MENU

PRODUCTION NOTES

原作と同じ長崎県佐世保で
クランクイン!

映画『坂道のアポロン』は、原作の舞台である長崎県佐世保市を中心に行われた。漫画原作の場合、原作のキャラクターに生身の人間がどこまで近づけるか、どこまでハマるかが重要になってくるが、知念侑李も中川大志も西見薫と川渕千太郎そのもの。2017年4月28日、記念すべきクランクインの場所は神社・亀山八幡の一画だった。そこに現れたメガネ&学ラン姿の知念、茶髪に赤白ボーダーシャツの中川、二人とも良く似合っている。共演はドラマ「地獄先生ぬ〜べ〜」に続いて2度目となり、人見知りの知念にとっては中川の存在は心強かったようで「大志のおかげでスタッフさんや共演者の方々とコミュニケーションが取れるようになっていった」。主演の知念をしっかりサポートする中川が「普段から薫と千太郎のいい距離感あった」と言うように、撮影初日にも息の合った二人の演技を見ることができた。それは、想いを寄せていた百合香と兄のように慕っていた淳兄の関係を知った千太郎が、行き場のないの苛立ちを不良生徒とのケンカで晴らそうとするシーンだ。中川のアクションはアクションコーディネーターが「のみ込みが早い、動きもいい!」と絶賛するほどリアリティがあり、「千! やめろ!」とタックルをして止めに入る知念との息もぴったりだった。友情を深めつつあった薫と千太郎の間に溝ができてしまうシーンでもあり、三木監督から知念には、セリフに「諭すような優しさを入れるように」というアドバイス。感情をぶつけ合うシーンを初日に撮影することは、知念と中川の演技を深めるための三木監督の狙い。澄み渡る青空の下で『坂道のアポロン』の撮影は好調なスタートを切った。

二つの運命の出会いが放つ
特別な輝き

本作には主人公薫にとって、運命的な出会いが二つある。千太郎、そして律子との出会いだ。クランクイン前に三木監督は薫と千太郎の友情の深さについて、ある種の「ラブストーリーでもある」と俳優たちに伝えていた。それがよく分かるのが、二人が最初に出会う屋上のシーンだ。場所は佐世保の街を一望できる坂の上にある聖和女子学院。撮影の準備段階では少し雲がかかっていたが、現場に知念と中川が現れると雲の合間から太陽が顔を出し、“屋上への出口から光が溢れている”という台本のト書き通り、まばゆいばかりの光が現場に注ぐ。三木監督作品の特徴のひとつとして光の映像美が挙げられるが、その日も“三木マジック”によって美しい光が作られていった。転校してきたばかりで教室に居場所がなく屋上へ向かう薫。屋上の入口をふさぐかのように昼寝をしている千太郎。二人が運命的に出会うシーンだがまさにラブストーリーでいう主人公とヒロインの出会いと同じように、薫が千太郎に初めて出会った衝撃が、知念の表情にとてもよく現れている。 仰向けに寝ている千太郎が薫に手を伸ばすこのシーンの構図は後半にもう一度登場する。前半は千太郎が薫を救い、後半はその逆、薫が千太郎を救うシーンとなっている。三木監督の言う「ラブストーリー」の意味がよく現れている。 そしてもう一つの出会いが、ヒロイン律子との出会いである。教室のシーンは、佐世保市にある旧花園中学校で撮影された。転向初日、教室に慣れない方言での噂話に居心地の悪さを感じている薫に、声を掛けるのが律子役の小松菜奈。原作のビジュアルに近づけるべく、メイクでそばかすを加えた小松はまさに律子そのもの。優しい律子の笑顔に思わず、薫が一目惚れするシーンだが、小松の見せる笑顔の可愛さに、知念もモニター前の監督やスタッフも「可愛すぎる!」と大絶賛。こうして薫の恋と友情は幕を開けた。

音楽の生まれる場所、
心が通う場所、地下スタジオ

ムカエレコードの地下にある音楽スタジオは、大分県豊後高田市にある製線工場を借りてセットを建て込んだ。階段を降りると広がる地下室には、ピアノ、ドラム、ウッドベースがあり、所々剥がれたレンガの壁からは年季のある建物であることがわかる。そして居心地がいい。俳優たちは空き時間、決まって地下スタジオのセットでくつろぎ、スタンバイ中にセッションが始まることもあった。律子の父・勉役の梅雀がベースを弾き始めると、中川のドラムが加わり、ディーン・フジオカのトランペット、知念のピアノが加わる──この工場に作られたセットの撮影期間中は、そんなふうに演奏シーンの練習風景が現場を潤わせていた。演奏を見守る立場の律子を演じた小松は言う。「みんなで演奏するシーンを初めて見て鳥肌が立ちました。私は演奏を聴いている側、特等席でした」。知念と中川は、撮影の何ヶ月も前からピアノとドラムのレッスンを始め、課題曲を修得しなければならなかったが、観客にセッションを楽しんでもらうには「まずは自分たちが楽しまなければ伝わらない。セッションの楽しさを感じることのできた本当に楽しい時間だった」と中川は語っている。音楽ものの映画では演奏シーンは吹き替えということもよくあるが、プロデューサーは「みんなの演奏が素晴らしいので吹き替えは用意していない」と俳優を信じ、託し、「『ラ・ラ・ランド』や『セッション』にも負けていないと思う」と手応えを感じていた。 もう1つ見どころとなるセッションシーンが、長崎のジャズバーの淳兄と奏でるセッションであり、長崎市のライブハウスTin Pan Alleyで撮影された。ディーン・フジオカが歌う「バット・ノット・フォー・ミー」は素晴らしく、その現場にいた全員が聴き入る。淳兄の存在が薫と千太郎を刺激していく、何とも贅沢なシーンがカメラに収められた。劇中で薫たちが演奏する曲目は「モーニン」「いつか王子様が」「マイ・フェイヴァリット・シングス」「バット・ノット・フォー・ミー」など名曲が揃っている。

本物の昭和の町並みに作った
ムカエレコードの店舗

物語の舞台となる昭和の街並は大分県豊後高田市にある「昭和の町」で撮影された。昭和の町とは、商店街が元気だった最後の時代──昭和30年代の活気を蘇らせようと平成13年に立ち上げられた町で、一足早く公開された『ナミヤ雑貨店の奇蹟』もこの町で撮影されている。今回『坂道のアポロン』の撮影では、電気屋の店舗を全面的に改装してムカエレコード店を作った。集めたレコードの数は5000枚に及んだ。中川はその商店街をカブに乗って走るシーンがあるが「本当にタイムスリップしたかのようで、テンションが上がった」と、貴重な体験だったことを語っている。薫が律子を電話でデートに誘うシーンも昭和の町で撮影した。携帯もスマホもない時代の赤い公衆電話。10円玉を何枚も用意して、律子の家、ムカエレコードに電話をかける薫。知念は片想いのドキドキの緊張感を、声を浮つかせたり、息づかいを変えたりしながら繊細に演じていた。律子と会う日にちを決め「……ああ。いいよ、もちろん」と言葉は淡々としているが、気持ちとしては飛び跳ねるほどの嬉しさ。台本のト書きにある“小さくガッツポーズをする”という芝居を、知念は何ともチャーミングに演じてみせた。撮影は5月の下旬だったが、その日は夏のような汗ばむ暑さで、暑さと疲れを吹き飛ばすためなのだろう、三木監督は撮影の合間に「アイスじゃんけんをしよう!」とスタッフ&キャストに声をかけ、現場を盛り上げていた。

この映画の象徴となる
“坂道”での過酷な撮影

「……あの大嫌いな坂を、あいつは軽々と駆けていった」という薫のナレーションで、現在軸から1966年へ物語の舞台が移る。大嫌いな坂だけれど美しい坂道、大切な人たちとの想い出の坂道が映し出される。映画の象徴的なシーンになる風光明媚な坂道を見つけることも重要だった。選ばれたのは、原作の舞台にもなった佐世保北高等学校前の坂道ともう一つ、緩やかに蛇行する階段を含む坂道だ。道幅は歩幅3歩半。二人並んで歩くのがギリギリで、両脇は民家が建ち並び、カメラや機材を運ぶのも一苦労。撮影環境としては過酷な現場だった。放課後、薫と律子が帰っていく途中、「リッコ! お先!」と薫の頭をポンッと叩き、走り去っていく千太郎。頭に触れるタイミング、ふり向くタイミングなど、階段を駆け下りながらの演技は難しさもあり、テストも含め中川は階段を15回以上駆け下りた。また、薫と律子の会話は台本に書かれたものに知念と小松がアドリブで続けなければならず、二人がNGを出してしまったときは「千、ごめーん! わざとじゃないからね!」と、何度も階段を上り下りする中川に声をかける。そんな何気ない会話からも、薫・千太郎・律子、三人の仲の良さは知念・中川・小松の仲の良さそのものなのだと伝わってくる。この映画を佐世保で撮影している意味はこういうところにもあるのだと、ロケーションの持つ力にも見とれた瞬間でもあった。撮影を終えた俳優たちは、「いつか大富豪になったら、佐世保に別荘を買いたい」(知念)、「引っ越したくなるほど佐世保の町が好きになった」(中川)、「まるで自分たちもここで生まれ育ったような感覚だった」(小松)と、すっかり佐世保の町の景色に魅了され、三人とも「東京に帰りたくない」と名残惜しそうだった。

文化祭での刺激的にして
感動的なセッション

「特別な2日間」「大勝負のシーン」だと、知念も中川も三木監督も全員が緊張感を持って臨んだのは、文化祭のステージだ。エキストラは400人、撮影のカット数は2日間で70カット、いつも穏やかに映っていた三木組に、いつもと違う緊張感が漂っていた。しかしながら、いい緊張感だ。薫と仲違いをしてロックバンドのドラムとして文化祭に参加する千太郎だが、突然の停電によって薫とのセッションが始まる。演奏シーンの撮影は、事前にレコーディングされた音源に合わせて二人が演奏する風景を撮影していく。カメラが回るギリギリまで何度も指使いなど確認し、さらに、ピアノだけのカット、ドラムだけのカットを撮影している間も、必ずお互い演奏に参加し支え合う姿があった。ゼロから始めたとは思えない、その演奏シーンの完成度にシビれる。知念は10か月前からピアノの練習を始めたそうだが、楽譜が読めるわけではなく、耳でメロディを、目でピアノ指導の先生の指の動きをコピーして反復練習することで習得した。「最近は好きな曲を趣味で弾いたりもしているので、もっと上手くなったら、いつかライブで見せられたらいいですね」(知念)。中川にとっても死闘の日々だった。「体はきつかったけれど、極限状態でしか出せない自分の限界の先が出せた気がします。後悔なく思いっきり出し切れました」と、何ヶ月もの練習の成果を本番でしっかり出した。演奏はもちろん俳優としてもプロフェッショナルな姿勢をみせた。そして、二人のセッションは「マイ・フェイヴァリット・シングス」から「いつか王子様が」、最後に「モーニン」へと移っていく、その瞬間の観客のざわめきにこちらもゾクッとする。演奏時間は約5分間。もちろん手元も撮る。吹き替えはいない。約5分間のセッションを終えた後に体育館に響き渡った拍手は、演出による拍手ではなく、本物の感動の拍手だった。このシーンは薫と千太郎の和解のセッションであると同時に、二人をずっと見守ってきた律子の気持ちも重なり合う、三人のセッションでもある。小松は「難しいお芝居なので、どう演じたらいいのかずっと悩んでいましたが、二人が頑張って練習している姿を近くで見てきたので、自然と感情が動かされていました」と語るように、そのシーンの律子のセリフ──「マイ・フェイヴァリット・シングス……」そのひと言を口にした後の小松の瞳は、優しい笑顔と涙でいっぱいだった。