欧米は日本の比ではないポルノ大国
ジンバルドーは、男子が「劣化」していく理由として、ゲーム、肥満、オンラインポルノ、薬物療法・違法ドラッグを挙げている。日本の学校では違法ドラッグや肥満は(アメリカほど)大きな問題になっておらず、ゲームやスマホ依存症についてはすでにさんざん議論されているから、ここではアメリカにおける「オンラインポルノ」問題の深刻さを見てみよう。
アジアでは日本が圧倒的なAV(アダルトビデオ)大国だが、アメリカはその比ではない。
インターネットが登場した6年後の1997年に、アメリカにはすでに約900のポルノサイトが存在していた。2005年にハリウッドが制作した映画は600本程度だったのに、長編ポルノ映画は約1万3500本もリリースされている。今日、数万社にのぼる会社や配信元が、とても正確には把握できないほど膨大な数のポルノを直接オンラインで提供している。
2013年だけをとっても、PornHubは150億ちかくの視聴数を獲得し、年間を通して毎時間平均168万人が同サイトを閲覧した。ポルノのウェブページの最大の供給国はアメリカで、全世界の89%に相当する2億4460万ページを制作しているという。
イギリスでは2013年に、PornHubが6歳から14歳の子どもの閲覧ランキングで第35位に入った。平均的な少年は週に2時間近くポルノを視聴し、少年の3人に1人が、ポルノを何時間見ているかが自分でもわからないほどのヘビーユーザーだとされる。その結果、ポルノのせいで何かを先延ばしにする「プロクラスターベーションProcrastabation(Procrastinateぐずぐず先延ばしにする+Masturbationマスターベーション)」なる造語まで生まれたという。
アメリカやイギリスでは、若い男性の多くが「ポルノサイトの過度な視聴」を早くも14歳で開始し、20代の半ばには「最も暴力的なセックスシーン」にさえ慣れきっていたと答えている。
少年期から膨大なポルノにさらされつづけたことで、「セックス拒食症」とでも呼ぶべき症例が社会問題になってきた。ほんもののセックスと“ポルノの再演”の違いがわからなくなり、「セックス拒食症」の若者はガールフレンドをモノ扱いしはじめる。
彼らは自分の身体が他者の身体とつながっているという感覚から切り離されているので、セックスのときには逆に、人間のパートナーといるのだという空想を巡らさなくてはならなくなる。
イースト・ロンドン大学が行ったオンライン調査では、16歳から20歳の男子の5人に1人が「実際のセックスでも刺激剤としてポルノの世話になっている」と認めた。ポルノのせいで健康的な性的関係についての考えが歪められ、実際に女性を相手にしているときもポルノの「スクリプト」が頭の奥で再生されているのだという。
「ポルノ依存症」のメカニズムとは?
軟体動物を使った古典的な反応実験では、最初は軽くタッチされただけでも反射的に収縮していたウミウシは、危害を加えられることなく繰り返しタッチされていると、あっという間に慣れて収縮する本能を失う。
生物学者エリック・カンデルはウミウシの神経システムを観察した結果、この学習効果が、シグナルを送る運動ニューロン間のシナプス結合の弱化を反映していることを発見した。実験のはじめにはウミウシの知覚ニューロンの90%が運動ニューロンと結合していたが、40回タッチされたあとでは、わずか10%しか結合していなかったのだ(カンデルはこの一連の研究によってノーベル賞を受賞した)。
もちろんこれだけでは、ポルノを過剰に視聴することが現実のセックスに影響を与える理由だとはいえない。セックスは身体的な体験だが、オンラインポルノは「ただ見るだけ」なのだ。
そこでハーヴァード大学メディカル・スクールの神経学研究者アルヴァロ・パスキュアル-レオーネは、実体験と想像のちがいを調べるために次のような実験を行なった。
ピアノをいちども弾いたことがない被験者に簡単な一節のメロディを教えてから、彼らをふたつのグループに分ける。
第一のグループはつづく5日間、毎日2時間、キーボードでそのメロディを練習した。それに対して第二のグループは、同じ時間をキーボードの前に座り、キーには触れずにただメロディを弾いていると想像するよう指示された。
そのうえで実験中の参加者たちの脳活動を調べると、驚くべきことに、両グループの脳はまったく同じ変化を示していた。身体的な体験をともなわなくても、ただ考えただけで脳は変化するのだ。
ジンバルドーは、インターネット、ギャンブル、オンラインポルノの3つの依存症について脳科学的な研究は90以上あり、これらの依存症のすべてにおいて、脳内に薬物依存症と同様の変化が起きているという。
脳内で性的興奮が起きる部位は、依存が起きる部位(報酬回路)と同じだ。ドーパミンは報酬回路を起動する主要な神経伝達物質なので、性的に興奮すればするほど、その分泌はより高まり、ドーパミンの量が不足すれば勃起は起きない。
こうしたメカニズムによって、「ポルノ依存症」は次のように進行していく。
(1)静止画面やすでに見たポルノでは性的興奮は起きなくなる。単に興奮を得るためにも、より過激なポルノへとエスカレートしていく――依存症の兆し。
(2)ペニスの感覚が鈍くなる――脳が快感に対して麻痺しつつある証拠。
(3)現実の相手とのセックスで射精までに時間がかかる。もしくは射精に到達できない。
(4)性交不能――現実の相手とのセックスでは勃起を維持できない。
(5)勃起不能――たとえ過激なポルノを見てもまったく勃起しない。
(6)勃起不全治療薬も効力を失う。バイアグラもシアリスも勃起を維持する血管を拡張するだけで、脳に性的刺激を引き起こすことはできない。興奮しなければ何も起きない。
ポルノユーザーは刺激を受けるためにより過激なポルノに依存していく
ベルリンのマックス・プランク人間発達研究所で行なわれたオンラインポルノ視聴者の脳に関する研究では、長年にわたる長時間のポルノ視聴は、脳の報酬感受性に関係した領域における灰白質の減少と関連性があることが発見された。
灰白質が減少すれば、ドーパミンの量もドーパミン受容体の数も減る。「ポルノの習慣的な使用は多かれ少なかれ報酬回路をすり減らす」のだ。
ポルノユーザーたちがより過激なポルノに依存するようになるのは、性的興奮を覚えて勃起するのにますます大きな刺激が必要になるからだ。
しかし、現実にこのようなことが起こるのだろうか。ジンバルドーは、20代前半の女性から聞いた話を紹介している。
彼女はある男性と7カ月ほどつき合ったあとに、いっしょに暮らすようになったが、彼には勃起障害があった。たまに勃起することがあっても、いざ挿入する段になると萎えてしまうのだ。
彼はハグや抱き締めることは楽しんでいたので、セックス以外はとてもうまくいっていました。私たちは何についてもざっくばらんに話していました。彼はPCに大量のポルノを収集していました。それ自体はさほど気にならなかったのですが、それらが彼のセックスに対する考え方にかなり悪影響を与えていると感じていました。彼は自分の性的能力に対してあまりに大きな不安を抱いていて、そのせいでどうしても行為に没頭することができなかったのです。
恋人と同棲し、お互いの関係もうまくいっているのに、彼はなぜセックスができないのだろうか。彼女はこう説明する。
彼は中高時代を男子ばかりの寄宿舎で過ごしたのですが、そこで少年たちは大量のポルノを見たそうです。彼らの誰一人、まだ実際には体験していなかったそうです。それこそ彼がのちに勃起障害と性行為に対する不安症に苦しむことになった原因ではないかと思います。(略)
彼は私を欲情の対象として見るのは難しいと言いました。つまり、愛する女性が同時にセックスの相手であることに折り合いをつけられないのだと。彼にとってセックスとは、自分にとってどうでもいい誰か――生身の人間ではなく、欲情させるモノ――とするものなのです。彼との生活の終わりころには、私たちはまるでルームメイトのような暮らしをしていました。
VR(ヴァーチャル・リアリティ)のテクノロジーが大衆化すれば、セックスはますますリアルな体験から離脱していくだろう。その先には、いったいどのような世界が待っているのだろうか。
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』『橘玲の中国私論』(ダイヤモンド社)『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)など。ダイヤモンド社から発売即大幅重版となっている新刊『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』が好評発売中。
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