戦争漫画全盛期の少年誌。左から『週刊少年キング』昭和39年5月3日号、『週刊少年マガジン』昭和38年9月22日号、『週刊少年サンデー』昭和43年4月21日号
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高度成長期に大ブーム…反戦平和教育と共存した「戦争漫画」の遺産

『紫電改のタカ』から『この世界の片隅に』

戦争によって焦土と化した日本が、徐々に復興し、高度成長期を迎えた頃、少年たちを熱狂させたのは、その戦争を題材とした漫画だった。

学校では、反戦・平和教育が徹底されていた時代に、なぜこのような「戦争漫画」ブームが起こったのか。その興亡からは、戦後日本の複雑な容貌が見えてくる。

 

ON、大鵬とともに表紙を飾った「零戦」

かつて、1960年代をピークとして、少年漫画誌に太平洋戦争中の日本海軍の戦闘機「零戦」や陸軍の戦闘機「隼」が飛び交い、「紫電改」が乱舞する時代があった。

軍用機だけではない。当時の少年誌を眺めて見ると、戦艦「大和」、戦車、自衛隊、忍者、馬賊(旧満州で暴れ回った賊。日本人の頭目もいた)……といった、いまでいうミリタリーや歴史を題材にした活劇風の絵が、当時大人気だったプロ野球の長嶋茂雄や王貞治、大相撲の大鵬などとともに表紙を飾っている。

1960年代初期の戦争漫画を代表する「0戦太郎」(辻なおき)と「ゼロ戦レッド」(貝塚ひろし)

当時の子供たちがどんなものに関心を持っていたか、手に取るように伝わってくるではないか。怪獣や特撮ヒーローものが人気を博す以前、少年誌にアイドルタレントの水着写真が載るなど、まだ考えられもしなかった時代のことである。

この時期にはまた、いくつかの出版社から、少年向けの戦史全集が出ていて、通して読めば、戦争の全体の流れがそれなりに頭に入るようになっていた。何より、執筆・監修者の多くが、当時存命だった元参謀クラスの軍人や、講談社の『少年版・太平洋戦争』シリーズの山岡荘八のような、従軍経験を持つ一流作家だったから、子供向けとはいえ、ずいぶん贅沢なものだった。

少年漫画誌も、1960年代には中身の3分の1近くが読み物ページである。戦記本の出版で知られる潮書房光人新社の前身、潮書房光人社の元会長・故高城肇氏も、『週刊少年マガジン』(講談社)に「空の王者ゼロ戦」その他の連載を持っていて、そんな記事はいま読んでも読み応えがある。

こんな本や雑誌にリアルタイムに胸を躍らせた子供たちの世代は、現在、還暦前後だろうか。ときを同じくして発売されるようになった軍用機や軍艦、戦車のプラモデルの人気も、ブームを後押しした。男の子なら誰でも日本陸海軍機や戦艦の名前、大戦中の主要作戦がすらすら言えた世代。実際、これぐらいの年配の人に、いまも熱狂的な軍用機、軍艦やプラモデルのマニアが多いようである。