ここでエドワード・シルズの名が(171)。
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そして同時に、マートンがクーンとの関わりをここに記すことには、「クーンの登場で、マートンの科学社会学は古びたものになってしまった」というパブリック・イメージへの反論にもなっている。
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クーンが世間に知られる以前からその仕事を知っており、支援してきたマートン自身は、全くそのようには考えていなかっただろう。
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続き。 R. K. マートン(1979→1983) 『科学社会学の歩み―エピソードで綴る回想録』 成定薫訳、サイエンス社 https://contractio.hateblo.jp/entry/20191113/p0 … 第一章「学問的および社会的アイデンティティ」
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これ読んでないや。 ◆Shils, 1970, Tradition, Ecology, and Institution in the History of Sociology. Daedalus, vol. 99.
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9 「私は、科学社会学の制度化の歩みを振り返るにあたって、この学問の発展に参画したものとして、時には個人的な見聞に頼ろうと思っている。
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「ともすれば失われがちな、参与観察の記録という史料を学問的に利用するという方法が、「語り伝えられる歴史」としてアメリカの歴史家アラン・ネヴィンスによって導入されたが、それ以来、社会生活や文化のあらゆる分野で、同時代史を書くのに必要な史料集が編纂されるようになってきた。
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「… 本章ではインタビューによる歴史記述の方法を用いて…科学社会学における研究集団が、一国の枠の中に留まるようになった過程と国際化していった過程について考えてみたい。」
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これ、述べられていることは何の変哲もないけど、これを、かつて「歴史事象についての科学的研究ができないのは、死んだ人に質問紙調査はできないからだ」(大意)と書き付けたことのある人が言ってるところがメタ方法論的に面白いね。
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科学社会学の父はサン-シモン、コント、マルクスだ、と書き付けた直後に、「〜は〜の父だ」という表現の象徴的意味について語り始めるマートン先生(社会学めんどくさい
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30 バナール、ブラケット、ホールデン、バックスレー、ニーダムなど、イギリスのマルキストたちの「論議が、後年「科学政策研究」という分野に発展していくことを、あるいは科学の社会的研究(「科学の政治社会学」…)の中の一研究分野として発展していくことを予見できなかったのだから、
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第四章「研究手法の伝播」 4-1「内容分析をめぐるジュールダン氏的事例」https://contractio.hateblo.jp/entry/20191113/p0…
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・この種の作業に最初に従事したのは、テンプル大学2年のときに、シンプソンの博論『フィラデルフィア・プレスにおける黒人』を手助けしたときで、これは後年の分類ではマスコミ研究に属するものであった。
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55 「プロソポグラフィーという用語とそれを用いた歴史記述は近年多くの歴史学者や社会学者の関心の的になったが、そのきっかけとなったのは、アメリカ合衆国の場合は、ローレンス・ストーンの重要な論文であった。」 へー!
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