マートンがこれをまさにこの箇所で引用することには自画自賛の契機が含まれているが、しかし確かに自賛するだけの価値がある関わりだろう。
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科学社会学の父はサン-シモン、コント、マルクスだ、と書き付けた直後に、「〜は〜の父だ」という表現の象徴的意味について語り始めるマートン先生(社会学めんどくさい
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30 バナール、ブラケット、ホールデン、バックスレー、ニーダムなど、イギリスのマルキストたちの「論議が、後年「科学政策研究」という分野に発展していくことを、あるいは科学の社会的研究(「科学の政治社会学」…)の中の一研究分野として発展していくことを予見できなかったのだから、
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第四章「研究手法の伝播」 4-1「内容分析をめぐるジュールダン氏的事例」https://contractio.hateblo.jp/entry/20191113/p0…
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・この種の作業に最初に従事したのは、テンプル大学2年のときに、シンプソンの博論『フィラデルフィア・プレスにおける黒人』を手助けしたときで、これは後年の分類ではマスコミ研究に属するものであった。
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55 「プロソポグラフィーという用語とそれを用いた歴史記述は近年多くの歴史学者や社会学者の関心の的になったが、そのきっかけとなったのは、アメリカ合衆国の場合は、ローレンス・ストーンの重要な論文であった。」 へー!
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この章で立てている問いは面白いね。 どうして引用分析を開始することができたはずなのに、実際には(1960年代に入るまで)誰もやらなかったのか。
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87 ・科学者の活動の中から系統的に計量可能なものを見つけ出すアイデアが欠けていた。 ・コンピュータがなかった。
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