「他人には他人の人生と都合がある」という点では、この時期よく噴出するという「年寄りからの(田舎に戻っての)同居要求」と同じようなもんだと思うのですよねえ。オタクが真っ当に地道に生きて来はったとして、そのご褒美みたく私がそちらでの同居をなんで飲まなって意味がわからんよみたいなw
-
-
そうした齟齬をどう解きほぐすつもりなんだろう?というコミュニケーションについて疑問に思ったんですが、暴言の連発と猥褻画像で「予想より手前の話だったんだなあ」と遠い目をしてるところです。なんでモテないんだろうね!(*´ω`*)
1 reply 0 retweets 0 likes -
手前ですよねえ。 「モテを放棄したからといって相手を欲しない訳ではない」とか一生懸命言うてる人を見かけましたが→「ダイエットを諦めたからといって細身の服を1着だけでも着たくない訳ではない」程度の横着のような。けだし「取り繕いのないあるがままの姿」でOKなのはお母さんくらいでしょw
1 reply 0 retweets 1 like -
実践倫理なんちゃらの冊子「倫風」での決まり文句「相手を変えることは出来ないが、自分が変わることは出来る」 かつてはダメダメ家庭の女性に都合良く押し付ける言葉だった訳ですけど、その因果が今は「非モテ」に来てるターンなんだと思います。
1 reply 1 retweet 2 likes -
その通りなんですよね。極端なこと言うとまた怒られますが、そうした意味で80年代以降の宗教ブームを裏返したような言説に面食らうし面白いしで。なぜこうも両極端になるのかしら…と謎です。
1 reply 0 retweets 1 like -
『因果鉄道999(苦苦苦)』ってタイトルだけ思い付きました。時空を遡り因果を廻るスピリチュアルな旅。終点に行くと「モテ」が得られると言うことで旅スタート(→オチの例:寒村で「オジロク」にされて性的欲求から解放されることで救済される) 主題歌のサビ:~ A Journey to the Hell
1 reply 0 retweets 2 likes -
90年代に「終わりなき日常を生きろ」で非モテと終末問題について宮台真司先生が論じられていたのを思い出します。非モテに終末来ないから期待すんなと説かれてる他方で、女性向けスピリチュアル市場では愛に満ちたスピリチュアルなセックスと出産と家族形成が進行してたわけですね(遠い目)
1 reply 0 retweets 0 likes -
「終わりなき日常をー」ありましたねー、SPA誌によく出てきてた覚えあります(宮台センセが当時チヤホヤしてたナントカいうアイドル今どうしてはるんだろ?) なまじそこそこイケてると、バブル気分も残ってて掛け金吊り上がってるので、色々ロマン的に納得出来ないと勝ち負けでいうと負け、みたくも。
1 reply 0 retweets 0 likes -
バブルは地味にめっちゃ祟りますよね。いまはもう終わりある日常すら夢想できなくなりましたから、ブレイクスルーもない。その閉塞感でフェミニストたちが煩く感じるのはわからないではないです、って言うと怒られるまでがデフォなんであとは踊ります。
1 reply 0 retweets 1 like -
バブルとその後の長いgdgdな衰退を経た後となっては、そういやあの「吉本隆明コムデギャルソン論争」って全く意味がわかんないですねw 一応リアルタイムで覚えてて&昭和の感覚も一応知ってる私ですらそうなんだから、40歳以下に取っては頭おかしいイチャモン事象としか認識されない気がする。
1 reply 0 retweets 0 likes
そうそう、いまならコムデギャルソン論争も若者にとっては、はあ?でしょうね。だいたい、コムデギャルソンの存在自体が知られているかも、かなり微妙ですから。そんな金、いま学生にはないです…