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「文化財の保存と活用 ~未来への覚悟と責任~」(視点・論点)

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東京国立博物館 平常展調整室長 松嶋 雅人

改正文化芸術基本法がことしの6月、成立し、国の文化政策の基本理念が方向転換しました。これまでの文化芸術振興基本法が、文化芸術基本法へと名前が変わった通り、文化芸術自体の「振興」から、観光などの関連分野を明記した「活用」に力点を移した内容になっています。

こうした中、東京国立博物館ではお客様から、「国宝『松林図屏風』や葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、なぜいつでも見ることができないのか?パリのルーブル美術館では『モナ・リザ』はいつ行ってもあるのに」という声をしばしばいただきます。博物館にせっかく出向いたのに、お目当ての作品が展示されていないのはなぜか、という疑問だと思います。

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日本の長い歴史のなかで、文化的活動の結果として生み出された絵画や彫刻、漆器、陶磁器などの品々、古墳などに埋蔵された考古資料や社寺などの建造物、そして芸能、民俗文化、さらには長く変わらない風景や景色といった貴重な文化財は、保護されるべき対象とされています。そのためそれらの品々は、美術館などで公開される時間が制限されており、大切に保管されているので、恒常的に展示されているわけではないのです。
日本の文化財の多くは、お正月や桃の節句といった年中行事で、箱から取り出して使われる道具や調度品でありました。また宮廷儀式や宗教的行事で扱われるものも、ある特定の機会や時期に合わせて作られたものが多かったのです。長期間に渡って人目にさらされるものは、そう多くはありません。
温暖で湿潤な気候と、骨まで溶かす酸性土壌の多い風土のなかで、日本のもの作りの文化は、痛み、壊れ、無くなることが必然であったといえます。一見頑丈にみえるコンクリートの建造物でも、欧米と比べれば、その寿命は短いものとなります。新たな機会となれば、社殿などは建て替えられて、新たに作り直されるのです。そのため多くの品々の素材は、紙など植物由来のものが多く、また刀剣などの金属品のように時間の経過によって、さびが生じてしまうなど、そのままの姿かたちを長く留めておくことができないものが多かったのです。

このような日本の文化的特長のなかで、人々は優れた技や造形美を古くから敬い、尊重し、何百年前に作られた品々を現在にまで大切に伝えてきたという側面もあります。明治時代以降、西欧に倣いながら、日本の歴史的文化が美術館や博物館などで展示されることとなって、多くの人々が目にするようになりました。そのなかで文化財が限られた期間だけ展示されているのは、日本の文化に育まれた品々を扱う上での一貫した方法論でもあるのです。そして美術館などで、折々の季節に応じたさまざまな品々が選ばれて、季節ごとに取り換えて展示しているのです。

現在とくに、絵画や工芸品の日本美術が注目されて、各地で展覧会が開かれて活況を呈しています。また消費活動という経済面にも深く関わりながら、海外から訪日される観光客に対する日本文化の紹介も、強く要望されるところとなっています。そこで東京国立博物館では、展示品の解説や音声ガイドに英語、韓国語、中国語の多言語化を進め、海外からの来館者に日本文化の理解を深めていただこうとしております。本年度からは地方活性化のために、「収蔵品地方貸与事業」として各地の地方公共団体の美術館、博物館に、その地域ゆかりの収蔵品など、まとまった点数を貸し出しして輸送など一部の経費を負担する事業を進めています。

また海外の美術館などの展示施設へ、当館の収蔵品を中心に貸し出しして、日本文化を紹介する「海外展」も、タイやロシア、フランスなどにおいて開催が準備されており、年々その回数を増やしています。日本文化を紹介することで、各地域や海外の文化と共通するところ、あるいは異なったところを知っていただくことで、まさに多様性の理解が深まることにもなると思います。

このように近年、文化財の活用は経済的な要件も相まって、その重要性が増しているといえます。もちろん「活用」をより重視していくことで、文化財の姿かたちが失われること、つまり無くなるまでの時間は短くなります。硬くて頑丈そうな物質でも、温度湿度の変化や、展示する際の照明による光の影響は大きいものです。また文化財を展示するため、手にとるだけで物理的な衝撃を受けることになりますし、遠隔地まで輸送することも大きな負担となります。反対に蔵の箱にそっとしまっておく時間を長くすることで、文化財は先々まで長く保存できるのです。
文化財の「保存」と「活用」は、まさにそのバランスが問題となるわけですが、文化財の多くは、オリジナルの唯一無二の一点もの、その品限りです。その一つ一つは、材質の違いや作られた年代の違い、制作方法の違いによって、それぞれの取り扱い方法が異なります。
そして100年、200年といったある年数を経た時点で、痛んだ部分に補修を施すことで、寿命が延ばされてきました。補修や保存する技術も、極めて専門的な技術です。

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いうまでもなく、その作業のためには慎重に進める長い時間と、お金つまり多くは、税金が莫大に必要となってまいります。
では千年先の未来の人々に貴重な文化財を伝えるために、現在の私たちが抱く貴重な品々をもっと見てみたいという要望は、ないがしろにされるのでしょうか?
日本では例えば明治時代におこった廃仏毀釈の動きによって、仏教に関わる品々の多くが海外に流失するなど、ある時代に生まれた文化が、各時代の人々の価値観の変化によって失われたものも数多くありました。つまるところ、私たちのかけがえのない文化財を、千年先の未来に届けるかどうかは、私たち国民自身の判断にかかっているのだと思います。

文化財に関わる人材、技術、施設などにどれくらいの税金を割り当てるかも含めて、日本に暮らす人々ご自身が、未来に対するある種の覚悟を持って文化財の将来と現代の活用のあるべき姿を、考えなければならないと思います。
そのためにも、文化財を直接扱う私たち学芸員や、研究者などの専門家は、その判断材料を可能な限り、皆様に提示する必要があります。日本の文化財に対する関心と理解を、より深めていただくように研究、調査を進めて、その成果を展覧会や常設展といった展示活動や論文などによって具体的に示していくことが必要なのはいうまでもないでしょう。そこでは伝統的な経験則だけでなく、どの程度の明るさの展示照明で、どのくらいの数量をもって文化財の痛みが進んでいくのか、あるいは何日間展示すれば、あと何年、この文化財のかたちは保たれるのかなど、科学的根拠を示しながら具体的にわかりやすく説明しなければなりません。

その上で文化財に対する関心をより強く寄せていただくことで、先人たちが何千年もの長きにわたり、大切に保管し、伝えてきてくれた文化財を、現代の私たちの手によって、千年先の未来へ伝えていくにはどうすべきかを、責任もって判断しなければなりません。一度失われた品々は無になれば、二度と取り戻せません。
日本で生み出された自らの文化を、将来どのようにすべきか、ぜひご一緒に考えていただければ幸いです。


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「南海トラフの地震にどう対応するか」(視点・論点)

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静岡大学教授 岩田 孝仁

この11月1日から 気象庁では「南海トラフ地震に関連する情報」を発表することになりました。この情報がどのような意味を持つのか、さらにどのように活用するのかなどは、まだあまり理解されていないと思います。
そこで本日は、想定される南海トラフの地震に、私たちはどう対応していくのかについてお話ししたいと思います。

まず前提として、いわゆる東海地震の防災対策の仕組みを理解しておく必要があります。
これまで、東海地域を中心に「地震防災対策強化地域」が指定され、大規模地震に備えて、学校や病院などの耐震化、津波対策として水門や防潮堤の整備など、様々な地震対策が行われてきました。
一方で、地震の直前予知に基づき、内閣総理大臣が「警戒宣言」を出し、津波や山崩れ危険地域からの避難、新幹線など、鉄道やバスの運行停止、高速道路の閉鎖など、地震発生に備え、一斉に直前の警戒措置を執ることとしてきました。
こうした対応で、少なくとも犠牲者は最小限に、さらに、社会生活に大きな支障となる重大な事故を極力避けようとするものです。地震の発生は避けられません。しかし、科学技術の総力を挙げて被害の軽減、特に人的被害を最小限にすることを目指したものです。
従来のこのような体制は、1978年に制定された「大規模地震対策特別措置法」に基づいています。地震予知という、未熟ではあっても地震学の一定の知見を社会にうまく適用させようということでスタートしました。
しかし、最近の地震学では、地震のように不均質な地下の岩盤が破壊する現象を、事前の予兆だけで、その時期や規模を予測する、いわゆる地震予知は不可能であるとの意見が多くあります。その一方で、2011年の東日本大震災の直前には、地震活動などに様々な異常変化が出現していたとの報告もあり、この点では、まだまだ研究を進めなければならない分野です。

今年の9月に、政府の検討会が、ある報告を出しました。南海トラフ沿いの地震観測・評価に基づく防災対応のあり方について、という報告です。
従来の、東海地震が単独で発生することを想定した対応から、対象を南海トラフ全域に拡大し、防災対応をどう考えるかという検討です。地震の直前予知は困難であるとの前提ですが、状況によっては、相対的に地震発生の可能性が高くなったということは科学的にも言えるとのことです。ただし、問題はその状況がいつまで続くのか、現在の科学ではなかなか言及できません。

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この図をご覧ください。南海トラフでは、このプレート境界で大規模地震が繰り返し発生してきました。しかし、その発生パターンは様々で、例えば1707年の宝永地震では、南海トラフ全域がほぼ同時に破壊する巨大地震が発生しました。
1854年の安政地震では、初めに東側の領域で東海地震が発生し、その32時間後に西側の領域で南海地震が発生しました。第2次世界大戦末期の1944年には、東海沖で東南海地震が発生し、2年後の1946年に四国沖で南海地震が発生しています。
このように、東側又は西側で地震が起きてしまった場合、残された地域ではどのように警戒すれば良いのか、またそれはいつまで続けるのかが課題になります。こうしたケースの他にも、震源域で大地震の前触れとなる大きな前震が発生するとか、様々な異常現象が観測される場合もあります。
このように自然現象は複雑で、その多様性に合わせて、的確な防災対応を執る必要があります。

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地震発生前に出される地震情報について少し考えてみたいと思います。この図の左側は、これまでの東海地震を対象として、観測データに異常が発見されてからの情報の流れです。
まず、観測データに有意な変化が出ると、気象庁は「東海地震に関連する情報」を発表し、変化の状況に応じて注意を喚起します。その変化が大地震発生につながると判断すると、「地震予知情報」を出し、それを受けて内閣総理大臣から「警戒宣言」が出されます。警戒宣言が出ると、強化地域では、危険地域からの避難などの措置が一斉にとられます。
従来のこのような対応に対して、この11月1日からは、南海トラフ地震として、特に、東海から西日本の太平洋沿岸地域全体に対し、気象庁が新たな情報を出すこととなりました。これがこの図の右側の流れです。
南海トラフ沿いで異常な現象が観測され、地震発生の可能性が相対的に高まったと判断した場合には、気象庁が「南海トラフ地震に関連する臨時情報」を発表するというものです。
こうした情報を受けて、公共機関だけでなく、私たち住民も、それぞれの地域の特性に応じた対応をとることになります。沿岸住民は津波からの避難を開始するのか、そのまま留まるのか、高速道路や鉄道の運行はどうするのかなど、改めて具体的な検討が必要となってきました。
従来は「警戒宣言」に基づいて、住民避難や鉄道の運行停止など、防災対応が定まっていましたが、これからはそれに代わって、気象庁が出すこの「地震関連情報」によって、各機関や住民が、状況に応じた防災対応をとることになります。言ってみれば、政府のトップとして、内閣総理大臣が発した警戒宣言を、地震予知が不確かであるということから、代わって気象庁が解説的な情報を出し、対応することになります。

私自身は、国民の間に大きな混乱が生じることを危惧しています。基本は、従来の警戒宣言の枠組みの中で、対象を南海トラフ全域に拡大し、状況に合わせた防災対応を検討することで、新たな枠組みにも対応できるのでは、と考えています。
こう考える背景には、社会の予防対策のレベルが確実に進化してきていることが挙げられます。東海地震説が出された1976年当時は、建築物などの耐震性は現在に比べて格段に低く、震度6程度の揺れで倒壊する建物が多く存在していました。
現在、例えば静岡県内では、直下で発生する東海地震に備え、1980年頃から耐震設計基準も震度7を目標に耐震化を進め、その結果、公共施設の耐震化がほぼ完了するなど、耐震性の観点でも大きく様変わりしました。
また、地域によっても被害の状況は大きく異なります。地震発生の数分後に大津波が襲来する、静岡や和歌山、高知などの沿岸地域と、伊勢湾や大阪湾のように、ある程度、時間的余裕のある地域では対応が異なっても当然です。
耐震性の十分な建物と、そうでない建物では当然、対応は異なるでしょう。さらに、居住者の状況によっても、対応は変わってくるはずです。高齢者や体の不自由な方が、すぐに津波が襲来する地域に居住している場合には、一定の期間は一時的に安全な場所まで退避しておくことも十分考えられます。
一方、このような事態になっても、混乱を極力軽減することは社会全体の使命であります。このため、高速道路や鉄道、商工業などの社会インフラを、安全の確保を図りながら、維持させておくことも重要となります。
安全にどこまで配慮し、稼働するかについては、それぞれの管理者が、抱えるリスクと対応措置を真剣に検討しなければ、なかなか答えは出てきません。
昭和の東南海地震、南海地震から既に70年以上が経過しました。ひとたび発生すれば、国難といえる南海トラフの地震です。次の地震発生の可能性が高まってきたことから、日本の総力を結集して、改めてしっかりとした防災体制の構築を図っておく必要があります。

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