豚コレラ取材過熱 現場接近に地元困惑 感染拡大危惧の声
2020年01月12日
豚コレラ(CSF)が発生している沖縄県で、マスコミによる取材が過熱している。豚コレラのまん延を防ぐため農水省や県は現地取材の自粛を訴えるが、発生農場の数百メートルまで近づいたり、畜産農家を直接取材したりする記者もいるという。JAおきなわは「感染拡大の要因になりかねない」と危惧する。
豚コレラは強い感染力を持つ伝染病。服に付いたウイルスや靴裏に付いた土を経由して感染する恐れもある。畜産関係者が豚舎に近づく際は、靴や衣類の消毒を徹底している。
豚コレラや鳥インフルエンザなどの伝染病が発生した場合、発生現場に近づき、取材することは“ご法度”。感染拡大を招きかねないからだ。だが、同県では農場に報道各社が集まっている状態だ。県は記者会見で、「農場に接近しないと撮れない写真が出ていた。近づくのは絶対にやめてほしい」と訴えたが、沈静化していない。
JAでは「ある新聞社から『防護服を売ってくれ』という電話があった」と明かす。担当者は断ったが、相手からは、取材で農場に近づくために必要だと説明されたという。
養豚農家からは危機感を訴える声が出ている。同県養豚振興協議会の会議に出席した農家からは「マスコミの接触が感染拡大を招きそうで怖い」という声が相次いだ。
県はこれまで、農家以外の住民にも注意喚起をするため、発生農場の住所を公開していた。だが、取材や興味本位で侵入する人が後を絶たないことから、明示は逆効果だと判断。10日に感染を確認した沖縄市の農場から非公開にした。ただ、その対応に「農場を教えてもらえないなら、(特定のため)複数の農家に直接取材する」と詰め寄った記者もいた。同県畜産課は「養豚農家のために、近づくのは絶対にやめてほしい」と訴えた。
豚コレラは強い感染力を持つ伝染病。服に付いたウイルスや靴裏に付いた土を経由して感染する恐れもある。畜産関係者が豚舎に近づく際は、靴や衣類の消毒を徹底している。
豚コレラや鳥インフルエンザなどの伝染病が発生した場合、発生現場に近づき、取材することは“ご法度”。感染拡大を招きかねないからだ。だが、同県では農場に報道各社が集まっている状態だ。県は記者会見で、「農場に接近しないと撮れない写真が出ていた。近づくのは絶対にやめてほしい」と訴えたが、沈静化していない。
JAでは「ある新聞社から『防護服を売ってくれ』という電話があった」と明かす。担当者は断ったが、相手からは、取材で農場に近づくために必要だと説明されたという。
養豚農家からは危機感を訴える声が出ている。同県養豚振興協議会の会議に出席した農家からは「マスコミの接触が感染拡大を招きそうで怖い」という声が相次いだ。
県はこれまで、農家以外の住民にも注意喚起をするため、発生農場の住所を公開していた。だが、取材や興味本位で侵入する人が後を絶たないことから、明示は逆効果だと判断。10日に感染を確認した沖縄市の農場から非公開にした。ただ、その対応に「農場を教えてもらえないなら、(特定のため)複数の農家に直接取材する」と詰め寄った記者もいた。同県畜産課は「養豚農家のために、近づくのは絶対にやめてほしい」と訴えた。
おすすめ記事
子(ね)年は変化の年である
子(ね)年は変化の年である。米、イラン紛争やあすの台湾総統選はどうなるのか。混乱は11月の米大統領選でピークに達する▼子年の歴史を振り返る。例外を除き、2月が29日ある閏(うるう)年となる。高校球児の聖地・甲子園の名は、96年前の1924年、〈きのえね〉と読む十干(じっかん)十二支の甲子に当たることから▼個人的に子年で思い出深いのは1996年。正月明け直後に政局は揺れ動き取材に追われた。1月5日に自社さ政権の村山富市首相が突然の退陣を表明し、橋本龍太郎内閣が発足。一方で9月末、菅直人氏らによる民主党結成。10月の衆議院選で自民が239議席を確保し勝利した。初の小選挙区による審判だった。大リーグでは野茂英雄投手が日本人初のノーヒットノーラン▼12年前の子年、2008年は今に続く前兆があった。主役は現在、「新冷戦」を繰り広げる米中。リーマンショックや食料危機が襲う。米大統領選ではオバマ大統領が当選した。一方で中国は北京五輪を成功させ存在感が増す。新興国も加えたG20体制へ向かう▼激動の子年の象徴は60年前の1960年。今年と同じ庚子(かのえね)で当時、安保改定をめぐり激しいデモが連日、国会を取り巻く。結局、安倍晋三首相の祖父、岸信介首相は退陣を余儀なくされた。波乱の歴史は繰り返すのか。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月10日
[新たなバトン 世襲ではない継承へ](3) “銀行”へ情報集約 離農不安 寄り添い 準備、紹介円滑に (北海道浜頓別町)
これまでの農業経営に敬意を込め、離農者に寄り添って第三者継承を進める方針にかじを切った酪農地帯がある。北海道の浜頓別町だ。
2018年から始まった同町の「お疲れ様登録銀行」。牛舎や農地などを手放す離農者の継承に向けた情報を登録し、新規参入の受け入れに生かす仕組みだ。農家は引き渡す重要性を理解している。しかし離農当事者となると前向きな人は限られる。銀行はこうした第三者継承の課題解決を目指し、町の農業担い手育成センターなどが考案した。
「離農には覚悟がいる。牛舎の他、隣接する自宅も手放し地域を離れる人も多い。離農者の気持ちに寄り添うことが必要だ」。同センターを構成する同町農業委員会会長で「お疲れ様」と命名した酪農家の小川文夫さん(68)は強調する。「これまでの営農の努力をねぎらいたいという思いを込めた。登録の敷居を少しでも低くしたい」と語る。
同町は17年度、高齢化で酪農家の離農が見込まれる中、対策を検討するため、全酪農家44戸にアンケートをした。今後の営農期間について15戸が5~10年、8戸が1~3年と回答。外部から担い手を確保する必要性が分かった。
小川さんらは世襲で後継者が確保できない世帯の第三者継承を進めようとしたが、課題にぶつかった。移譲の青写真を具体的に持てる人が少なかったからだ。就農フェアでも紹介できず、チャンスを逃していた。
そこで、譲りたい農家が具体的な青写真を描けるように、同センターに離農希望の時期や移譲方法、売買希望価格など項目別の情報を「銀行」に登録する仕組みを考案。希望者が来たら紹介する材料とする。同センターの構成組織、JAひがし宗谷は「継承を計画的に進められる」(営農相談課)と話す。
登録第1号の酪農家、只野國男さん(68)は夫妻で経営していたが、数年前に妻がけがをするなどし経営継続が難しくなった。道内外で暮らす子どもが継がない意向を示したので、銀行に登録した。
その結果、大阪府出身の和田英雄さん(35)に牛舎や自宅などを移譲できた。只野さんは「営農を断念せざるを得なかった。銀行に登録して『お疲れさま』と言ってもらえた気がした。スムーズな継承ができた」と話す。
英雄さんは、妻の幸恵さん(33)と牛舎を改修、総頭数60頭で19年12月から生乳生産を始めた。「物件のめどが立たないと就農は難しい。すごく良い仕組み」とみる。今は町外に暮らす只野さんは「いつか経営を見に行きたい。地域の人と力を合わせて頑張ってほしい」とエールを送る。
「銀行」は始まったばかりで、現在の登録農家は1人。ただ、同町での重要性は高い。
第三者継承を全国に先駆けて進めてきた北海道。道によると「第三者継承は新規就農の重要な一つの選択肢」という。特に酪農は新規参入者が一から施設などをそろえるのが難しいからだ。牛舎などの施設だけでなく、自宅の移譲が多いことも特徴だ。第三者継承の数は明らかでないが、18年の酪農での新規参入者21人のうち、多くが第三者継承とみられる。
道農業公社は「スムーズな継承には、受け手と出し手の人間関係が課題。継承をコーディネートする人が中立的に役割を果たすことが大事だ」と指摘する。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月11日
[新たなバトン 世襲ではない継承へ](1) 3年かけ事前準備 信頼築き経営一任 農業法人ごと譲渡(新潟県糸魚川市)
新潟県糸魚川市の槙集落を中心に水田30ヘクタールを手掛ける(株)あぐ里能生。代表の稲葉淳一さん(36)と取締役で妻の祐娘さん(36)が農作業をする姿に、前代表の日野冨保さん(73)が安心した表情を見せる。日野さんは2019年1月、埼玉県出身で血縁関係のない稲葉夫妻に法人経営を託した。
日野さんは3年前から、稲葉夫妻への継承を考え、慎重に実行に移した。「計画的に継承を進めた。余計な口出しを一切しないと自分に言い聞かせている」と日野さん。日野さんにも、同法人の役員だった地域の農家2人にも、法人経営を希望する子どもはいなかった。日野さんは「地域を大事にしてほしい」とだけ注文を付け、バトンを渡した。
集落の住民は約200人。法人は07年、集落営農組織の話し合いを進める中で誕生した。有志3人が400万円を出資し、日野さんが代表となった。法人が地域農業の存続に直結するため、日野さんは年を重ねるにつれ、引退と後継者確保で悩み続けてきた。
一方、淳一さんにとって同市は母の実家がある場所。幼い頃から農家になりたいと考え、東京農業大学を卒業後、同市に移住した。糸魚川農業普及指導センターから日野さんを紹介され、06年から市営住宅に住み、日野さんの下で農業を学んだ。日野さんのハウスで野菜を栽培したり、同法人のアルバイトをしたりして生計を立ててきた。
当時、現在のような新規就農者向けの補助金はなく、苦労しながら農業に励んできた淳一さん。愛知県出身の祐娘さんも同法人の事務員として働いた。日野さんは「人柄が信頼でき数字に強い」稲葉夫妻に法人を任せたいと考えるようになった。
法人の継承をしてほしいことを打ち明けるとき、日野さんは「当事者同士でなく第三者に間に入ってもらった方がスムーズにいく」と同センターに相談。その後、県から紹介を受けたアドバイザーに相談し、関係機関を交え、稲葉夫妻と話し合いを重ねた。
淳一さんは「雇われ社長はできない」と唯一の条件を出して引き受けた。責任の重さなどから夫妻は「本音はやりたくなかった」と明かす。
苦心したのが司法書士や税理士などが算出した農地や機械など法人の資産価値2700万円の売却額。日野さんは稲葉夫妻の経済状況を踏まえ、返済の負担を最小限にとどめる提案をして、淳一さんは受け入れた。18年は「並走期間」として淳一さんは取締役となり、一緒に会議に出たり、100人弱の地主に説明したりして基盤を整えてきた。
代表を交代して1年。世襲ではない継承に旧役員の家族らから心配する声もあったが、支障は全くない。稲葉夫妻が子どもを育てながら集落内に家を建てたことも、地域の安心感につながっている。
集落営農組織など地域を守る農業法人の後継者確保は、全国共通の深刻な課題だ。同法人の継承が順調だったことについて、同センターの阿部綾主任普及指導員は「段取りを踏んだこと、好きにやってほしいと日野さんが任せたことが要因」と説明する。法人の年間売り上げは6200万円で経営が順調なことや、JAひすいや地元関係機関と良好な関係でフォローしてもらえたことも大きい。
「地域を大切にしなければ経営は成り立たないから、経営を大幅に変更することは考えていない」と淳一さん。世襲ではない継承で、地域農業の未来が開けてきた。
世襲にこだわらない継承が、農業で始まってきた。農村の仕事は世襲が慣例だったが、地縁や血縁のない第三者に経営継承する取り組みが広がっている。農外からの新規就農は、初期投資や販路など多くの壁が立ちはだかる中、農地や農機、販路、技術など、有形・無形の資産や経営のバトンを渡す農家や支えた地域を紹介する。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月08日
営農知識で地域貢献 防除提案し研究 福岡・JA糸島外来雑草対策
福岡県のJA糸島は、外来雑草「メリケントキンソウ」の防除で、地元の糸島市に協力している。メリケントキンソウは種子に鋭いとげがあり、人や動物が触れると危ない。市内にある広場の芝生で見つかり問題になっていた。市から相談を受けたJAは、営農の知識を生かし防除法を提案。新たな資材の開発も検討し、地域貢献や組合員への成果還元を目指す。
発端は2016年度、市の農業振興課が管理する交流体験広場の利用者が「芝生に触れたら痛かった」と指摘したこと。芝に交じって南米原産のメリケントキンソウが生えていた。
利用者が触れる芝生では、雑草防除で一般的な除草剤は使いにくい。対応に苦慮した市は、知識が豊富なJAに協力を依頼。資材店舗・アグリの古藤俊二店長が防除法の検討を買って出た。市は、古藤店長が提案した複数の対策を、同広場の一角で3年間試してきた。
17、18年度は草を枯らす方法を探り、かんきつ由来の除草剤の効果が高いことが分かった。19年度は、天然ゴムなどでできた粒状の資材をまき、生育を抑えることができた。
今後の課題はコスト。有望な市販資材は確認できたが、約1ヘクタールの広場全体で使うには高額になる。JAは、同等の効果で安価な手段を研究。過去にカキ殻など地元産原料の資材を開発してきた経験を生かし、市内のかんきつなどで新資材ができないか検討している。
古藤店長は、JAとして身近な課題解決に貢献することの重要性を強調。「新しい資材ができれば、組合員がハウス周りなどで活用できる可能性もある」と期待する。市は「メリケントキンソウは全国の公園や校庭で問題になっている。防除法が確立できたら他の自治体にも伝えたい」(同課)と話す。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月08日
正月の疲れた胃に優しい
正月の疲れた胃に優しい。滋養効果も高い。きょうは「七草粥(がゆ)」を食したい▼正月7日は人日(じんじつ)の節句に当たり、無病息災と五穀豊穣(ほうじょう)も願う。古来より日本では年初に雪の間から芽を出した草などを採る「若菜摘み」という風習があった。七草の原点である。随筆の古典『枕草子』にも〈七日の若菜を人の六日にも騒ぎ〉と。春の七草は水田周辺の草が多く、日本の稲作文化とも深く結び付く▼元々は七種と書き〈ななくさ〉と読む。先人もこう詠む。〈七種のはじめの芹(せり)ぞめでたけれ〉高野素十。七つとは句にあるセリに始まり、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)など。かつては八百屋で買い求めたが、今ではスーパーに手軽な〈新春七草セット〉がある▼これらは「春の七草」だが、古くは「秋の七草」に日本人は叙情を織り成し、歌を詠み、絵にしてきた。万葉歌人・山上憶良(おくら)にも〈秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種。むろん秋は食べるのではなく見て楽しむ。オミナエシ、ハギ、ススキなど描き「秋の七草」の芸術性を究めたのは江戸琳派(りんぱ)の開祖・酒井抱一(ほういつ)。「夏秋草図屏風(びょうぶ)」は畢生(ひっせい)の秀作である▼あきれたゴーン氏近く会見とか。そういえば、わが政権も〈黒〉を〈白〉とも。“解毒”作用もある七草。真実を見極ねば。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月07日
地域の新着記事
豚コレラ取材過熱 現場接近に地元困惑 感染拡大危惧の声
豚コレラ(CSF)が発生している沖縄県で、マスコミによる取材が過熱している。豚コレラのまん延を防ぐため農水省や県は現地取材の自粛を訴えるが、発生農場の数百メートルまで近づいたり、畜産農家を直接取材したりする記者もいるという。JAおきなわは「感染拡大の要因になりかねない」と危惧する。
豚コレラは強い感染力を持つ伝染病。服に付いたウイルスや靴裏に付いた土を経由して感染する恐れもある。畜産関係者が豚舎に近づく際は、靴や衣類の消毒を徹底している。
豚コレラや鳥インフルエンザなどの伝染病が発生した場合、発生現場に近づき、取材することは“ご法度”。感染拡大を招きかねないからだ。だが、同県では農場に報道各社が集まっている状態だ。県は記者会見で、「農場に接近しないと撮れない写真が出ていた。近づくのは絶対にやめてほしい」と訴えたが、沈静化していない。
JAでは「ある新聞社から『防護服を売ってくれ』という電話があった」と明かす。担当者は断ったが、相手からは、取材で農場に近づくために必要だと説明されたという。
養豚農家からは危機感を訴える声が出ている。同県養豚振興協議会の会議に出席した農家からは「マスコミの接触が感染拡大を招きそうで怖い」という声が相次いだ。
県はこれまで、農家以外の住民にも注意喚起をするため、発生農場の住所を公開していた。だが、取材や興味本位で侵入する人が後を絶たないことから、明示は逆効果だと判断。10日に感染を確認した沖縄市の農場から非公開にした。ただ、その対応に「農場を教えてもらえないなら、(特定のため)複数の農家に直接取材する」と詰め寄った記者もいた。同県畜産課は「養豚農家のために、近づくのは絶対にやめてほしい」と訴えた。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月12日
[活写]収集するほど… 収拾つかない!
鹿児島県曽於市の和牛繁殖農家、神崎勝さん(87)は農機メーカーやJAなど“農業系”帽子のコレクターだ。
30年ほどで集めたのは約140個。農機メーカーが多くクボタやヤンマーといった国内のものに加え、米国などからも手に入れた。地元のJAそお鹿児島や他県JAのものもあり、主に自宅居間の天井に飾っている。
次女めぐみさん(56)が住む米国を旅行した際、立ち寄った農家の倉庫に並ぶ多彩な帽子に感動して集め始めた。
農作業や外出の際にかぶる帽子選びも楽しむ神崎さんは「各メーカーのデザインが毎年変わるので集め終わることはない。そろそろ飾る場所がなくなってきたね」と笑顔で話す。(富永健太郎)
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月12日
[新たなバトン 世襲ではない継承へ](3) “銀行”へ情報集約 離農不安 寄り添い 準備、紹介円滑に (北海道浜頓別町)
これまでの農業経営に敬意を込め、離農者に寄り添って第三者継承を進める方針にかじを切った酪農地帯がある。北海道の浜頓別町だ。
2018年から始まった同町の「お疲れ様登録銀行」。牛舎や農地などを手放す離農者の継承に向けた情報を登録し、新規参入の受け入れに生かす仕組みだ。農家は引き渡す重要性を理解している。しかし離農当事者となると前向きな人は限られる。銀行はこうした第三者継承の課題解決を目指し、町の農業担い手育成センターなどが考案した。
「離農には覚悟がいる。牛舎の他、隣接する自宅も手放し地域を離れる人も多い。離農者の気持ちに寄り添うことが必要だ」。同センターを構成する同町農業委員会会長で「お疲れ様」と命名した酪農家の小川文夫さん(68)は強調する。「これまでの営農の努力をねぎらいたいという思いを込めた。登録の敷居を少しでも低くしたい」と語る。
同町は17年度、高齢化で酪農家の離農が見込まれる中、対策を検討するため、全酪農家44戸にアンケートをした。今後の営農期間について15戸が5~10年、8戸が1~3年と回答。外部から担い手を確保する必要性が分かった。
小川さんらは世襲で後継者が確保できない世帯の第三者継承を進めようとしたが、課題にぶつかった。移譲の青写真を具体的に持てる人が少なかったからだ。就農フェアでも紹介できず、チャンスを逃していた。
そこで、譲りたい農家が具体的な青写真を描けるように、同センターに離農希望の時期や移譲方法、売買希望価格など項目別の情報を「銀行」に登録する仕組みを考案。希望者が来たら紹介する材料とする。同センターの構成組織、JAひがし宗谷は「継承を計画的に進められる」(営農相談課)と話す。
登録第1号の酪農家、只野國男さん(68)は夫妻で経営していたが、数年前に妻がけがをするなどし経営継続が難しくなった。道内外で暮らす子どもが継がない意向を示したので、銀行に登録した。
その結果、大阪府出身の和田英雄さん(35)に牛舎や自宅などを移譲できた。只野さんは「営農を断念せざるを得なかった。銀行に登録して『お疲れさま』と言ってもらえた気がした。スムーズな継承ができた」と話す。
英雄さんは、妻の幸恵さん(33)と牛舎を改修、総頭数60頭で19年12月から生乳生産を始めた。「物件のめどが立たないと就農は難しい。すごく良い仕組み」とみる。今は町外に暮らす只野さんは「いつか経営を見に行きたい。地域の人と力を合わせて頑張ってほしい」とエールを送る。
「銀行」は始まったばかりで、現在の登録農家は1人。ただ、同町での重要性は高い。
第三者継承を全国に先駆けて進めてきた北海道。道によると「第三者継承は新規就農の重要な一つの選択肢」という。特に酪農は新規参入者が一から施設などをそろえるのが難しいからだ。牛舎などの施設だけでなく、自宅の移譲が多いことも特徴だ。第三者継承の数は明らかでないが、18年の酪農での新規参入者21人のうち、多くが第三者継承とみられる。
道農業公社は「スムーズな継承には、受け手と出し手の人間関係が課題。継承をコーディネートする人が中立的に役割を果たすことが大事だ」と指摘する。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月11日
「昆虫食の時代必ず来る」 イナゴ辣油いける味 岐阜農林高 杉森さん試作
世界の食料問題の打開策として注目される昆虫食に親しんでもらおうと、岐阜県立岐阜農林高校(北方町)の動物科学科で食品加工を学ぶ生徒が、食べるラー油「イナゴ辣油(らーゆ)」を試作した。素揚げしたイナゴに、揚げニンニクやテンメンジャンを加えて味を調え、食べやすい味に仕上げた。同校の農産物即売会で来場者に振る舞うと、好評だった。
試作したのは3年生の杉森功明さん。1年半前、「このまま世界の人口が増え続け、食料問題が深刻になれば栄養価が高い昆虫食の時代が必ず来る」と、一人で昆虫加工品の開発に取り組み始めた。
昔から、つくだ煮などで親しまれてきたイナゴを選び、最初は調味料の開発を目指した。「粉末にしたり、トマトソースに加えたりしたが、なかなか食べやすい味にならなかった」と振り返る。コオロギの昆虫食について研究している東京農業大学の研究室に相談に行くなどして、試行錯誤を続けた。
その結果、たどり着いたのが、「イナゴ辣油」。素揚げにしたイナゴに、砕いた揚げニンニクと揚げタマネギを混ぜ、テンメンジャンを加えた後、ラー油に漬け、味をなじませて仕上げる。
今回の試作に向け、長野県の業者からイナゴ2キロを調達。50食分を用意した。「予定より辛味が強くなったが、食べやすい味に仕上がった」という。
試食した来場者の反応は思った以上に良く、同校の近くに住む60代の男性は「ご飯のおかずにちょうど良い味。イナゴのつくだ煮のように香ばしさが加わればもっとおいしくなる」と話した。
残念ながら校内に開発を受け継ぐ後輩はいないそうだが、「将来は自分で商品化を実現したい」(杉森さん)。演劇部に所属する杉森さんは卒業後に役者を目指しながら「いずれは起業し、自分で作った商品を国内外に売れるようにしたい」と夢を膨らませる。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月11日
[にぎわい育む 農山村](5) 岡山 多様な「しごと」続々と 人の縁“栄養分”に
移住者と地元一体
デザイナー、空き家改修、宿泊施設再生、立ち飲み屋、農業体験……。ここ5年でおよそ50も、続々と「しごと」が生まれる地域がある。中山間地域の岡山県真庭市だ。
「仕事」といえばかつては専業や雇用される就業が主だったが、同市で広がるのは新しい「しごと」の概念。複数のなりわいで生計を成り立たせる「多業」、後継者のいない店を第三者が引き継ぐ「継業」の他、起業、副業も含め、多様な「しごと」の形が広がっている。来年度から始まる政府の地方創生5カ年計画である第2期総合戦略でも、従来の「仕事」だけではなく、多くの形の「しごと」の価値に注目し、広げる重要性を強調する。
大阪府内で飲食店を経営していた松尾敏正さん(43)は「地域に“しごと”は無数にある。働く仲間がつながれば、ビジネスの種はもっと増える」と笑顔だ。2014年に家族5人で移住し、地域おこし協力隊になった。現在は、協力隊を卒業し、地元の高齢者に相談されて継業したカフェ店主、交流定住センターの運営、農業体験を提供する会社の取締役など複数の顔を持つ。
県北にある同市は05年に9町村が広域合併した。800平方キロを超す面積に4万5000人が住む、人口密度の低い農山村だ。過疎地域では高齢化や後継者不足で廃業が加速化し、商工会も会員数の確保が課題の中、真庭商工会ではここ2年、会員数が増えている。人と人がつながり、次の「しごと」ができる好循環があるからだ。
同市久世町にある交流定住センターは起業家や会社員、地元住民、地域おこし協力隊、行政職員ら多様な人が集まる拠点だ。
大阪府内で会社員をしていた黒田和美さん(43)は現在、地域イベントのちらしのデザインなどを手掛ける起業家だ。実家は市内の酒店。畳もうと思って松尾さんらに相談したら、立ち飲み屋を勧められてリノベーションした。
「立ち飲み屋なんて山間部でできるはずがないと思い込んでいたが、始めてみたら経営は順調。真っ暗だった商店街が、最近明るくなった」とうれしそうだ。都会に比べ起業や継業は固定費が少なく、販路や経営の工夫もしやすいという。
新規就農者で東京都出身の移住者、石橋千賀良さん(28)は昨年10月、地元住民らと耕作放棄地を開墾し、農業体験を提供する(株)年貢を立ち上げた。石橋さんは「誰かに何かを話せば、誰かを紹介されて、人がつながって創業に結びつく。いろいろな職業の人と交わって楽しいことができる」と前向きだ。気軽に創業できる雰囲気があり、収入も上々だという。
移住者や若者だけが「しごと」を起こすのではなく、地元住民が仲間になっていることも同市の特徴だ。露地5ヘクタール、ハウス70アールで野菜を栽培する専業農家の清友健二さん(51)は、一緒に働く若者が音楽祭を開くなど「地元に明るい雰囲気が生まれてきた」と感じる。「人が少なくても、人がつながってワイワイしている」と清友さん。困り事があれば誰かを紹介され、自身も頼られることが増えた。
自分らしく稼ぎ仲間とつながる
インターネットの普及や働き方への価値観の変化から、農業や観光、生活など、分野横断で新たな「しごと」が農山村で生まれている。
新たな働き方を提唱する(株)シゴトヒトの代表、中村健太さん(40)は「目先の利益や労働条件だけでなく、やりがいや地域との関わりも重視した“しごと”を求める若者たちが、地方に向かっている」とみる。自分らしく稼ぎ、仲間とつながる。その積み重ねが、地域ににぎわいを育む。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月11日
[にぎわい育む農山村](4) 福島 都市の仲間「関係人口」 地域外の輪 活力に
伝統野菜 共に拡大
「おかえり!」「収穫はもう慣れっこだね」。福島県会津若松市の農家たちが笑顔で、都会に住む“仲間”を出迎える。
12月半ば。米や野菜を栽培する農家の佐藤忠保さん(31)が都市住民らと共に伝統野菜「宇津野カブ」やネギなどの収穫作業に励んだ。
東京都港区の会社経営者、小室登子さん(48)は佐藤さんの元に通い「お互いが家族のような存在。彼らが作った農産物は自信を持って、知り合いに紹介できる」と話す。佐藤さんが東京に農産物の販売に訪れる際も交流する。
小室さんは2013年に仕事で同市を訪れ、佐藤さんらと出会い意気投合。以来、年に数回通い続け、互いの知り合いを紹介し合ってきた。
小室さんはイベント企画などの事業を手掛ける会社の代表。人脈が豊富なことから、交流を通じて消費者や料理人らを同市の農家に紹介。東京に農産物の出張販売に訪れる佐藤さんらの努力もあり、会津の農産物に興味を持つ人が同市を訪れるようになっている。
会津の野菜を「おいしい」と言ってくれる人、定期的に通い購入してくれる人、口コミで会津地方のPRをしてくれる人……。佐藤さんらが直接、東京で農産物を販売する際に知り合った都市住民らも含め、出会いが次の出会いを呼び、会津地方の農家や農産物、地域へのファンが少しずつ増えている。
佐藤さんは「東日本大震災の前は市外の人と交流しようという思いが薄かった。小室さんとの出会いもきっかけになり地域外に目を向けるようになった」と明かす。
同市では、市外のファンの支援で伝統野菜の栽培が広がっている。7種類を育てる長谷川純一さん(49)は、13年まで伝統野菜「小菊かぼちゃ」をたった1人で栽培していた。それが今では市内で約30人の農家が栽培する。
きっかけは、13年に長谷川さんの活動を雑誌の特集で読んだ東京の読者の呼び掛けだった。「小菊かぼちゃ」の種は市販されておらず、栽培が広がりにくい。読者らは長谷川さんから「小菊かぼちゃ」を購入し、食べ終えた種を長谷川さんに戻すことで、栽培を応援しようと活動を広げてきた。
これまでに県内外200人弱が協力。種を提供した人の中には、長谷川さんの畑を訪れ種の選別を手伝ったり、長谷川さんら農家と一緒に会津の野菜を使った料理を囲んだりしている。
東日本大震災以降、地域外から福島県の農業を応援したいという人や何かしらの関わりを求める人が増えたと感じる長谷川さん。「地域の外から福島に関わってくれる人の存在は地域農業の活力につながる。共に福島を盛り上げていきたい」と強調する。
互いに助け合える つながり維持が要
住んでいなくても、地域や地域の人々と多様に関わる「関係人口」。国土交通省が首都圏の在住者ら約3万人にアンケートすると、日常生活圏や通勤圏以外で定期的、継続的に関わりのある地域を訪れる人は24%に上った。農林水産業への従事や副業、祭りをはじめ地域づくりへの参画など、地域の担い手にもなる。
「関係人口」という言葉を生み出し、農家と消費者をつなげる雑誌『東北食べる通信』を創刊した岩手県花巻市の高橋博之さん(45)は「時間や手間をかけて関係を育むことが欠かせない。関係人口と農山村が互いに助け合う関係を続けることが、地域の未来を決める」と話す。
高齢化や人口減少などで全国的に担い手不足が進む中、地域外から訪れる関係人口がにぎわいをもたらし、新たな活力につながっている。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月10日
[活写] 合格へ “い~予感”
合格の「い~予感」──。愛媛県八幡浜市の若手かんきつ農家が、五角形に仕上げた伊予カン「五格いよかん」で受験生を応援している。
「五格いよかん」は、地元の若手農家9人が所属する「日土橘4Hクラブ」が特産の伊予カンのPRも兼ねて、2013年から出荷を続けている。
例年8月に、日当たりが良い場所に実った傷のない「宮内伊予柑(かん)」を選び、地元の木工業者に特注した五角形の木枠を取り付けて大切に管理する。12月中旬から出荷し、都内の百貨店などで販売している。
今シーズンは枠をはめた250個のうち農家の厳しいチェックに“合格”した48個を出荷し終えた。
会長の清水達也さん(27)は「毎年出荷できるのは2、3割ほどで、狭き門を通過した縁起物。受験生にとって大敵の風邪を予防するビタミンCも豊富です」と話す。(釜江紗英)
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月10日
[にぎわい育む農山村](3) 新潟 人が人呼ぶ集落営農 若者雇用 存続の鍵
皆で「楽しさ」追求
新潟県柏崎市の集落営農組織「矢田営農組合」。江部楓さん(21)が充実した表情で語る。「こんなに若い人がやりたいことに挑戦できる環境は他にない」。幼い頃から農家になりたいと思ってきた江部さん。高校卒業後は園芸を学び、昨年4月に同組織に就職、近隣から通って農業に励む日々だ。
若い働き手は江部さんだけではない。同組織は渡邉猛さん(24)も雇用し、地域おこし協力隊も受け入れる。
外国人を呼んだ田植えや稲刈り、会社員や学生の農業体験、かかし作り、市内山間部の集落営農組織との交流、地域の祭り……。農業以外のさまざまな活動をするのが同組織の特徴だ。昨年夏には地元町内会と一体で、滞在型のインターンシップ(就業体験)で大学生も受け入れた。
「若者と共に集落以外の人も呼んで、いろいろな人がここを集う場にしていくことが一番大事。農業を核に人を増やす、集落営農だからできる」。代表の石黒芳和さん(62)が確信を持つ。同組織が農を基軸に外国人から子どもや住民、農家、よそ者、集落内外をつなぐ。
同組織は2007年、矢田地区の農家らで立ち上げた。現在は24ヘクタールで水稲を中心に、酒造好適米、エダマメやマコモなどを栽培。漬物加工もして冬場の収入源も確保する。当初の構成員は28戸。同組織の経営が順調で信頼されたことや、高齢化を背景に構成員が増え、現在は45戸の農家が参加する。
同組織の年間売り上げは3740万円。社員として江部さんと渡邉さんの他、事務担当者や農家で理事の永井鉄栄さん(60)らを雇用する。
農水省の「農の雇用事業」の補助はあるが、事業期間が終わっても雇用は続ける。「この規模で複数の若者を受け入れるのは、集落を次世代につないでいくことが使命だから。今しんどくても、未来に残るために必要だ」と石黒さんは考える。渡邉さんは1月に子どもが生まれる予定で、同組織では将来の昇給も検討中だという。
若者の雇用は費用が必要で、農作業体験の受け入れなど多彩な活動は収入源にはなりにくい。それでも渡邉さんは「矢田の景色は最高。知り合いができることで経営のヒントもあるし、何より楽しい。園芸品目を経営の核にしていく」と未来志向だ。エダマメの一層のブランド化を目指しており、人が人を呼ぶ形で東京への販路が広がった実績もある。
同組織では今後、地域おこし協力隊とゲストハウスやカフェを開設する計画を立てる。集落の住民が集う場だったかつての商店を、同組織の仲介で受け入れる協力隊員によって復活させる計画もある。
永井さんは「昔は地域の世帯主だけで集まっていたが、最近は関わる人が増え集落出身の若い人も顔を出す。集落営農の楽しさが“伝染”してきた」と実感する。
多様な人材集め農業経営考えて
農水省によると、2019年2月の集落営農数は約1万5000で、47万5000ヘクタールが集積される。一方、経営悪化や人手不足などで組織の解散を余儀なくされるケースもある。山間部の集落営農組織の大半が後継者不足の中で、将来の存続に向けた岐路に立つ。
京都府立大学の中村貴子准教授は「専業農家だけでなく、集落内外の多様な人材と共に継続を考えることが必要」と指摘する。集落営農はもともと地域の拠点として地域農業を守ろうと設立された。子育て世代や若者ら多様な人との連携が、組織の存続と地域再生の鍵を握る。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月09日
耳にも野菜 販促時好評 静岡県函南町の主婦と農家
静岡県函南町のブランド「函南めぐり野菜」をPRしようと、同町の主婦の小川典子さん(38)がビーズで野菜のピアスを作っている。旬に合わせて、10種類以上を制作。農家が野菜を販売する時に身に着けると、ピアスに注目した消費者から声が掛かるなど、野菜のPRに一役買っている。
「函南めぐり野菜」は、酪農が盛んな同町丹那地域の牛ふん堆肥で土作りをして栽培した野菜。小川さんは、同野菜を栽培する神尾ファームの神尾かほりさん(44)に誘われ、2018年から野菜をPRする活動に携わっている。
神尾さんは夏はナスやトマト、冬はダイコンやブロッコリーなどのピアスを身に着け、野菜を販売。「ピアスは女性の目に付きやすい。ピアスを絡めて、その時の旬のブランド野菜をアピールすることができる」と手応えを感じる。
地域のイチゴ祭りやダイコン祭りなどで700~1000円で販売もする。小川さんは「子どもが『かわいい』と気付いてくれる。そこから会話を広げ、食育につなげたい」と話す。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月09日
[新たなバトン 世襲ではない継承へ](1) 3年かけ事前準備 信頼築き経営一任 農業法人ごと譲渡(新潟県糸魚川市)
新潟県糸魚川市の槙集落を中心に水田30ヘクタールを手掛ける(株)あぐ里能生。代表の稲葉淳一さん(36)と取締役で妻の祐娘さん(36)が農作業をする姿に、前代表の日野冨保さん(73)が安心した表情を見せる。日野さんは2019年1月、埼玉県出身で血縁関係のない稲葉夫妻に法人経営を託した。
日野さんは3年前から、稲葉夫妻への継承を考え、慎重に実行に移した。「計画的に継承を進めた。余計な口出しを一切しないと自分に言い聞かせている」と日野さん。日野さんにも、同法人の役員だった地域の農家2人にも、法人経営を希望する子どもはいなかった。日野さんは「地域を大事にしてほしい」とだけ注文を付け、バトンを渡した。
集落の住民は約200人。法人は07年、集落営農組織の話し合いを進める中で誕生した。有志3人が400万円を出資し、日野さんが代表となった。法人が地域農業の存続に直結するため、日野さんは年を重ねるにつれ、引退と後継者確保で悩み続けてきた。
一方、淳一さんにとって同市は母の実家がある場所。幼い頃から農家になりたいと考え、東京農業大学を卒業後、同市に移住した。糸魚川農業普及指導センターから日野さんを紹介され、06年から市営住宅に住み、日野さんの下で農業を学んだ。日野さんのハウスで野菜を栽培したり、同法人のアルバイトをしたりして生計を立ててきた。
当時、現在のような新規就農者向けの補助金はなく、苦労しながら農業に励んできた淳一さん。愛知県出身の祐娘さんも同法人の事務員として働いた。日野さんは「人柄が信頼でき数字に強い」稲葉夫妻に法人を任せたいと考えるようになった。
法人の継承をしてほしいことを打ち明けるとき、日野さんは「当事者同士でなく第三者に間に入ってもらった方がスムーズにいく」と同センターに相談。その後、県から紹介を受けたアドバイザーに相談し、関係機関を交え、稲葉夫妻と話し合いを重ねた。
淳一さんは「雇われ社長はできない」と唯一の条件を出して引き受けた。責任の重さなどから夫妻は「本音はやりたくなかった」と明かす。
苦心したのが司法書士や税理士などが算出した農地や機械など法人の資産価値2700万円の売却額。日野さんは稲葉夫妻の経済状況を踏まえ、返済の負担を最小限にとどめる提案をして、淳一さんは受け入れた。18年は「並走期間」として淳一さんは取締役となり、一緒に会議に出たり、100人弱の地主に説明したりして基盤を整えてきた。
代表を交代して1年。世襲ではない継承に旧役員の家族らから心配する声もあったが、支障は全くない。稲葉夫妻が子どもを育てながら集落内に家を建てたことも、地域の安心感につながっている。
集落営農組織など地域を守る農業法人の後継者確保は、全国共通の深刻な課題だ。同法人の継承が順調だったことについて、同センターの阿部綾主任普及指導員は「段取りを踏んだこと、好きにやってほしいと日野さんが任せたことが要因」と説明する。法人の年間売り上げは6200万円で経営が順調なことや、JAひすいや地元関係機関と良好な関係でフォローしてもらえたことも大きい。
「地域を大切にしなければ経営は成り立たないから、経営を大幅に変更することは考えていない」と淳一さん。世襲ではない継承で、地域農業の未来が開けてきた。
世襲にこだわらない継承が、農業で始まってきた。農村の仕事は世襲が慣例だったが、地縁や血縁のない第三者に経営継承する取り組みが広がっている。農外からの新規就農は、初期投資や販路など多くの壁が立ちはだかる中、農地や農機、販路、技術など、有形・無形の資産や経営のバトンを渡す農家や支えた地域を紹介する。
日本農業新聞の購読はこちら>>
2020年01月08日