昭和天皇「皇統を秋篠宮に移してはならない」は、美智子さま「不貞」を危惧したから



昭和天皇が仰っていたと時折言及される「礼宮に皇統を移すな」「浩宮の次は浩宮の子」という言葉の出どころは何処なのだろうか?

確かに仰っていたお言葉

ネットやSNSが充実した現代では、あまりに多くの情報が溢れていて、そのソースを確かめることが難しいこともある。しかし、先の「雅子さま馬アレルギー」報道を見ても解るように、たとえソースが明確であったとしてもフェイクが流布される場合がある。なので注意が必要だ。

逆にソースが不確かでもファクトなものもある。それが今回紹介したい「皇統を秋篠宮に移してはならない」という昭和天皇のご発言だ。

実ははこのご発言は(逐語的にそう仰ったかどうかは別として)、昭和の時代に宮内庁に務めたことのある人物ならば、昭和天皇が秋篠宮家や川嶋家に不快感をお持ちだったことはよく知られた事実でしかない。

おそらく当時の宮内庁職員らを情報源にして、週刊誌メディアではなく、ウェブサイトやSNSを通して、国民に広まったのだろう。

昭和天皇

美智子さまへの不信から、川嶋家への不信、秋篠宮殿下への不信

以下の事項は、私の伝聞と推測に基づくので先に断っておく。

昭和天皇が、秋篠宮家へ不信感を抱いた理由は、秋篠宮殿下の素性や、紀子さまとそのご実家・川嶋家のなみなみならぬ向上心ではなく、美智子さまへの不信感が強かったからに違いない。

昭和天皇と香淳皇后は「おくゆかしさ」を愛される方だった。ゆえに人気アイドルかのように週刊誌に取り上げられ、衣装代が年数千万円もつぎ込まれる美智子さまの振舞に「皇室をゆがめている」と大変ご不満だった。息子・明仁皇太子殿下を「子供扱い」することも気に召さなかったようだ。

昭和天皇が危惧された美智子さまの最大懸念は、その“性の奔放さ”さだ。イギリス王室ですら不倫だのなんだのでスキャンダルまみれなのだから、日本の皇室で同じことが起きていても全く不思議ではないし、むしろこれまで表に出てこなかったことのほうがおかしい。

紀子さまは“性に奔放”な性格で、結婚後も愛人がいるのではないかと度々囁かれていた。昭和天皇が秋篠宮殿下に不信感を何度も示されていたのは、心の奥底のどこかで「秋篠宮殿下の父親は明仁皇太子ではないかもしれない」という恐怖心があったことは容易に想像がつく。なにせ秋篠宮殿下の性格はまったく兄・徳仁殿下(当時)と似ても似つかないのだから。

秋篠宮殿下ご結婚に反対された昭和天皇

同じ恐怖が紀子さまに対してもあったに違いない。大学のサークルで秋篠宮殿下と知り合った紀子さまも、美智子さま同様に「肉食系」女子だ。昭和天皇は結婚にあまり乗り気ではなく、むしろ反対だった。その結果、(体調不良も重なったとはいえ)秋篠宮殿下と紀子さまの婚約発表は、昭和天皇が崩御された後になった。

この婚約発表は、昭和天皇が亡くなられて半年後のことで「時期尚早」との声が宮内庁内でも多かったが、秋篠宮殿下は「結婚できなければ皇籍離脱する!」と騒ぎだし、時の両陛下も追認された。

どうして秋篠宮殿下は、結婚を強行されたのか? 昭和時代に「結婚反対」され、結婚するなら混乱している今しかないと思われたのではないだろうか?



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