この章は精彩を欠きますね
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ということが、174になって初めて記されているw 「センター設立を画策した委員会の副議長として…、初代の理事会役員として、また研究員選考委員会の委員として、私はシルズとともにクーンを強く推したのであった。」 自分のことを語るとそれがそのまま科学史の一コマになる大先生話法。
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このセンターは、「ラザースフェルドの案をマートンが実現した」という面があるので、マートンが関わってるのは当然なんですけども。
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・その後クーンはバークレーで教職に就き ・1958-59に再び「センター」から招聘を受けて研究員になり ・ここで『科学革命の構造』を執筆する。
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178 『科学革命の構造』序文 「[行動科学高等研究センターの]主として社会科学者からなる集団の中ですごして、これまで私が育ってきた自然科学者の集団との違いという思いがけない問題に出会った。
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「特に印象深かったことは、科学的に正しい問題の立て方や方法論について社会科学者の間では、多くの、しかし広範な意見の不一致が見られることであった。…この違いが何によるのかを探究する中で、私は、以後「パラダイム」と呼ぶようになったものの科学研究における役割を認識するに至った。
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「パラダイムとは、広く認められた科学的業績であり、ある期間、専門家集団に対して、問題のたて方や答え方のモデルを与えるもの、と私は考えている。このようにして、私の疑問が氷解すると、本書の原案が急速に姿を現した。」
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マートンがこれをまさにこの箇所で引用することには自画自賛の契機が含まれているが、しかし確かに自賛するだけの価値がある関わりだろう。
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そして同時に、マートンがクーンとの関わりをここに記すことには、「クーンの登場で、マートンの科学社会学は古びたものになってしまった」というパブリック・イメージへの反論にもなっている。
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クーンが世間に知られる以前からその仕事を知っており、支援してきたマートン自身は、全くそのようには考えていなかっただろう。
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続き。 R. K. マートン(1979→1983) 『科学社会学の歩み―エピソードで綴る回想録』 成定薫訳、サイエンス社 https://contractio.hateblo.jp/entry/20191113/p0 … 第一章「学問的および社会的アイデンティティ」
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これ読んでないや。 ◆Shils, 1970, Tradition, Ecology, and Institution in the History of Sociology. Daedalus, vol. 99.
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9 「私は、科学社会学の制度化の歩みを振り返るにあたって、この学問の発展に参画したものとして、時には個人的な見聞に頼ろうと思っている。
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「ともすれば失われがちな、参与観察の記録という史料を学問的に利用するという方法が、「語り伝えられる歴史」としてアメリカの歴史家アラン・ネヴィンスによって導入されたが、それ以来、社会生活や文化のあらゆる分野で、同時代史を書くのに必要な史料集が編纂されるようになってきた。
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「… 本章ではインタビューによる歴史記述の方法を用いて…科学社会学における研究集団が、一国の枠の中に留まるようになった過程と国際化していった過程について考えてみたい。」
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これ、述べられていることは何の変哲もないけど、これを、かつて「歴史事象についての科学的研究ができないのは、死んだ人に質問紙調査はできないからだ」(大意)と書き付けたことのある人が言ってるところがメタ方法論的に面白いね。
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科学社会学の父はサン-シモン、コント、マルクスだ、と書き付けた直後に、「〜は〜の父だ」という表現の象徴的意味について語り始めるマートン先生(社会学めんどくさい
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