今はこいつら(器)のおかげでずいぶん楽になった
取材が終わり、どちらからともなく「どこかで飲みましょうか」となった。我々は隣駅の吉祥寺へ。ハモニカ横丁へと吸い込まれていった。
「これまでは仕事のストレスを酒とギャンブルで誤魔化してきましたが、今はこいつら(器)のおかげでずいぶん楽になりました。本屋で働くのも、せいぜい60歳ぐらいまで。でも、こっちは一生の遊びになりそうです」
「独り身なので気楽にやりますよ」。横丁で飲みながら、平田さんはそう言って笑った。

【取材協力】
酒器さろん たびと
知人が酒器とお酒を楽しむ小さなサロンを開いたという。彼の本業は書店員だ。驚くとともに、趣味を昇華させる行動力がうらやましい。オープン日にお邪魔して、その経緯を聞いてきた。
日本酒にこだわっている居酒屋では、時として「お好きなお猪口をお選びください」というサービスがある。ささやかな選択だが、これが非常に嬉しい。

そんな酒器に魅せられた男が開いたサロンとはどんなものなのだろう。営業は仕事が休みの日曜限定。2020年1月12日(日)、三鷹に出向いた。

「酒器さろん たびと」に到着。店主の平田健太郎さん(48歳)が出迎えてくれた。

自身の思いが詰まったサロンのオープン日。若干、高揚しているようだ。

室内は狭いものの、想像以上に瀟洒な雰囲気だった。

「たびと」という屋号は万葉集にも収載されている歌人、大伴旅人から取った。酒を詠んだ歌も多く、壁にはその一つが掲げられていた。

くよくよと悩んでいる暇があれば一杯の濁り酒を飲むほうがいいらしい。その通りだろう。
オープンから半年ぐらいは誰も来なくてもいい。そんな覚悟で始めたそうだが、この日は来客で賑わっていた。

平田さんは早稲田大学第一文学部に7年間通った末に中退した。当時のバンド仲間だった後輩が言う。
「あんまり社交的ではなかったけど、僕はけっこう仲良かったんです。平田さんのギターがかっこよかった。上手いんじゃなくて、かっこいいって感じ」
そんな後輩が気に入ったのはこの徳利。平田さんが「小山厚子さん作の備前カセ胡麻徳利で、カセ胡麻とは備前焼の窯変のひとつです」と解説する。

続いて高校の同級生たちがやってきた。会うのは高校卒業以来、なんと30年ぶりだという。

昔話に花が咲く。平田さんもリラックスしたようで、ところどころに関西弁のイントネーションが混じり始めた。
平田さんが書店員になったのは、敬愛するシンガーソングライターの早川義夫が本屋を開店した影響も大きい。たまたま求人募集が出ていた書原への就職が決まったため、大学を中退した。

せっかくなので、オススメの書籍を教えてもらおう。

「『三体』と『息吹』は中国とアメリカのSFで科学者が主人公。『セロトニン』はフランス人作家の作品で農業技術者が主人公。どれも現代社会が抱える問題に鋭く切り込んでいて、日本人作家とのレベルの差を強く感じます」
とはいえ、入社当時は仕事に対するモチベーションは高くなかった。
「遅刻はしょっちゅうだし、そもそも世間の常識を知らない。ラッピングも適当。店長から毎日怒られるのが嫌で、すぐに辞めようかと思っていました」
そんな平田さんのやる気を引き出したのは、「自分の父親以上の存在」だという先代の社長だった。
「返品ばかりだった文庫のラインナップを『一緒に見直そうよ』と誘ってくれたんです。『ウチはこれだろう』という主張を前面に打ち出してもいいから、と」
そんな一冊、『浮きし世の面影』(平凡社)の売り上げが書原トータルで全国3位になった時は先代社長も大いに喜んでくれたという。

「彼の葬式も行きましたが、死に顔を見ていないから『まだどっかにいるんじゃねえか』と思っています」
一方で器に興味を持ち始めたのは40歳前後の頃。身体の衰えや仕事のストレスを忘れるために部屋の大掃除に取り掛かった。
「不思議なもんで部屋をきれいにするだけで気分がよくなるんです。せっかくきれいにしたんだから、酒器もちゃんとしたものを買おうと。それまでは汚いコップで酒を飲んでいましたから(笑)」
初めて購入した“ちゃんとした酒器”は唐津の陶芸家・丸田宗彦さんの作品。

ネットで調べたところ、渋谷のギャラリー「アジュール」で扱っていることを知る。出向いて実物を見たうえで、3万円のぐい呑みを購入した。

以来、酒器のコレクションはどんどん増えていく。そこで思い付いたのは酒器とお酒を楽しむ「場」を作るというアイデア。紆余曲折を経て、今年1月12日のオープンにこぎつけた。

「家賃は管理費、水道代込みで月6万円。三鷹では最安レベルです。敷金、礼金、保証金はかかりましたが、棚はニトリだし、出店費用はかなり抑えています」
出店にあたって、備前の陶芸家・小山厚子さんの作品を委託販売できることになった。

「陶芸家のお父さんに師事をした方で、まだ若いけど銀座の黒田陶苑で定期的に個展を開いています。彼女のぐい呑みで飲む酒は本当に美味い。これが一番重要なんですよね」

サロンに並ぶ器は数千円から3万円程度。しかし、意外なところに高級品があった。
「イギリス人の陶芸家、バーナード・リーチの花瓶です。これもアジュールで見つけて衝動買いしました」

店長とはいえ、書店員の給料は決して高くはない。平田さんの本気度が伺える。
仕事が終わるのは深夜。帰宅は午前0時を回る。楽しみは自宅での晩酌だ。今後、日曜にはこのサロンでお酒を飲みながら来客を待つ。
「今までは日曜になると新橋の場外で競輪の車券を買って、蘭苑飯店に寄るのが習慣でした。正月に姫路のレースで10万円勝ったけど、もうギャンブルはやらないと思います。こっちの方が面白いから」

彼が飲んでいたのは郷里・姫路の地酒「龍力(たつりき)」。


なお、こちらの机と椅子のセットは三鷹駅南口の書道具店、山口文林堂で購入したもの。ガレージセールで5万円だった。

ここで、平田さんから「よかったら一緒に飲みましょうよ」というお誘い。待ってました。「好きな器をどうぞ」。これだよ、これ。

「丹波の赤土部ですね。焼成過程で朱赤色や紫赤色に変化することから、そう呼ばれています」


平田さんに倣って器を眺めながら様々なことに思いを馳せる。

「飲み屋ではないので、お酒は器を見に来た方に軽く振る舞う程度。買った器でその場で飲んでもらってもいいです」

静かに酔いが回ってきた。
平田さんに「お金が無尽蔵にあったら、どんな酒器を買いたいですか?」と聞いてみた。
「うーん、勝手に器の師匠だと思っている小山冨士夫の作品でしょうか。小山先生だと『種子島』というシリーズが好きです」

「本当は徳利が欲しいんですが、誰に聞いても『世に出てこないよ』と言われます。ぐい呑みはちょこちょこ目にしますが」

陳列された器を改めて見渡す。僕が一番気に入ったのは白地に黒の模様があしらわれた徳利だ。

「これも唐津の中里太亀さんの作品。3万円ぐらい買った私物です」
「これで飲んでくださいよ」と平田さん。おおお。ぐい呑みは中島亜弥さん作の信楽を選んだ。


平田さんは酔いが回ったらしく、「徳利、気に入ったのなら差し上げますよ」とおっしゃる。そんな訳にはいかない。丁重に辞退申し上げた。
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