松浦大悟(元参院議員)

 今年も秋田県大仙市大曲で全国花火競技大会が行われ、夜空に咲く大輪の花に多くの人が酔いしれた。人口約4万人弱の大曲地区にこの日ばかりは80万人近くが集まる。地元の皆さんが時間をかけて育て上げたイベントは、いまや秋田県民全体の誇りだ。

 令和になって初めての開催(8月31日)に、会場で見ていた私も胸が高鳴った。ところがそれは次第に息苦しさへと変わっていった。クライマックスの大会提供花火のメッセージがあまりに重く感じられたからだ。

 花火に合わせて音楽と台詞(せりふ)を流す演出は次のような内容だった。

平成生まれの女性主人公が就職して数年後に起こった東日本大震災。
友達は「俺、田舎に帰ることにした。復興、手伝う。人の役に立つ仕事がしたいんだ」という。
ひとり取り残された主人公は、自分に何ができるのだろうと悩む。
故郷で綺麗(きれい)な鎮魂の花火を見た彼女は、地元に戻り小学校の教師になることを決意する。

 「帰っておいで」という地域の皆さんの切実な思いはよく分かる。だが正直、「絆」という真綿で首を絞められている感じがして心がつらくなった。こうした呪縛から逃れたくて若者は県外に出て行くのではないのか。

 秋田県の人口は昭和31年の135万人をピークに近年では毎年1万5000ずつ減り続け、令和元年8月1日現在96万7740人となった。県外流出が止まらない原因としてよく雇用問題や就学問題が語られるが、評論家の御田寺圭氏はそれだけが理由ではないと著書『矛盾社会序説 その「自由」が世界を縛る』(イースト・プレス)の中で指摘する。彼らの故郷からの離脱の背景には「終わらない学校生活」への厭気(いやき)があるというのだ。

 地方で暮らす若者は小学校、中学校、高等学校までの人間関係が固定化されやすく、「スクールカースト(学級階層)」がそのまま「地域カースト」となる。スクールカースト下位の人間はいつまでたっても下位のまま。彼らはそうした関係性を嫌って東京へと去っていくのだ、と。「絆」と「柵(しがらみ)」はコインの裏表。地域社会の絆が再検討されない限り、若年層が戻ることは難しいのかもしれない。
秋田県大曲の花火大会(筆者撮影)
秋田県「大曲の花火(全国花火競技大会)」(筆者撮影)
 NHKの調査によると、大都市圏に出て行った若者に「将来秋田県に戻るか」アンケートをしたところ、およそ8割が戻らないと答え、親御さんに「将来子供が秋田県に戻ることを望むか」と質問したところ「はい」との答えは20・9%しかなかった。人生の時間は限られている。一生において「どこで暮らすのか」「誰と暮らすのか」は自らの幸せを追求する上で大変重要な問題だ。

 ところが、もう一方の故郷にとどまった若者の側に立てば、見えてくる風景は一変する。去年の12月26日に放送された所ジョージ氏の番組『1億人の大質問!?笑ってコラえて!年末4時間SP』にショックを受けた人は私だけではないと思う。

 日本列島ダーツの旅「村人グランプリ2018 東日本編」のコーナーでインタビューを受けた秋田県にかほ市象潟町在住の男性は、ゴールデンウィークに帰省していた同級生カップルに対し、「若者は皆県外にいる。残っているのは俺だけ。みんな裏切り者」と怒りをぶちまけた。自分の運命を引き受け、祭りや町おこしなどをコツコツ行ってきた者にとっては、「一抜けた」と自由に羽ばたいていく人間がフリーライダーに見える。

 分断された二つの感情は、すれ違うこともなく、ただただ静かに人口だけが減っていく。国も県も市町村も地方人口の社会減対策を第一の目標に掲げ、審議会などで真剣な議論を行っているものの、住民の本音をうまくすくい上げられていないように思う。