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私たち夫婦は現段階では子どもはいらないと考えて避妊しています。
経済的に子どもを養えるほど自立できていないこと、まだ父親母親になるよりも恋人でいたいこと、そして私はブスで苦労してきたので子に同じ苦労をさせたくないという思いがあります。
しかし双方の親は違います。旦那の職業上結婚したほうが都合のいいことが多かったので、大学卒業後すぐに結婚したのですが、結婚を許したのも孫の顔が早く見たいという気持ちがあったのだと思います。お互い両親とは特に不仲というわけでもなく、なんなら良好な関係を築けています。
だからこそ孫ハラがしんどいです。両親のことが嫌いだったらいっそ楽だったのですが、本音を伝えて傷つけてしまうのも悪いと思い、今は子作りする意思はないことを伝えるにとどめています。
私は親に抑圧されてきた、ということに気づいたのは最近です。大学で学んだことや幡野さんの文章のおかげです。いわゆる体育会系な両親なので運動部以外に入ることは許されず、こうしたほうがいいよと失敗を先回りして回避され続けた結果、自分でも気づかないうちに親の意見ばかりを尊重する意思なし人間へと成長してしまいました。
私が子どもをほしくないと思うのは私の意思ではなく、親に反発したいという気持ちだけなのかと思うこともあります。
親に抑圧されたせいでできなかった後悔など今までため続けた鬱憤をぶつけて和解すべきなのか、それとも今のように親の言うことは聞き流しそこそこの関係を続けていくべきなのか迷っています。
もしよろしければ幡野さん夫妻がどうして子どもを作ろうと思ったのかもお聞きしたいです。
(航海士の嫁 22歳 女性)
子どもをいらないと考えているあなたに、子どもがいるぼくが相談にのるのってなんだか子育てマウンティングになりそうで嫌なので、あなたもムカついたら死にかけのざれごとぐらいにきいていてください。
地方で車を運転しているときにラジオを聴いていたら、女性パーソナリティが「私は結婚もしないで親不孝ものですから……」みたいなことをはなしていたんです。
ぼくはひとりで車を運転していると、ひとりごとが度を過ぎてしまい、ひとりだったのが弁護士と検事のように反対の立場にわかれて議論するタイプなんですけど、親不孝発言で目的地に到着するまでの1時間ぐらい議論をしてしまいました。
目的地までの距離が4kmをきったあたりで、裁判員として選ばれたぼくがでてきて、ひとまず議論に判断をだすんです。裁判員のぼくがこのときに下したのは「子どもが結婚しなかったら、親不”孝”にはなっても親は不”幸”にならないよね」ということでした。
ぼくの息子はいま3歳ですけど、将来、結婚しても子どもをつくらない選択を選ぼうが、ぼくが不幸になるわけじゃないですよ。別にいいじゃないですか、本人がしあわせなら。ぼくだってぼくのしあわせも不幸も、親のものにされたらたまったもんじゃないですよ。
親って不安で子どもに失敗をしてほしくないのでしょうけど、その解決方法が失敗を先回りして回避され続けると、やっぱり失敗ができない大人になってしまうとおもいます。
スキー場だって子ども用や初心者用や上級者用にコースがわかれているんです。小さな失敗を積み重ねて上達して成長するんです。誰だっていきなり上級者コースで滑れば大失敗して命にかかわる事故につながる可能性が高いですよね。
失敗を防ぐ最善の方法は挑戦しないことです。挑戦をしないで誰かに指示されたことに従うだけの大人になってしまいます。あなたが意思なし人間へと成長したのは、そういう教育を受けたんですから当然です。もちろん、あなたが子どもはいらないと考えることを、挑戦していないなんて根性論をいうつもりは、ハゲてないけど毛頭ありません。
あなたは思春期に反抗期もあまりなく、いい子だったんじゃないですか? 出産の話になって、親への違和感を覚えて、すこし遅めの反抗期がきたんじゃないでしょうか。
「子どもを養えるほど自立できていない」って経済的な理由を最初にあげているけど、お金の問題が解決できたら子ども産みますか? たぶんそうじゃないよね。
お金の問題を理由にあげる人は、お金の問題が解決したときに、本当に行動する人間なのかが試されちゃうのよ。あなたにとって経済的な理由は、子どもをいらないと考えていることの、親や社会への居心地の悪さやへの“いいわけ”なんだとおもいます。
いいわけをするな!なんてことをいうつもりも毛頭ありません、もちろんハゲてないけど。
ただ経済的ないいわけは友達には有効だとおもうけど、あなたのご両親みたいなタイプはお金の問題を解決しようとしちゃうから、逆手にとられて逆効果になりかねないということです。
“いいわけ”ではなくあなたの本当の“理由”は、あなたが最後に書いた「ブス」のことなんだとおもうんです。悩みを箇条書きにしたときに、最後に書いたことが本当の悩みってよく言いますよね。 両親に「本音を伝えて傷つけてしまう」という言葉からもそれは伺えるんだけど、こればっかりは先回りして解決できる問題じゃないから、それで傷つけてしまうことを心配しているんでしょうね。
あなたがブスなのかどうかはぼくは会ったこともないからわからないけど、あなたが子どもをいらないと考えるにいたった経験の否定になるのから、「そんなことないよ」と根拠なくなぐさめることもできません。
ただ、ぼくは息子にも本人がしあわせならいいじゃない、って考えてしまうので、あなたの意思を尊重してくれる旦那さんがいてしあわせならいいじゃないっておもいます。
でもこの理由もご両親には伝えない方がいいとぼくはおもうんです。ぼくは別にあなたのご両親を守りたいわけじゃなくて、傷ついたご両親があなたに謝ってしまうことを心配してます。
これは若い人でおおきな病気を抱えた人あるあるなんですけど、子どもが病気になったときに親が「そんな身体に産んでごめんね」って謝ってしまい、「そんなことないよ」って子が親をなぐさめるんです。その通りかもしれないけど、それで子どもの気持ちはどっかに忘れ去られちゃうの。これけっこう苦しめられるんです。
あなたたちご夫婦が子どもがいらないと考えているのならば、それでいいとおもうんです、あなたを誰も否定する権利はありません。何かのきっかけでいつか考えが変わればそれだっていいわけだし、そのときに誰かが否定する権利もありません。
でも、年末年始の帰省ブルーみたいなものは味わうでしょうね。ぼくも元旦にうちから徒歩5分の妻の実家で帰省ブルーをしっかり味わいました、帰省ブルーは距離じゃないわ。
「親はいつまでたっても子どものことが心配なのよ!」って子育てマウンティングと説教のコンボを、妻の母と叔母に説教されました。親の心配を子どもにぶつけて解消するのってぼくからすれば虐待なんだけどね。
人にもよるけど、なんで親族ってデリカシーフリーなんでしょうね。きっと子どもは成長すると認識して関係性をアップデートできる人と、子どもはいつまでも子どもと認識して、子どもが小学生の頃の関係性を保とうとする人の違いなんでしょうね。
パソコンでいえば親のOSとメモリは20年前から一緒、子どものソフトは最新でデータ量も大きくなってる、そりゃうまく動かんですよ。子どもが親を追い越していることを認識できていないんですよ。
孫ハラがしんどいかもしれないけど、これはもう耐えるしかないです。「現段階で子どもがいらないと考えている」としか伝えようもないとおもう。鬱憤をぶつけて和解というのが理想かもしれないけど、あまりいい結果にならないような気がするなぁ。もちろん最終的な判断はあなたがすればいいのだけど、旦那さんに弁護人になってもらってください。
最後になるけど、ぼくは子どもをほしいとはおもっていなくて、妻の意向を尊重した結果です。子どもが苦手で嫌いだったからこそ、子どもを育てると決めてからたくさん勉強をしました。お金のことも、親や夫婦関係が子どもに与える影響や、育児のことをたくさんです。
ぼくはあまりいい家庭環境で育たず、親の愛情というものがわからずに大人になりました、だからいちばんの不安は子どもへの愛情の注ぎかたでした。
子どもがいる人って「子どもっていいわよー」っていいがちなんだけど、子どもをほしいとはおもわない人には具体性がないから響かないよね、場合によっちゃウザいだけなんだけど。
子どものよさを具体的にあげるとすれば、子どもが親のことを全肯定してくれることだとぼくはおもいます。
愛情を注ぐ親だろうが、そうじゃない親だろうが、子どもは親を全肯定してくれるんです。お父さんお母さん大好きって、自分のことを全て肯定してくれるんです、自分よりも弱い存在の全ての愛情が疑いなくこちらに向けられます。
愛情の注ぎかたって、盲点だったけど子どもが教えてくれるんですよ。だからぼくも子どものことを肯定して、大好きだと伝えています。
そういう存在の人ってあなたの人生の中にいますか? ぼくにはいなかったです。たぶん似た存在は犬などのペットだとおもいます、これは配偶者との愛情とはまたちょっと異質で、子どもができて配偶者ではなく子どもがいちばん大切になる人が多いのは、子どもが自分を配偶者以上に愛してくれるからです。
でもこれは子どもが生きる上で必要な生存本能だともおもうんです、そして下手すると麻薬のように危険だとも感じます、子どもからの愛情に依存しちゃうよね。
だからこそ適切に親子の関係性のアップデートが大切だし、夫婦関係もアップデートできないとね。子どもの親への愛情って、親を炙り出しちゃうの。
おおきなお世話なんだけど、頭のどこかに覚えていてください。覚えておくぐらいなら損することはないとおもうんです。そしていちばん覚えていてほしいのは、あなたがしあわせでいることです。
今週の幡野さん
車の運転中にみた満月が綺麗でした。
もっと綺麗にみたくてフロントガラスをパシャーってあらったら、フロントガラスについた水滴も綺麗でした。