日本の虐待死の多くはゼロ歳、ゼロカ月、ゼロ日で発生している。
東京都足立区でも昨年末、一人きりで自宅で出産した赤ちゃんを病院に連れて行かずに死なせたとして、保護責任者遺棄致死の疑いで母親が逮捕された。
母親は「病院に行くお金がなく、周囲に相談できる人もいなかった」と供述しているという。こうした赤ちゃんの死亡も、厚生労働省の統計では虐待死に含まれる。調査によると過去15年間で373人の0歳児が虐待によって死亡していることがわかっている。
ゼロ歳、ゼロカ月、ゼロ日虐待死の背景
「妊娠したかも」、「産んでも育てられない」、そんな女性の悩みは「妊娠葛藤」と呼ばれる。その相談窓口である「にんしんSOS東京」を開設しているNPO法人ピッコラーレの代表理事・中島かおりさんは、こうした問題の背景のひとつは「日本の医療制度において妊娠・出産が妊婦の自己責任で対処しなければならないことにある」と指摘する。
「妊娠をすると、妊娠の確定診断や諸検査、胎児の超音波診断など、必ず医療が必要になります。日本では、『妊娠は病気ではない』として、それらが医療保険の対象にはならない、10割負担とされていることには大きなメッセージが込められているように感じています。それは妊娠に関しては全てその人の自己責任だというメッセージです」
母子手帳の交付を受けることでもらうことができる「妊婦健康診査助成券」によって妊婦健康診査の補助を受けることは可能だ。だが、どれだけの費用が公費で賄われるかは自治体によって少し異なり、助成券だけでは賄えず、検診ごとに自費分がどうしても出てしまう。
また出産にかかる費用に関しては、健康保険に入っている場合、「出産育児一時金」として約42万円が支給される。だが、それだけでは出産にかかる費用をすべて賄うことができないことが多い。
足立区の母親のように自宅で出産するケースでは、妊婦健診を受けていないことがある。
「母子手帳を交付してもらわないと妊婦健診の補助を受けることができませんが、孤立した妊婦は母子手帳未交付が9割以上です」
「窓口に寄せられる方たちの声を聞いていると、貧困であったりシングルであったりする人やその子どもは、社会から排除されているように感じる。国は少子化対策というけれど、その対象になっているのは、健康で、結婚していて、経済的にある程度余裕がある家庭だけではないかと思えてきます」
「妊娠・出産は自己責任」というメッセージが脅かすもの
ピッコラーレ代表の中島かおりさん。
「そもそも、ゼロカ月ゼロ日死亡は児童虐待死の問題として語られることが多いけれど、根っこにあるのは『リプロダクティブ・ヘルス/ライツ』(性と生殖に関する健康と権利)の問題でもあるのではないかと考えています」
「誰もが、妊娠、中絶、出産の当事者になる可能性があるのに、性に関する様々な事柄について、十分な情報を元に考え自分自身で決める権利を持つことを、どれだけの人が認識しているでしょうか?必要な情報を得られること、必要な医療にかかることができることは、誰もが自分自身の性に関する健康を守るために大切なことです」
「思いがけない妊娠や出産でのゼロ歳ゼロカ月ゼロ日死亡を防ぐためには、緊急避妊も含めた避妊の手段を、必要な時に誰でも使える環境を整えることが重要になってきます」
ドイツなどでは、未成年であればピルの費用は全額健康保険で負担され無料で使用することができる。無料でなかったとしても、多くの国で、ピルはドラッグストアでの購入も可能であり、誰もがアクセスしやすい。だが、日本の現状は異なる。
熊本市の慈恵病院に設置されている「こうのとりのゆりかご」(通称:赤ちゃんポスト)
「避妊方法のひとつに、低用量ピルを内服する方法があります。女性が主体的に選択できる避妊方法ですが、月経困難症や生理不順と診断された人が治療目的で使うピルには保険適用になるのに、避妊目的の場合は制度上は健康保険は使えず、全額自己負担ということになっています」
「避妊ができていなかった場合に妊娠を防ぐ、緊急避妊ピルも病院受診が必要で全額自費となり高価です」
誰もが等しく妊娠・出産に関して自己決定を行うことができない現状に中島さんは疑問を呈する。
「お金がなければ避妊ができない、その結果妊娠をしても今度は病院にかかることができない。妊娠は病気ではないかもしれないけれど、命に関わることなのにこれでいいのでしょうか」
ネットカフェからつながる妊婦も
足立区の事件では、母親は産後すぐにアルバイトを再開し、働いていたことが明らかとなっている。
産経新聞によると母親は出産後に薬局で粉ミルクや哺乳瓶を購入、ベビー服も着せていたという。
「お金がなくて病院に行けなかった結果、赤ちゃんが亡くなってしまう背景には、妊娠出産は自己責任として、経済的負担を個人に押し付けている、私たちの社会の在り方にも原因があるのではないでしょうか?」
予期しない妊娠、経済的困窮、社会的孤立、DVなどの様々な背景がある特定妊婦に対する初回受診料の支援を含む産科受診同行支援が埼玉県や千葉県、東京都でも始まっている。
だが、中島さんは「産科受診同行支援が始まったことは大きな一歩だけれど、窓口にたどり着けない人には支援は届きません」と指摘する。
「『妊娠は病気ではない』けれど母体はリスクと隣り合わせで妊娠期を過ごす。だからこそ、定期的な妊婦健診が必要ですが、現状は、費用負担ができない妊婦は健診を受けることさえできません」
フランスやドイツでは周産期に関わる諸費用を無償化することに成功している。だからこそ、こうした医療費や生活費に関する支援を手厚くすることは可能なのではないかと考えている。
「本当に、少子化対策をしようと考えているなら、また、ゼロ歳ゼロカ月ゼロ日の虐待死と言われているものを防ごうと考えているなら、全ての妊婦が、妊娠期から出産、そして産後まで切れ目なく、必要な医療や保健サービスを自己負担なく受けられるようにすることが必要だと思います」
中島さんたちは2015年にピッコラーレの前身である「にんしんSOS東京」で助産師や社会福祉士と電話相談の窓口を開始。以来、多くの悩みを受け止めてきた。
そうした相談の中には、生活困窮状態にあり、衣食住すらままならない妊婦の相談も少なくない。住む場所がない、食べるものがない。そんな状態で妊娠し、悩みを一人で抱え込んでしまっているケースだ。
「ネットカフェなど自宅以外の場所から相談に繋がった妊婦さんがいます。様々な理由で安心できる住まいを持たず、毎日の日雇いバイトでネットカフェ代を稼ぎながら布団もない場所で生活しているような妊婦さんがいることを、私たちも彼女たちが相談の連絡をくれるまで知りませんでした。彼女たちの存在は社会から見えなくされているのだと思います」
「妊娠をしたら一人で抱え込まず、みんなの力を借りて子育てをするという社会の風潮がない」。そのため、追い込まれてしまう女性たちがいる。妊娠・出産に関する問題は母親一人で背負いこんでしまいやすい。特にパートナーや家族に頼ることができない場合、その傾向は顕著だ。
「彼女たちはあらゆる物事を自分の力でどうにかしなくてはいけないと考えている。そんな中で、妊娠した時だけ誰かに頼ることができるだなんて思えるはずがありません」
「私たちの窓口につながり、行政の支援を受け、社会に居場所を作ることができた人もいます。だけど、妊娠葛藤の問題が解決しても、社会からこぼれ落ちてしまう人たちがいるのです」
「居場所のない妊婦」を減らすために
プロジェクトホームで利用する2階建て家屋。
妊娠という問題が一旦落ち着いたとしても、妊娠以外のたくさんの困りごとは無くならない。
「彼女たちは、安心安全で体を休められる居場所と、そのほかの困りごとについても一緒に考えてくれる誰かを必要としていました」
生活に困窮した女性を受け入れる婦人保護施設なども存在する。だが、入所者を守るためではあるが、スマホを利用することの制限など様々な規則が存在する。これが思わぬ壁となり、入所を躊躇する女性も少なくない。
そんな中、ピッコラーレは2020年4月に豊島区の2階建て家屋で妊婦のための居場所事業「プロジェクトホーム」をスタートさせる。相談者が抱えている「課題」を解決できるよう、相談者と支援員ではなく、課題解決に取り組む仲間として出会い関わっていけるような環境を目指したいと中島さんは語る。
壁にぶつかった女性がほっとひと息つける居場所を作る。その先に見据えているのは、誰もが妊娠をきっかけに自由に、自分らしく、幸せに生きることのできる社会だ。
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