いままでは常に野球を捨てず、必死にもがき続けてきた。だが今回は、ついにユニフォームを脱ぐ決意をしたという。
「ここ数年は、レベルの上がらないロールプレイングゲームを続けているような感じでした。努力して上手くなるのではなく、努力して現状維持をしていた。伸びしろがないのは、人間にとってきつい。だからこそ、次のステージにチャレンジすることに決めたんです」
新たな挑戦として佐藤が選んだのは、測量・地盤改良を行う建築会社にサラリーマンとして勤務するという道だった。
「本当にゼロからのスタートです。でも、未来が見えていないほうが、人生は楽しいでしょう。野球と違う道でも、輝くことができるんだというのを見せたいんです」
野球しか知らなかった人間が、まったくの畑違いの仕事に挑む。そこに不安がないわけがない。しかし佐藤の話しぶりは、明るい。
元来の性格もあるだろうが、それだけではない。この男には、前向きになるしかない過去があるのだ。それは、'08年の北京オリンピックでの落球だ。
準決勝の韓国戦。佐藤は完全に追いついていたフライを落とすという、痛恨のタイムリーエラー。さらに翌日のアメリカとの3位決定戦でも、勝負を左右する場面で落球を犯した。
帰国後、戦犯となった佐藤には日本中から大バッシングが浴びせられた。佐藤は精神的に追いつめられ、「死にたい」と口にしたことさえあったという。
「その後、西武を戦力外になったことから、あれで野球人生が狂ってしまった、とよく言われます。でも僕はそうは思っていません。確かに当時はへこみましたが、あれも人生の1ページだと思っているんです。
人は誰しも人生のなかで後悔をし、それをバネに成長していく。僕にとってあの五輪も、その一つなんです。あの経験があったからこそ、見返してやろう、という気持ちで頑張ってこれた。僕は自分が弱い人間であることを知っている。だからこそ、前向きでいなきゃいけない、と常に自分に言い聞かせているんです」
幾度となくどん底を見た佐藤が身につけた処世術こそ、底抜けの明るさだったのだ。
ただ、佐藤を支え続けてきた妻だけは、夫の苦労を知っていたのだろう。戦力外になった後、こんなやり取りがあったという。
「妻も心の準備はできていたと思います。でも何でかな。僕が『いままでありがとう』と言うと、涙を流していましたね」