時の過ぎ行くままに

あの世とこの世の狭間でこれから真実の扉が開かれる

原爆ドクターと呼ばれた秋月氏の遺言


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秋月辰一郎氏 (原爆ドクター) の遺言


                                          村島きよしさんのツイッターより転載
清水 節夫さんはHosi Nobuと一緒におんで。
生き残り作戦 第1段
皆さん、生き残りましょう。
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
拡散お願いします🎵・・・


放射能砂糖は厳禁なのだということ
1916 年~2005 年。長崎市万才町生まれ。
当時の浦上第一病院医長
'52 年に聖フランシスコ病院医長、'86 年顧問。
爆心地から1.4km被爆、医師として被爆者の治療に当る一方、永年に渡り被爆者の証言の収集を行った。
吉川英治文化賞ローマ法王庁の聖シルベステル勲章、他。著書に長崎原爆記、死の同心円。
(プロフィールと写真・図表は長崎放送HP より)
(以下秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊より引用)
秋月医師は昭和20年、長崎原爆で病院勤務中被爆した。
その病院がたまたまミソショウユカメが大量に保存してあった。食糧不足のおり毎日ワカメの味噌汁を飲んでいたためか、患者と医師、従業員に原爆症が出なかったことが評判となり、たちまち近隣諸国に広まった。
チェルノブイリ原発事故前後のミソの輸出量の比較をすると明らかに、ベルギ-・ドイツ・オランダ・イギリス・フランスなど欧州で増加。特にベルギ-は39トンから150トンと輸出量が増加している。
 
秋月博士は長崎市の聖フランシス医院の内科部長であった。1945 年8月、長崎に原爆が投下されたとき、同病院は爆心地からほぼ1キロ半余り離れたところにあった。
同病院のほとんどの患者は、原子爆弾の第一撃からは生き残ったが、まもなく爆弾から飛散した放射性物質による放射能疾患に取りつかれてしまったのである。
このような状況において、秋月博士の行った処置は、患者ならびに医療スタッフに、玄米ご飯、味噌汁、醤油汁、ワカメなどの海草、食塩などの食事を厳格に守ることを命じた。
このような食事を患者と病院スタッフに守らせ、そして砂糖の禁止と、甘いお菓子を絶対食べないように命じたのである。
このような措置のおかげで、他では被爆者が放射能被曝障害で次々と死亡したが、同博士のところの患者とスタッフは、一人として被曝による犠牲者を出さずにすんだのである。
◎秋月博士の指示「塩分を多くし、甘いものはやめなさい」
同博士は、次のように命じた。
「私が、炊事に携わる人々と医療スタッフに厳しく命じたことは、塩を少しまぶした玄米のお握りと、それに味噌を多めにいれた濃い味噌汁でした。砂糖は一切使わないよう指示しました」
また、同博士は
「この指示に従わない者は、砂糖は血液を駄目にするので砂糖はやめなさいと、情け容赦なくしかりつけました」という。
秋月博士は、このような指示の結果を、次のように明らかにしている。
「このような食事によって、わたし自身、放射能障害をまぬがれ、医者としてきつい仕事をこなすことができたのです」
放射能は致命的な量でなかったかもしれないが、岩永修道士、野口牧師、村井看護婦婦長もそうですが、その他の病院スタッフ、入院患者とわたしを含めて、みな大変危険な放射能塵の中で生きながらえたのも、このような食事法によってなのです。
疲労原爆症を克服して、毎日無事に働くことができたのも、また放射能障害を免れたのも、この様な食事のおかげです」

◎秋月博士の被爆体験
1945 年8 月9 日、長崎に原爆が投下された。
その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。
健康ストア健友館
(中略)
さらに博士は、次のように職員に命令したという。
「爆弾をうけた人にはがいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」
(秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版)
放射線宿酔」と呼ばれる。
レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。
みそ汁の具は、カボチャであった。
のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。
砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。
すると、どうであろう。
そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。
ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。
このことは、私にとって大きなショックであった。
食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの重い価値を知り驚嘆した。
ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。
博士は人間の体質にとって、みそが実に大切であることを説き、のちにこう語っている。
「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」
(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊より引用)
※上記記載の塩は、伝統的製法で作られたものです。(いわゆる自然塩)
感謝
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
転載ここまで。
やっぱり炭パワーはすごいんだ! のチェルノブイリの子どもの話を教えてくれた秋さんから、聞いた話です。(炭パワーぜひ活用しましょう! もご覧下さい)
阿部一理 さんの講演会で聞いたお話だそうです。
(上記の方法で)「助かった人たちも、その後砂糖を食べた人は全員死んでしまった」
sao☆ sao☆ sao☆ sao☆ sao☆ !!
マクロビオティックをやってる人にはその理由も分かると思いますが、知らない人は驚きますよね、きっと。
普段の食事がいかに大切か。
そして、そのときだけ対応すればいいというものでは、せっかく助かったいのちも一瞬で失ってしまうということ。
自然療法で病気が治っても、その後もとの生活に戻ってしまう人がたくさんいるため、桜沢如一先生も、「人を治すのが一番難しい」と言っています。
病気は治せても、病気の人を治すのは難しい。
東城百合子先生も言っています。
「根のごとく枝葉は育つ」
根っこを育てることが大事。病気は表面に出てきた枝葉にすぎない。人の根っこを変えなければ、枝葉はいつまでも変わらない、ということ
知らないのと知っているでは、これまた運命の分かれ道



                                                              辻直樹さんのブログより転載

原爆ドクター「秋月辰一郎先生」について

2回の「栄養素(ミネラル)と被曝予防に関するノート」を書いたらメッセで質問の嵐。。。
 
で、ちょっと変わった視点で答えを書いてみることにした
 
皆さんは「秋月辰一郎」という名前を知っているだろうか?
 長崎の方なら知っているかもしれない
 
僕らが「原爆ドクター」と呼んだ秋月先生
【1916年~2005年。長崎市万才町生まれ。当時の浦上第一病院医長。'52年に聖フランシスコ病院医長、'86年顧問。爆心地から1.4kmで被爆、医師として被爆者の治療に当る一方、永年に渡り被爆者の証言の収集を行った。吉川英治文化賞ローマ法王庁の聖シルベステル勲章、他】
 
彼は自身の書「体質と食物」に以下のように書いている
彼のいた病院は投下後「大量の死の灰」に埋もれた
そして半壊状態の病院に大量の患者がなだれ込んできた
 
薬も注射もない状態の病院
あったのは当時「長崎の食料庫」の役割も担っていたために残っていた「味噌と醤油と玄米とわかめ
  
当時の彼には「被曝」という概念はなかったであろう
 
しかし、彼は以前「自身の結核を『玄米+わかめのみそ汁』で治した」と確信していた(信じていた?)ため、とにかくそこで働くスタッフと食べることの出来る患者に「玄米とわかめのみそ汁」を与え続けたのだという
 
彼の頭にあったのは「結核の克服」であった
今考えれば「被曝:内被曝」とはなんの関連もない
 
結果を先に話すが、爆心地から1.4kmの距離で死の灰が降り注ぐ「半壊状態の病院」で働くスタッフに、誰一人「原爆症:当時の呼び名」が出なかったのは奇跡のように思える
 
しかし、よく考えると「偶然にも理にかなっている」のだ
 チェルノブイリ事故と福島原発事故後に被爆地に配られた「有機ヨード剤」
 
これは甲状腺に「放射性ヨードが入り込まないようにする予防治療」だ
 
なぜこれが有効かといえば、甲状腺にある「ヨードプール:ヨードの貯蔵枠」を満タンにすることによって、放射性ヨードが取り込まれることを阻害するからだ
  
原発事故によって放出された放射性物質
*ヨード
が主な物質であるが、これらのミネラルは「大なり小なり細胞が必要とするミネラル」だ
 
加えてミネラルには「同位元素」というものが存在する(周期表の縦軸にあるミネラル群)
セシウム:ナトリウム、カリウム
 
ようするに「放射性セシウムはNaとKの存在部位」に「放射性ストロンチウムはCaとMgの存在部位」にまぎれて沈着し、そこから放射能を出し続けるのだ
  
話をもとに戻す
 
これから我々が直面する問題は「拡散した放射性ミネラルによる内被曝」だ
 
内被曝の原因となるミネラルは「ヨード、セシウムストロンチウム、ナトリウム、カリウム、カルシウム、マグネシウム」などの存在する組織と細胞内に入り込み、そこから放射線を放出し続ける
 
これを「どのようにして予防するか?」
 
「食べないこと、入れない事」が一番だが、それはまず不可能
放射性ミネラルは「水、食物、空気」にまぎれて入ってくる
 
この3つを避けて人は生きる事はできない
入れない事が不可能だとすれば・・・
 
その方法は「放射性ミネラルを組織に沈着させないこと」だ
 方法はただひとつ「ミネラルプールをいっぱいにしておく事」
  
秋月先生のとった行動は偶然にもこの方法をとることになったのだろう
 
「当時の玄米、味噌、醤油、保存わかめ」には「多種多様の大量の有機ミネラル」が存在したであろう
 
玄米ご飯+わかめのみそ汁
 
これによる「マルチミネラル補充療法」は「理にかなった予防治療」となった
  
それプラス
*玄米の糠に含まれる多種大量のビタミン
*大豆と糠に含まれる良質のアミノ酸
*わかめに含まれたフラボノイド(みそ汁に入れただけなので熱破壊がなかった)
が加わり、「放射性ミネラルからの防御」と「回復のための栄養素」となったのであろう
 
最近の医療は何に付けても「エビデンス」という言葉を使う
 
しかし、忘れてはならないのは「エビデンスが出来上がるには膨大な時間とデータが必要だ」ということ
 
そしてその時間とデータは「大量の内被爆者の死」をもって初めて収集されるものだ
 
今回の原発事故とその内被曝者とは「まぎれもなく我々自身」なのだ
 我々自身が「エビデンスデータ」となることを忘れてはならない
 
エビデンスを待っていては我々は助からないのだ
 
ここは一度「エビデンス:結果に基づく医療」を元来の「科学理論に基づく医療」に立ち返るべきではないだろうか
 
先人達が身体を張って作り上げてくれたのは
*玄米と味噌とわかめという「結果」
*ミネラルプール充填予防という理論
だとは 思わないか
 
私は学者達と「議論」するつもりはないし、そんなことはどうでもいい
私はすでに「身の安全のために『マルチミネラル補充』を初めているのだから」



 長崎では有名な秋月辰一郎氏は原爆ドクターと呼ばれていたらしい。長崎に原爆が投下された時、秋月氏がいた病院も被ばくしたが、秋月先生のお陰で、その後も放射能被爆で死んだ人がいなかったようだ。
 こんな重要な話が世間には広まってはいない。あの当時人々はモルモットとされ人体実験のように治療薬も与えられず、記録写真だけ撮られて米国へ原爆資料として贈られたのだ。
 最も効果のある治療薬はなかったようだが…。
 それでも東大の医師たちは患者を救うこともせず、米国のために原爆の与えたダメージを克明に記録し続けたのだ。その中で秋月氏の行った処置は患者の命を救った立派な人物だったと思う。秋月氏放射能を予防するにはなるだけ塩、ミソ、醤油などを食べて、砂糖は厳禁の食事を徹底させたお陰で患者たちの命は長らえたようだ。
 現在、フクシマ原発による放射能被害は全国へ広がっている可能性がある。これを少しでも予防するにはミソ、塩、ミネラルなどを多く含む和食を食べるようにし、砂糖は控えた方が良いらしい…。