学生時代、消しゴムを机からよく落としていたのだが拾わなかった。
なんでかというと、文字を間違えたら拾えばいいわけで、それまでは消しゴムの出番がないからだ。
もちろん掃除などの時間が迫れば拾うべきだろうが、それまでに誤字は出来するのでそこで拾えばいい。
ところが友人が先に拾ってしまう。申し訳ないのでいつも上記を説明するのだがなかなか難しい問題だ。
皿を洗わない。なんでかというと、もうあと何回かは確実に使えるからだ。
一番洗わないのは茶碗で、ご飯を食べきった後は乾燥しており衛生的にも問題ない。
汁椀も洗わない。乾燥してるなら問題ない。特に箸も洗わない。乾燥しているからだ。
なぜこうなるかというと、皿を洗うのが面倒だからだ。
そして洗剤も節約できるし時間も節約できる。1週間くらい洗わない。
同じ理論はバスタオルにも援用できる。特にバスタオルは問題で、一回だけで洗濯するのは無駄であると考えている。
容量が大きすぎるのだ。だから5回使ってから洗濯する。8回くらいでもいいかもしれないと思っている。
ここでの観点は、乾燥しているか? と不衛生が過ぎ体調を崩さないか? という2点だ。
場合によっては軽く水洗いで済ませて継続して使用する場合もある。
なんでかというと、開けて、物を入れて、閉めて、開けるからだ。
特に、上に向いて開いているバッグやカバンは、重力の関係で内容物が溢れることはない。
ということでファスナーを必要以上に閉めることは時間の無駄であると考えている。
ファスナーを閉めないとなんらかの問題をきたす場合は、ファスナーを閉めるべきだ。
一方で、ズボンのファスナーは閉める。なぜなら見られた場合不快感を与える場合が多いからだ。
比較の問題で、カバンが開いていても不快感は低いが、パンツやズボンから中身が見えていたら不快に思う人は多いだろう。
こうした観点で問題ないと思うもの(判断は30年以上生きていて基準を設けている)は開けたままにしている。
最悪、家の鍵も閉めなくてもいいのではないかと思う。なぜならまた開けるのは確実だからだ。
そして、泥棒がいるとして、私の家がピンポイントで施錠されていないことを認知することが極めて困難だからだ。
そういう人は大抵イルミネーションとかしている。
それはいいとして、雪はやがて解けるのだ。そんなものに過度の労力を割くことはない。
これと関連して、寒冷地であっても手袋を装着しない。帽子も。またすぐ脱ぐからだ。ただし、寒すぎる場合は一考の余地があるだろう。
洗濯はする。衛生的に。ただそれを畳まない。なぜならすぐにまた使うからだ。
晴れ着やおしゃれな服などはしまうけれども、日常で使うものはしまわない。
本にしおりを挟むという営為は、文化的な所作という観点を除けば全く愚かな行為だ。
なぜなら挟んだ後またとるからだ。そしてまた挟む。さらにいうと、読了すると挟まなくなる。
そもそもどこまで読んだか覚えてないのならば、それはそこまでちゃんと本の内容を覚えていないからそうなるわけで、しっかり本の内容を理解しているのであればしおりがなくても続きを読み続けられるはずだ。
ちょっと手前から助走しながら新しい箇所を読み進めることもあるだろう。むしろその方が理解が進むのではないか。
こうした観点から、しおりの弱点はもっと見直されてもいいだろう。
日々階段やエレベーターで移動するのは時間がかかる。その時間に有意なこと、あるいは妄想や休息ができる人であれば問題ないだろう。
だが多くの人は、自室と地上との行き来において、活動も休息もできないぶら下がり状態の時間を過ごしているのではなかろうか。
それならば1階に住むべきだ。家賃も数千円安いことが多い。自室との行き来の時間も、数千円安い家賃も、積み重ねが効いてくる。
ただし、治安の問題で2階以上に住みたい人も多いだろう。その場合のこの限りではない。自分で考えて生きればいい。
遊園地は恐ろしい場所だ。かつて施川ユウキが初期の漫画のコラム欄で確か書いていたと記憶しているが、遊園地は出発点とゴールが同じ場所になる遊具が多すぎる。
観覧車、ジェットコースター、メリーゴーランドなど、行って帰ってくる遊具が多く含まれている。
これは問題である。位置が変わらない。初めからそこにいて、ただ佇立して止まっていればいいのだ。時間の無駄である。
ただし、途中の景色や興奮を楽しめるのであれば遊園地は面白い場所だ。この観点で判断するとよい。
全力でゴロゴロしたりオナニーしたり友人や恋人と過ごしたり、論文書いたり講演の準備したり読書したり、元に戻す(元に戻る)必要性のないジャンルのことを優先してやったほうがいい。