あまり人を信用せず、まずは疑ってかかる。議論を交わすことはあまり好きではなく、もっぱらゴルフ。資料を作っても、本質でないところを重箱の隅をつつくようにチェックする。その人がある日、ついにこう言い出しました。「夏野君の業務量が多いから平準化すべきじゃないか」「なんで彼だけがあんなに目立っているんだ」「誰がやっても同じ成果が出るのが良い組織の設計だ」

 しまいには、東京都の外部有識者会議のメンバーに僕が推挙された時には、「彼はまだ若いので管理職を出させてもらえませんか」という依頼を都の担当官に言いに行ったりする始末。

 同じ会社の同じ組織で働いていても、その部署のボスが誰になるかによって、働き方は激変する。そのことを初めて経験したのがこの時でした。仕事は好きでしたし、仕事の範囲をどんどん拡大しましたが、自分のキャリアを会社に依存させていては危険だ、と感じたのもこの時のことです。

 そこで、社内の大学院留学制度に応募し、28歳の時、その上司から逃れるように米国に留学しました。すでにお話したように、米国でインターネットの可能性に出合い、帰国してすぐに会社を辞めて、ネットサービスのスタートアップに参画しました。都市エネルギー事業部での経験が反面教師となって、僕にささやき続けたからです。

「会社という人間関係に自分の運命を委ねるのは危険だ」
「自分のキャリアを当事者として考えられるのは自分だけ、会社は何もしてくれない」 「良い環境にいても、環境は簡単に変わってしまう。環境に翻弄される人生はダメだ」